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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第二章 慕情結句
21/111

01  黒の美鬼(1)


 なだらかな稜線を描く山の中腹。

 その身より流れでる水を吐き出す滝口の一つ、その麓には緑鮮やかな木々に囲まれた小さくも美しい湖があった。澄み切った水は山の頂より遙か頭上にある雲一つ無い青空を、まるで鏡のように映す程に透きとおっている。

 そんな絵画を思わせる風景が広がる中、湖の片隅で静かに佇む一糸纏わぬ目麗しい少女の姿があった。


「…………っ! ふぅ……気持ち良いです」


 肩に掛かる濡れた烏羽根色の髪は温かな陽光を受け眩く輝き、丸い果実を思わせる豊かな胸、無駄なく引き締まった腰回り。そして、快晴の空にまったく劣らない蒼い肌も水滴という自然の宝石で飾られ、その鮮麗な姿は眼にした誰もが息をする事を忘れ見惚れてしまうだろう。


「――レラ、寒くは無いか?」


 扇情的な欲望よりも先に美的な欲求を感じざるおえない柔肌を白昼に晒す蒼肌の少女――レラのすぐ近く、湖の畔にある大きな岩の向こうから男の声が上がる。


「日中で暖かいとは言え辛いようなら言ってくれ、粗末なものになってしまうが魔法を使えば簡単な風呂くらいなら準備できる」


「あ、ありがとうございます、ナナキさん。でも、さっきまで歩いてたので身体の方は火照ってて……その、今は冷たい水でも大丈夫ですから」


 岩の向こうで自分の水浴びが終わるのを待っている名無の声に、レラは咄嗟に水面の中に身体を沈める。

 二人が旅を始めてから一週間と二日、まだ始まったばかりの宛らしい宛の無い旅。

 その最初の目的地は村の薬師である《妖精猫》グノーが昔訪ねた事があるという街だった。彼の情報を頼りに名無達は広大な草原を無理なく歩き進め、今は草原を隔てるように聳える山中で休息を取っている所である。

 そしてグノーの話の通り二つ目の山の山中で湖を見付けた二人。この湖は山の動物達だけで無く、時折山を越えようとする人間達も一息入れる憩いの場らしい。

 名無はともかくとして、レラが彼等の目にとまれば襲われてしまうのは容易に想像が付く。グノーの忠告に従って名無は水浴びを迅速に済ませ、レラが気兼ねなく身体を浄められるよう辺りを監視している……という状況だった。


「君が大丈夫なら良いんだ、邪魔をしてしまってすまない。俺の事は気にせずゆっくり水浴びを続けてくれ」


「は、はい……」


 名無の気遣いの言葉にぎこちなく声を返すレラ。

 それもそうだろう。彼女と名無を隔てているのは二人の視界を遮る程の大きさの岩だが、名無がその気になれば飛び越える事も退かす事も出来る。しかし、名無がそんな不謹慎極まりない行為に出るとはレラも思ってはいない。

 だが、レラも思春期の少女。着ていた服を脱ぎ生まれたままの姿でいる状態で、安心できる相手であっても異性が近くにいるとなれば気を張らずにはいられないのもまた事実。


『レラ様、ご安心を。なにかしろ不測の事態でも起きなければ、マスターがレラ様の裸体を眼にする可能性はありません』


「マクスウェルさん」


『本来であればマスターもレラ様が安心して水浴が出来るようこの場を離れるでしょう。ですが、今は旅の途中。何が起こるか分かりません、これもレラ様の安全を考慮しての事ですのでご容赦を』


 口に出せない気恥ずかしさに晒されているレラの懸念を拭いさろうと、彼女の首元でその身の機械水晶を輝かせる白銀のチョーカー――戦闘支援型自律AI『マクスウェル』は主である名無に聞こえない音量で杞憂である事をレラに申し立てる。


