颶風蹶起(3)
――――――――
――――――!
――っ!
――いっ!
――おいっ!
――遠いっ!
フォルティナ達から『未完魔律調整体』を引き離し、単騎で戦いを挑んで数分……。
額から滴り落ちる汗は量を増し、呼吸は荒く大きなものへと変わり、視界は白い明滅を刻み、振るう右手、地を駆ける両足に込めた力が抜け落ちる感覚。
(あと、少し……あと少し、なのにっ!)
数分、片手で数えられる僅か数分で過大な負荷が流に襲いかかっていた。
途切れる事の無い死線の中、行われ続けていた限界を超えた異能の行使。『風製製統』の並列制御は流の想定をあっさりと覆した消耗を強いる。
その影響は勝敗に直結している、順調に『未完魔律調整体』を屠る事が出来るだけの威力に達しようとしていた切り札の完成を阻む。ただ待つだけならば短く、けれど死地においてはあまりにも長い時間。
右手に握る風の刃は鈍へ近づき未熟な剣閃はより荒く、風を纏う事で加速していた体捌きは失速し始め、風の層によって補われていた視界の死角はじわじわと広まり、同時に得られていた探知効果どんどん狭まり、反応速度も落ちていく。
(ああ、駄目だ! このままじゃ、このままじゃ俺が先にっ!!)
力が、速さが、異能の出力と制御が落ちていく実感に晒されても戦い続ける流。だからこそ倒すべき、倒さなくてはならない敵と自分の間にある余力の差に顔を歪める。
『未完魔律調整体』も流と同様に継戦能力を低下させていた。
しかし、ここに来て動けなかった事で『未完魔律調整体』の方が消耗を抑える事が出来てしまった状況へと変わってしまったのである。
ベッカーによって与えられた傷は確かに流の助けになった。だが、いかに致命傷を受けず相手を殺しきるかという機動戦から相手戦力の底を尽かせる消耗戦へ移行していた事が『未完魔律調整体』へ有利に働いてしまった。
動かずとも、動きそのもののキレは落ちようとも触手刃による死の一撃は健在。魔力の消費も抑えられ活動時間の短縮はさほど望めない。むしろ活動限界が迫っている事を正しく認識して損傷の回復よりも継戦時間の抽出に比重を置いたからこその触手刃一択の攻勢。
冷静に勝利を見据えてはいても、互いの消耗度合いを比べれば『未完魔律調整体』の方が一枚上手である事は明らか。流は自分が無意識、無自覚な焦りに突き動かされていた事に気付く。
かといって、ここで一か八かの賭けに出て望む結果を手繰り寄せることが出来るかと問えば現実的では無いと言わざる終えない。
(――何か、考えろ、手は、能力を、維持、考えろ、息が、動き続けないと、止まれば、考えろ、頭痛い、眼がぼやけて、考えろ、別な方法は、まだ、考えろ、勝つには、考えろ、考えろ、考えろ、考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ考えろ――)
疲労という枷が流の身に絡みつき、疲弊という靄が流の思考を短絡的な方向へ――
――どちらか一方で迷ったのだろう?――
誘われる直前、流の意識を繋ぎ止める言葉が脳裏に響く。
――なら、おまえの答えは既に出ているのではないかな――
それは何時だって自分が迷い立ち止まってしまった時、
――後は貫けば良い、選んだモノが後悔で塗れてしまわないように――
優しく背中を押してくれる幼馴染みがくれた――遺してくれた言葉。
(落ち着け……落ち着け、焦っちゃ駄目だ。きついのは、苦しいのは、いつもの事じゃないか)
思い出し頭の中で響いた言葉に流は今一度自分自身に冷静さを説き、
(落ち着いて、迅速に分析、この戦いに勝つ為に必要なのは?)
