異形の竈(2)
「……これで大丈夫ですね、ちゃんとした服じゃなくて申し訳ないですけど」
「ううん、ありがとうレラおねえちゃん。ティファ姉、なにもきてないとさむいとおもうから」
「えっと、それ以外にも気にしなくちゃいけない事もあるんですけど……」
「?」
「いえ、気にしないでください。まだティニーちゃんには分からないかもですね」
名無が培養槽に閉じ込められていたティファを外に出してすぐに着ていたローブで裸体を隠したレラ。まだ子供とはいえ年齢的に考えれば、何もに見つけていない姿をさらしたままにするのはまずい。
幸いこの場の人目は名無達だけとは言え、助け出した際に名無がその肌を眼にしてしまったのは避けようがなかった事を差し引いても裸のままで良いわけがない。ないのだが、それの何がいけないのか理解できていないティニーに理由を説明するのは同じ女であるレラでもなかなか教えづらいだろう。
自分の言葉に小首をかしげるティニーの頭を撫でながらレラは苦笑を浮かべた。
(でも、良かったです。ティニーちゃんのお姉さんが生きていてくれて、ティニーちゃんの心の色が凄く明るくなってますし)
自分達と一緒でも安心してくれていはいるものの、心色の片隅に暗さ見て取れていた。黒色といった絶望的な色とまではいかなくても、それでも鮮やかになれきれないくすみがあったのだ。
それが今は消えた、間違いなく自分の目の前で眠っている女の子――ティファの存在があってこそのもの。想像でしかなくても酷い仕打ちを受けていたティニーの心の支えになってくれていた彼女が、ティニーにとってどれだけ大切な人だったのか分かる。
自分の命を擲ってでもティニーを助けたティファ、ティファの無事を知って心を輝かせるティニー、二人が生きて出会うことが出来て良かった……だからこそ、彼の暗い表情に良くないものを感じてしまう。
レラの視線は頭を撫でられて頬を緩めるティニーから、培養槽の前でマクスウェルと話し込んでいる名無に注がれる。
(ナナキさん、お屋敷で隠し部屋を見つけてから少し様子が変です。心の色もずっと暗い灰色のまま……不安、とも違う。何か悩んでいる、そんな心の色……マクスウェルさんも口数が少なかった)
名無達と距離を取っている訳でもないのに、二人が何を話しているのか聞き取ることが出来ない。きっと自分達に聞かせてはいけないような事を話し合っているのだろう。
(私なんかじゃ力になれない事がまた起きようとしてるんですね、ナナキさん……)
この見たこともない魔法具だらけの部屋に入ってからの表情は目まぐるしく変わった。
冷たくて怖い顔、張り詰めた顔、今にも泣き出してしまいそうな顔……彼がそんな表情を見せる時、良くないことが起きる前触れ。それが戦いであれ戦いでなくとも、自分達の身に避けようのない危険が迫っていることの知らせ。
ちょっとずつ慣れてきたと言っても周りを見られない分、どうしても彼に意識が向いてしまう。
そのせい、そのおかげ……どっちと言われれば後者の方になるだろうか。
これから何かが起きようとしているのだと覚悟するだけの時間がある、そして今度はティニーだけでなくティファも任せてもらえるはずだ。
(ティファさんが起きたらティニーちゃんの時みたいに取り乱すかもしれない、その時は私が頑張らなくちゃ。じゃないとティファさんがナナキさんの事を誤解して怖がってしまう、それにナナキさんも悲しい思いをしてしまう……そうなる前に私が何とかしなくちゃ!)
