蠢くモノ(3)
――ラウエル第二区画一等宿屋『ナーリグ』
その一室で朝を迎えた名無達は朝食を部屋で済ませ、今後の活動方針を決めるべくティニーへの尋問を始めようとしていた。
だが、尋問とは言っても物騒な物では無い。これはあくまでティニーが抱えている問題を知る為の話し合い。
ティニーが少しでも落ち着いて話せるよう彼女の隣にはレラが相席しており、名無は昨晩の食事で少なからず和らげることの出来たティニーの恐怖心を刺激しないよう二人が並んで座っているベッドから支障が出ない距離で間を取っていた。マクスウェルも不用意に声を上げて不安に揺れるティニーを刺激しないよう静観に徹している。
「最初に言っておくが聞かれた事に全て答える必要は無い、うまく話せないようなら聞いた質問に頷いてくれるだけでも良い…………何があったのか聞いても大丈夫か?」
「………………っ」
ただ話を聞きたい、その許可を求めただけでティニーは唇を噛みしめカタカタと震える自分の身体を抱きしめる。ティニーの歳の頃を考えれば身体に傷は無くても心に受けた傷の方が余程深刻なもので、震えるティニーの姿は正にそれだ。
何が有ったのか思い出すだけで震える恐怖を必死に耐えているだけでも賞賛すべきだろう。名無達からしてみれば些細なやり取りでも、彼女にしてみれば気が遠くなるほどの沈黙でもあった。
「ティニーちゃん、無理に話さなくても大丈夫です。話してくれなくても私もナナキさんも、マクスウェルさんだって怒りません。だから……」
「…………な……い?」
「えっ?」
「しな……ない?」
やはり気を許してくれたとは言っても踏み込むのは早かったかも知れないと、レラは震えるティニーの姿に表情を曇らせそっと抱き寄せる。前もって決めていた通り無理に聞き出すことはしまいと話を終わらせようとするレラだったが、ティニーの震える唇から溢れ出た声を……続く言葉にレラは息を飲んだ。
「大丈夫だ……何があったのか、何をされたのかを俺達に話してもティニーが死ぬことは無い。信用できないだろうが君の安全は保証する」
字数にしてみれば四文字、たったそれだけの言葉を伝えるだけもティニーの心は悲鳴を上げている。自分が思っていた以上にティニーの心は不安定だ、まだ何一つ聞いていないというのに翡翠色の瞳から涙がこぼれ落ちている。
話を聞くだけとは言え、こんな状態では苦痛を強いている事に変わりは無い。
無理に話をさせても不安定な心を追い詰めるだけだろう、名無は話を終わらせるべくレラに心を落ち着かせる効果があるお茶を頼もうとティニーから視線を――
「ナナキ、お兄ちゃ……レラ……おね……ちゃんも、し……っない…………しな、ない……?」
はずそうとした視線がティニーに釘付けになる名無、レラもティニーの言葉に眼を見開いていた。
それもそうだろう……ティニーが受けた痛みに怯え、震え、拭いきれない恐怖に涙していると思っていた二人からしてみればティニーの言葉は衝撃的だった。ティニーが「死なない」と口にしたのは、事情を話すことで自分の命が奪われてしまうのでは怖がっているからだろと思っていた……だが、実際は違った。
ティニーが懸命に恐怖に堪え口にした言葉は名無達に向けられたもの。
確実に自分より強い名無に、魔族とは言え自分よりも年上のレラに、自分の命よりも二人の命を案じて出た言葉。
そんな言葉を聞くことになるとは名無もレラも、ましてマクスウェルでさえ予想できなかっただろう。
「ティニー……怖い人、達から……逃げ……もう痛いのやだ、戻り……ないっ。で、も……助け……れたティファ姉……死んじゃっ……しんっ……うぅ……っ!!」
(俺達に出会うよりも前にティファという人物に助けられていたのか)
涙と嗚咽に詰まりながらも話される内容はしっかりと理解出来る、ティファという女性は命を落としたのだろう。死んだと言い切れると言う事は、この子の目の前で……。
自分達も兄や姉と名前の後に付けて呼ばれてはいるが、ティファという人物と比べれば浅い関係だ。『姉』と呼び泣きじゃくっている姿からして家族、もしくは小さい頃から交流があった人物なのは確かだ。
