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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第三章 偽幸現壊
33/111

    偽空の下で(2)


「――申し訳ありません、ナナキ様。今の時間は大変混み合っておりまして、席が空くまでに少々お時間が……」


 ラウエル第二区画一等宿屋『ナーリグ』

 そのダイニングルームの前で燕尾服に身を包んだ給仕が一人、謝罪の言葉と共に深々と頭を下げていた。


「頭を上げてくれ、今は昼時だ。時間的に混み合うのは仕方が無い」


「そう言っていただけると助かります」


「それで待ち時間は?」


「はい、ナナキ様お一人であれば二十分ほどで席をご用意できる思います。ですが、そちらの奴隷も一同席となると更に時間が掛かるかと」


 当分の滞在拠点となった宿屋の食堂を訪れた名無達だったが、時間帯は昼。名無とレラ以外の宿泊客の殆どが席を埋めている。食堂内の様子を見る限り給仕が言うように二人揃っての食事は難しい状況である。

 かといって名無一人で食事をするのかと言われれば、それはない。

 先に名無だけ食事をすれば当然、レラが無防備になる。マクスウェルが提案した一応の安全対策を施しているとは言えを、この街でレラを一人にしては他の宿泊客から危害を加えられる可能性が一気に高まる。


(二人一緒に食事が出来るのは少なくても二十分以上先になる。俺はともかくレラの体調を保つ事を考えれば少しでも早く休ませてやりたいんだが……仕方ない、少し危険性は増すが外に出るか)


 軽食になってしまうかも知れないが、そこは量で補填しよう。

 本格的な情報収集するわけでは無いが、ちょっとした外出で手に入った些細な情報でも貴重な者であることに違いは無い。


「時間が掛かるなら外で食事を済ませることにする、近くにある食堂か出店の類いは?」


「何かご希望はありますか?」


「奴隷同伴であまりマナーを気にせず落ち着いて食事が出来る店を」


「第二区画では奴隷同伴の店は難しいでしょう、第三区画であれば問題無いかと。ですが荒くれ者達が集まっていますので治安も良いとは言えない事を加味しますと……私としてはあまりお薦めは出来ません」


「第三区画か……」


 運良くと言えば良いのか第二区画までの行動の自由を手に入れる事が出来た。

 そのお陰で検問所を通ってすぐに広がる第五区画から今いる第二区画、四区画の様子を簡単にではあったが確かめることが出来た。同心円状の形状に作られた各区画の幅は平均して約二キロ弱、中心に向かっていくほど総面積は狭くなっていくだろうが少なくとも街の全長は直径にして十キロは堅い。

 各区画の境界にも、検問所が設置され一定の治安は護られているようだった。

 長旅を終えたばかりとは言え、途中途中に適切な休息を入れたことでレラの疲労は最小限に抑えられている。

 ナーリグの位置も第二区画に入ってすぐの場所にある。そして、第三区画で見かけた第二区画に一番近い食事処らしき店の位置を考えても移動距離は五百メートルくらいだろう。この程度の距離であればレラもそれほど苦では無いはず……移動に関しては問題無いと思って良い。

 治安に関しては自力で乗り切るよう憲兵達の忠告、同時に許しが出た以上これも心配しすぎる事は無い。尤も、相手の実力に左右される事ではあるが念の為、『身体劣化(キヤパシティ・ダウン)』を解除しておけば余程の実力者で無い限り問題は無いだろう。


 身体能力を十全の状態にしただけで優位にたったつもり無いが、ルクイ村での戦闘とエルマリアの指南で得られた情報。この二つの事柄から得られた情報から自分が魔法騎士の階級で何処に該当しているのか明確に理解出来た。

 能力による封を施している今の自分は最低でも魔法騎士全五階級の内の異名騎士クラス、プラス百人分の魔法騎士達の力となれば次の階級である精霊騎士の域に届いている可能性がある。そこに『身体劣化』によって押さえ込んでいる『虐殺継承』によって略奪した人知を越えた膂力が加わるのだから、外に出た事で何かしろ問題が起こっても対処出来ると考えて良い根拠としては充分だろう。

