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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第五章 深森教示
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    来る刻限(2)


 ――けたたましく脈打つ心臓の鼓動が、息を求め動く肺の悲鳴が、剣を握る手に響く衝撃が、肉体の感覚が薄れていく。その一方で思考は漣一つ立たない水面のように静かで鮮明に、視界は自分では無いナニモノかの視点へと俯瞰される。

 慣れ親しんだ、とは言わない。

 そう言える程にこの力を行使したことは無い、これまでの人生において『分操俯瞰(アウト・シユトイアー)』を使った回数は片手で数えられる程度。それ程までにこの異能は自身にとって切り札で有り、同時に切ってはならない禁じ手。

 一度『分操俯瞰』を発動させれば自身の潜在能力以上の力を引き出すことが出来る。しかし、それは前回まで。この戦いにおける異能によって受ける恩恵は精々全盛期の力を維持できると言った所だろうか。

 この異能を発動することによって鮮明に、静謐に冴える思考がそれを告げている。









 ――大丈夫だ、心配はいらない









 言葉とは裏腹の事実を知られてから口する度に娘の顔を怒りで、悲しみで歪ませてしまった事をはっきりと覚えている。だが、雌雄を決し勝利を引き寄せる為に、『分操俯瞰』を用いた戦いはどれもが苛烈なものだった。









 ――大丈夫だ、心配はいらない









 使えばたった一人の家族を苦しませる事になると分かってはいても、使わなくては生き残れない現実を覆すには己では力不足だった。それでも今があるのは、死に時を、死に方を選べるのはこの力を授かる事が出来たからに他ならない。









 ――大丈夫だ、心配はいらない


 そう嘯く度に娘から希望を刈り取ってきたのだろう、どれだけ絶望を押しつけてきたのだろう。否が応でも進み続けてきた父の姿に苦悩し続けていたのだろう。


 ――大丈夫だ、心配はいらない


 この言葉が虚飾でなかったなら、娘を泣かせる事は無かった。

 誤魔化す事無く秘めた事実を打ち明けていたとしても、きっと娘を苦しませる『今』は変わらなかったに違いない。

 残すのでは無く託す事を選び、無様だろうと生き足掻いていたなら結末は少しだけマシになったかも知れない……そんな確信は今更だ。





 遅かった、遅かったのだ。

 




 もっと早く気づけていたら――


 もっと早く曝け出していたら――


 もっと弱さと向き合えていたなら――――その答えも『今』ここに在るのだろう。


 コレは果たして性根を据えた己が出した答えだろうか?

 それとも感情の有さない物として淡々と出した答えなのだろうか?























 ――それを知る事が出来たのなら、悔いは無い。






















(あの眼は能力発動の? ベッカーさんも俺達と同じ……でも、あの雰囲気は……?)


 筋繊維がむき出す悍ましく強靱な触手刃のみで自分達を追い詰めてくる『未完魔律調整体(テスタメント・レプリツク)』の攻撃を大きく躱しざるおえない状況下で、流は同じ窮地に立っているベッカーの異変に気付く。

 異変とはいっても流の眼に映る光景に大きな変化は無い、あるのはベッカーの眼が自分と同じ銀色の輝きを宿した事だけ。それ以外に視界から得られる情報は無い。


(いったいどんな能力なんだろう、異能を使ったからにはこの不利な状況を押し返せるかもしれないかもだけど――)


「どうして使ったのよっ!?」


「っ!」


 ピリピリとした緊張に満たされる命のやり取りの中で、その声は止まない雨を連想させる勢いの触手刃の鋭さよりも鋭利に戦場を斬り響く。それでも流達の動きは止まる事無く淀みなく自分の身に迫る触手刃を躱し、逸らし、弾き続ける。

 だが、鋭声を震わせたフォルティナの顔は流が見る事が出来たフォルティナの表情の中で最も怒りに満ちていて、見間違える事の無い悲しみが浮かび上がり、何よりも焦燥に追い立てられた曇りきった顔色。

 『未完魔律調整体』の脅威を目の当たりにしても、我が身に降りかかっていても見せる事の無かった戦場には不釣り合いな一人の少女としての破顔。その尋常ではないフォルティナの様子に息を詰ませるが、同時に裂けんばかりに眼を見開き声を上げる。


「フォルティナさん! 足下っ!!」


「っ! ――しまっ」


 『未完魔律調整体』の攻撃を捌き、凌ぐ事で作る事の出来るほんの僅かな猶予。一呼吸入れる程の時間で自分以外の状況を確認する事が出来てはいたが、胸の内で抑えきれななかった感情を言葉に、声に出してしまった事でその猶予だけでは足りない停滞を生んでしまったフォルティナ。

