表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第三章 偽幸現壊
46/111

05  異形の竈(1)


「マクスウェル、この部屋が二十五部屋目で間違いないか?」


『イエス、マスター。ワタシの索敵結果と合致しています、そしてワタシ達が探していた手がかりで間違いないでしょう』


「漸く、だな」


 コーディー達が探し当てた隠し部屋の中、時間を掛けて見つけ出したティニーに関する手がかりとおぼしき部屋を突き止めた名無達。

 しかし、名無とマクスウェルに喜びの色は無く対輪外者武器を構えてはいないとは言え重く鋭い雰囲気を纏っていた。


「……大丈夫ですか、ティニーちゃん」


「う…………うん」


「お嬢ちゃんの反応からして主人殿達が探してた手がかりを引き当てたのは確かなんだろうが、あたしとしちゃあ何も見なかったことにして引き上げるのが良いと思うぜ」


「よく分からないけど危ないなら僕も逃げた方が良いと思う」


 レラとティニー、そしてコーディーとフェイも緊張と怯えがにじむ表情を浮かべていた。ティニーに関しては四人の中で一番怯えの色が顕著に出ている。

 敵の姿はなく、目立った驚異もない。

 だが、それでもティニーはレラの後ろに隠れながら隠し部屋に入ってから小さな身体を哀れなまで震わせていた。


「二人の意見を組んでやりたいところだが漸く確証が得られた手がかりを見つけた、危険は承知だが足を踏み入れるしかない」


 震えるティニーを一瞥してすぐに名無の眼が捉えたのは隠し部屋の中央で淡い光を放つ水晶の魔法具。光量は強く無いが隠し部屋そのものも広くない。

 水晶の放つ微弱な光でも全員の顔が見て取れるだけの明るさはあった……だが、それこそがティニーが怯える原因でもあった。


(隠し部屋に入るまでは特に変わった様子は無かったが、あの魔法具を見てから態度が一変した。おそらく研究施設から逃げ出した時に使った魔法具と同じ物を見て恐怖がこみ上げてしまったんだろう)


 研究施設から逃げおおせ、この隠し部屋から外に出たのならこの廃墟区画を探索している時点で反応を見せていたはず。それが無かったと言う事は少なくてもこの屋敷は脱出経路に使われていないと考え良い。

 ティニーを発見した第三区画。

 あの裏路地か区画内の何処かにこの屋敷の隠し部屋のような場所があるに違いない。とは言え、目の前に探し求めていた物があるのだ。

 すでに人の管理を離れ廃墟と化している事もあり、目の前の魔法具の転移先が未だに敵陣地に繋がっているかどうか怪しいところだが、敵の首元に刃を突きつける最大のチャンス。

 この機を逃す手はない、だが気に掛かる事もある。


(いや、今は突入に集中しなければ……仮に俺の予想通りだったとしても俺とマクスウェル以外に対処出来る事じゃ無い)


 名無は気掛かりを抱えながらも淡く輝く水晶へと歩み寄った。


「ティニー、この水晶が君が脱出の際に使用した魔法具で間違いないか?」


「ティニーがつかった、クアスさまのとおなじ……まほうぐだよ」


「そうか……」


 ティニーがこの転移魔法が組み込まれている魔法具を使って脱出出来た事を考えれば使い方はそう難しい物では無いだろう。

 手で触れることで発動ないし魔力を込める等すれば簡単に起動する仕組みだと考えて良い。水晶部位に触れてしまえばすぐに敵の陣地へ、そして同時に脱出経路にも……全員で突入するのは危険が大きい。


「目的地はまだ確定しきれないが敵陣地へと続いている前提で話を進める、まず最初に向こう側へ行くのは俺とマクスウェルにレラ、そしてティニーの三人だ。コーディーさんとフェイは此処で待機していてくれ」


「あいよ、こっちの出入り口は主人殿達が戻るまで死守しとく。悪手だが駄目そうだったら坊主をそっちに行かせていいか?」


「いや、無理にこの場所を防衛する必要は無い。もしかすれば入り口としての機能しかない可能性もある、何より二人には無理を言って手伝ってもらっているんだ。戦闘になった場合、少しでも不利になったら俺達に構わず逃げてくれて構わない」