そんな慕っていた人が自分のせいで死んだ、自分が死に追いやったとティニーは考えているのだろう。でなければ自分とレラに生死を問うような真似をするはずが無い。
ティニーの涙に濡れた言葉の意味を正しく理解した名無は音一つ立てる事無くティニーの隣へ腰を下ろす、幸いにも名無が近づく動きや気配はティニーの嗚咽が隠してくれていた。
「……絶対に死なない、と言ってやれれば君も安心できるだろうが戦いであれば一瞬の隙や油断、捨てるべき慢心で死ぬ。戦いで無くても日常生活で煩う怪我や病で死に至る事もある、それが俺やレラに降りかからない保証は何処にも無い」
名無の世界でも、レラ達が生きる世界でも命は簡単に消えてしまう。
それが己の行動からたぐり寄せた結果であれ他人にもたらされた予期せぬ産物であれ、人は……命ある者全て『死』という概念から逃げる事は出来ない。
「だから約束しよう、俺が君よりも早く死ぬ事は無いと」
こんな事でティニーの不安を拭いきれる物では無いが言葉よりも、一時しか形の残らない物でも少なからず心の安定を図る方法が自分にはコレしか思いつかなかった。
名無は泣き続けているティニーの前に右手を出し小指を伸ばす。
「……ひぐっ、う……っく…………な、に?」
「指切りといってな、約束をする者同士で小指を曲げ引っかけあい、どんな約束かを口にしてから解く。俺の故郷に伝わる約束を守る為の簡単な儀式だ……まあ、儀式と言っても特に魔法など使うわけではないが」
「ゆびきり、すれば……ナナキお兄ちゃん……しなない?」
「ああ、君が俺と約束を結ばせてくれるなら」
「……やく、そく……やくそく、する……ゆびきりする!」
流れる涙を小さな両手で拭い自分の手の小指を慌てて名無の小指に引っかけるティニー、口だけの約束になけなしの説得力を持たせるだけの演出ではあったが思いの外効果があったようだ。
涙に濡れる顔は未だに乾ききっていないが、不安と恐怖に染まっていた顔には微かにではあったが焦燥が薄れ目の前の頼りない希望をしっかりと捉えている。
「後はこれでお呪いを唱えて終わりだ、ゆっくり唱えるから後に続いて言ってくれ。良いか、行くぞ――指切り拳万、嘘ついたら針千本のーます」
「ゆ、ゆびきりげんまん、うそついたらはりせんぼんのーます」
「指切った」
「ゆびきった!」
指切りを知る者達であれば殆どが知っている定番の歌を歌いきって小指を離す名無とティニー。嘘をついたら拳骨一万回の上に針を千本のませられる恐ろしい罰が待ち受けている、小さな子供相手に誓いを立てるには何とも物騒な内容である。しかも本当ならもう一節続きがあるのだが、あと一節を含め歌の意味を教えてしまったらまたティニーを泣かせかねない。
名無は涙ぐみながらも安堵した表情をみせるティニーの姿に、ほんの少し罪悪感をかんじたものの指切りの由来を教えることは無かった。
「レラお姉ちゃんも……ゆびきり、ティニーとやくそく!」
「はい、私もティニーちゃんと約束します。私も死んだりしません、頑張って生きます」
名無とティニーに倣い小指を絡ませ歌を口ずさむレラ、歌の意味さえ考えなければとても微笑ましい光景が名無の前に広がっている。
(何も事実を教える事だけが正しさじゃない、知らなければならない事もあるが知らなくて良いことも多い…………マクスウェルにも後で口止めをしておこう)
今自分が教えなかった様子を見て大体は理解してくれているだろうが、悪気無く事実を口にしてしまう事が多い。相手が成人、其処まで出なくても十代半ばの年齢であれば状況を見て判断するがティニーは十歳にもなっていない可能性もある。そんな子供の心を折りかねない発言はなるべく控えて貰わなくては。
レラとティニーの指が離れるまで見届けた名無は、幾分か落ち着いたティニーに声を掛ける。
「何があったのか打ち明けるのは苦しいだろうが話して欲しい……この約束を守る為にも」
「…………うん」
「ありがとう……まずは基本的な事を聞いていく。名前はティニーで正しいな?」
「そうだよ」
「年齢は十歳くらいか」
「ううん、三歳」
取り留めも無い質問から始めたのが功を奏したのか、短い返答とは言えティニーは変に言い淀むこと無く名無の質問に答える。しかし、年齢について返ってきた答えに名無は眼を細め、レラはティニーの外見と実年齢の差に眼を瞬かせた。