本当なら一人一人、丁寧に供養したかっただろうがこの場の状況がそれを許さない。
すでに『物』でしかないという価値を押しつけられた哀れな被験者達に囲まれながらも、レラはその悲惨な現実に流される事なく自分がすべき事に意識を集中させる。
その一方で、名無とマクスウェルはティファが押し込まれていた培養槽について話し合っていた。
「……やはり彼女以外の生存者はいないか?」
『イエス、マスター。生体反応を捕らえられたのはティファ様だけでした、他の被験者の方々は殆ど肉体を留めていません』
「この培養槽……魔法具の類いだと思うか?」
『魔法具である事は間違いないかと、ですが純正品かと問われれば答えはノーですが』
名無の首元で機械水晶を点滅させ言葉を続けるマクスウェル。
『解析結果として、この培養槽は中の培養液らしき液体も含めて一つの魔法具。ティファ様と他の被験者の方々の状態の差異から生命維持と細胞組織固定、防腐処理の役割を持っていると思われます』
「培養液の成分は?」
『解析不能でした、培養液らしき物に関しては『魔封じし流るる帯』と同様に水属性の魔法で生み出した水を使用している物と思います。データサンプルは保存しましたが、他にも付与されている『特異魔法』を突き止めるにはもう少し時間が必要です』
「そうか」
特異魔法は普段名無が日常または戦闘時に使用している元素魔法とは異なる、どちらかと言えば魔法よりも能力に近い特性を持つ物だ。
この世界の超越存在である精霊を介するという原則は変わらないが、その発現効力は個として確立されている。分かりやすい物でいれば封印魔法がその一例である。
他には毒、痺れ、睡眠、幻覚など状態異常に該当する物が多く、中には時間や空間といった概念に働きかける物もある。それらに属する魔法がこの培養液には付与されているはずだ、出なければティファが水中の何ら変わらない培養槽の中で呼吸機器も無く息が出来るわけがない。
他の培養槽に関しても安置されている人体の一部が腐らず、取り出されたばかりのような鮮度を保てるわけがないのだから。
『しかし、この魔法具を造り上げた人物は明晰な頭脳と感性を持っているようですね』
「ああ、おそらく隠し部屋の仕掛けとさっきの自動扉を造ったのも同一人物だろう」
精霊との感応性と術者の発想力に左右される魔法、能力と異なり千差万別の姿と効果を造り出すことが出来る。だが、これまで見てきた魔法の殆どが戦闘時の攻撃手段として、日常生活における簡易的な補助として、遠く離れた場所を行き来するための方法として……そのどれもが個人の技量によってなされた物ばかり。
それが魔法具という装置を元に、魔力というエネルギー源を用いて、目的に合わせた詳細なプログラムのように魔法を幾つも重ね合わせて科学によって生み出された『精密機器』というこの世界には存在しない異物と何ら遜色のない物が目の前にある。
魔法儀式という大がかりな魔法発動の術式はあってもコーディーや戦ったことのある魔法騎士でさえ、このような魔法の使い方はしていなかった。していなかったと言うよりも元から考えつきもしていなかった。
つまり、多くの人間が関わる事を前提に利便性を追求した仕掛けや魔法具を大量に生産するという認識は、この世界において奇抜極まる発想なのだ。
けれど、この弱肉強食の世の常である世界で数多くの人間が、力の強弱の関係なしに同じ目的の為に使用する精密さと隠密性、利便性を備えた施設を造ろうという発想に至るだろうか。
そんな疑問を抱かずにはいられないが事実、ティニー達を使って何らかの実験を行っている施設はこうして実在している。
この施設に関わった全員が進んで協力をしたとは考えにくい。
いかに発想の着眼点が社会性にそぐわないだとしても、利便性の最適化と利害の一致を思い描ける柔軟な発想が出来る人間がいる。それがこの実験施設の責任者であり、ラウエルの実質的な支配者であり、ティニーが恐れた人物……。