 レラ達の防衛役としてコーディーの力は充分に期待できる以上、全員で動いた方が名無としても周囲の警戒や戦闘に集中出来るのだが転移魔法の術式が入るだけの片道切符の可能性もすてきれない。

 行き来することが出来るのか、向かうだけで終わるのか。

 それが分からない現状では全員で敵地かも知れない場所へ突入するのは賢い選択とは言えない、どちらの場合でも取れる手を選べるよう行動しなくては相手に裏を掻かれてしまう。

 行き来出来たとしても脱出経路としてまたこの魔法具を使って戻ってこれるかも分からない事も踏まえれば、現状これが最善策。

 可能な限り被害は小さく成果は大きく、全員が無事に生きて合流できるのが望ましい……この期に及んで尚も彼女達の安全に気を配る名無の言葉にコーディーとフェイは顔を見合わせ困ったように笑みを溢す。


「いらない心配はしなくていいさ、無理だったらありがたくそうさせてもらう。けどよ、あたしらがそっちに合流するかも知れない事も頭に入れておいてくれ。主人殿なら大丈夫だろうが、こんな胸騒ぎがすんのはそうそうなかったからな」


「僕の事も気にしないでください、僕に出来る事とって言ったらナナキさんやコーディーさん達の邪魔にならないようにするくらいだから。逃げ無きゃいけない時は死ぬ気でにげます」


「そうか、なら後の事は二人に任せてる。そろそろ突入するが……二人共もう大丈夫か?」


 年も性別も奴隷に身を落とした経緯も異なるコーディーとフェイだが、気を配る名無に対して向ける表情と言葉はお互いにずっと昔から気心が知れた友のようだ。もしかしたら奴隷館では売人の目を盗んでは世間話くらい交わしていたのかも知れない。

 そんな二人のやり取りを見た名無は小さく安堵の笑みを浮かべるが、すぐに口元を引き締め一緒に行動するレラとティニーに事を掛ける。


「はい、私は大丈夫です」


「ティニーも、だいじょうぶ」


 コーディーとフェイに比べ沈痛な表情を浮かべるレラとティニー。

 とうとう敵の本拠地へと向かう事になり緊張感を隠しきれていないのだ、名無の警戒度の高さが二人にも伝わっているのだろう。

 しかし、どちらもしっかりと前を向き名無の瞳を見つめている。恐怖が無いとは嘘でも言えない、それでも待ち受ける驚異に立ち向かう覚悟がレラ達の瞳から見て取れた。


「向こうについたら二人とも俺から離れるな…………行くぞ」


 レラとティニーに離れないよう念を押す名無、二人も名無の言う通り離れずに済むよう彼の背中にしがみつく。


「うまく行く事を祈ってるぜ」


「ああ、貴方達も無事で」


 コーディーの手向けの言葉に返事を返した名無は、淡く光る水晶へと手を伸ばす。

 名無の手が触れ水晶が放つ微光が名無達を包み込んだ次の瞬間、三人の姿は忽然と消え隠し部屋にはコーディーとフェイの二人だけが残った。


「…………ナナキさん達、大丈夫かな?」


「正直何とも言えねえな。あたしもそれなりに場数を踏んできちゃいるが、この先どうなるのか想像がつかねえ。それに……」


「それに?」


「坊主には無い戦場で磨かれちまった生存本能ってやつさ、敵の姿なんて影も形もねえってのに震えが止まらなくてしょうがねえ」


 この隠し部屋を見つけてからずっと振るえている自分の右手を握り込むコーディー。

 フェイには特に変わった様子はないが、それはあくまで掛け離れた力の差を感じ取れるだけの実践経験の無さから来るものだ。尤もそのお陰で取り乱す事無く冷静にコーディーの言葉に耳を傾ける余裕が出来ているのだから、今に限ってはフェイを励ましたり窘めたりするような最大の隙を晒す事がなくて助かっていると言える。