『未完魔律調整体』の繰り出す攻撃を一撃一撃、確実に対処しながら流は今置かれている状況の中で確実性が高い情報だけを羅列していく。
今のまま戦い続ければ自分の方が『未完魔律調整体』よりも先に力尽きる。
疲労と疲弊により『風製製統』の制御に乱れが生じてきている。
頼みの綱の一撃は制御の粗さによって完成まで時間がかかってしまう。
時間がたてばたつほど悪化の一途を辿り、死に繋がる致命的な要素ばかりが浮き彫りになる。だが、流の銀の双眸に陰りは無く、限界が近づく肉体に反し力強い意思の輝きが爛々と光を放っていた。
(俺には魔力が無い、相手の強さや魔法の前兆が分からないのはこの世界では致命的。でも目の前の怪物が相手なら活路になる)
他人の身体を傷つけ、自身に向けられる魔法を切り裂く事で魔力を奪う。そうすることで活動時間の確保、肉体の改造や傷の再生を可能にしている異形の生物兵器。けれど、自分には魔力が無い。
幾ら怪物でも魔力を全く保っていない自分から命綱となるエネルギー補給は出来ない、この一対一の状況だからこそ怪物の活動時間を削る事が出来る。魔力を持たない有利性は間違いなく向こうにとって痛手。
そして、その欠点であるはずの事柄がフォルティナやベッカーには出来ない戦い方が出来るという事を流に気付かせた。
(こんな事、当たり前すぎて頭になかった。俺は今戦ってるんだ――傷を負うのは普通の事だったのに)
流はベッカーと『未完魔律調整体』の戦いは苛烈を極めたものであり、ベッカーは死角からの攻撃さえ十全に対応して見せていた。それは物理的要因による傷だけでなく、魔力を奪わせない為。
だが、『未完魔律調整体』の持つ余りにも驚異的な破壊力を有する攻撃も相まって意図が霞んでしまい全ての攻撃を無傷で避けなくてはならないという固定観念を流に作ってしまったのだ。
(良いんだ、俺なら――無傷じゃなきゃいけない理由は無い!)
最も流の負担になっているのは『風製製統』の並列制御ではあるが、もっと絞り込めばありったけの力を込めて完成させようしている風刃夙砲である。この制御だけ投げ出すことは出来ないが、他であれば維持し続ける必要は絶対では無い。
命を刈りとろうと放たれる三本の触手刃全てを切り払い距離を取る流。その少しばかりの間で一息を付いた少年の手から風の刀は消え、身に纏わせていた風の層はその厚さを狭める。
風である以上、目視する事は困難だが揺らめく風の流れは彼を起点に直径一メートル程程度。半減してしまったこの層の厚さでは動きの補助には出力が足りず反応速度も格段に落ちてしまう。出来るのは『未完魔律調整体』が繰る触手刃が身体に触れる直前に、どの方向から来るかの判別のみ。
しかし、勝敗の要である風刃夙砲の制御は精度はまし、異能発動による負担は大きく軽減され痛みが暴れ回るような頭痛は軽減された。明滅していた視界も色を取り戻し、荒かった呼吸も落ち着きを取り戻していく。
そして、そんな流が選んだのは右手に携えた全霊を賭けた一撃による反撃。
『風製製統』の制御を限定した事で風刃夙砲の完成までの時間はぐっと縮まった。しかし、それでも一挙手一投足の僅かな乱れが落命に繋がる中では気が遠くなるほどの時間である事に変わりは無い。
だが、確かな勝機は見えた。流は一歩、また一歩と怪物の元へと歩を進める。
『――――』
疲労を隠しきれなくなっていたとは言え、最大戦力による戦闘を継続していた流の突然の減退。端から見れば戦いを投げ出したかのような落差。だが、『未完魔律調整体』はそんな流を眼にしても攻撃の手は緩めなかった。
ベッカーとの戦いで見せていた苛烈さはなりを潜め、奇抜で多彩な軌道は陰り、凄まじい速度と威力も衰えた。技術も小細工も無い真っ正面正からの攻撃、これまでの圧倒的な即でによって実現していた物量攻撃は見る影も無くない。
「――ッ!」
一歩踏み出す度に前へと進み、半歩で身体の位置をずらし纏う風の層で触手の軌道をそらし刃を躱す。
迫り来る触手刃に対して流はこれまでの様に余裕以上の余裕を持って躱すのでは無く、小さく僅かな無駄をも省き最小最短の動きで『未完魔律調整体』の攻撃を紙一重で躱していく。
(根比べだっ!!)
が、未だ向けられる凶刃の火力は充分過ぎる威力を宿している。
紙一重で避ける事で、『未完魔律調整体』が振るう触手刃が纏う見えざる風圧の刃が流の身体に決して小さくない傷を刻み込んでいく。
(終わらせる、コイツは此処で終わらせるんだ!)
額を、頬を、肩を、胸元を、腕を、太腿を……急所を狙い澄ます刺突を躱す度に鮮血が飛び散り流の身体は赤く濡れ染まる。流れ出る鮮血は流から体力を奪い、切り裂かれる激痛は動きを強ばらせる。それでも流は止まらない。
この一撃を決めなくては勝利は無い、失敗すれば後は無い。待ち受けているのは敗北の未来――そんなごく当たり前な考えは流の中には無かった。
(今仕留めないとフォルティナさんやベッカーさんが傷つけられる、二人だけじゃ無い。街にいる皆だって危ない……名無なら大丈夫かも知れないけど、もしかしたら他にもいるかも知れない、不安でたまらない!!)