 自分の意図を伝えるようにレラに視線を送る名無、名無の視線に気づいたレラもちゃんと意味をくみ取り首肯を返す。


「分かった、食事は第三区画で済ませることにする。心当たりを聞いておきながら、それを無碍にするような真似をしてしまってすまなかったな」


「お気になさらず、自身より劣る者の意見に耳を傾けて頂けただけでも身に余る光栄。煩わしい思われるかも知れませんが、ナナキ様のラウエル初のランチが満足いくものであることを心より願っております」


「なら心置きなく出かけさせてもらう。行こ――行くぞ、レラ……ぐずぐずするな」


「すみません、ごご、ご主人様!」


「いってらっしゃいませ、ナナキ様」


 敵対しない相手や害意が無い相手に強い言葉を言い慣れておらずどもってしまう名無、レラもレラでマクスウェルのようにはいかずぎこちない。

 二人の事を知る者。

 ごく最近であればエルマリアがあげられるが、彼女との付き合いはたかだか数日。そんな彼女でも給仕の前で見せた二人の態とらしさが滲み出る様子には苦笑してしまうだろう、それだけ不自然極まりないやり取りではあったのだが給仕は何事も無く名無達を送り出すのだった。





 宿屋を後にした名無とレラはラウエルと外界を隔てる城塞だけで無く、街の至る箇所に使われている薄い灰色の煉瓦を加工して造られた細やかな石畳の道を黙々と歩き続ける。

 目的地は第二区画と第三区画を隔てる検問所を抜けた先にある飲食店。

 すでに検問所は通り抜け後は昼食を取る店に辿り着くだけ……たったそれだけの外出ではあったが一言も喋らない二人の表情は――特にレラの表情が硬い。


(何処を見ても人間しかいない、人間の街なのだから当たり前だが……何か話をして彼女の気を紛らわせてやる事も難しいな)


 できる限り平静を保ち動揺と不安を表に出さないようにしているようだが、周囲から向けられる好奇の視線にレラの胸の中で不安が渦巻いていることが陰りのある面持ちから伝わってくる。


「………………っ」


 此処までの道中でも滅多に不安を見せなかったレラだったが、やはり名無が傍に居るとは言え人間達が数多く往来する中を歩き必然的に集まってしまう視線が堪えている。レラからも承諾は取ったとは言え、魔族にとって最悪に近い環境。

 本物の奴隷でも無ければ身を置くことが無いのだから、レラ自身も自分が予想していたものよりも厳しい状況だと実感しているのだろう。

 名無としてもレラを励ます言葉を掛けたいのだが、これも周囲の眼がある以上は迂闊に声を掛けることもできない。


(もうそろそろ見えるはずだが……………………良し、あったぞ)


 隠しきれていない緊張を漂わせるレラを思い少しでも早く目的地へと焦る名無の思いが天に届いたのか、名無の眼に目的地である店が映り込み程なくして店の前まで辿り着く。

 店の中には、やはり大勢の人間達がいるのだろう。店の扉がしまっていても賑やかな声が聞こえてくる。比率としては野太い声が良く響いていることを考えると主な客層は男達のようだ。


「中は騒がしいようだが今日の昼食は此処で取る、何が起きても余計な真似はするな。お前は黙って着いてくれば良い……良いな?」


「……はいっ」


「『身体劣化』解除………良し、行くぞ」

 レラの身に危険が迫る前に対処出来るよう『身体劣化』を解き、、微かに輝きを帯びる銀の左眼を携え店の中へと足を踏み入れる名無。


 二人の眼に映ったのは大人数で集まることが出来るよう拵えられた幅のある長机から数人で掻こう事が出来る大樽を利用した机、店主と顔をつきあわせることが出来るカウンター席。

 文字で綴られたメニューは無く代わりに店の壁に掛かるのは荒っぽくも的確に描かれた取り扱っているお手製の絵表や、客に好みに合わせて揃えられたであろう酒瓶の数々が並んでいる。

 店内の様子は店の外にまで聞こえてきた喧噪に似合う大衆酒場、客層も筋骨隆々とした者や顔に幾つも傷を付けた者。中には四肢の一つを欠損した者もいる、少なからず女性の姿もあるが男達に負けず劣らずと言った風格を纏っていた。