「とにかくだ、あたし等は主人殿達と合流するか完全に別行動を取るかの二択しかない。どっちになるか分からねえ、だから――」


「どっちなっても大丈夫なように覚悟しておけ、だよね?」


「それだけ分かってりゃ上出来だ」


 どの程度の危険が迫っているのか実感しきれていなくても、突入した名無達も含め自分達にもそれ相応の危険が降りかかってくるであろう事をしっかりと理解しているフェイの言葉に口角を上げるコーディー。

 子供は大人よりも感受性が大きく、一度負の感情に掴まれば思考も行動も停まってしまう。しかし同時に、フェイの様に秒刻みで成長を遂げていく子供も居るのだから恐ろしくも頼もしい。

(坊主が男を見せてるんだ、ここで尻込みしちゃあ女が廃るってな……さて、一つ気張るとするかい)


 不抜けるのはここまで、戦える自分が怖じ気づいしまっては名無の足を引っ張ってしまう上に子供一人護れなくてはこの場を任せられた意味が無い。

 コーディーは胸の内で色濃く燻る恐れを呼気と共に吐き出し、どっしりと身構え眼を、耳を、匂いを、第六感を……あらゆる感覚を総動員し敵襲へ備えるのだった。





 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――



(……待ち伏せは無し、か)


 視界に映る物は何も無く、眼前にはただ暗闇だけが広がる。

 手を伸ばし方向感覚と立ち位置を確認してみるが、当然と言うかのように壁と言った空間を遮るしきりに触れる事も無い。《輪外者》の視力を持ってしても何も瞳に捕らえる事は出来なかったが、同時に物音一つ気配一つ無い事も灯り一つ無い光景が教えてくれている。

 付け加えるのであれば感じ取れたのはレラとティニーの柔らかな感触と温かな熱、転移魔法によって隔離されることも無く無事に移動することが出来た事は僥倖だった。


『周囲に敵性反応はありません、この暗闇に対する対処を行っても問題無いかと』


「分かった、二人とも今から周りを照らす。最初だけ眩しく感じるかも知れないが我慢してくれ」


「はい」


「うん」


 顔の前に掌を近づけても何も見えない真っ暗闇に動揺するかと思っていたが、レラもティニーも思っていたよりも冷静さを保っている事に名無は少しばかり肩から力を抜き暗闇の中で右手を伸ばす。


「光よ(ティース)」


 伸ばした右手に灯る純白の光。

 それは名無の掌に納まる程度の小さな光体だったが、三人の周囲を照らし置かれた状況を認識させるには充分な光量を放っていた。

 光属性の魔法によって照らされたのは穢れ一つない真っ白な空間。

 空間とは言っても無限に広がっているわけでは無い。六畳ほどの広さしかなく暗闇に手を伸ばしていた時とは違い、ちゃんと壁が存在している。


(部屋一面が白一色、ティニーの話にも出てきた部屋か。転移の魔法具は無い、出入り口らしき物も見当たらない……俺達を誘き寄せて閉じ込めたと言う訳でも無さそうだ)


 誘い込んだのなら待ち伏せなり毒ガスなり、既に何らかの反応があるはずだがそれが無い以上、転移魔法具を見つけ出させ罠を張っていた線は薄いだろう。しかし、密室空間であろうと少なからず埃が堪る。

 それが無いと言う事はこの部屋を出入りした何者かが居ると言う事、そして此処から出るための方法が用意されているという事。

 部屋の天井から壁に床と忙しなく視線を動かす名無だったがが、彼の眼に出入り口の痕跡らしき物は映らない。


「マクスウェル」


『イエス、マスター。既に索敵は完了しています、この部屋の出入り口と思しき箇所は目の前の壁。ほぼ中央部分に他の場所へと繋がる通路だけが続いています』


「通路の先は?」


『私のセンサー領域を超えて続いています、その途中に屋敷にあった隠し部屋の様な物もありません。今確認出来る限り地層の中に一本の長い通路があるとだけ』


「逃げ場は無しか」


 通路そのものに罠が設置されている可能性もあったが、マクスウェルがその点について言及しないと言う事は罠は無いと考えて良い。巧妙に隠された魔法による物であれば完全に感知出来るとは言いがたいが、先だって魔法や能力で対策をしておけば問題無いだろう。あとは通路内で挟撃を受け戦闘になった場合だが、通路の外は土の壁だ。下手に大きな魔法を使えば生き埋めになると言う事は真っ先に思い浮かぶ。