 頭上、正面と眼で捉えられるよう立ち回っていたが作ってしまった手痛い隙が一瞬とは言えフォルティナの判断能力を鈍らせ触手刃の動きを見誤らせてしまう。絶えず見据えていたはずの凶刃な切っ先はフォルティナの足下、一歩踏み出す歩幅もない近距離で頭を隠すかのようにその矛先を埋もれさせている。

 流の言葉に咄嗟にレイピアを構えるフォルティナ。

 次の瞬間、フォルティナの足下が爆ぜ埋もれていた触手刃が土砂をまき散らしながら彼女の心臓を穿とうと飛び出る。


「ぅくっ!」


 耳を劈く金属音はそのまま触手刃の威力を物語り、細身の刀身は受け止めた衝撃に軋み悲鳴をあげる。魔力で強化されていなければ瞬く間に折れていたに違いないが、魔力で強化されてはいても一時凌ぎ。

 接触している刃がレイピアが纏う魔力を奪い刀身に亀裂を生み出す。


「っ!!」


 凶刃を受け止める刀身に亀裂が奔り今にも砕けようとしている様に身を捻りながらその場を飛び退くフォルティナ。その刹那、フォルティナのレイピアが砕け散る。

 だが、砕かれながらも稼いだ時間は確かにフォルティナが触手刃から逃れるだけの間となった。


(今のうちに体勢を!)


 一歩、二歩と大きく飛び退き一瞬の隙によって詰められた距離を取り直すフォルティナ。幸運にも無傷で凌ぎきる事は出来たものの、これでフォルティナは『未完魔律調整体』に対する攻撃手段を失ったに等しい状態だ。

 今、確認できている限り魔力を奪う力があるのは触手刃だけ。しかし、『未完魔律調整体』の剥き出しの血肉の肉体は皮膚こそ有してはいないが、魔法による強化を施しているとは言え武器も無しにフォルティナの細腕だけでで傷を負わせるのほぼ不可能である。

 それは誰よりもフォルティナが理解しており、今の彼女には『未完魔律調整体』の注意を引きつけつつ間合いを維持する以外に手は無い。

 だが、


「フォルティナさんっ!!」


 その流の再度の呼びかけがフォルティナの脱落を明示していた。

 愛用する武器を犠牲に身を守り、『未完魔律調整体』の持つ致命的な間合いからの逃れる事が出来た。未知なる欄外の化け物を相手に得る事が出来た明確な戦果――それでも足りない。

 フォルティナの背後には煌々と輝く赤い魔法陣が流の呼びかけよりも前に浮かび上がっていた。詠唱は皆無、属性は火、魔法陣は既に形を成し、残るは魔力を燃料に精霊という超常の存在と共に汲み上げた己が敵を焼き尽くす業火の産声のみ。

 流の言葉に振り向く中で視界の端に漸く魔法陣が入り込んだ時、赤灼の輝きは暴力的な熱量と共に解き放たれ――フォルティナの視界は瞬く間に漆黒で埋め尽くされる。


「――――っ――――」


 突きつけられた最後の瞬間、襲い掛かるはずだった赤灼の熱は来ない。瞬きの間も無い一瞬であろうと知覚するはずだった痛みも無い。額に、頬に、背筋に冷や汗を掻きながらも自身が思い描いた絶命の欠如に戸惑い息を飲むフォルティナ。

 彼女に届くのは漆黒の向こうで唸り燃え盛る炎熱の轟音、赤い瞳に映るのは変わらず黒い何か――それはフォルティナと火属性魔法を隔てる土の障壁。フォルティナの足下には鈍く光り輝く魔法陣が浮かび上がっており、放たれた高火力の魔法を見事に防ぎきっていた。

 だが、この無詠唱の土属性魔法はフォルティナが放ったものではない。


「気をしっかり持つのだ、フォルティナ」


 この場でフォルティナを護る為の魔法を放つことが出来るのはたった一人、ベッカーのみ。しかし、それはベッカーが自分の身よりもフォルティナを優先したことに他ならない。『未完魔律調整体』本体が動くこと無く、尾骶骨からは伸びる三叉矛の触手刃。その内の一本だけで押されていた状況下で他者への援護は致命的な隙、その緩みは瞬く間にベッカーの身をズタズタにするには充分過ぎる。