(……人体実験の被験者なのは確定か)
マクスウェルの生態スキャンで大凡の見立ては立てていたが、割り出した年齢よりも更に低い。ティニーが嘘を言っている、または何かしろ洗脳を受けている可能性も考えなくてはならないが……恐らくそれは無い。
理由としては洗脳すると言う事はそれだけ洗脳する側に不利益になりかねない要素を持っていなくては意味を為さない、それが身体能力であれ魔力総量であれ人心掌握の術であれ様々なの方向で常人を逸脱していなければ洗脳する必要性が生まれてこないからだ。
人体実験で得た驚異的な回復速度。洗脳の対象となる要因はそれくらいしか思いつかないが、確認出来てはいない実験場のような施設から脱走したティニーを追跡しておきながら、こうして自分達の元へおいたまま監視している事からも洗脳の線はかなり薄い。
そもそも、何らかの洗脳を受けていれば自分がエルマエアの『魅了』に対して見せた反応をレラが気付かないはずが無いのだから。
嘘をついていない、洗脳も受けてもいない。
そして、たった三年で十歳程の肉体と知識を自然に保有する事が出来るわけが無い。これらの点に関してもその誕生から発育、知識学習に意図的に手が加えられているのは明らかだ。魔法によってこれらの事が可能なのかは、ティニーが抱えている問題に足を踏み入れてからで無くては調べようが無いが……ティニーという成功例であるかも知れない少女が目の前にいるのだ。
魔法でも可能であると考えておいた方が、今後の対処に戸惑いを感じ隙を晒すような事をせずに済むだろう。
「質問を続ける…………家族はいるのか? それとも誰かに引き取られて生活を?」
真っ当な生まれでない事は短い応答でも窺うことが出来た。しかし、生まれはどうであれティニーの両親となり得る人物、もしくは素体となった人間がいるはずだ。
機能に大幅な制限を受けているマクスウェルの生体スキャンでは、母胎から産み落とされたのか実験体として造り出されたのかまでは流石に判別出来ない。そうでなくても完全に魔法という異能とは別の超常の力によって肉体を構築されたのなら、尚更科学側の力で解き明かす事はマクスウェルでも難しい。
残酷な事ではあるが名無は後手に回る要素を一つ一つ確実に潰すためにティニーに問いかける。
「たくさんいた……みんなやさしくて、いっぱいあそんでくれたり、すきなものたくさん食べさせてくれた。でも、ティニーが……おつろめやりたくない、お外にでたい言ったら…………みんな、みんな……」
「態度を一変させた、だな」
「うん……」
「そのティニーが暮らしていた場所はどんな所だった? 特徴だけで無く場所も思い出せるか?」
「うぅ……おへやのかべとかてんじょうとか白かった、お外にでたときはずっとおひさまがみえた、あと、あと……たくさんお花が咲いてたところもあって……みんな幸せにくらしてた……」
「その場所が何処にあるか分かるか?」
「わかんない、お外……すっごくおっきな白いかべがあって……そこからでたことなかったから……」
「そうか……」
幾つか質問しただけでティニーが如何に異様な環境に身を置いていた事が窺える。
ティニーが『お勤め』と言われるなにかしろの役割を拒絶するまでは周囲にいた人間達は彼女を大事に扱っていた。だが、こなすべき役割を果たそうとしなかった事で態度が一変し、この状況に至った……白い部屋に白い壁で隔たれた外界、それを聞いただけで彼女がいた場所が自分がよく知る研究施設と同義の施設で管理されていた事がよく分かる。
「だが、外に出た事が無いと言ったが俺達と出会った日はどうやって外に?」
「ク、クアス様の……おへやにあったまほうぐを使って。お外にでられるか、わからなかったけど……」
「そのクアスという人物は転移魔法を組み込んだ魔法具で出入りしているんだな」
「……そうだと、思う……」
ティニーの肯定に腕を組み神妙な面持ちで思考を巡らせる名無。
(転移魔法の魔法具を使っていると言う事は、ティニーが居た施設がラウエルないにあると断言できないな。だが、ラウエルの空と同じように外に出たと思わせて室内という可能性も捨てきれない…………まだ行けるか?)
