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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    颶風蹶起(2)


 ――水のように透き通る風の刀が血飛沫を宙に吹き散らす。

 本来、目視することが難しい風という大気の流れ。風そのものを眼にする事が出来るとすれば強風を超えて暴風。地に深く根を伸ばす木々をなぎ倒し、強固に作り上げられた建造物さえ巻き上げ、渦巻くその身で有りと有らゆるモノを砕き纏った時のみ。

 しかし、流はその暴風を乱すことなく己の手の内で刀の形に押しとどめていた。


「っ」

『――――』


 超圧縮された風の刃は幾重も振るわれ、魔力によって強化された剣に勝る切れ味を持って異形の怪物の躯体を切り裂く。それでも、その太刀筋はベッカー、フォルティナと比べ精細さに欠ける。

 振りかぶった刃を強固な筋繊維に振り下ろす瞬間、風刀を握る手に余分な力が入り込み狙いが僅かに逸れる。その他にも攻撃が命中し刀剣を振り抜いた姿勢から次に繋げる足さばき、作り出した刀身の刃の向き、最も威力を発揮する事が出来る間合いの管理……『強化獣種(アツプ・ビースト)』と戦う為の術理を体術と異能を軸に置いた事で剣術はあくまで知識として、ほとんど対処する側としてでしか知らない。

 どうしても発生してしまう僅かで大きな誤差を戦いの中で修正する、その余裕は流には無かった。

 だが、


(きっつい、けど……戦える!)


 確かに流に戦いの中で攻撃の精度を高める余裕は無い。しかし、その一方で『未完魔律調整体(フラグメント・レプリツク)』の放つ攻撃を一度も被弾すること無く立ち回る事が出来ていた。

 眼で捉える事が出来る攻撃は勿論、目視では捉えきれない死角からの攻撃も周囲に展開している風の層によって感じ取ることが出来る皮膚感覚に近い感触を有する探知効果のお陰で一秒には満たない、だが一瞬以上の時間が流に僅かな猶予を齎している。

 何よりベッカーが単独で戦った事で『未完魔律調整体』が活動に必要な魔力を大幅に消費させ、流に目視や風の層による攻撃探知よりも有益な情報を残してくれていた事が大きい。


(ベッカーさんが教えてくれた、見せてくれたんだ……この化け物との戦い方を!)


 『未完魔律調整体』が有する身体能力、凶悪な主武装、意表をつく魔法使用、そして前兆の無い異能の使用。他にも肉体の透明化以外の異能、関連性が結びつかない機能……と、更なる脅威を隠し持っている事も十二分に考えられる。これだけの傷跡(せんせき)を受け取れた事が流に『未完魔律調整体』と渡り合う事が出来る要因だった。


(再生速度がまた落ちた、三人で戦ってた時よりずっと遅い。これなら……)


 ベッカーとの戦いで魔力を消費した影響は、この戦いでも尾を引いている。流の剣筋は生粋の剣士の様にはいかない拙さが滲むものだが、再生速度だけで無く動きそのものも鈍くなっている怪物の血肉に確かな傷を刻みつけている。


「っ!」


 自身の勝利が頭によぎった瞬間、流は顔をしかめ唇をきつく噛みしめた。


(危ない、左手がはじけ飛ぶところだった)


 目の前の異形によるくらえば確殺必死による攻撃ではなく、自身の内から溢れ出た目前の勝利に対する欲。それが流の左手で未だ解放の時を待つ風刃夙砲に乱れを生じさせた、今までに三度放ったモノよりもずっと小さく抑圧された颶風の制禦を。


(もっと、もっと風を廻せ! 風球だけじゃ無い、引力も高めて追撃の刀剣一本一本の威力も限界以上に!!)


 弱体化してきているとはいえ『未完魔律調整体』との攻防は予断を許さない。

 だからこそ『風製製統(エア・クラフト)』の並行使用は流に大きな負担を強いる。魔力強化による真剣をも超える切れ味を有する風の刀、風による体捌きの補助に視界と死角の補填、加えて風の層による攻撃探知による反応速度の強化、更には『未完魔律調整体』を破壊しきる為の高威力攻撃の捻出。

 『強化獣種』との戦いにおいても、流が技の出力を落とさず同時に出来ていた並行使用は三つ。それをこの戦いで五つの並行使用をこなしている、それも使用している全ての技の出力を維持するどころか、現状の限界値を超え高め続けている。

 僅かでも集中力が揺らげば何かしろ行使している風に陰りが出る、只でさえ気の緩みが死に直結する戦いのさなか。援軍も望めない……そんな逼迫した状況の中で実行できているだけでも出来すぎている位だ。


『――――』


(早く、速く――迅く! こいつがまだ動けないうちに完成させないとっ!!)