(第三区画は冒険者達に割り当てられた区域。此処に彼等がいるのは何も変な事じゃ無いが……ざっと三十人近く、荒くれ者の集まりなのは確かなようだ)


 堅い木で作られたエールが入ったジョッキを遠慮無くぶつけ合い口から溢れるのも構わず喉を鳴らして飲む男達、周りの目もマナーも関係ないと言わんばかりに注文した料理を次々と平らげていく女達。

 各々の酒と料理を楽しむ姿は実に野性的で、上流階級者達が見れば呆気に取られるか苦言を溢していたに違いない。


「……おい、あれ……」


「ああ、検問所で見た上玉の……」


「……若いけど良い面構えじゃないか、活きも良さそうだねえ」


「ええ、あっちの方も達者でお盛んらしいわ。魔族とは言え同じ女としては気が済むまで何て言われたら……」


 店の酒を煽るように飲み、出される料理にかぶり付いているところに別の客が姿を現す。

 これといって変わった光景ではないものの、検問所での一芝居が尾を引いているのか、男達はレラを、女達は名無を……それぞれの思惑と軽蔑を囁き隠すことも無く視線を二人に向けていた。

 そんな中を名無はレラを連れ怖じ気づく事無く突き進み、店内の客と同様にカウンター席を挟み自分達に眼を向ける店主へ歩み寄る。


「食事がしたい、この店は奴隷連れでも構わないと聞いた」


「へ、へえ……別にかまいませんでさあ。んで、何を喰うか決まってましたかい?」


「肉料理で食べやすいものを、連れている奴隷も同じで頼む」


「ど、奴隷にも同じもんをくわせるんですかいっ!」


「そうだ、魔族の奴隷の中でもブルーリッドは希少で手に入りにくい。所有者として管理に気を遣うのは当たり前だ、何か文句でもあるのか?」


「め、滅相もねえですよ! すぐに準備しますんで、ちっとばかっし待っててくだせ!!」


「ああ、俺達は其所の席を使わせてもらうぞ」


「どうぞどうぞ」


 そう言って名無が指定した席はカウンターのすぐ近く、店の奧側にある二人で座る対面式のテーブル席。店主の了解を得た名無はレラと一緒に椅子に腰を下ろした。


(ここまでは順調だ。後は何事も無く食事を終わらせて宿屋に戻れば少しは気を抜ける……んだが、そこまでが長そうだ)


 店に入ったときもそうだが、周りの視線が自分達に突き刺さる。

 興味がある相手に気付かれず様子を窺う、普通は視線を泳がせ僅かな時間だけ眼を止めるものだと思うのだが店内にいる客はその例に当てはまらない。男も女も横目で自分達を見るのでは無く堂々と顔を向け、中には身体ごと向けている者達もいる。


「………………」


 その視線にレラは緊張と不安に顔を俯かせ何も喋らずに耐えていた。外を歩いていた時よりも視線の数は少ないが密室空間では視線の圧力と言えば良いのか、より一層見られている感覚を強く感じる。こうもあからさまに視線を向けられては気にするなと言う事も出来ない上に、それらしいニュアンスを目線で伝える事も出来ない。


(料理が出てくるまで時間が掛かる、ここは一旦外に出た方が良いか? いや、それだと不自然だな)


 狭くはないとはいえ一つの建物に沢山の人間が集まっている、そんな場所でじっとしているよりも外で物珍しそうな眼を向けられる方が幾分か楽だろうか。しかし、入店して料理の注文をしても滞在時間はほんの数分。なのに外で待とうとすれば余計に他の客達の意識を集めかねない。


(やはり軽食になってしまうが、まだ残っている保存食で食事を済ませた方が良かったかも知れないな。だが、それだといざという時に体力的な不安が出てくる。取れるときにしっかりと食事を取らなくては、この先休むための体力を保つのも困難になる可能性もある……今度からはこういう些細な事も相談が必要だな)