まだ断片的な情報しか得られていないが、ティニーが逃げ出してきた研究施設の場所を特定できれば一気に状況を動かすことが出来る。しかし、ティニーの事を考えればあまり長く続けるのは憚れる。
自分の質問に答えてくれているとは言え、時折声がつっかかったり辿々しい。
(今までの質問ももっと深く聞き出したい点もあるが、命からがら逃げてきた彼女にこれ以上は酷か……)
よく考えなくても死にかけたのはつい先日の事なのだ、ティニーを保護した事である程度こちらを信用してくれたのは奇跡に近いと言っても良い。間違いなくレラの助けがあってこそだが……
「………………」
ティニーの肩に手を触れ優しく抱き抱えるレラを一瞥する名無。レラも何も喋らず名無に視線を送り眉を寄せて首を横に振った。
(……まだ気に掛かる事はあるが次で最後にしよう、とは言え何を優先すべきか……)
施設内の防衛設備に研究内容の詳細、配置されている人員の数と敵戦力の明確化、ティニー以外の人体実験の被験者数、責任者であろうクアスの人物像、逃亡に成功して最初に出た場所……考えれば次々と脳内に思い浮かんでくる。
その中から一つだけ選ぶのは容易ではない。
聞いた質問に期待する答えが返ってくるとは限らない、確かめなかった事柄が後々自分達の首をしめる物である可能性もある。どんな些細な情報でも構わないとは言え、無駄な質問に機会を潰してしまう事だけは避けなければ……。
名無は頭の中で颯爽する問いかけに悩むも、ふと自分を見つめるティニーの視線に気づく。
「――――っ!」
しかし、名無と眼があった瞬間、ティニーは表情を引きつらせ視線を逸らす。その表情には一度は和らいだはずの恐怖がありありと浮かび上がっていた。
「……次で最後の質問にしようと思っているんだが大丈夫か?」
「だい、じょうぶ」
「すまないな、それで最後の質問だが…………君は俺の何を怖がっているのか教えて欲しい」
ティニーの様子に何か胸に引っかかるものを感じた名無の口から出たのは何とも個人的な物だった。ティニーの精神的負担を軽くする為なら決して無駄な問いかけでは無かったが、聞くべき重要性の高い物を差し置いてまで聞くことでは無かった。
だと言うのに名無にふざけた様子もティニーに配慮した様子もない。何を置いても今聞くべき事を聞いた、そんな雰囲気がありありと滲みでている。
「最初は周りの人間に傷つけられたことで怯えているのかと思っていた……だが、そうだったのなら指切りをして約束などしたくなかったはずだ」
何も指切りに限った話では無い。
昨晩の食事から始まって共に一夜を明かすまで、ティニーは自分を怖がってはいても離れるような態度は取らなかった。今日の朝食にしても同じテーブルで食事をした……とても思い出すだけで顔を青ざめさせ身体を震わせる子供が危害を加えないと分かってはいても、これほど柔軟な態度を見せる事など出来ないだろう。
その上、ティニーが身の上を自分達に話すことでクアスという人物や他の人間達に襲撃され命を落としてしまうかも知れない心配まで……。
つまり自分個人を怖がっているのでは無く、自分の外見か言動の何処かにティニーの心をざわつかせる原因がある事になる。それが何なのか分かればティニーとの意思疎通を円滑にする事が出来る、心に負った傷もレラの助けを借りれば完治する事が出来なくても良い方向に向かわせる事も可能になるかも知れない。
「……あ……う、…………っ」
だが、そうは思ってはいても事はそう上手く行かないのが常である。
まして口に出していなかった悪感情を言い当てられてしまえば、親しい間柄でも言葉に詰まってしまう。それを子供が大人にずばり指摘されてしまったら、その言いづらさは第三者の立ち場で見ていても気の毒にと思うだろう。
「言いづらいのなら良いんだ、俺に問題があると分かっただけでも改善の余地はあるからな」
はっきりと何処が悪いのか聞くことが出来なくても、ティニーに対する言動や所作などに気を配れば近いうちに分かるはずだ。マクスウェルにもその場その場の対応を分析し、何がティニーを怖がらせる要因になっているのか指摘するよう頼んでおこう。そうすれば即効性は無いにしても確実に原因を突き止められる。
ティニーが抱えている問題の解決にはまだまだ情報が少ない。しかし、これ以上続けてもティニーに負担を掛けるだけで情報を引き出すのは困難だろう。
思ったほどの収穫は無かったものの、名無は言いよどむティニーに気にしていないと笑って見せた。
「今日はここまでにしよう、レラ」
「は、はい」
