敗者の終点(2)
――『敗者の終点』
気が遠くなるような長い時間、幾つもの地層が重なりあう地中をくり抜いて出来た集落。ラウエルのような偽りの空は無く、上を見れば土色の天井に居を構える大小様々水晶が微弱な光を灯す。
それでも視界は充分に開かれており、地層を削って出来た居住スペースが軒を連ねている。簡素な造りとは言え、各家庭、各個人の私生活を尊重した造りになっており思いのほか住まいとしての機能は見たし、集落の何は不釣り合いにも思える佇まいだ。
「――心象酔い?」
「ええ、私達ブルーリッド特有の症状よ。彼方の話を聞く限り、この子心象酔いは初めてなのでしょうね」
そんな家屋とは呼べないものの、身体を休める為に身を寄せる事の出来る一室で名無は『敗者の終点』に身を寄せ白衣に身を包むブルーリッドの女性――ルゼからレラの身に起きた心象酔いに付いて説明を受けていた。
「私達は肌による接触で人や動物達の心の色を読み取る。でも、読み取る心色が強烈で濃いものを長い時間見続けると、自我が強く揺さぶられて強い目眩や吐き気に襲われて動けなくなってしまうの」
「レラの症状はどの程度の物なんだ?」
「発熱に加えて呼びかけにも反応しないとなるとかなり重いものよ。だけど気を失っている間はさっき言った症状に悩まされる事は無いの、下手に意識があるよりは楽で良いわね」
「心象酔いの回復に効果的な薬や魔法は?」
「無いわ、純粋な時間経過でしか心象酔いは治まらないの。出来る事があるとすれば可能な限り彼女に触れない事くらい、そこは意識があっても無くても同じ」
「つまり今のレラは治まりきらない情報が一斉に頭の中に流れ込んでしまい、知恵熱を出しながらも理解し整理が終わるまで処理を続けている状態……そこに横やりを入れてしまうと症状が長引くという事か」
「そういう事ね。まあ、私達からしてみれば心象酔いは珍しいことでは無いの。命に関わるような事にはならないから安心して」
「そうか」
「ナナキお兄ちゃん……レラお姉ちゃん、だいじょうぶ?」
「ああ、もう大丈夫だ」
種族特有の病状である事だけは分かっていたが、それ以外何も改善の為の手がかりが見つけられず心穏やかでは無かった名無。しかし、レラと同じブルーリッドであるルゼから詳しい症状を聞けた事で張り詰めていた表情が緩む。
隣でベッドに横たわるレラの姿に不安な表情を浮かべていたティニーも、名無の言葉と様子からレラが危機を脱した事を悟り柔らかな笑みを浮かべた。
「そろそろ私は行くけど何かあれば声を掛けて、ブルーリッドの事で知らない事が多いでしょ? レラちゃんに聞きにくいなら私が教えてあげる。それと薬師としての腕もそれなりだから、貴方達も具合が悪かったりしたら遠慮せずにね」
「心遣い感謝する」
何か命に関わる病だったというわけでは無かった為、診察らしい診察は無し。
着慣れた白衣と使われることの無かった医療道具が入ったダレスバッグを手に名無達が宛がわれた部屋を後にしたルゼ。
「思ったより早くルゼさん帰っちゃったけど大丈夫だったの?」
「慌てた様子はなかった、張り詰めた空気な。見ただけで問題ないと分かれ」
そして、入れ替わりに杏奈とミドの二人が姿を見せた。
「貴方達のお陰で助かった、ありがとう」
「お礼なんて良いよ、あたし達が何かしたわけじゃ無いし」
「それでも礼が言い足りないなら後でルゼにもう一度言ってやってくれ、俺達は君の警戒が解ければそれだけで良い」
「その事に関してはすまない。、余り余裕が無かったとは言え不躾だった」
レラの体調不良が深刻な物だと動いていた事と、隠蔽されていた転移魔法の予期せぬ発動も重なった事で神経を研ぎ澄ませなくてはならなかった名無。転移した直後に声を掛けられては幾ら杏奈が友好的に話しかけたとしても敵と判断して動かざる終えなかった。
「本当だよ、こっちは歓迎ムードだったのに睨まれちゃって怖かっ――あたっ!」
「終わった事を蒸し返すな、話が進まん」
謝る名無に頬を膨らませ不満を溢す杏奈だったが、それを手痛く嗜めるミド。名無としては杏奈に責められても黙って受け入れていただろう。しかし、どちらに非があるとも言えない状況だったのも確か。
ミドが話を逸らさずに進めようとしてくれているのだから、名無としても流れに乗らない手は無いだろう。
「それで此処は何なんだ? 貴方達は敗者の為の集落だと言っていたが……」
「その話をする前に幾つか確かめさせてもらいたい事がある、その方がお互いに話をしやすくなるだろうからな」
