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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    来る刻限(3)


 それは明確な変化。

 『未完魔律調整体(フラグメント・レプリツク)』との熾烈極まる戦いは流達三人がかりでも劣勢を強いられるものだった……しかし、その劣勢はベッカーの異能によって拮抗へと持ち込まれる。


「……っ……」


 息を飲む流の眼に映るのは、自分と同じ銀の双眸を発露させたベッカーの卓越した剣技。

 命を刈りとらんと襲いかかってくる触手刃への対応に変化は無い――が、動きその物の質が劇的に向上している事が分かる。自身の身に迫る凶刃を弾き、受け流し、躱す。その一つ一つの動作に必要以上の大きな動きを強要され、余裕を奪われる守り一辺倒の展開だった。

 それが異能を発動させた今は、それら全ての動きが最適化されたように必要最小限の動作によって成されていた。中でも流が目をみはったのは触手刃に対処するベッカーの剣の扱い方である。

 軌道が読みづらかった鞭を思わせる軌道も、全く正反対である無駄の無い異常なまでの直線的な軌道も難なく受け流している、それも手にしている剣の剣尖から剣刃全体を使って。


 異能の発動前では武器が破壊される恐れがあっても、強引に軌道を変化させなければならなず弾く事の方が多かった。上手く受け流せる場面もあったが、今までの受け流しは一瞬の受け止めから起こしていたものだったが、異能を発動させた事で剣尖とい僅かでも刃と刃を接触させる角度を誤れば壊れてしまう箇所で岩どころか鉄さえ容易に破壊する事の出来る威力が込められた触手刃の力の流れに添い、円滑に刃と刃を滑らせ切り払っている。

 重ねられる剣撃が織りなす甲高い金切り音と咲き散る火花とは裏腹に流の眼に映るベッカーの剣の冴えは静かに、刃が交わる度に洗練され研ぎ澄まされていく。


「ナガレ殿、戦いはまだ終わっていないぞ…………君はフォルティナと支援に回ってくれ。先ほどのように不意をうって魔法を放ってくるやもしれん、二人であれば多重的に発動された魔法にも対応出来る」


「!」


 目の前で繰り広げられる激しさを増す戦いと異能の発動によって高められるベッカーの剣技に言葉を失っていた流だったが、ベッカーの言葉にハッと眼を見開き座り込むフォルティナの元へと駆ける。

 流の放心、フォルティナの停滞。どちらも『未完魔律調整体』との戦いにおいて致命的な隙ではあったが、異能を発動させたベッカーの力を脅威だと判断したのだろう。『未完魔律調整体』の攻撃はベッカーに集中しており、魔法による追撃の気配も無かった。

 とは言ってもベッカーの言うように不意を突かれる可能性は決して消えない。ベッカーの指示で自身が戦場に身を置いている事を思い出した流は、死角からの攻撃に最大限の警戒を維持しつつ座り込むフォルティナの元へと辿り着き――


「どうして……どう、してっ」


 座り込むフォルティナを直ぐに立ち上がらせなければと手を貸そうとした流だったが、フォルティナの視線はベッカーと『未完魔律調整体』の戦いに注がれている。それも悲痛に声を震わせ、今にも涙が溢れ出てしまいそうな表情を浮かべて……。

 そんな初めて見るフォルティナの弱々しい姿に躊躇ってしまう流。だが、状況はそれを許さない。

 ベッカーが『未完魔律調整体』の注意を引きつけてくれているとは言え、触手刃や魔法による死角からの攻撃を受ける可能性が消えたわけでは無い。動きを止める事は流達にとって悪手でしか無いのだ。

 流は頭を振って躊躇い振りほどき両手をフォルティナの肩におき、フォルティナの意識を自分に向ける。


「しっかりして、フォルティナさん!」


「ナガ、レ……」


 強く肩を揺らされ流の叱咤する声で、フォルティナは漸くといった様子でその瞳に流を映す。


「俺にはどうしてフォルティナさんが取り乱してるのは分からない。だけどベッカーさんが相手の動きを見切る異能を使ったことでやっと勝ち目が見えてきた、俺達もすぐにベッカーさんを援護しないと――」


