表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
107/111

10  颶風蹶起(1)


「――父さんっ!?」


 直ぐ傍であがったはずの彼女の泣哭は酷く遠く聞こえ、自分の口から零れた掠れ声は本当に出たのかも曖昧で――それだけ今の自分の眼に映る光景が流には信じられなかった。


「……ごほっ……」


 ベッカーの口から止めどなく吐き出される命の赤、人間の構造からは有るはずの無い屈強な身体に出来上がった三つの孔から宙を伝い滴り落ちる鮮血……その光景が現実のもので、ベッカーが敗北したのだという事実は理解している。

 しかし、何故そうなったのかという過程が何一つ見えなかった。

 ベッカーの敗因は間違いなく身体に出来た三つの孔傷。右肺上部、左肺下部、鳩尾に小さくも確実に肉体という壁を挟みながらも向こう側の光景がハッキリと見えるだけの傷。穿たれた箇所はどれもが致命的な箇所。直ぐにでも治癒魔法もしくは外科的な処置が必要なのは言うまでも無い。

 それだけの傷が『未完魔律調整体(フラグメント・レプリツク)』との交叉によって出来上がった――『未完魔律調整体』に明確な動きが、不審な仕草が何一つ無かったと言うのに。

 ベッカーと『未完魔律調整体』の戦いから片時も逸らしていなかったというのに、流の眼には何一つ見て取れなかった。それは取り乱しながらも僅かばかりに残った理性でその場で押し留まっているフォルティナも同じだろう。


『――――』


 そんな敗北の事実を理解しながら、その過程の不可解さに固まる二人をあざ笑うかのようにベッカーから受けた一撃で崩れた体制を持ち直す『未完魔律調整体』。その動きに呼応するように力なく地に足を付けているベッカーの身体が、魔法でも跳躍でもない明らかに自分の意思によるものではない歪な動きと共に高々と空へと浮き飛んだ。


「っ! ベッカーさん!!」


 高く空へと飛び上がり放物線を描き落ちるベッカーへと手を突き出し『風製製統(エア・クラフト)』で地面との激突を防ぐ流。そのままベッカーを自分達の元へと引き寄せ、流はフォルティナにベッカーを預け二人を背に隠し『未完魔律調整体』の動きに備える。


「父さん、父さん! 気をしっかり持って!!」


「…………フォルディナ」


 自身の背後で声を震わせるフォルティナと吐血で濁る声を返すベッカー、そんな二人のやり取りに流は唇を噛みしめる。


(ああ……何してるんだ)


 今この場において唯一、自分が知る中で、戦う事になった外敵の中で一番おぞましくて一番強いと確信できてしまう化け物を倒すことが出来たかも知れないベッカーの死に体の様に流は胸の内を失望で満たす――だが、それは負けたベッカーに抱いたものでは無い。


(二人の力になりたくて、助けに来たはずなのに……こんなっ!)


 肝心の力は足りず、助けるどころか護られる始末。その上、目の前に広がっていたベッカーが優勢に事を進めていた事に気を抜き『未完魔律調整体』による物であろう決着の一撃を止める事も眼にする事もままならない醜態をさらしてしまった。

 これまで『強化獣種(アツプ・ビースト)』との戦いを仲間達と、時には一人で乗り越えてきた。その経験と自信は確かに戦いにおける芯として流を支えてきたものだった。しかし、異なる力、異なる種族、異なる社会性。これらによって形作られた別世界に置いてそれは、まだ思春期の少年の思考を無意識に侵す毒にもなる。

 戦いで得た勝利の味は自信を油断に、培った経験は巡る思慮を愚かな浅慮に、磨き強めた力は向上心を充足感で満たし停滞へと陥らせる。自分の世界の常識が、生存競争を勝ち抜いてきた力は別世界でも通用する。

 一時、自分以外の誰かにそれを諭されようとも身体の、心の芯まで染みついてしまっている固定観念を覆す事はそう簡単な事では無い……それがどのような結果を招くか想像できたとしていても、だ。


「フォルティナさん、ベッカーさんを名無の所へ!!」


 掛け声と共に『未完魔律調整体』へと駆ける流。奔る流の右手では『風製製統・風刃夙砲』が凄まじい風切り音を響かせ解放の時を待っていた。


(今はこいつを二人から引き離さなきゃ!!)