「分かった」
「話が早くて助かる。まずは君達が転移指定位置である上の洞窟まで来た経緯だが……ナナキ君は奴との戦い敗れたのでは無いのだな??」
「貴方の言う『奴』が誰なのか分からない、戦って敗れたという意味も。俺達が洞窟に辿り着いたのは、レラを休められる場所と雨風を凌げる場所を探していた途中で立ち寄っただけだ」
「結果から言えば偶然に立ち寄ったと言う事か……次は君とレラさん、そしてティニー嬢との関係だ。杏奈も言っていたが俺達は君達を家族だと判断したんだが?」
「いや、家族では無い。話せば少し長くなるから詳細は省かせてもらうが、俺が一人で旅をしている途中でレラとは今はもう無い魔族の隠れ里で。ティニーも今は無い人間族の街で出会い訳あって一緒に旅をする事になった」
「そうか」
名無の答えにミドはレラとティニーに金色の瞳を向ける、二人に向けられた視線は彼女達の顔や素肌を捉えていた。
「ここに来たのが偶然とは言え、君は杏奈達と同じ異物なのだな」
「杏奈さん達と同じ……まさか此処で暮らす人間達全員が?」
「正確には人間も魔族も、になるな」
集落の名前から弱者だと断じられた者達が集まっている事は容易に理解できた、人間である杏奈が魔族であるミドを伴侶としている事からも只の集落でない事も。何より敗北者として集められたとは言っても必ず優劣は存在する。
杏奈がミドを伴侶としているのも彼女が力でソレを実行している、もしくは何の目的があるのかは分からないが、『奴』と呼ばれる人物の命令で望まぬ関係を結ばされる為の場所とも考えられなくも無い……しかし、名無が見た二人のやり取りに強制されたものには見えず、ミドの事もなさげに口にした事が嘘では無い事に真実味を与えていた。
(彼が言っている事が嘘だとは思えないが……この眼で確かめるまで答えを出すのは尚早か)
嘘はない、それは確かだろう。
しかし、この集落の在り方……出来上がった事情は集落の名からして歪。ミドと杏奈からそれらを感じ取れる事が出来なくても、何かしろの思惑の元に成り立っている事は間違いない。
名無はラウエルでの失敗を繰り返す事の無いようにと気を引き締める。
「此処は人間達の社会で生きる事に不満を抱いた出来損ないと、その人間達と心を通わせられた魔族達が集められた場所だ。前提として奴に歯向かい敗れた者、だがな」
「その奴と言うのは誰なんだ?」
「今言った通り、此処は戦いに敗れた敗者幽閉の地。これからも彼女達と共にただ旅をし、ただ平穏に生き、争いを避けるつもりなら聞かない方が良い。少なくとも今は聞かない方が君達の為だろう」
「………………」
頑なにとまでは言わないが、『奴』と呼ばれる人物の正体を語ろうとしないミド。だが、ソレを話した事で彼の身に何かが起こるといった切迫感は見られない。無理に聞き出す事も出来そうだが、彼の言う通りレラは動かせる状態ではない、今は深入りはせず機会を窺った方が良さそうだ。
「初対面のの相手にここまで言葉を尽くしてくれたんだ、助言を無碍にする訳にはいかないな」
「是非そうしてくれ、その方が俺達も要らなく気をもむ事もない」
「もうミー君ってばそんな言い方は無いんじゃない?」
「アンナ……」
迂闊な行動はすまいと身を引いた名無だったが、ミドの揚げ足を取るように杏奈が抗議の声を上げる。
「名無君は何も知らずに来ちゃったんだし少しくらい教えてあげても良いじゃない? それを聞いてどうするか決めるのは自由なんだしさ」
「だからこそだ、決めるという事は後戻りできなくなると同義。事情を知った彼を都合にまきこんでしまえば、それを促した俺達の責任だ。また幾らでも道を選べる彼等の未来に対する責任の取り方などありはしない、あると考える輩は思考を放棄した馬鹿者だけだ」
「あー! それってあたしが馬鹿ってことー!?」
「アンナがそうだとは言っていない、そもそもお前は別分野の大馬鹿だ」
「言ってる、馬鹿って言ってるよ! しかも大馬鹿だなんて酷いよ、ミー君!!」
「酷いとはなんだ酷いとは、俺は本当の事を言ったまでだぞ?」
杏奈としてはちょっとした気遣いで話に加わっただけだったのだろうが、ミドの実直で辛辣な切り返しに顔をしかめる杏奈。ミドもミドで杏奈の大げさな反応に誤魔化す事も隠す事もなく、何より悪びれる必要の無い心からの言葉を返してしまう。
「そう言う所、そういう所が駄目だって言ってるの。ミー君は繊細な乙女心が全然分かって無いよ!」
