09 来る刻限(1)
大気が爆ぜる衝撃、地深く揺るがす振動、深域全てに届く衝突の音叉。
三人と一体のぶつかり合いは、これまでのやり取りが小競り合いに見える規模にまで膨れ上がった。そこに魔法による高威力、広範囲の撃ち合いはない。
フォルティナとベッカーは持てる魔力のリソースを全て肉体、手にする武器の強化に充て。流は異能の全力発動によって異形の兵器に相対する。
フォルティナ達と『未完魔律調整体』の間で交わされる刃の応酬、生じる剣圧は嵐となり周囲にあったはずの木々を一本残らず切り飛ばす。生半可な力の持ち主では視認も困難な速度、両者の間に割って入ろうとすれば瞬く間に惨たらしい肉の細切れへと化してしまうだろう。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!!」
そんな高領域の戦いの中でも、流は遅れること無く自身の持つ最大火力『風刃夙砲』を『未完魔律調整体』へと放つ。
しかし、
【――――】
『未完魔律調整体』は悪辣な進化を果たした事で形作られた三本の三叉矛でフォルティナとベッカーの剣撃をいなしながら、言葉を発するかのように眼球を不気味に泳がせ自身と流の間に翡翠色の魔法陣を瞬く間に描く。
「――ッ!?」
『未完魔律調整体』が放った魔法は風属性魔法、その魔法に流は驚愕に眼を見開く。
流の眼に映ったのは自分の突き出した右手と全く同じ乱回転する風球、それが魔法陣から形作られた光景。既に放った異能は止められず、流と『未完魔律調整体』の風球が接触。
次の瞬間、一人と一体を中心に暴風が吹き荒れ風には似つかわしくない耳を劈く金切り音が大音響を奏で叫ぶ。
だが、同じ風球を創り出しただけに留まらず、今度は乱回転する風球を指針に形作られた風の刀剣達が激突する――それも寸分違わず同じ威力、同じ軌道で。
「ぐぅっ!」
ぶつかり合う異能と魔法、異なる根源を持って拮抗する同一の斬嵐。
絶え間なく起こる衝撃波に耐えることが出来ず流は吹き飛ばされ、フォルティナとベッカーも強制的に『未完魔律調整体』から引き離される。
【――――】
距離の確保は戦況を仕切り直すきっかけになる要因ではあったが『未完魔律調整体』はそれを許さず、追撃の手を伸ばす。
「――」
いち早く体勢を整えた流に迫るのは『未完魔律調整体』の尾骶骨から伸びる三本の触手に備え付けられた三叉矛の内の一本。迫る姿は音無く獲物を飲み込まんとする地を這う大蛇の如く、何の抵抗も受けずに曲線の軌道を描いているというのに今まで交わされた剣撃のどれよりも迅い。
流が体勢を整えた瞬間、放たれた三叉矛は既に彼の眼前。
迎撃――間に合わない、防御――強度が足りない、回避――避けきれない。
その中で流が選び取ったのは回避。
『風製製統』発動状態と言えど森を形作り深く根付いた木々を容易く切り飛ばせる一撃が目前に迫る中で、瞬きの間も無い一瞬でそれだけの威力を持った風は作れない。防御も同じく、仮に防御を選べば矛先の接触と同時に苦も無く突破され肉の塊へと変えられるだろう。残る回避も完璧では無い、だが僅かでも刃の軌道を逸らす事は出来る。
首を右に傾け、同時に風による触手の機動を阻害し矛先を可能な限り自身の肉体から逸らす。
輪外者としての身体能力、『強化獣種』との戦闘経験、異能の的確な使用。手にしたもの、培ってきたもの全てを持って決死の一撃を躱す事に成功する流。
――――ビシャッ!