(ティニーの話ではクアスと言う人物が実験に関わっているはず……他の研究員もいるが名前を覚えるほど印象に残っているのなら、まず間違いなく今回の件に関わっていると見て間違いない。黒幕とまでいかなくても、それに近い立場の人間だろう)
魔法具もそうだが施設は機能している、敵襲の気配はないが確実に自分達以外の人間がここで活動している。このまま先に進めば接触することは出来るだろうが……
「………………」
名無は未だ目を覚まさないティファに視線を向ける。
(マクスウェルの生態スキャンでもティニーど同様の結果しか得られなかった…………不安があるとすれば彼女の意識がちゃんと戻るかどうかだが)
培養槽の中で延命処置を施されていたのか、それとも何らかの魔法を受け続けていたのかまでは分からない。分かっているのはティニーが慕っている人物で間違いないこと、彼女だけが生かされていたこと……これだけでは判断仕切れない。
彼女が何のために生かされているのか、そして一体どちら側の人間なのか……。
(俺の杞憂であるならそれで良い)
もし自分が考えたとおりであるのなら、自分達にとって――ティニーにとって残酷な結末が待っている。
その結末を避けるのなら此処に来るべきではなかった。
ティニーを保護し、すぐにでもラウエルから出立すべきだっただろう。しかし、敵が組織ぐるみで動いている以上、ラウエルを出ようとしても今以上にこの場所へと足を踏み入れることになっていたかもしれない。
……そうならなかった事でティニーの精神状態を持ち直せた時間を得られたことだけが救い。だが、それもティニーが関わっている問題が帳消しにされてしまう。
今の自分に出来ることがあるとすれば、せめて眠るティファが敵であってくれるなと祈ることだけ。
「――――うぅ……」
そんな名無の胸中を汲んだかのように彼の背後から小さなうめき声が上った。
「ナナキさん!」
「ティファ姉!?」
そのくぐもった声にレラとティニーは表情を明るくさせナナキとティファ、それぞれが声を掛け合う。二人の弾む声からはティファの目覚めを心待ちにしていた事が良く分かる、分かってしまう。例え視界に入っていなくても自分の背を向けている側で彼女たちの喜ぶ姿が目に浮かぶ。
「マクスウェル、五分五分だろうがティニーには先に言ってある……いつも通りに」
『イエス、マスター』
コーディー達と廃墟区画の探索を始める前、ティニーにはマクスウェルの事を話さないよう伝えておいた。マクスウェルが心器という通常の魔法具とは異なる物で、そのことをあまり人前で言ってしまうとレラとマクスウェル、そしてティニーにも危険が迫る可能性がある。もしティニーが知っている誰かと会う事があっても、相手にその気が無くても知られたくない輩に露見してしまうから……と。
その時は杞憂で終わる物だと思っていたが対応が甘かったかもしれない……二人の方へ振り向く前に小さく一呼吸する名無。弱気になっている自分を叱咤するかのように置いた一時の間をもって名無は銀の双眸でレラ達の姿を捉え返事を返さないまま二人の元へ歩みを進める。
「ティファ姉、ティファ姉! ティニーのことわかる? からだ、いたいところない? うごける?」
「落ち着いてください、ティニーちゃん。まだ意識がはっきりしてないようですから、少し待ちましょう」
気がついたばかりで視点の合っていないティファを心配して答える間もなく声をかけるティニー、慌てつつも喜々として目を輝かせる彼女に姿に笑みをこぼしながら窘めるレラ。名無の魔法に照らされているとは言え、二人の喜ぶ顔が更に部屋の中を明るくさせているようにも見える。
けれど、名無は二人の輪に加わる事なく視点が定まっていないティファに視線を注ぎ続ける。
「……ここ、は……」
深い水底に沈んでいた意識が浮かび上がり、閉じられた瞼がゆっくりと開かれていく。
開かれる瞼の下から現れるのは、やはりティニーと同じ翡翠色の瞳。その瞳があらわになるにつれ彼女の意識ははっきりと、名無の表情は張り詰めていく。
そして、
「……ティ、ニー……」
虚ろいだ表情のティファがティニーを目にした時、明確な意思の光が彼女の翡翠色の瞳に灯った。