「ナ、ナナキさんを疑ってるわけじゃ無いんですよ? でも、その、声が聞こえると近くいるんだなって……す、少し恥ずかしいだけですから」


『いえ、こう言った状況であればレラ様の様な態度が正しい反応です。マスターにもそう言った感性が無いわけではないと思うのですが……考え方が少々ずれているようです』


「そ、そんな事は無いと思いますよ」


『お気遣い感謝します。ですが、歴とした事実ですので』


 現にこうして話している今も、名無がレラの水浴びを覗こうとしていない事を内蔵している赤外線センサーで感知しているマクスウェル。

 如何に己の欲望を律する事が出来る人物であっても、レラの様な目麗しい少女が自身の身近でその魅惑的な裸体を晒しているとなれば理性が揺れ動くものだ。だと言うのに名無には心拍、呼吸、顔色と一切変化が無い。

 もちろん名無にそう言った感情が無いわけでは無い。が、少しくらいは曝け出すべきだろうと機械水晶の輝きを弱め、気落ちしたような声音を響かせるマクスウェル。


『とにかく、マスターはレラ様に邪な感情は抱いていません。周囲の警戒はワタシも担当していますが、マスターも周囲に意識を向けつつ今後の予定に考えを巡らせているのだと思われます』


「変な心配をさせてしまってごめんなさい、マクスウェルさん」


『お気になさらず、先程も言いましたがソレが普通なのですから……はあ』


「そ、そうですよね……」


 また小さな溜め息と共に名無に対するささやかな不満を溢してしまうマクスウェルに、レラは苦笑いを返すしかなかった。

 そんな二人の気も知らず名無はマクスウェルの憶測通りこれからの事について思案していた。


(グノーさんの話だと今いる山を下りれば街まであと数時間。日が暮れる前に辿り着くことは出来るが……いったいどちらの街なのかが問題だな)


 ルクイ村と同じく魔族達が住んでいるのなら、レラに周辺地域の情報収集と食糧の調達を頼む事が出来る。それに用心の為にマクスウェルをレラの補佐に付ける事も可能だ。人間の街であるなら逆に自分が率先して動けば良い。

 もっともグノーが一度訪れた事があるのだから魔族側の街だと考えるのが妥当だが、どちらか分からないと忠告してくれた事を考えると、安易に動くのは危険と言える。……出来る事ならレラを安全な場所で待たせ、自分が先行して街の現状を確かめるのが最善。


(だが、先行して別行動を取った後が気がかりだ)


 一時的に能力を解放しても詳細な座標設定が必要になる『転移操者(ポイント・オーダー)』では、もしもの場合にレラが待たせている場所から移動せざる状況に陥ったら合流が困難になる。ルクイ村を襲撃された時に使用した能力、影を使って自分とガロ達の位置を入れ替えた『影引置換(エクスチェンジ・シェード)』も対象者であるレラとの距離が空きすぎていれば使えない。

 レラを護るという一点に絞れば一緒に行動するのが一番良いのだが、魔法に対する知識が十分で無い自分では護りきる事が出来ない可能性も充分にある。

 ここはレラ達の考えも聞いて取れる選択肢を増やすべきか……名無は無難にレラの水浴びが終わるのを待つ事にした。


『――索敵範囲に熱源を感知』


 その時、マクスウェルが二人の元に接近する反応を感知する。彼女の知らせに名無は地面から腰をあげる。


「数と性別は?」


『数は一、熱源のシルエットから女性だと思われます。人間か魔族かは判断できませんが、接近する方角からするとおそらくワタシ達が目的地としている街の住人、もしくは街に出入りする方ではないかと……真っ直ぐこちらに向かって来ています』


「どちらにせよ好都合だ、危険を冒さずに情報を得られるかも知れない。レラ、彼女が俺達の所へ到着する前に湖からあがってこちらに来てくれるか?」


「はい、すぐに」


「すまない」


 水浴びを楽しんでいたレラには悪いことをしてしまったが、思いがけず得られた情報収集の機会をみすみす手放すような真似はしたくない。

 それに情報源となる相手は女性だ。

 こんな人気の無い場所で見ず知らずの男である自分よ鉢合わせに声を掛けられたとなれば、要らぬ誤解を与えてしまうのはレラを助けたときに経験している。

 この世界の人間と魔族を取り巻く情勢や自分がレラを襲っている――実際は助けた――ように見えた体勢によって怒ってしまった不可抗力にして謂われの無い悲惨な勘違い。あの時の事を考えれば人間であれ魔族であれ、相手が女性であるのなら自分が行動するよりもレラに一任した方がどちらにとっても安全だ。