「……繊細? 乙女心? 何を言っているんだ、そんな年頃はとっくに過ぎてるだろう?」
「むぅー! 言ったね、言ってはいけないことを言ったねミー君!! 奥さんはプンプンですよ!?」
「今の発言が何よりの証拠だろうに……はあ……」
言葉が纏まらなくなってきた杏奈を見て呆れたように溜息を吐くミド。
どちらが悪いと言うわけでは無い……が、売り言葉に買い言葉と化してきている二人の会話は熱が入り始めている。
(本格的な言い争いになる前に止めた方が良いか……だが、このまま成り行きに任せたらもしかすれば情報を口にしてくれるかもしれない)
レラの窮地を救ってくれた恩を仇で返すようなことになってしまうが、戦わずして『敗者の終点』や『奴』と呼ばれる人物について知ることが出来れば此処が安全かどうかも判断することが出来る。
(いや、ミドさんが冷静に対応している所を見るとそれは難しいか)
言い合う杏奈とミドを見ても声や動作が大きくなってきているのは杏奈の方だけで、ミドは彼女の言葉に自分の意見を応えているだけに過ぎない。二人が冷静さを失っていれば思いがけずといった形で情報が得られる可能性もあるが、ミドが話を上手く切り返して場を凌ぐことも充分に考えられる。
――よ――
「そんな事言ってお嫁に来てくれって言ったのは何処のどなたでしたっけー? ご飯も掃除も洗濯も出来なくても構わないならって全力で嬉し恥ずかし告白してくれたのはどなたでしたっけー!!」
「何を言ってるんだ? 家事炊事洗濯、全部自分がやるから結婚してと言ったのはお前の方だったと思うが……まさか耄碌したのか!?」
「………………」
考えられるどころか切り返しが予想以上に辛辣だ、しかも杏奈を見つめるミドの眼に不安と焦燥の色が浮かんでいる。どう見ても本気で彼女の身を心配している眼だ、出会ったばかりの自分ですら分かってしまう程に真剣な眼差し。
――だよ――
「あー、あー! 聞こえません、ミー君が何を言ってるのか分かりません!!」
「今度は耳まで……すまなかった、本当にすまなかった。まさかお前がここまで身体を悪くしているとは、手の感覚はどうだ? 足は動かしづらくないか? 眼は? 呼吸は? 今更かもしれないが違和感を感じる箇所があれば言ってくれ。お前の夫として俺の出来る限りで支えてみせよう」
「違う、優しいけど違う! あたしが欲しかった優しさはそんなじゃないんだよ、だからそんな後悔と無力感を噛みしめるような顔であたしを見ないでー!!」
(……流石に止めるべきだとうか)
名無に譲歩するかどうかで始まった二人の口喧嘩。
夫婦間の意見の食い違いは、そっと眼を背けたくなるいたたまれない哀愁に変わろうとしていた。このままでは自分達の身が安全かどうかを確かめる為に一組の夫婦の未来を悲劇に導いてしまう事になる――それだけはなんとしても避けなければならない。
(だが、話を止めた後どうやって流れを切り替える? 俺達の事を話してもまた二人の意見がぶつかってしまえば意味が無い、かと言って他に提供できる話題は――)
「アンナ、さんもミドさんもケンカはめっ、だよ!!」
「「「っ!?」」」
杏奈とミドの口論が色々な意味で悪い方向へ走り出し、どう止めたものかと思い悩む名無だったが、そんな名無にティニーによる助け船が上がる。
「レラお姉ちゃんねてるからしーだよ、つかれてるのにおこしちゃったらかわいそう」
名無や杏奈達は心象酔いがある程度治まるまでレラが目覚めない事を知っている。しかしながら、ティニーにはまだ難しい話だったのだろう。レラが眠っているのは疲労から来ているものだと思っている。
体つきは十歳前後の少女の物だが、その思考は三歳の幼児とそう変わらない。
時折、その精神年齢よりも豊かな反応を見せるが、大半が幼いものだ。それでもレラを気遣うティニーの言葉は、紛れもない彼女自身が胸に抱き導き出した優しい答え。
他者を思う少女の言葉に呆けるのは一瞬、杏奈とミドは苦笑いを浮かべ二人揃って膝を折ってティニーと目線を合わせた。
「五月蠅くしちゃってごめんね、ティニーちゃん。ティニーちゃんの言うとおり、レラちゃんに悪い事しちゃった」
「確かに体調が優れない者がいる部屋でするような事では無かった、まして子供に見せるようなものでは無いと言うのに。すまなかったな、ティニー嬢」
杏奈はティニーの頭を撫でながら、ミドは子供であっても驕る事無く誠意を持って頭を下げた。
「もうケンカしない?」
「しないしない、杏奈さんはもう喧嘩しません!」