 『未完魔律調整体』と血化粧を纏うナニカの距離は殆ど無く隣接していると言っていい。流は迷うこと無く右手を振りかぶり風球を『未完魔律調整体』達めがけ投げ放ち、すかさず刀剣を模した風の刃を濁流の如くぶつけ怪物達を森の更に奥へと吹き飛ばし後を追う。


(ああ、くそっ! 何で今になって自分が冷静じゃなかった事に気付くなんて、戦いの中で敵の情報を集めるなんて事いつもやってるじゃ無いか、敵がどう攻撃してくるかなんて、どうすれば勝てるかなんて毎回考えてることじゃないか、なんで今になって頭が動くんだ!!)


 自分への怒りと失望がより流に冷静さを取り戻させていく。

 風刃夙砲によって切り刻まれ巻き上がる木片と土埃で視界は乱雑極まる光景だ。しかし、それでも流の眼は正確に『未完魔律調整体』と今も微かにこびり付く血によって輪郭を見せる不可視の異物を捉えていた。


(ベッカーさんの身体に出来た傷の形、前のと穂先の形状が違うんだ――でも、間違いなくあれはあの化け物の触手刃!)


 宙を滴り伝う血が浮かび上がらせていた三つの曲線。姿形は無くとも血が見せるうねり蠢く様は嫌と言う程、自分達の身に襲いかかってきた凶刃の動きと合致する。その赤を纏っていたシルエットはベッカーが切り落とした尾よりも細い。

 しかし、ベッカーの肉体をいとも簡単に音も無く穿った。矛先に凝縮された一点突破の貫通力、その脅威は微塵も衰えていない。

 そんな流の分析が的を射ていると告げているのか、まるで答え合わせをするかのように不可視だった蠢く肉の触手刃が白紙に滲むインクのように露わになる。


(再生速度の低下はベッカーさんがダメージを与えたからだけじゃ無かった、あの戦いの中でも俺達に気付かれないよう作り直してたんだ。でも、あの光学迷彩みたいな隠し方は魔法?)


 だが、魔法による不可視かであればフォルティナとベッカーが気付くはず。異能の力であるのなら異形だろうと眼に銀の輝きが灯る。あとは魔法具として最初から持っている機能が考えられるのだが……


(人や動物の身体に取り憑いて思い通りに操ったり造り変える、魔力を奪って自由に使う事が出来る。肉体の一部、もしくは全部を透明化する事も出来る。全部この眼で視たけど……本当に出来るものなのかな)


 多目的作業型の大型機械であれば様々な機能を積み込む事が出来る。だが、『未完魔律調整体』には表だって役割を持つような部位や器官は見られない。魔力を奪う機能も先に戦っていたベッカーから、触手刃がそういった効果を持っているとしか聞けていないのだ。

 眼に見えない箇所、つまり体内に肉体を不可視化する器官がある……と考えたい流だったが、その表情は自身が出した答えを飲み込めていないものだった。


「っ!?」


 造り出した風の刀剣が持つ突進力を持って『未完魔律調整体』を押し出し続けていた流だったが、空中という不安定な場でありながら喰らい続ける風の刀剣にさえ構う事無く迫る触手刃を捉える。

 流は突き出していた右掌に留まっている風球を推し放ち『未完魔律調整体』を吹き飛ばし、迫る触手刃から逃れ地面を滑る様に着地し体勢を整えた。


(もっと離れたかったけど……流石に黙っててくれないよね)


 風刃夙砲によって引き離せた距離は凡そ二百メートル弱、輪外者であれば目視可能な距離であり数秒もあれば踏破できる。出来るなら倍の距離をかせぎたかった所ではあるが、流は焦ること無く前を見据え『未完魔律調整体』に与えた傷に眼を向ける。


(……傷の再生速度が元に戻らない、ベッカーさんから魔力を奪ってない? もしくは新しい触手刃は魔力を奪う力が無かった?)