 転移魔法が使える者がいて通路内にいる全員避難させられるだけの余力があったとしても、こちらがその隙を見逃すとは思っていないだろう。強力な魔法を使うにしても効果範囲の狭いものに限られてくるはず。

 レラ達の事も考えれば使ってくる魔法の威力にもよるがそれらを防ぎつつ通路が途絶えてしまう前に進むほかないだろう。敵の安否については彼等の技量を信じて通路そのものを壊して背後からの追撃だけでも完全に阻止する。

 逃げ場が無ければ迎え撃ち。随時対処していくしかないと名無はマクスウェルが示した通路を塞ぐ壁を破壊すべく。空いている左手に対輪外者武器をの小刀を握り前方の壁へと歩み寄った。


 ――カシュッ


 だが、名無が通路を塞ぐ壁を壊す前に純白の壁は、その身で隠していた道を招き入れるように差し出した。


「ティニー、君がいた施設にコレと同じ物はあったか?」


「あった、ティニー達が近づくとあいたりしまったりするとびら……たくさんあったよ」


「こ、これも魔法具なんでしょうか? 魔法の気配を全然感じませんでしたけど……」


『魔法具である事に違いはないと思いますが、どちらかと言えば魔具に近いかと。憶測ですが、あの扉に内包されている魔法は風属性と地属性の二つ。おそらく魔力探知の技術も組み込まれているのでしょう』


「扉に近づいた者の魔力に反応して開閉するよう術式が組み込まれているのか」


 自分達が気付かない、分からない方法でこちらを監視して扉を開いた可能性もあるが扉からは先程まで感じ取れなかった魔力の流れが微かにだが感じられる。屋敷で見つけた隠し部屋の仕掛けと同じ気配、同一の仕掛けが施された場所が他にもあるかもしれないが、動きを見せたのはこの壁だけ。


「……何にせよ道は開いた、罠を警戒しつつ進むぞ」


 名無は対輪外者武器を武装形態のまま維持し、レラとティニーは名無のすぐ後ろについて通路へと足を踏み入れる。三人達が招き入れられた通路は部屋と同じ白一色、その道すがらに分かれ道も他の部屋へと繋がる扉もない。

 三人の足音だけが反響し、隔離された空間で有りながら気を抜けば広大な空間だと錯覚してしまう何処までも伸びる白の領域。

 今の所なんの危険も降りかかってはいないが、名無の表情は厳しさを増していた。


(魔法や襲撃の直接介入、魔法具を使っての間接的な妨害は予想していたが……この手の仕掛けを意図的に行っているのなら厄介な相手だ)


 通路を歩いてから数分、十分は経っていない。

 距離で考えれば三百メートルを超えた程度だろう、此処がティニーに関係する施設で間違いなく敵の勢力圏内だ。しかし、向こうから何か仕掛けてくる気配は一切無い。それでも周囲に気を配り続ける必要があるのだが、この白一色の通路では自分の首を絞める事にもなる。


(レラ達は問題無い。だが、《輪外者》である俺には効果的な罠だ)


 名無が表情を険しくしたのは既に自分が――自分だけが罠にはまってしまっていた事に気づいたからだ。

 今の名無はレラ達を護りきるために『虐殺継承』を完全に解放している。

 奪い取った能力、魔法、そして身体能力の全て。普通の人間どころか《輪外者》と比べても桁違いな状態にある。高められた五感はどんな些細な気配も瞬時に感じ取れるが、歩いている白一色でまとめ上げられた通路ではそれらが完全に裏目に出ていた。