 未熟な剣を振るい『風製製統』の行使に集中しながらも身に付けた体捌きで『未完魔律調整体』の触手刃を的確に捌き続ける流。だが、見えた勝利への欲を戒め、はやる気持ちを押しとどめながらも流は己に迅速を課す。

 そんな彼の眼にはフォルティナ達から距離を取る為に放った風刃夙砲によって吹き飛ばされた場所から動くこと無く、触手刃のみで戦闘を続ける怪物の姿が変わらず映り込む。

 『未完魔律調整体』の身体には流によって与えられた傷が再生しきれず幾つも残っている。ベッカーによって刻み込まれた右前肢の足首裂傷は戦いを有利に進める要。

 手数が少ないながらも、そこへめがけ攻撃を加えていた流。その成果として彼の怪物の動きを封じる事が出来ている訳だが……それでも肝心の風刃夙砲(とつておき)が『未完魔律調整体』を破壊するに至る威力を宿すにはまだ時間がかかる。


(勝つ……勝つんだ! 勝って皆の所へ戻るんだ、名無ならきっとベッカーさんを助けられる。だから――)


 自分が目の前の異形を討伐する事で全てが丸く収まると、傷つき倒れたベッカーも無事で、名無達やグノーを含め『反逆の(レベリオン・ライン)』の住人達にもこれ以上被害が出る事無くこの戦いを終わらせられる……。

 そんな最善を勝ち取るのだと双眸の銀光を強め手を、脚を、動かし続ける。迫り来る制限時間(タイムリミツト)の先が望む結末である為に。





























「ナガレッ!」


 フォルティナの声は流が放った颶風の一撃にかき消され、残ったのは扇状に大きく抉り飛ばされた地面とその傍らで血まみれの父を抱きしめるフォルティナの姿。呼び止めようとした少年の姿は何処にも無く、探そうと眼を凝らす間も無く再び轟音が鳴り響く。


(あの馬鹿っ、無茶にも程があるでしょうが!)


 最早聞き慣れた絶え間なく鳴り響く轟音と荒々しい破砕した木々が混じり吹き荒れる暴風から、二人がそう遠くない位置で戦っている事が分かる。それも今まで見ている事しか出来なかった父と怪物の戦いに匹敵するかもしれない程の物である事も。

 ついさっきまで自分と同じように目の前で繰り広げられる戦いに息を飲み迂闊に加勢する事も出来なかったはずなのに、一人であの怪物と戦う事の意味が分からない訳がないはずなのに……。

 フォルティナは躊躇無く回数制限が迫る切り札を切ってまで、自分達が逃げられる時間を作った流の背を思い浮かべ苦悩する。


(急所は外れてるけど、このままにしてたら父さんが保たない。今すぐナナキさんの所に行けば助けられる……でも、そうしたら……っ!)


 流の言葉、行動、感情を思えばフォルティナが取るべき行動は間違いなく瀕死の父親を助ける為に名無の元へと向かう事。そうで無ければ弱体化しているとはいえ、一人で相手取るには危険すぎる化け物を彼女達から引き離した意味が無い。

 片やたった一人に肉親である父親、片や出会って一週間かそこら――それも世間知らず極まるあかの他人といってもおかしくない少年。


 人命に優劣をつける事は愚かな行為だと言う者は多いだろう。しかし、人の命には明確な差があり価値が存在する。

 生まれ落ちる環境、生まれ持った資質と才能、肉体の欠陥、精神の欠落、身につけた知識、教養、地位……様々な要因によって『個』が出来上がり区別と差別をもって他者との関わりが生まれ優先すべき、切り捨てるべきモノの優劣が完成する。

 集団における多数決、、本能や感情による意思決定、どのような手段であれ人が人である以上は自分にとって『価値』の無いモノが有るモノを超える事は無いに等しい。


(ナガレは、保つの? 父さん、血が止められないの? ああっ! 迷ってる時間、無いのに……どうしたら二人を、どうすればっ!?)