 エルマリアのお陰でこの世界の常識を学ぶことが出来たとは言っても所詮は本当の意味で身につききらない付け焼き刃、レラと同じ食事を取ると決めた事も店主の様子からして普通はあり得ない事なのだと確かめることが出来た。

 咄嗟に、と言うほど焦ってはいなかったが口から出した出任せはそれなりに傲慢な主人らしい説得力が効いた台詞だったはずだ。店主には悪いことをしたが、あの物言いであれば周りも弱腰な子供だと思って迂闊によって気はしないだろう。

 兎に角、これから先も互いに主従を演じる上で気を付けなければならない事にまた一つ気付くことが出来たのだ。今回の失敗を次にいかせるようにしなくては……。

 料理が運ばれてくるのを待つ中、レラに掛ける負担の大きさと迂闊に励ますことも出来ない歯がゆさに沈痛な面持ちを見せる名無。


「おい、坊主! 随分と辛気くさい面してんじゃねえか、そんな面して居られたんじゃ折角の酒が不味くなるぜ!!」


「……何か用か?」


 騒がしい酒場の中で別空間に隔離されたのかと思えてしまうほど森閑とした雰囲気に包まれる名無とレラ。そんな二人の元へ酒を片手に意気揚々と近づいてくる男が一人。


「さっきも言ったろ? そんな仏頂面で座ってる奴がいたら嫌でも目につくからな、少しばっかし人生の先達が世話を焼きに来てやったんだよ」


「………………」


 名無達に声を掛けたのは背が二メートルはあるだろう体格の良い大男だった。

 上半身は殆ど裸、左肩に付けている肩当てが申し訳程度についているような格好で筋肉の鎧を惜しげも無く晒している。場所が場所なだけあって武器は持っていないようだが、丸太を思わせる太い腕はそれだけで凶器だと判断して良い。

 そんな大男が気安い笑みを浮かべる見ず知らずの自分に声を掛ける、善意から声を掛けたかもしれないが柔やか細められた眼は自分よりもレラに向けられている……レラが自分の方を向いてくれていて良かったと思える下卑た眼だ。


(……これも俺のミス、レラには迷惑を掛けてばかりだな)


 だが、大男の狙いが分かり易いのは正直助かったとも言える。自分の身を守る以上に他の誰かを守るのは困難を極める、とりわけ敵の狙いが分からない場合は特に。今回は魔族の中でもとりわけ希少なブルーリッドであるレラ、男が絡んできた点を考えても下衆なものだろう。

 名無は自分の至らぬ考えと行動に悔やみながらも冷静に大男の目的を理解し小さく溜め息を吐いた。


「赤の他人に世話を焼かれるほど困ってなどいない、分かったら自分の席に戻ると良い」


「そうか? 知ってんだぜ、ここ最近碌な稼ぎが無かったんだろ。なら俺の話を素直に聞いた方がお互いに得をすると思うんだがな」


「成る程、検問所にいたのか。俺達の近くにはいなかったと思うが、見た目に似合わず色々と気が回るようだ」


「言ってくれるじゃねえか、じゃあ単刀直入に言うぜ。この近くでお宝が眠ってるかも知れねえ場所を幾つか教えてやるよ、その代わり――」


「断る」


「おいおい、人の話は最後まで聞けよ。お互いそう損はしねえ取引なんだぞ?」


「取引? 確かな確証もない情報を材料に持ちかける話は取引とは呼ばない」


 取引とは互いに利益を得られるよう交渉することだ。

 有るかも分からない財宝の所在を教える代わりにレラを渡せ、と持ちかけられても余程の考え無しで無くては飛びつくことなどあり得ない詐欺同然の話だ。この世界において情報がどれだけ重要な物なのかは分かっているがそんな話をされたところで意味は無い。

 そもそも自分とレラは主従関係などでは無い。この場で言う事が出来るのなら本当の願いから眼を背け只の殺人鬼で終わったかも知れないを自分を救ってくれた恩人、そんな彼女を欲に塗れた男に渡す選択肢など最初から存在しない。