「ッぅ!?」
物理的な回避をやってのけたとは言っても、その刺突が纏い放っていた風圧までは防ぎきれない。流の左頬に深い裂傷が刻まれ夥しい鮮血が奔り飛ぶ。しかし、これで追撃は終わらず次に流に襲いかかるのは鞭よりしなやかに軌道修正され蛇腹剣よりも重厚な触手刃による頭上からの連続攻撃。
流が躱す事で代わりに穿たれれる地面には禍々しい刃と、木々を軽々と切り飛ばす威力が込められている攻撃に見合わない鈍く思いの外小さい衝突音。その狙い澄まされた一撃一撃は何の無駄なく収束された一点貫通の刺突。
地面を抉り土煙と爆散する光景が作られることは無く、流を追う様に深く暗い穴だけが淡々と出来上がっていくだけ。直径で優に六十センチはあるであろう孔はその輪郭を崩すこと無く穿たれており底が見えない。
最小限の動きで躱せば浅くない傷を負う、その事実に流の動きは必然的に大きくなり最早開拓地同然となってしまった戦場を広く使うほか無かった。
そしてそれはフォルティナとベッカーも同様である。
強化魔法で肉体と武器強度を底上げしている二人でも、『未完魔律調整体』の尾である触手刃に押さえ込まれてしまっている状況だった。
掠り傷こそあるものの、それは肉体にでは無く衣服のみ。魔力を吸収される比率は生身に比べれば注視するほどでも無い……が、フォルティナ達が追い込まれている事を示す。
「どう、なってるのよ――こいつッ!?」
「ぬぅっ!!」
流の『風刃夙砲』の直撃を受けて再生を終え立ち上がるまでは不利ではあっても余裕はある……甘く見積もっても力関係は拮抗していた。それが今ではフォルティナ、ベッカーも流と同じく一本の触手刃と互角という状況。
つい先ほどまでとは違いすぎる『未完魔律調整体』の戦闘能力に流は自身を追い立てる触手刃の攻撃を躱しながら、降って湧いた困惑にたして思考を高速化させる。
(……まいったな、こんな簡単に形勢を傾けられるなんて)
自分が使える最大火力、とまでは行かなくても七割近い出力で必殺の一撃で確かにダメージを与えられた時の『未完魔律調整体』とは明らかに違う。
時間はそう経っていない、なのに……
(たった一回、一回見ただけで俺の切り札を再現された。魔法なら同じような事が出来るかもって思ってたけど、こんな簡単に……)
魔法の持つ多様性の凄みは理解していたつもりだったが、それが本当につもりだったと最悪の形で突きつけられた。しかも、こっちには回数制限がある。向こうがフォルティナとベッカーから魔力を奪い魔法を使える事を考えれば圧倒的に不利。
(何か打開策を考えないと、俺達の中で誰か一人でもやられたら終わっちゃう!!)
戦闘技能の向上、魔法による能力の再現。何よりその根底にある学習能力の高さ……明らかな劣勢に歯がみする流。フォルティナも決定的な傷は負っていないものの流と同じ考えなのだろう、『未完魔律調整体』との攻防は守りの比率が増えてきていた。
残るベッカーは―
(この急激な戦闘技能の向上、見せつけるような魔法によるナガレ殿の異能の模倣――変化が一偏すぎる。これは学習能力の高さの成せる域を越えている)
加減されている可能性も無くはない。しかし、こちらの殲滅が目的である以上、魔法具の性能から判断しても魔法具の行動概念は効率を念頭に作り上げられたもののはず。それがナガレに力の差を見せつけるかように魔法を放つという人間味を戦闘の中だけで学び得るだろうか。
(全くあり得ない話では無いが……やはり『視られている』と考えた方が納得がいくか)
刃と刃が激突し火花が散り、大気が震え一瞬の隙が命へと直結する斬り合いのが続く中でも冷静さを失うこと無く『未完魔律調整体』に起きた進化――にでは無く、兵器に見合わぬ人間性を捉えていた。
(戦闘技能の向上も恐らく我と同系統の異能によるもの。魔法に関しても己の肉体でなくとも十全に使用できる力量……実力はこの場の誰よりも上、もしかすればナナキ殿さえ上回るやもしれんな)
だが、『未完魔律調整体』のそのものの性能まで上昇したわけでは無い。著しい変化だけに眼を捕らわれず、変わっていない要素もベッカーは正確に捉えていた。
(フォルティナとナガレ殿のお陰で使わずに済むかとも考えたが――出し惜しみをしている場合では無いな)
フォルティアの呼びかけ、流の到着。一度は発動の機会を失ったベッカーの異能。
その異能を発動すれば進化前であれば勝利は堅く、進化後でも二人の援護があれば勝ち筋は充分。しかし、突如として獲得――いや、切り替わったと言うべき魔法具を相手に考えれば勝機を五分に持って行けるかどうか。
『未完魔律調整体』の猛攻に晒される中ベッカーはほんの一瞬だけ、その一瞬を噛みしめるように自身の眼に愛娘の姿を映す。
(しかと言葉を残しておきたかったが……不甲斐ない父ですまなかったな、フォルティナ)
自分と同じく死線に晒されている状況下では迂闊に声を掛けることは出来ない。
その声に気を取られ次の瞬間には悍ましい凶刃に華奢な身体が貫かれてしまうかもしれない。故にベッカーは笑みを浮かべた、誰の眼にも映らない一進一退の攻防の中で。
自身の終わりが避けられる諦観ではない、自身の終わりを持ってこの戦いを終わらせる覚悟を持って。
愛する娘を、苦楽を供にした仲間達を、そして新たに出会った信を託せる子供達を護る為に――
「『分操俯瞰』」
己が瞳に宿る銀の輝きが霞んで見えてしまう太陽のような温かな笑みを。