「駄目っ! 駄目なの、援護はしないで!!」


 魔法による攻撃や牽制は『未完魔律調整体』には意味が無い、援護に入る事が出来るのは異能による魔法に劣らない火力を引き出せる流だけ。流であれば近接戦闘でも手助けすることは出来るだろうが、ベッカーが卓越した剣技でもって戦いの流れを掴み始まっている中では下手な手出しは横やりにしかならないだろう。

 ならば必然的に流の『風製製統(エア・クラフト)』による援護射撃を軸に、援護の際に隙を晒してしまうかも知れない流をフォルティナが護る構図になる。唯一の攻撃手段であった武具を破壊され、万全とは言えない状態ではあるが回避や防御をフォルティナに任せることで少なからず流に余裕が出来る。逆に攻撃よりも守りに比重を置くことになるフォルティナにも同じ事が言える。

 攻撃と防御。互いに役割を分担、離れた位置からベッカー達の戦いを目視し狙撃手と観測手のようなに戦いへ貢献することは十分に可能だ。

 だと言うのに、フォルティナは悲鳴にも似た声で制止の声を上げる。


「援護しないでって、何でっ!」


「父さんの異能はあんたが考えてるような単純なものじゃ無いのよ!」


 自分の肩に置かれている流の両手を押しのけ、今度はフォルティナの両手が流の肩を掴む。それも薄い掌から伸びるか細い指先には不釣り合いなほどの強い力で、まるで突き刺ささっているかのように食い込む程に。


「父さんの『分操俯瞰(アウト・シユトイアー)』は自我を肉体と精神から切り離して自分自身を人形のように動かす異能なの!」


「自我を……どういう……??」


「言葉通りよ。今の父さんは痛みや温度の変化が分からない――身体の感覚だけじゃない、感情だって合ってないようなものなの」


「なに、それ……何の為に?」


「言ったでしょ……人形のように動かすってっ」


「……まさか……」


 ベッカーの異能を紐解く言葉と共にフォルティナの眼からは、もう隠すことが出来ない涙が溢れ出る。その涙に流はベッカーの異能が自分が予想していた相手の攻撃を見切る類いの能力では無い事を漸く理解した。

 『未完魔律調整体』の振るう攻撃の凄まじい威力、捉えがたい速度、多彩な軌道変化を完全に見切り捌ききる様は『分操俯瞰』の効果がどのような力なのか確信させるだけの説得力を有している。だが、それでも反応しきれないはずの攻撃も難なく対応していたのだ。

 それはベッカーの眼では見えない、視界の外から穿たれた死角からの攻撃。

 強化魔法によって身体能力を強化しても戦闘開始時よりを上回る出力向上は見込めない、だからこそベッカーは『分操俯瞰』の行使に踏み切り『未完魔律調整体』と互角以上の戦いに持ち込む事が出来ている。


 ベッカーの不可解な反応速度と戦闘能力の向上、フォルティナによる簡略ながらも悲愴に満ちた異能の開示。そこから考えられる『分操俯瞰』の効果は単なる視力の強化では無く、俯瞰する意識による自身の操作。

 今のベッカーは精神乖離の一種、解離性障害の症例の中で自分の身体から離れて別の場所から自分の身体を見ている様な感覚。体外離脱のような症状下で戦っているのだろう。

 分かりやすい例えで言えば画面の向こう側に用意された自分の分身(アバター)を操って様々な仮想体験を味わうことが出来るゲーム操作その物。どれだけ肉体を傷つけられHPを減らされてようとも何の影響も無く十全な動きが出来る、命を落としたとしても直ぐに何事も無くやり直すことが出来る。