「用が済んだならもう放っておいてくれ、暫く歩きづめで疲れているんだ」


「なんだよ、つれねえな。仕方ねえ、新人には出来るだけ優しくしてやりたかったんだが力尽くで取引させてもらうぜ」


 まだ中身の入っているジョッキを投げ捨て名無を威嚇するように指の骨を慣らし笑みを浮かべる大男、そんな彼の後ろには冒険者として活動を共にしているであろう男が四人。皆が皆、名無よりも体格の良い者達ばかり。

 男女関係なく周りの客達は名無達をけしかけるように野次を飛ばす、中にはどちらが勝つかと賭けを始めた者達までいた。


「俺も元魔法騎士でな、『豪腕』の二つ名を持った異名騎士だったんだ。今ならまだ半殺しくらいで済ませてやるがどうするよ?」


 その言葉に大男達の勝ちに賭けていた客から歓声があがり、名無に賭けていた数少ない者達は勝敗は決したと方を落とす。確かに見た目で判断すれば強そうなのは一目瞭然、まして元異名騎士ともなれば一層力の差があると思うだろう。


「……下がっていろ、すぐに終わらせる」


「わ、分かりました」


 周りの反応等まったく意に介さず、名無は椅子から立ち上がりレラを下がらせ五人の前に立つ。


「何だ、痛い目に遭う方を選んだのか? これだから気が強え新人は世間の広さってもんを知らねえ。坊主に勝ち目なんざ――」


 無い、と口にしようとした瞬間に店の中の喧噪を塗り替える鈍い音が響き、名無の前にいた大男が腹を抱え目玉が跳び出るのでは無いかと思える程に眼を見開き身体をくの字に曲げていた。


「寝ていろ」


 そして、小さくも場に通る声でそう言うと同時に、名無は自分の目の前まで下がってきた大男の顔を振り払うように右の裏拳をめり込ませ店の出入り口へと殴り飛ばす。

 殴り飛ばされた大男は店の出入り口にぶつかって止まるどころか、そのまま道を挟んで建つ家屋の壁に激突。崩れ落ちる灰色の瓦礫と共に地面へとずり落ちた。


「加減はした、死にはしないだろう」


「「「「「………………」」」」」


 その光景に仲間の四人と周りの観客は何が起きたのかと唖然としていた――訳では無い。


「今、店の外で寝ている男は三回目、お前達は一回目。何もしていない観客まがいの外野達には悪いが……これ以上手間を掛けさせられたくはないんでな」


 店の奥で調理に勤しむ店主と料理人、ホールで忙しく歩き回っていたウエイトレス達を除いた冒険者全ての喉元に火、水、風、土――一小節の詠唱も無く放たれた四属性の小剣が突きつけられていた。


「お――」


「黙ってじっとしていてくれ、俺の頼みはそれだけだ……出来るな?」


 静かに語りかける名無の声に殺意は無い、それは冒険者達に突きつけている魔法の刃も同様だ。しかし、鋭く細められた銀の瞳が放つ有無をも言わせぬ冷たい重圧に、その場の誰もが哀れなほどに身を震わせている。

 無様とは言え、名無の前に立つこと無く店の外で気を失っている男の方がずっと幸運だ。


「店主はいるか?」


「へ、へえ! ここにいまさあっ!!」


 名無の呼び掛けに店の奥の厨房にいた店主が姿を見せる。

 それもカウンター席を飛び越えて真っ直ぐに、殺気では無くとも名無に当てられた威圧に怯え切っていることが分かる。それはホールにいるウエイトレス達も同じで部屋の隅で縮こまっていた。


「頼んでおいた料理だが可能ならそれを包んで欲しい、ここじゃゆっくりと食事が出来そうに無いからな」


「わ、わかりやした。あと五分もすりゃ包んで渡せますんで」


「分かった……あと、これを受け取っておけ」


 名無は腰に下げている通貨入れの一つをそのまま店主に手渡し、ずっしりと手に掛かった重さに店主が眼を点にする。


「全部で一万リッド、料理の代金の他に壊してしまった店の修理代と迷惑料も入っている」


 第二区画滞在者である名無達に料金の支払いは発生しないとの事だったが、念の為に自分の要求に対して応えてくれた対価はきっちりと払う準備はしてきた。加えてこの騒ぎだ、主な原因は無理矢理でもレラを奪おうとした男達にあるのだが態度の悪さからして壊してしまった店の修理代を向こうに請求しても払うことは無いだろう。