 ――人は刺激を求める。

 現実の生活の中で人は絶えず様々な刺激にさらされているが、雑音ですら五感や知覚機能が正常に維持される為には必要だ。

 だが、それらの刺激や刺激によってもたらされる変化が少なくなってしまうと人が有する自己――精神的支柱が維持できなくなってしまう。

 人は『自分は自分』だと誰もが思っている事だろうが、そう思えるのは体外の様々な刺激を感じ取ることが出来るからだ。

 それが耳に心地よい音、耳障りな騒音、程よい手触り、不快な感触、安らぐ香り、苛立つ異臭、口が綻ぶ味、吐き出した来たくなる異物、視線が離せない美、眼を逸らしたくなる異様さ。


 これら全てを認識できるのは人に感覚があるからだ。

 眼が機能しているから理解出来る、肌という外皮に包まれているからこそ空気なり重力なり感じ取れる感覚がある。手が、足が、五感を感じ取れる端末である肉体が確かに存在すると自覚出来る。

 今まで感じとっていた刺激が急速に失われてしまえば自己を自覚するのが難しくなり、それでも自分は自分であると認識する為に人は幻覚を作ってでも刺激を維持しようと自ら幻覚を作り出してでも刺激を得ようとするのだ。

 感覚遮断による自己の崩壊、それが名無に降りかかっている罠の正体。

 勿論、耳で三人分の足を聞き取れている上に白い通路を歩いた時間はたかだか数分だ。たったそれだけの事でいくつもの視線を潜り抜け、自身の願いを正しく理解した名無の自己が崩壊などと言う深刻な状況に陥る事はないが、高められた名無の感覚を蝕むには充分過ぎる材料だった。


(ティニーから聞いた大まかな施設の造りで言えば、施設全体がこの造りというわけじゃ無い。施設の出入りに使用される区間、実験に必要不可欠な重要区画に限定されているはず……さっきは罠だと判断したが奴等からしてみれば作りやすくコストが掛からない外装程度の認識かもしれないな)


 出なければ行動範囲が狭められる通路を態々用意するわけが無い。

 罠として用いるのならそれこそラウエル全区画に匹敵する空間が必要になってくる。

 問題があるとすればこのまま延々と歩き続ける事、今は大丈夫でももう暫くすればレラ達にも少なからず影響が出かねない。周囲に気を配ることで自然と無言になってしまっていたが、刺激を得る事もかねて名無は口を開く。


「マクスウェル、この通路はあとどれだけ続いている?」


『景色が白一色と言う事もあり視認では確認しづらいと思いますが、あと百メートルほどで広い空間に出ることが出来ます』


「さっきと同じ仕掛けの扉か」


『ハイ、マスターが近くまで行けば先程と同じように開くでしょう。しかし、このまま進むのは少々不味いかと』


「それは俺に取って……ではなさそうだな」


 マクスウェル言葉に名無は歩きながら後ろに視線を向ける。

 不穏を示唆するマクスウェルの物言いにレラは静かに頷き返し、ティニーは手を繋いでいるレラの手をしっかりと握り返す。


「ナナキさんに迷惑を掛けてしまうのは避けられないと思います。でも、ちゃんとナナキさんに付いていきますから」


「ティニーも、こわいけど……がんばる」


 張り詰めていく緊張感に口数が少なくなってはいるものの二人の声に震えは無い。恐怖を抱いていないわけがないのだが、待ち受けている苦難に足踏みする様子はなかった。


『レラ様達の精神状態は良好とは言えませんが、足が竦んで動けなくなってしまう事態に陥ることは無いと思われます』


「少なくとも罠の類では無い事だけは分かった、それ相応の心構えをしておけば良いと言う事もな

『その点についても問題無いかと、レラ様もティニー様もしなくて良い得がたい経験をしていますが、今後のことを考えれば二人の負担を軽くしてくれるでしょう』


「……あともう少しで付くと言う時に脅しを掛けるな、マクスウェル」


『申し訳ありません。その様なつもりは無かったのですが……ですが、何事も準備をして準備をしすぎているという事はありませんので』


 主人の苦言を事も無げに返すマクスウェル。

 そう言った話の切り返しがレラ達の不安を煽ってしまうのだが、当の本人は分かっていないようだ。だが、マクスウェルがここまで言う事は二人にとってあまり良くないものが待っていると気を配っているという事でもある。