「少し情報を整理したい、手持ちの茶葉はまだ残っているか?」
「はい、エルマリアさん達から頂いた物がまだ残ってます」
「なら、それを頼む……あと残りが少ないようなら一気に使ってしまおう」
「――! 分かりました、今煎れるので少し待っていてください」
シャルアで補給した物資の中には肉体だけでなく精神的な疲労にも効く茶葉も含まれている。それをティニーに飲ませてやろうと名無のさりげない気遣いに気付いたレラは何事も無いように笑みを溢す。
「それじゃ、お砂糖やジャム類も残り少ないので全部使っちゃいますね」
「ああ、封を開けてそれなりに日も経っているしな。使い切ってしまった方が良いだろう」
問いかけられた質問に答える事が出来ず落ち込むティニーを余所に自然体で振る舞う名無とレラ。心配する気持ちが無いわけでは無い、本当なら気遣いの言葉を掛け抱きしめたいくらいだろう。
けれど、今の二人はそれをしなかった。
それをしてしまえばきっと逆にティニーを追い詰める事になると考えたからだ。現にティニーを逃がしたティファについて話をした時、自分のせいでティファは死んだと悲痛に表情を歪めたのだから。
状況も結果もティファの件と比べて大したことでは無いが質問に答えられなかった事を慰めれば、少なからず名無達が自分を思って身を引いたことにティニーは気付くだろう。そうなってしまえば同じ事の繰り返しになり彼女の心傷を広げかねない。
涙する子供を相手に慰めの言葉を掛けず素っ気ない態度を取る、普通に考えればあまり褒められた物では無かったが少なくても今はこの対応が場に相応しいと名無とレラはティニーを按ずる気持ちをぐっと堪えるのだった。
◆
「――どうだ? 何か動きはあったか?」
「いや、今の所何も……北と南、西側の監視班の方はどうだったんだ?」
「どの班も怪しい動きは見られないとの事だ」
「となると今回の任務は長引くかも知れんな」
ナーリグから東側に百メートル程に位置する第三区画内に立ち並ぶ建造物の中で一際目立つ物見の塔、その屋根裏で銀の鎧に身を包んだ三人の魔法騎士達は互いに眉間に皺を寄せ停滞する現状に苦言を漏らしていた。
「しかし、クアス様はいったい何をお考えなのだろうか?」
「我等のような凡人には到底考えの及ばない事なのだろう、私に思いつくのはアレをさっっさと処分してしまった方が面倒が無くて良いと言ったところだ」
「そう思っているのはお前だけじゃ無い。俺や他の班の者達も同意見だ……だが、クアス様直々のご命令、俺達は粛々と遂行すれば良い」
「確かに」
「私達のようないっかいの魔法騎士に意見など許されるはずもなかったな」
身の程を知らないとはこういうことを言うのだろうと、三人の魔法騎士達は苦笑いを浮かべ溢した苦言を静かに飲み込む。
しかし、三人が思わず苦言を溢してしまったのも無理は無い。
いっかいの魔法騎士と口にしながらも彼等の階級は誰もが異名騎士クラス、魔法による戦力強化を図れたとは言え能力による制限を掛けている状態の名無では確実に勝てると言い切れない実力者である。それが十二人も集まれば、制限付きでは撃退は中々に難しいだろう。
それだけの実力を持っているのだ、自分達よりも上の階級の人間が相手でも小言の一つも溢したくなっても仕方が無かった。だが、クアスはそんな彼等を支配下におけるだけの実力を持った人物である事が三人の会話から伝わってくる。
「しかし、これ以上動きが無いようならどうする?」
「クアス様からの指示が無い限りこちらから手を出すことは許されていない……が、そろそろアレの調整が終わる頃だろう」
「そうなると先日捕らえた騎士落ちを使って仕掛けるって事か?」
「そうだろうな、でなければ監視体勢を維持しろ等と回りくどいことはいわないだろう。しかし、我等は運が良い。騎士落ちが手に入らなかったら我等がその役目を申しつけられていたかも知れなかったのだからな」
「……その話はやめよう、今は与えられた任務を完遂することだけ考えるんだ」
名無達を監視する敵勢力内部で何らかの動きが起きようとしているのはあきらか、それがどういった内容なのか分からないが三人の異名騎士の表情は一様に暗い。
人間の中でも上位の実力者に位置する者達が恐れおののく何か、それは彼等だけで無く名無達にとっても決して吉報では無い事だけははっきりとしていた。
脳裏に過ぎった自分達に訪れたかもしれない不穏に息を飲み、降りかからずに済んだ不運を寄せ付けまいと男達は既に名無に気付かれている事もしらずに監視に戻るのだった。