 なら壊した側である自分が賠償の義務をきちんと果たせば、少なくとも自分と店側の蟠りは解消される。


「これで手打ちにしろ。とは言え、足りないならまだ出せるが?」


「めめめ、滅相もありやせん!? 足りないどころか多すぎでさあ!!」


 これだけ貰えれば充分だと袋から必要な分だけ取り出し、殆ど重さが変わっていない袋を名無に返した。


「頼まれたもんをすぐに持ってきますんで、帰らんで待っててくだせえよ!」


 分かったと名無が返事を返す前に店主は又もやカウンター席を軽快に飛び越え厨房へと駆け込む。さっきはあと五分位で出来ると言っていたが、厨房の入ってから五分もしないうちに名無達の元へと戻ってくる。

 もちろん名無達が注文した料理もだ、それも料理が包まれているこし布袋を絶対に落とすまいと鬼気迫る形相を浮かべながら大事に抱えて。


「宿に帰るころには冷めちまってるでしょうが味は保証しますんで安心してくだせえ」


「そうか、次の機会があればまた来る事にする」


「あ、ありがてえこってす! そん時は精一杯持てなさせてもらいまさあ!!」


「ああ……行くぞ、レラ」


「は、はい!」


 名無は冒険者達に向けていた魔法を納め店主から渡された昼食になるはずだった料理を手に、レラは何一つ悪いことはしていなかったがぺこぺこと頭を下げて店を後にする。

 そんな二人の姿に身の危険を感じる要素は何もなかったが、それでも圧倒的な実力差と冷たい重圧を叩き付けられた冒険者達は動く事が出来なかったのだった。





「…………すまない」


「? な、何がですか??」


 酒場での騒ぎを収め宿屋へと戻る途中、名無は声量を絞りすぐ後ろを歩くレラに謝罪の言葉を掛ける。まだまだ人の行き来は多いものの、それに比例して店での買い物や世間話に話を咲かせる声も多い。

 余程近い距離で聞き耳を立てられない限り、名無の声は聞こえない。現に名無の声に反応して見せたのはレラだけだった。


「いくら君の了解を得たとは言っても外に出るべきじゃ無かった、それに役を演じているとは言え君を物のように扱ってしまっていることも………………本当にすまない」


 人間だけの街に滞在するのは今回が初めて、それだけでもレラは緊張状態を強いられてしまうと言うのに自分の配慮の足りなさが更に負担に拍車を掛けている。

 シャルアに滞在していた時とは勝手が違うと分かっていながらも、ほんの少しの気遣いと言った所で後手に回ってしまう。そのせいで酒場では他の客に絡まれ、その場を納めたとは言っても結局昼食を取ること無くこうして宿屋へと戻っている……一言で言えば選択を間違えたと言えるが、これはそんな優しい物ではない。

 自分の傍にいてくれさえすればレラを護れるという奢り、レラが自分の意見に賛成してくれたことで出来てしまった気の緩み。その積み重ねがたった一時間程の時間でどれだけレラの負担になった事か。

 こうして考える時間を得られたことでよく分かる、冷静に判断を下し対処出来ていたという考えが酷い思い違いだったと。レラの心労を考えれば常に先を見据えて動かなくては意味が無い事も。何より、彼女を物扱いするのは辛い。


「大丈夫です」


「レラ……?」


「少し乱暴に話しかけられるのも全然平気ですよ。だって、ナナキさんが声を掛けてくれると安心します」


「それは、どうしてだ?」


 成るべく高圧的に成らないよう努めているとは言え、それでも自分のレラへの言葉は余り褒められた物では無い。だと言うのに何故レラが安心するのか分からない名無。


「私に話しかけてくれる分だけ私の事を気に掛けてくれてるって事ですから。それにナナキさんが優しい人なのは……もう知ってます」


 名無達がこのラウエルで人の眼を避けることが出来るのは宿屋で借り受けた一室のみ、それ以外は人の眼があろうとなかろうと名無は奴隷の所有者としてレラに乱暴な言葉を言い並べなくてはならない。