(罠で無いにしろ良くないものがこの先にある………………俺の予想を下回ってくれればいいが)


 何が待ち受けていても進むほか無い、名無は再三言葉を尽くすマクスウェルの様子からレラ達の避けられない悲運に心を痛める。だが、そんな彼の心とは裏腹に問題の部屋へと続く行き止まりに見える白い扉の前へと辿り着く三人。


「まず俺が入る、二人は俺が声を掛けるまで入らないでくれ」


「分かりました」


「わかった」


 せめてもの抵抗と名無はレラ達よりも先に部屋の中へ、また苦も無く開かれた扉の向こうは転移した部屋と比べて圧倒的に広い。先程まで充分補えていた光量では入り口付近を照らすだけに留まっていた……が、それでも名無は口をきつく結ぶ。


(可もなく不可もなし、か)


 名無の眼に映ったのは右手の上で輝く光球の光を受け、その身を微かに浮かび上がらせる培養槽。硝子張りの試験管をもした巨大なケースは培養液で満たされ、培養液に浮かぶ肉塊をしっかりと管理していた。

 脳、眼球、脊髄、心臓、肺。人を構成する内臓や気管が一つ一つ丁寧に分類され保存されていた。別の培養槽には四肢のいずれかが欠損した者、全身の皮が無い状態の者、上半身が見当たらない者、下半身だけがそげ落ちている者、骨格しか残っていない者……五体満足、欠損が見られない死体一つもない。

 それが部屋の隅々にまでずらりと並んでいる、無残にも身体を開かれ中身を晒されている様は人間の標本そのもの。

 救いがあるとすれば部屋の中に充満する臭いが血の匂いでなく消毒液の匂いと言うこと……だが、それも所詮は気休め。

 血が流れ出る事への喪失感が、血肉が曝け出されている事への嫌悪感が、曝け出されながら生々しく蠢き脈動する臓物等への恐怖が無かろうとも、名無の細められた双眸に映る薄闇に内包された光景のおぞましさだけは消しきれない。

 はっきり言ってレラとティニーが、この正気を疑う光景を見てしまえば嫌でも足を止めざる終えないだろう。


(二人にコレを見せるわけには行かない、こちらが不利になる条件を抱え込む事になるがレラ達には眠ってもらおう。あとは『拡縮扱納(グレーセ・トリート)』で肉体を小さく……)


 異形の剣との戦いで悲惨な姿へと変えられた男、あれを見ていたレラなら何とか耐えられるかも知れない。しかし、表面的に落ち着いているように見えていても精神的に不安定なティニーでは、揺れ動く未熟な心では受け止めきれない。

 最悪、治る事の無い心的外傷を植え付けられてしまってもおかしくないものが広がっているのだ。

 名無はレラ達に部屋の状況を暈かしつつどう動くか話そうと踵を返す。


「――待ってください、ティニーちゃん!?」


 だが、名無が二人を視界に捕らえるよりも早く焦燥したレラの声があがった。


「ティファ姉、ティファ姉!」


「待つんだ」


 自分の横を駆け抜けようとしたティニーの手を掴んで止める名無だったが、掴まれたティニーは名無の制止を気にも止めず先に進もうとする。


「落ち着くんだ、ティニー」


「でも、ティファ姉が、ティファ姉があそこにっ!」


「ティファという人物がこの部屋にいるんだな?」


「うん、あそこ、あそこにいるの!」


 名無に掴まれ先に進めない中でも、ティニーは懸命に身振り手振りを交えてティファがいるという場所を指し示す。


『マスター、ティファ様かどうか分かりませんが生命反応を感知しました。熱源のシルエットから女性、位置的にもティニー様が指し示している方向で間違いありません』


「俺も目視した、しかし生存者がいたとは」


「はやく、はやくティファ姉のところにいこうよ!!」


「……分かった、だがレラと合流してからだ。だから少し落ち着いてくれ、出来るな?」


 怒っているわけでは無いが、少々強い口調で気が急いているティニーに言い聞かせる名無。レラにティニーの事を任せているとは言え、この取り乱しようでは心色を読めるレラでもティニーを引き留める事が出来なかったのは無理も無い。