「俺もしないと誓おう」
「うん、ならいいー!」
そんな二人の様子に頬を膨らませていたティニーも柔らかな笑みを浮かべた。ティニーの機嫌が元に戻った事で杏奈達もほっとしたように息を吐き静かに立ち上がる。
「五月蠅くしちゃったお詫びに集落を案内してあげる、それ位なら良いでしょ?」
「ああ。レラさんが回復するまで暫く掛かるだろう、少なくても彼女が全快するまでは滞在する事になるだろうからな。それに他の皆も君達を新顔だと思っているだろうから、その点についても本人を交えて誤解を解く必要もある」
「じゃあ決まりだね! レラちゃんを一人にさせるわけにはいかないから、誰か手の空いてる子を呼んでくるから」
「ちゃんと女を呼んできてくれ、可能なら同族でな。その方がナナキ君も安心できる」
「勿論分かってるよ。それじゃ名無君、ティニーちゃん。少しだけ待っててちょうだいね!」
そう言って杏奈は脇目も振らず部屋を飛び出し、レラの看病を任せられる人材を探しに行ってしまうのだった。
「騒がしい妻で申し訳ない、普段ならもう少しくらいは………………まあ、落ち着いているんだが」
(俺達にしろ彼等にしろ、ここは追求しない方が良さそうだ)
少しばかり間が開いてしまったフォローに普段と変わらない明るさを見せてくれているのだと理解する名無。
変に警戒されてしまっては名無も簡単に気を緩める事ができず、ティニーに要らない不安を与え兼ねない。しかし、杏奈とミドの騒がしいやり取りのお陰でそうならずに済んだ。名無は胸中で此処にはいない杏奈に感謝するのだった。
「いや、気にしないでくれ。奥さんも気を遣ってくれているのは分かっている」
「そう言ってもらえるとこちらとしても助かる、アンナが戻ってくるまで楽にしていてくれ。粗末な物で悪いが茶を煎れよう、冷たい物と温かい物どちらが良いかね?」
「俺は冷たい物を」
「ティニーはあったかいのがいい」
「承知した、そこの椅子に座って待っていてくれ」
ミドは眠るレラの傍に入れるようにとベッドの脇に用意した長椅子に目配りして、名無達の要望に応えるべく台所へと向かう。
「……レラお姉ちゃん、早くめがさめるといいね」
「そうだな、早く元気になると良いな」
一緒に長椅子に腰掛ける名無達だったが、腰を下ろすと同時にティニーが名無の膝に小さな頭を落とす。声もついさっきまでの物とも違い、小さな声と共に弱音が溢れ出る。そんなティニーを励ますように名無は、膝の上に乗るティニーの頭を優しく撫でつけた。
(……レラの心象酔い、原因は恐らくティニーの不安定だった心の色を見続けた事に違いない)
ティニーの心の安定を図るために、レラには可能な限り不自然にならないようティニーに触れてもらっていた。その際に交わした言葉が、触れた体温が不安と孤独、恐怖と焦燥に揺れていた子供にとって何よりの薬でもあったからだ。
それはレラ自身も分かっており、ティニーの細やかな変化にも寄り添えるよう触れあってくれていた。それこそ今は居ないティニーの姉として生き抜いたティファのように……そして、それは今後も暫くの間は必要不可欠と言える。
(だが、レラの負担を考えると今までのようにと言うのは難しいな)
言葉を掛けなかったわけでは無い、距離を取っていた訳でもない。
だが、レラという自分などでは足下にも及ばない優しさと強さを持っていた少女に頼りすぎていた事は事実。同時にレラという少女がティニーだけでなく自分をどれだけ支えてくれているのか……彼女が倒れた事でより実感した。
(本格的に何をすべきなのか考える時間が必要だが、俺でもこうして傍に居てやることくらいなら……)
レラのように暖かく包み込むような触れあいが出来ない事は他の誰よりも名無が分かっている。
しかし、
「…………♪」
子は親を映す鏡と言う諺がある。
子供の振る舞いを見れば、その子供の親がどんな考え方や言動、行動や仕草を取っているのかを知ることが出来るという意味をもつ言葉。
名無達とティニーは親子の関係では無い、それはティニーの外見を見ただけでも判断出来る事だ。けれど、杏奈とミドはそんな名無達を親子であると認識した。
その事こそがレラの代わりが務まるだろうか悩む名無の不安に対する何よりの答え。
レラのように行かなくとも、名無がティニーとの接し方に悩もうとも、名無の堅い膝の上で頭を撫でられ頬を緩める少女の笑みが、レラだけで無く名無もしっかりとティニーの心を支える事が出来ている事を物語っていた。