 それが、取捨選択がそういうものだと理解していても二人の命運が掛けられた天秤をフォルティナには傾ける事が出来ない……彼女もまた情が深い一人の少女なのだ。

 ベッカーが後先考えずに動いた時、切れ味のある厳しい言葉を向けていたのは父を心配する胸の内の表れ。最悪の出会い方をした流に対する頑なな態度も、言いがかりに等しい誤解を向けた事への謝罪と羞恥の裏返し。


 流に、名無に、レラに、グノーに、そしてベッカーや苦楽を共にしてきた『反逆の境』の仲間達にさえ棘のある言葉で接するのはただ願っているから――人間の悪意に負けないでと。

 自分の思いに素直になれず傷つけてしまうような事しか出来ない自分とは違う……悪意に染まること無く歩み寄る強さを持てる優しい人達に生きて幸せになって欲しいから。

 そんな不器用な優しさを持つ少女に出来たのは二者択一を前に、どちらの選択も取りこぼしかねない時間の浪費だけ。

 ベッカーの身体を支える手は震え、赤く血に染め上げられる衣服を映す瞳は揺れ動き、呼吸もどんどん浅く小さなものに――


「息を、息を大きく……深く吸うのだ……フォルティナ」


 フォルティナが焦燥状態に陥ってしまう寸前、ベッカーの嗄声が彼女の理性を押しとどめる。


「とう、さん……」


「落ち着いて、我の話を……聞いてくれ。不味い状況、なのは……分かっているな?」


「分かってる、分かってるわ。だけど話をする前に魔力で止血して、幸い急所はそれてる。でも、このままにしてたら――」


「それは出来ん」


 掠れ声とは思えないその言葉には力が込められ、小さく無い穴傷から血が溢れようとも構うこと無く身体を起こし――フォルティナへと相対するベッカー。


「動かないで! 今その傷で動いたら死ぬわよ!!」


「うむ、我はもう助からん……コレではな」


「ッ」


 立ち上がり蹌踉めきながらベッカーは自分の血で染まった腹部の布地を破り捨て、その下に隠れていた傷を露わになった傷にフォルティナは怯えを孕んだ息を飲む。

 フォルティナの赤い瞳が捉えたのは傷を塞ごうと蠢く無数の白く長い触手。

 傷の内外で互いに絡み合い穴を塞ごうとする光景はフォルティナでさえ口元に手を添えこみ上げるモノを押さえ込もうとするほどである。


「魔力を傷口に集める事で今はまだ侵食は食い止められている」


 傷口を起点にして皮膚の下は這い全身に根を伸ばそうとする触手、皮膚の下を這い回り時折跳ねるような様は眼を覆いたくなる底気味悪さ。だがそれは、ベッカーの言う通り触手は腹部から伸び広がる事は無く、魔力による防遏がしっかりと機能している事の現れでもあった。


「我と違い、お前は聡い子だ……後は、言わなくとも分かっているのだろう?」


「……なに、か……何か方法があるかも」


「有っても意味をなさない状況なのだ。魔力の消耗具合から考えれば、ナナキ殿達の元へ辿り着くまで保たん。仮に本体であるあの怪物を討伐できたとしても、この浸食が止まる保証も無い。このまま何もせず、指を咥えていては我もあの異形の怪物に成り下がるだろう……それだけは避けねばならん」


「そんなの、分かって、だけど……」


「……不甲斐ない父で、すまんな」


 額に脂汗を浮かべながらベッカーは苦笑いを浮かべ、今にも崩れ落ちてしまいそうな娘に右手に持つ剣を差し出した。身体を貫かれ、吹き飛ばされ、抱き留められようとも手放すことの無かった戦いの意思を。


「時が来たら間を置かず心臓を貫き首を刎ねるのだ。これだけの傷と出血、そこに追い打ちを掛ければ魔力を奪い尽くされたとしても再生はそう簡単にはいくまい……と思うのだが、そこは臨機応変でゆこう」


 人体に置いて命を繋ぐ内臓器官である心臓の破壊、同じく肉体の生命活動を調整する脳が収まる頭部の切断。人間だろうと、魔族だろうと、輪外者だろうとも確実に命を終わらす事が出来る方法。触手が傷を塞ぎ、切り離した肉体を繋ぎ合わせようとしても今度は活動に必要な魔力が補えないのでは、奇っ怪な魔導具だろうと徹底された絶命を覆す事は出来ない。