 しかし、名無が変わらず自分の事を気遣っている事にレラは気づいていた。

 今さっきも強い物言いで行動を指示していた、宿屋で給仕と言葉を交わしている時も高圧的に振る舞って見せた……それでもレラは名無の胸の内を理解していた。

 言葉が悪くても、肌に触れ心の色を見ることが出来なくても。

 周りからは見下すように視線を向けているように見えてもその実、自分を映す双眸が優しく。「何が起きても心配はいらない」と、真摯に訴えていた事を。


「だから大丈夫です、私もナナキさんの傍にいれば私が安全だって……分かってますから」


「………………」


 そして、自分が自分の為に名無の傍にいると言う二人の間でしか伝わることの無い意味合いを持つ建前(かんしや)を自然に口にするレラの声が、足を引きずるように重く沈んでいた名無の心を温かく包み込む。


「……まだ暫く続くが、よろしく頼む」


「はい、こちらこそ……です」


 閑か行われた囁き声の密話は本当に誰にも気付かれること無く終わりを迎える。どちらも前を見て歩いているために互いの顔を見る事はできなかったが、二人の口元には硬い表情を装っても尚ほんのわずか僅かに溢れ出た笑みが浮かんでいた。


『マスター、レラ様……第二区画の検問所へ向かう最短距離を確定しました。宜しければそちらを通ってはどうでしょうか』


 そんな二人の気を引き締めるように宿屋から沈黙を守っていたマクスウェルが、レラの首元で機械水晶を微かに輝かせる。


『日の光が入りにくく幾つか細い路地が入り組んではいますが、そこでならもう少し気を緩められるかと』


「そうだな、少しでも早く食事に有り付くためにもそうしよう」


「そ、そうですね」


『では、そこの十字路を左に曲がってください。そこから暫くしてまた十字路になりますので、次を右に……そこから道なりに真っ直ぐ進めば検問所の前に出ます』


 今回、マクスウェルは人前で喋ることを禁じられていたわけでも自制していたわけでもない。ラウエル到着後からずっと穴喰い状態ではあったが、ラウエルの縮図の作成に入っていたのだ。

 チョーカーという小さい見た目ではあるが半径二百メートル、直径四百メートルの範囲を感知できる高性能赤外線センサーを内蔵している。しかし、直径十キロを越えるラウエル全体をカバーすることは出来ない。

 だが、何もせず名無達の周囲ばかり警戒するよりも、僅かでも名無達がラウエルの地理を把握出来るよう名無達が行動している間もずっと地道に稼働していたのだった。その事に気付き名無は特に反論すること無くマクスウェルの言う通りに影が覆う路地へと足を進める。

 表の街路と違い暗く狭くはあったが、ゴミが散乱し悪臭が漂うような光景は無い。この文明レベルは中世ヨーロッパに近いと考えていた名無は、決して汚れてはいないとは言えないが意外にも手入れの行き届いた通路に感心するのだった。


(衛生的に見れば充分に清掃されている、余り酷いようなら引き返すことも考えてはいたが助かったな……尤も、これも弱者の反乱を防ぐ目的があるのだろうが)


 こう言った裏路地は悪事を働いた者達の逃走経路になりやすい。この街を管理、支配している側もその事を分かっているのだろう。道にゴミが転がってはおらず、有るのは精々ゴミを入れておく箱ぐらいである。

 走りやすくとも隠れる場所が殆ど無いのでは反抗の気概を見せるのも難しい。


(しかし、管理が行き届いてるお陰で早く宿屋へと戻れそうだ)