 ゲームのシナリオ、敵キャラの悍ましいデザイン、戦闘の際の死に直結するような演出。仮想と現実、その確固たる線引きがあるが故に一種の恐怖体験と認識してしまうからこそ、現実として味わう痛みや恐怖という負の感情に支配され身が震えることも、竦むこともない。

 その結果、ベッカーは『分操俯瞰』によって肉体や精神が受け取り発信する自身の異常を顧みること無く己の潜在能力を本当の意味で使えてしまえる状態にあると言うこと。それは同時に異能が保有する反動もまた悪辣である事を示してしまっていた。


「人形のようにって……そういうこと?」


 『分操俯瞰』の反動について既に見当が付いてしまっている。それでも流は自身が導き出してしまった答えは間違いであると、違っていて欲しいすがるように強ばる口で縋る言葉を溢す。


「思い出が、感情が何なのかはちゃんと理解してる……でも、でもソレが自分の事だって、自分のモノだって実感出来なくなってきてたの」


 だが、フォルティナから返ってきたのは肯定の言葉。 


「っ! すぐに能力を――」


「無理なの……一度発動させたら、父さんの意思は関係ない。発動した時、敵と認識した相手を排除するまで止められない。この戦いが終わるまでは……」


「そんな……」


 流が辿り着いた答えを誰よりも否定したい彼女が、誰よりも父に精神的な死が迫っている事をしり、その現実を変えたかった彼女が口にした言葉に流は遂に言葉を失い口を噤み止まる事の無いフォルティナの涙に言葉を失う事しか出来なかった。

 そして、


「漸く、一矢報いたな」


 その一言と共に響いた重い鈍音が聞こえた流は激しい剣戟の残響が嘘のように静まりかえった事に気付き、互いに制止するベッカーと『未完魔律調整体』を見遣る。

 彼の眼に映るのは散々苦しめられた触手刃が主である『未完魔律調整体』か切り落とされた光景。それを成し遂げたベッカーが剣を構え続ける背中が、明確な言葉にするまでも無く戦況が好転した事を物語っていた。

 ――そんな戦況好転の立役者であるベッカーの後ろ姿に、ゾクリと背筋に震えが走るの確かに流は感じた。


(……このままじゃ……)


 この感覚を自分は知っている、そう何度も体験した事の無い――したくなんかない感覚。寒くなんて無いのに、怖くも無いのに、氷とは比べものにならない纏わり付く鋭利な冷たさは後悔に塗れる前触れ。

 


 ――『強化獣種』討伐の任務で別行動を取ることになった友達が死んでしまった時



 ――戦闘中、避難誘導が不十分で民間人に犠牲者が出てしまった時



 ――逃げる事が出来ない状況下で、圧倒的に不利な戦いを強いられた時



 何時だって助けられたかもしれない、避けられたかもしれない『もしかしたら』を考えられずにはいられない苦渋の結末が迫る報せ。

 『分操俯瞰』の反動によって齎される自我の完全なる乖離を防ぐ方法として一番手っ取り早いのは異能の解除。しかし、敵を打ち倒すまで止めることが出来ない厄介極まりない制約がある以上、それは叶わない。一刻も早く戦いを終わらせる為に援護に入ろうにも俯瞰する意識に入り込んでしまう情報量によって、ベッカーに強いられる反動が強まってしまっても意味が無い。かといって、このまま見ているだけでも戦闘が長引きベッカーの自我が希薄になっていく一方。


 異能の解除の出来る出来ないを模索する以前に、『未完魔律調整体』に勝つ為には『分操俯瞰』による恩恵が必要不可欠……。

 戦いの中で明るみに出たベッカーの精神乖離という猶予の無いもう一つの戦いに、流は眉間に皺を寄せ強ばった顔に大粒の汗を幾つも浮かび上がらせる。その汗がポタポタと流れ落ちる様は、差し迫るタイムリミットを前に流に打てる手立てが無い事をまざまざと示していた。




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