「ベッカーさん……」


 その事を分かっていながら娘を護る為の選択をした父の、誰もが責める事の出来ない慈愛の末の惨たらしく傷ついたベッカーの姿を思い浮かべ眼を向ける流。


「ナガレ殿も気を抜くな」


 しかし、流が思い描いたは血まみれの想像は現実にはならなかった。

 流の眼に飛び込んできたのは血にまみれ、それでも気丈に剣を握り纏う敗色に抗うベッカーでは無い。


【――――】


「やはり援護の隙を突いてきたな。だが、前もって身構えていれば如何に脅威だろうとも対処は可能」


 自身に襲いかかる『三本』の凶刃を切り払い、躱し、あろうことか間合いを詰め本体である『未完魔律調整体』の肉体を切り裂き再び『未完魔律調整体』の攻撃を凌ぐ姿。

 たった一本の触手刃に対処するだけで精一杯だったはずだったというのに、ベッカーはつい先ほどまでとはうって変わり息すら荒げていない。其れ処か敗北へと傾いていた戦況を互角……むしろ押し返すほどの力を振るっていた。

 これには流も状況を飲み込みきれず、既に『未完魔律調整体』の攻撃目標が自分からベッカーへと切り替わっていることさえ気付けていない。


「ナガレ殿、戦いはまだ終わっていないぞ」


 そんな流を置き去りにするかのようにベッカーは『未完魔律調整体』との戦いに身を投じ続ける。

 その身に降りかかる凶刃は手数を増やし、攻撃の密度をあげ、より悪辣に彼の命を刈りとろうと禍々しい鋭刃が宙を奔り迫る。だが、そのどれもがベッカー振るう剣によって迎撃されていく。

 一合、二合、三合、四合、五合――止めどなく繰り出される刺突攻撃を一つ一つ確実に切り払っていくベッカー。一息に五は優に斬り合い、次の瞬間には倍ほどの金切り音と火花が大気を飾り幾度となく繰り返される。

 一種の膠着状態に陥ったのは数秒。

 切り払われた触手は主の手管に寄って今度はベッカーの頭上へと登り立ち、その軟体からは考えられない鋭角を描いて獲物へと穂先を捻り向ける。これまでの戦いで見せたしなり、たわみ、攻撃の軌道を見誤らせる鞭のような動きでは無い。伸縮自在の触手の中に軌道を変える起点を作りだし曲線を伴わない最短のみを追求した軌道変化。

 そこから繰り出される刺突の雨は淀みなくベッカーへと降り注ぐ。


「ナガレ殿、君はフォルティナと支援に回ってくれ。先ほどのように不意をうって魔法を放ってくるやもしれん、二人であれば多重的に発動された魔法にも対応出来る」


 しかし、自分以外の者に意識を割く事が死に直結すると分かっているはずなのに、全く意に介さず流に指示を飛ばすベッカー。

 その合間にも自身に降り注ぐ死の雨は止まらない。それでもベッカーは頭上からの一撃一撃を迅速にかつ的確に受け流し、流麗な舞を思わせる足捌きで躱しきり――時計回りに回転し自身の背に迫っていた地中からの凶悪な一撃すら難なく切り払う。


「死角からの攻撃は既に二度、三度目ともなれば些か芸が無いな」


 一度目は地中に潜り込ませた触手刃の背後からの、二度目はフォルティナの足下から。そして三度目はベッカーの足が止まった一瞬の停滞に合わせた完全な死角からの奇襲。

 全てを見通しているかのように止まる事の無い『未完魔律調整体』の攻撃をベッカーは弾き、逸らし、躱し、弾き、予め互いの動きが決まった型を演じる錯覚さえ覚える動きは更に加速しベッカーと『未完魔律調整体』との間合いが一気に縮まる。

 そして一人と一体の姿が交叉した瞬間、『ザシュッ』と濁った剣撃の音が響き、これまで鳴り止むことの無かったけたたましい金属音と鈍重な破砕音が途絶え、


「漸く、一矢報いたな」


 発せられた言葉とは裏腹に何の感慨深さも込められていない呟きと共に、猛威を振るっていた三本の触手刃は根本付近から断ち切られ地に転がっていた。


【――――】

 

その光景を前にしても『未完魔律調整体』は微動だにせず切り飛ばされた部位の再生に取りかかっていた。しかし、傷口の再生は思いの外遅く切別れた凶悪な刃が形作られる様子はない。


(ナガレ殿とフォルティナに魔法を使った事で肉体の再生に回せる魔力が足りなくなったか、それとも我の気を緩ませる為の誘いか。どちらにせよやる事はかわらんな)

 

状況は確実にベッカーにとって好転した……しかし、左半身を前に出し中段で剣を構え『未完魔律調整体』を見据えるベッカーに笑みは無い。戦況が優性になった事への安堵も、勝機への手応えに対する希望を見出した意味でも。


「時間は掛かるだろうが、このまま押し切らせてもらおう」

 

あるのは冷静を通り越した異様な落ち着き……いや、落ち着きとい静の感情さえ沈みきった漂白された熱の無い表情。異能を発動させる前と後ではまるで違うベッカーの佇まいは、『未完魔律調整体』とはまた別種の異形じみたナニカだった。





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