 とは言っても、ここでティニーを先行させ三人バラバラになる事だけは避けたい。名無は行き勇んでいるティニーの手をしっかりと掴みレラが到着するのを待つ。


「ご、ごめんなさいナナキさん……遅く、なってしまって…………っ」


「謝らなくて良い……まだ行けるか?」


「は、い」


「どうしても駄目なようなら俺の背に、あとは俺が先導する」


「だ、大丈夫です」


「ナナキお兄ちゃん、はやくいこう!」


「……ああ」


 普段のティニーであればレラの青ざめた顔を見て心配してみせるはずだが、ティファが生きている事を知って会いたい気持ちが膨れあがってしまっているのだろう。実験体としての境遇を共にし、姉と慕い、命の恩人ともなれば、この反応も仕方が無いことだと判断できる。

 だが、それでも今のティニーには何らかの異常が起こっている。


(俺の視力であれば光球の光が届いていない奧側でも見る事が出来る。しかし、回復機能が高められただけで姉の培養槽の位置だけではなく、姿まで完全に視認できるはずがない)


 しかもそれだけで無く、この人の死体やむき出しの臓器が浮かぶ数々の培養槽を気に掛けていないこともおかしい。必死にティファの位置を知らせている時点で、ティニーの眼には只の一般人では身震いし足を止めてしまう状況が分かっていないはずが無い。

 なのに怯える事も立ち尽くすことも無く、顔色すら負の色に染まること無く姉と慕う女性を懸命に眼に映している。


(何らかの精神操作? だとしたらレラとマクスウェルが気付く、考えられるのは既にこの状況が当然という環境に身を置いていたという事だが…………問いただしても望むような受け答えは難しいな)


 この状況でも全く動じていないティニーの精神状態、見えていないはずのティファの位置を的確に理解している様子。ここに来て新たな問題に直面してしまったが、ゆっくり話し合っている時間は無い。

 今はティニーの身に起きている異変を一旦置いておく。レラの心労も気に掛かるが、名無の背に身を預ける様子はない事から一応は大丈夫だろうと判断し歩を進める。


「ティファ姉……ティファ姉」


 名無に引き留められながらも、名無の手を引っ張って先に進むように前のめりになるティニー。その背中は小さいながらも鬼気迫るものを名無とレラに感じさせ、はやるティニーが落ち着いたのはティファが収納されている培養槽に到着して漸くだった。


「ティファ姉、ティファ姉だ……ティファ姉生きてる、しん……なかったぁ……」


「良かったですね、ティニーちゃん」


 姉の生存を知って今度は涙するティニー。

 そんなティニーを見てレラも目元に薄らとだが涙浮かべている……この二人のやり取りだけを見れば何の問題も無かったのだが、名無は光に照らされた目の前の培養槽を黙って見つめる。

 培養槽の中に居るのはティニーの姉であるティファ。

 その容姿は十代半ば、自分達よりも年下でティニーよりも年上……ちょうど中間の年齢でティニーが成長すればといったところか。

 こんな状況で無ければ愛らしい少女だと口にしていたかも知れないが、


(この子がティニーの……既に死んだと思っていたがな)


 喜びに涙するレラ達に加わること無く、培養槽の中で静かに漂うティファを見つめる名無。その姿は温かな涙を流すレラとティニーとは全くの真逆、底冷えする静かな怒りが灯り食い縛る口元は噛みしめる度に滲み出る哀願を隠しているようだった。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