敗北によってもたらせられる死への恐れなど流の頭から完全に抜け落ち、あるのは自分が負けることでフォルティナ達に降りかかるであろう脅威の再起。『未完魔律調整体』の別個体が存在していたら、既に戦闘になっていたらと自分では無い第三者達に対する最悪の可能性で埋め尽くされている。
(コイツを倒して絶対に戻る。フォルティナさん達や名無達、皆のところへ早く――)
その不安を、その焦燥を、その渇望を拭い祓おうと示す様に流の右手で渦巻く決死の風がその身をより押し固めた。
(これが今の俺に引き出して圧縮する事が出来る限界……これでっ!!)
風刃夙砲の完成と同時に流は額が地面に擦れる程の前傾姿勢へ。
そして銀の双眸が輝きを増した次の瞬間、流は轟音爆ぜる爆ぜる爆風を推進力に『未完魔律調整体』へと突き進む。防御も回避も無い一点突破、最速をもって間合いを詰め上体を起こし右手の風刃夙砲を振りかぶる。
「おおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
裂帛の気合いが篭もる叫びと共に流は渾身の一撃を『未完魔律調整体』へ――
『――』
「――!――」
だが、流が全霊の風を叩き込むよりも早く『未完魔律調整体』の三本全ての触手刃が流の背後から容赦なく肉体を貫いた。『風製製統』による爆発的な加速に対し触手を引き戻しもう一度貫くのでは無く、前方に意識を集中させ流自ら作ってしまった後方からの追撃……最後の最後で流は功を焦ってしまった。
触手刃が貫いたのは心臓と肺が収まる胸部。致命傷は明らか、最早この傷では動くどころか即死と変わらない。
負けられないと決死の覚悟で臨み、挑んだ死闘は無情にも流の敗北で終わった
「ああああっ!!」
『――!?――』
誰よりもそう思っていたであろう『未完魔律調整体』の背部に、突如として風刃夙砲を叩き込む流の姿が露わになる。
――『風製製統・陽炎風写』
光の屈折を歪める風の流れと層を大気に作りだし自身の幻影と隠蔽を可能にした風刃夙砲と並ぶ流の切り札。
前傾姿勢に映る直前に発動させ爆風を推進力として突進する幻影を作りだし、不可視化した流本人は『未完魔律調整体』の頭上へと跳び上がり絶対的な隙を突いたのだ。人間、輪外者、『強化獣種』、そして『未完魔律調整体』……どんな生物、怪物だろうと敵の息の根を止めたと考えるその瞬間は無防備になる。
目の前の怪物の性能、そして戦いの立ち回り。知性の無い化け物では無い、それどころか忌々しいと思わずにはいられない狡猾さを持っている。ただ速いだけの突進では通用しない、その確信を得ていた流は再び異能の並列制御に打って出たのだ。最後の一撃を確実に叩き込む為に、まだ一度も見せていなかった風を纏って。
現に『未完魔律調整体』は流の攻撃に全く反応できず背部を乱回転の風球に砕かれ、大小数百を越える風の刀剣が巨大な躯体へ降り注ぐ。風刃夙砲から逃れようにも風球によって背は砕かれ濁流の如く血肉を突き刺す刃の雨によって地面へと刺し潰されている。
流達の背筋を凍らせた触手刃も既に肉の細切れと化し見る影も無い。
限界を超えて高められた決死の一撃は爆煙と轟音をまき散らし、瞬く間に『未完魔律調整体』を削り散らす。残ったのは風刃夙砲によって大地に穿たれた大穴、直径百メートルはあるであろうクレーターがその威力を物語っていた。
「……っ……はっあ、かはっ……あっ……ッ!」
その凄まじい傷痕を大地に刻みつけた流はあらぬ方向に指が折れ曲がり、その指先から肘に掛けてズタズタになった右腕を抱え地面に蹲っていた。無理矢理引き出した高威力の一撃は輪外者の肉体でも耐えきる事は出来ず、流の右腕を痛ましい姿へと変えていた。
だが、強靱な躯体であった『未完魔律調整体』の身体を細切れにする程の威力。最悪の場合、流の右腕も同じように消し飛んでいてもおかしくは無い。襲いかかるこれまでに無い痛みに喘ぐ流ではあったが、こうして右腕が残っていた事は間違いなく幸いと言って良いだろう。
「……なん、とか……倒せ、た。早く……皆の所へ、行かな……い…………と……」
長時間の異能の使用、重症による激痛と出血。痛み疲れきった身体を気合いで動かし何とか状態を起こす流。まだ真面に動くことの出来ない身体、その中で唯一何事も無く動かせるのは銀の輝きを失った黒い瞳。
その黒い瞳が裂けんばかりに開かれる、重傷著しい右腕の痛みにでは無い。その眼に映り込んでしまった小さな、肉片がこびり付いた小さな水晶……水晶の表面で蠢く金の瞳が何なのかを理解した瞬間、流は息を飲んだ。
「嘘……でしょ、まだ……壊せて――ッ!」
今度こそトドメを刺さなくては、そう思い立つも流の身体は彼の意思とは裏腹に再び地面に倒れ伏す。
(くそ、くそくそくそくそっ! 身体が、ここまで来て、うごけ、動けっ!!)