 裏道一つとってもラウエルの内情を汲み取れる事に軽くなった心がまた重くなり始めるが、もう引きずるまいと周囲に気を配り直す名無。

 次の十字路も見えてきた、後はそこを右に曲がり真っ直ぐ歩き続ければ借りた部屋まであと少し――


『前方、右方向から生体反応。ゆっくりとですがこちらに進んできています』


 そう考えた名無の思考に割り込むマクスウェルの声が裏路地に反響する。


『数は一、熱源のシルエットから子供だと思われます』


「他に反応は?」


『今の所ありません。裏路地の利用、武装の不所持、これらの事から地元住民であると考えられます。このまま進めばタイミング的に接触する可能性大かと』


「なら少し此処で待とう、ぶつかるのもそうだが不審者扱いされるのも不味いからな」


「はい」


『イエス、マスター』

 少しでも早く戻ろうとしているのは確かだが、子供一人通り過ぎるのを待てないほど急を要してはいない。仮にぶつかったとして不意の接触で転倒して怪我をさせてしまったりした方が時間を取られてしまう。

 只待つだけで小さな問題でも未然に回避できるならそれに越したことは無い。

 名無達は足を止め、自分達の方へと向かってくる子供が通り過ぎるのを待つ。

 しかし、


「……っ、……っく…………ぅぅ……」


 名無達は自分達の前に姿を見せた子供の状態に眼を見張った。

 無造作に伸びたオレンジ色の髪は乾いた泥と血に汚れ、小さな身体と身体を包んでいるローブも酷い有様だった。ローブだけでなく着ている服も無残に切り裂かれ、その下にある柔らかな肌にも痛々しい傷が刻み込まれている。

 傷口から流れ出る血は止まる様子が無く、一目で致命傷に成り得る傷がある事が分かるほどの重傷。


「ティ……ねぇっ……」


 誰がやったのか、どうやってここまで歩いてきたのか。考える事が有りすぎる中、血まみれの子供は掠れた声を漏らし煉瓦道に倒れ込んだ。


「だ、大丈夫ですかっ!?」


 この可笑しな状況で何の疑いも抱かず力なく横たわる子供の元へ駆け寄ったレラ、着ている服が血で汚れるのも気に掛けず子供を抱き上げる。


「マクスウェル」


『イエス、マスター』


 一瞬遅れて二人を庇うようにすかさず子供が歩いてきた通路を確かめる名無、点々と続く血の足跡が伸びる最奥まで鋭い視線を飛ばしながらマクスウェルへ周囲を探らせる。


『数は全部で十、この十字路から延びる全通路から迷いの無い足取りでこちらへと向かってくる生命反応を確認!』


「状況は分からないが、どうやら追われているようだな」


『その様です。しかし、応急処置をしている時間もありません。どうなさいますか?』


「その子を連れて此処を離れる、不安要素は幾つもあるが今は傷を手当てするのが先決だ。レラ、その子を」


「は、はい!」


 気を失っているとは言え重傷である事は変わらない、名無は可能な限り傷が開かないよう自分の背に子供を背負い落とさないよう臀部に左手を回し小さな身体を支えた。


「レラは俺の右側から首に腕を回してくれ、不格好になってしまうがそのまま抱き抱えて運ぶ」


「分かりました!」


 左手で負ぶっている子供を支えているために片腕でレラを抱き抱えなくては成らないが、レラ自身にしがみついてもらえば腕一本でも充分にレラを抱き抱えることは出来る。

 名無はレラがしがみつきやすいよう僅かに膝を折って、彼女の腰へと右手を回す。名無とレラの身長差ではレラの足が浮いてしまうが、しっかりと抱えているためレラへの負担も少なめだ。


「宿屋へ戻る前に追っ手を振り切ってこの子を治療する。マクスウェルは身を隠せる場所を索敵、見つけたらすぐに誘導してくれ」


『イエス、マスター』


「これから建物の屋根まで跳んで移動する、恐いかも知れないが我慢してほしい」


「私の事は気にしないでください、それより早く傷の手当てが出来る所に行きましょう!」


「ああ…………『霧隠不思(ネーベル・ストラーノ)』」


 『身体劣化』を解除した事で空いた枠を使用して名無が発動させたのは光と風の状態を操作し自分の周囲を不可視化する能力である。

 これなら血だらけの子供を抱き抱えて移動していても誰の眼にとまる心配は無い。

 名無はレラが自分にしっかりとしがみつくと同時に地面を蹴り、裏路地を作る建造物の屋上へ。傷だらけの子供を追う追跡者達を振り切るため疾走するのだった。




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