 自分には必要以上の配慮が必要だと結論を出した名無は、レラの時のような二の舞にはなるまいと気を引き締める。


『熱源反応ゆっくりと接近中。レラ様、慌てずに着替えてください。時間的猶予は充分にありますので』


「は、はい!」


 しかし、相手を気遣う事を念頭に置いていると言っても名無の意識は未だ戦闘よりだ。



――スッ、キュッ…………シュル……シュル――



 二人の間にある大岩のお陰で名無の眼にレラが着替えている姿は映ることは無い。だが、岩の向こうから聞こえてくる衣擦れの音は、会話の途絶えた湖畔に酷くハッキリと響く。

 だと言うのに、やはり名無に浮ついた様子は見られなかった。


「お、お待たせしました。マクスウェルさんをお返ししますね」


 誰かが来ると言う事もあって、急がなくても良いと言われても急いで着替えたのか、レラの服装は僅かに乱れたものだった。髪に残る拭いきれなかった水滴は彼女の烏羽根色の髪をより鮮やかに浮かび上がらせ、肌に残っていた水気が服を肌に貼り付けさせ華奢でありながら起伏ある身体をありありと際立たせている。

 ある意味、裸体よりも色気を纏っていると言っても過言ではない姿だ。


「いや、まだ君が持っていてくれ。出会いがてら荒事にならないとは限らない、マクスウェルと一緒なら引き離されてしまっても身を隠したり逃げたりするのに力になってくれる」


 三度目の正直かと思ってはみても、名無の視線はまだ姿を見ることが出来ない人物が歩いてくる方向に向けられておりレラの蠱惑的な出で立ちを目にすることは無かった。


「マクスウェル、対象との距離は?」


『もう間もなく姿が見えるはずです、相手は一人ですが警戒は怠らないように。ワタシ達にとって情報提供者になり得るとは言え、友好的に接して来てくれるとは言い切れません』


「ああ、レラも少しだけ気を張っていてくれ」


「は、はい」


 三人は出来るだけ自然体を心がける。

 自分達が警戒心を見せてしまえば必然的にその空気が相手にも伝わってしまう。あくまで道すがら、この場で休んでいる途中で出くわして締まったと振る舞わなければならない。

 すでに三人に浮ついた空気はなく、それでいて殺伐としたものでもない。あるのはできる限りの自然体、自分達が警戒していれば必然的にその空気は相手にも伝染してしまう。あくまで道すがら、今の場合は身体を休めている途中に出くわした……そう振る舞わなければならないのだから。


『視認まであと十秒……八秒……六秒、五、四…………』


 接触までのカウントを数えるマクスウェル、もう間も無くと言った所で声を絞り相対に備える。



「――――――ッ!」

「――――――きゃっ!?」



 しかし、そこで名無が思わぬ行動に出た。

 それはこの場にいた誰もが予想もせず、何の前触れも指示もない突然の行動。

 マクスウェルのカウントダウンと共に姿を見せた来訪者。そんな彼女の姿を眼で捕らえた瞬間に、名無はレラを左腕で抱き抱えて湖へと跳びずさり、対輪外者武器(ノーティス)を構える。その動きにマクスウェルも戸惑いつつも条件反射の如く刀身を構築し主の出方を待つしか無かった。


「久しぶりに街の外へ出てみたのだけど……不思議な事があるものね」


「………………」


 無言で応える名無の視線の先にいたのは目麗しい一人の麗人。

 暗い色でありながら高貴さを宿す艶やかな黒髪と深い黒の瞳、細身でありながら胸から腰回りに掛けて妖艶な曲線美を晒し、雪のように白い背中を大胆に見せる漆黒のドレスを纏う美女。


「私を見た途端に剣を向けてくる人がいるなんて、ちょっと驚きだわ」


 レラとは異なる美貌は絶世の美女という言葉を思い浮かばせる。そんな黒を纏った魅了の権化が、怪しくも美しい微笑を溢す。





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