流の眼に映りこんだのは言うまでも無く『未完魔律調整体』の残滓。正確に言えば魔法具としての核である水晶と僅かばかり残った血肉の一部。流の風刃夙砲は確かに『未完魔律調整体』の躯体を破壊した。しかし、核となる水晶だけはなんと言うことか奇跡という最悪によって破壊を免れていたのだ。
今のアレには流と同じく戦えるだけの力も魔力も残っていないだろう。だが、僅かに残った血肉を操作しこの場を離脱し新たな素体を用意する事は出来る。その証明に剥き出しの眼球はそのか細い肉を器用に操り水晶と共に大穴の外を目指している。
(ああっ、逃げる前に、早く壊さないと! 壊さないといけないのに!!)
此処で逃がし復活を許せば今度も勝てるとは言い切れない。それどころか流や名無達に勝つ事が出来ると確信が得られるまで力を蓄えるような事になってしまえば、被害は計り知れない物になる。
今まで経験したことの無い血にまみれる泥沼と化してしまう前に破壊しなければ、そう思っていても流の身体は流の意思には応えない。応えるだけの余力は今度こそ残っていなかった。
(駄目だ、そんな、壊さなくちゃ、フォルティナさん達が傷つく、あんまりだ、こんなのって!)
そんな流の悲痛な叫びと焦燥をあざ笑うように『未完魔律調整体』の残滓はゆっくりと確実に流から離れて魔力を宿す生物を求め森へと這い進む――
「――もう終わりよ」
だが、その未来はその一言と共に飛来した影と共に砕け散る。
「フォル……ティナ、さん……」
『未完魔律調整体』の逃亡は飛来した影影――フォルティナの手によって阻止された。彼女の足下では核である水晶を完全に破壊され水晶と共に両断された金の瞳が崩れゆく様が広がっていた。
再三覆ってきた決着の瞬間、今度こそフォルティナの手によって齎され流は安堵の吐息を溢した。
「……あり、がと……フォルティナさん。来てくれて……助かったよ」
幾ら死に体まで追い詰めたとは言え、倒れたままでは格好が付かない。それにベッカーの容態のこともある、流はフォルティナに要らぬ心配……をしてくれるか分からなかったが細やかな見栄をはろうと痛む身体に鞭を打ち再び膝立ちの姿になりフォルティナに声を掛ける。
「ベッカーさんは、無事? それに名無達も」
「………………」
「他にこいつみたいなのは、出なかった? 他にもいたら、大変だし警戒はした方が……言いかも…………?」
しかし、流の呼びかけにフォルティナは背を向けたまま応える事は無かった。
(ああ、そっか……今、声が掠れてるから)
息も絶え絶え、声も掠れ途切れるような状態。そう遠い距離ではないとはいえ、二人の間には五メートル程の距離がある。この状況と流の状態では聞こえないのも無理は無い。流は一度息を飲み込み声を張ろうと喉に力をいれる。
「…………………………へ?」
口を開き唇を動かそうとした瞬間、フォルティナが振り返り流と向かい合った。
二人が向かいあうと同時に、流の喉が震え出すはずだった言葉はかき消え零れたのは気の抜けた一文字だけ。
「………………」
振り返ったフォルティナは流に応えた。
右手にベッカーの剣を携え指通りの良い灰色の髪と健康的な褐色の肌を真っ赤な血で飾り付け、顔を濡らす血よりも赤い瞳から流れる涙を拭う事もせず……ただ立ちつくして。