 そうなれば次に魔力の供給源として狙われるのはフォルティナであるのは間違いないが、ベッカーの中で蠢く触手の動きは『未完魔律調整体』と比べるまでも無く遅い。未だベッカーの体内、それも腹部周辺に押しとどめら得ている状態から考えれば余程の事が無い限り肉体の乗っ取りを許すことは無いだろう。

 今、ベッカーが考えられる中で戦禍の拡大を抑える事の出来る最善の方法。けれど、それを実行することになる少女にとって愛する家族を、たった一人の肉親を、他の誰でも無い自分の父親を手に掛ける最悪にして禁忌の所業。


「……っ……ぅあ……」


 その決断を前に避けんばかりに見開かれたフォルティナの瞳からは涙が溢れ落ち、喉も引きつり息は絶え絶えに。嗚咽すら満足に溢せない中で崩れ落ちる事無く立てている事は奇跡的だろう。

 しかし、時間は待ってくれない。


「ぅ……ふっう……」


 極寒の大気に晒されたかのように震える両手で差し出された剣の柄を握るフォルティナ。ガタガタと震える両手はそれでも決して離さぬようにと掌を真っ白にしてきつく、きつく柄を握り込む。

 剣の術理を身に付けた者とは思えない棒立ちの姿はみっともなく、握り方でさえ無様極まるもの……そんな娘の姿に再び苦笑を溢すベッカー。


「泣くでない、というのは無理があるな。我が同じ立場ならそうなっていたに違いない……が、それでは心残りが出来てしまうのだがな」

「……ッ!」


 心残りというベッカーの言葉にフォルティナ唇をきつく、きつく噛みしめる。噛みしめた唇から血を零し視線をおとしながらも数歩下がり間合いを整える。

 右足を一歩前に、左足も左方に一歩分開き体重を均等に掛け重心を丹田に定める。握る剣の剣先は心臓へむけ、身体を半身に開き、脇は軽く閉じ震える両肩から出来るだけ力を抜き前を見据える。

 穿つべき心臓と、断つべき首元を。


(うむ、良い構えだ)


 自分を映す大きく赤い眼から涙が止まる事は無い、剣を握る両手には無駄な力が入りすぎている。それでも自分が教えた剣の基礎をしっかりと覚えている、託したものが根付いている事に――


(ああ、何と……何と幸運な事か)


 身じろぐように眼を見開いた、その瞳には死の際に立つ者とは思えない歓喜と安堵の色が浮かぶ。


(我はまだ人として、フォルティナの父として……立っていれている)


 勝たなければならなかった戦いに敗北し、怪物に成り下がる前に自分の手で自決する事も出来ない無様な姿を晒している。だというのに何と皮肉なことか、戦いに敗れる事が出来たからこそ『分操俯瞰(アウト・シユトイアー)』によって薄れ消え去るはずだった感情が……残っている。



 ――娘の未来に憂いを残してしまう不甲斐なさを恥じ


 ――介錯を求めた事で涙を流す娘の姿に心残りが胸を刺し


 ――自身が教示が娘の中でしっかりと息づいている事に充足を抱いた



 もう二度と感じることも無いと手放した自己の実感にベッカーは自分の口角が上がっていくのを確かに感じ取っていた。

 が、その満ち足りた今際の一時に終わりが迫る。

 身体の中に植え付けられ暴れ回る忌まわしい魔法具の断片を押さえ込む為に集めていた魔力を維持出来なくなってきている。押さえ込む魔力を貪り喰らう蠢く触手、自分の肉体を奪い傷を癒やそうとしてくる悍ましい感覚が、魔力の減少と共に大きくなっている事が嫌でも自覚出来る。

だが、今はその感覚に対する感情の機微がベッカーに力を与えた。

 掠れ震える声では無い、痛みに濁り歪む顔でも無い……





『――お前の父のまま死ねる、これ以上の幸せは無い』





 愛する娘に残す言葉を紡いだ彼の顔は、やはり太陽の様だった。

 空に昇り地を照らし、地に沈み夜を誘うその瞬間まで輝きを放ち続ける……そんなほころんだ笑みだった。




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