 ベッカーによって刻まれた傷はあと少しで完全に塞がるようだが、流によって与えられた傷は殆ど治し切れていない。喉から胸元に駆けて風が爆ぜた傷に、風の刀剣が突き刺さった前腕にも多くの深い刺し傷が残っている。


(それとも魔力を奪って無いふりをして油断を誘ってるのかもしれない。俺も魔力を感じ取れたら、罠なのか攻めどきなのか判断できたのに……)


 身体の一部を不可視化する異能に関しては何時でも使えるという前提で動くにしても、魔力に余裕を残しているのだとしたら自分だけでは迂闊に攻められない。魔法に対する理解が十分というには程遠い、魔法具に関する知識も足りない。それがどれだけ不利に働くのか、この戦いで痛いほど突きつけ――


(そんな事もう分かってる。出来なかった事を考えるな、しなきゃいけない事を考えろ!)


 決定的なダメージは無い、体力も異能の発動限界もまだ余裕は残っている。戦い方もベッカーのお陰で見る事が出来た。魔力の簒奪、肉体改造、再生能力、肉体の不可視化……他にも隠している力があるかも知れない事を念頭にいれて戦う。


(思い出すんだ、名無に教えられた事を)


 ――敵の攻撃に対して防ぐ、避ける、受け流す、逸らすと考えるだけじゃない――


        ――その攻撃の姿や動作そのものにも眼を向ける――

  ――武器の持ち方から腕の動かし方、踏み出す足先の方向や重心の位置――


               ――攻撃手段の流れや癖に視線、視点の変化――


       ――戦いの中で起こる全ての事柄を細分化――

                   

  ――一つの動作に対して考えを巡らせ思いつく限りの工程を頭の中で常に想像――


 ――自分の行動を細分化して如何に相手に手の内を見せないか――

    

        ――見せる事で不必要な選択肢を押しつけられるか出来る様にする――


            ――『風製製統』の使い方――


――風属性魔法の使い手であれば――姿が見えない敵を捕らえる事が出来る――


 脳内に甦る名無の言葉を思い浮かべ、自身が見たベッカーと『未完魔律調整体』との戦いから得た情報をかみ砕き重ね合わせる。

 今の自分に足りないものを補う為の術を一つ、また一つ組み上げる為に。


 ――ふぅ


 強ばる身体から力を抜く小さな呼気、強ばりが消えると同時に流の癖の無い黒髪がふわりと逆立ち彼の身体を蜃気楼のように揺らめく風が包み込む。

 それは組み上げたばかりの、どれだけ効果があるかも未知数な――それでも勝利をつかみ取る為に流が『風製製統』で生み出した新たな(すべ)


(ぶっつけ本番も良い所だ……けど、ベッカーさんみたいに死角を補うにはコレしか無い)


 それは自身の身体を軸に造り上げた半径一メートル程の風の層。直接的な攻撃力も防御力もない纏ったソレは、風の層に異物が入り込んだ瞬間にその位置を察知するだけのもの。たったそれだけの効果しかない。応用性があるとすればよりスムーズに風を使った高速移動を行えるであろう点だ……が、輪外者であり『風製製統』の所持者として戦ってきた流にとって勝利を固める方法として間違いなく助けとなるものだった。


(あとはこいつを仕留める方法だけど……もう手の内はバレてるんだし、やるだけだ)


 流は右手に風を圧縮し刀を模した風の刃を握りしめ、風刃夙砲を左手に待機させる。


(名無が援護にくるまで耐えるなんて甘い考えは捨てろ)


 きっと今頃はフォルティナがベッカーを連れて名無の元へ向かっているはず。ティニーやグノー、名無が治療にあたるはず。治癒魔法の扱いが難しいことはフォルティナから直に聞いた。

 あれだけの傷を直ぐに治せるとは思えない、それに治療の最中に他にもいるかもしれない敵の奇襲に備えなくてはならない状況下では名無も動こうにも動けないだろう。


『――――』


 何より目の前で触手刃を縒り余裕を漂わせる怪物を二人から引き離すと決めた時、決意したのだから。


「お前は此処で倒す、何が何でも」




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