静観の天秤(2)
(…………今の所こちらに仕掛けてくる気配は無し、か)
流、フォルティナ、ベッカーの三人がフォーエンの森林区域で『未完魔律調整体』と戦闘に入った頃、防衛拠点としての体制が整ったグノーの診療所で名無は敵の侵攻に備えていた。
勿論、侵攻に備えているのは名無だけでは無い。
診療所に集まった防衛戦力を担う者達も同じだ。敵勢力の索敵、侵攻妨害の為の結界、後方支援を含めた遠距離砲台、防衛戦を突破された際の白兵戦力……各々が与えられた役割を全うすべく鋭い視線を周囲に配り続け互いの死角を補い合っている。
その様子からも診療所を基点に整えた防衛戦を突破するのは容易なことでは無い。
しかし、
(此処からだと流達の状況は正確には分からない、優勢……とは言えないか)
マクスウェルの索敵範囲の外、所持している索敵系の異能の中にも流達の姿を完全に捉える事の出来るものは無い。無機物を除外し有機物を捉える『透形有視』では索敵範囲が足らずマクスウェルのセンサーよりも広範囲を視る事が出来る『熱視暗明』でも、その能力の性質上森に住む動物達の熱反応で正確さに問題がでる。
『虐殺継承』で高められている視力で距離や動きそのものを見切る事は出来ても、あくまで能力を高められただけの眼。これまでの戦闘経験から壁や障害物で遮られた向こう側の敵の気配を感じる事は出来ても、目視出来ない相手の動きを完全に把握する事など出来るはずも無い。
だからこそ眼以外の器官――聴力と魔力探知で得られる情報で流達の方が劣勢だと名無は判断した。
(聞き取れる音から流達の戦場は防衛拠点から大凡五キロ先か。魔力も広域、高威力の魔法を使用しているような高まりは感じられない。攻撃は……流を主体にベッカーさん達が援護に回っているのか? ベッカーさん達が使っている魔法は強化魔法のみのようだ。敵は――人間でも魔族でも無いな)
名無が感じ取っている魔力の反応は全部で三つ。
ベッカー、フォルティナ、そして敵対者である何かの魔力。だが、感じとっている敵対者の魔力は不可解なものだった。
(敵対者のから感じられる魔力は三種類、一つは死んだロワーと言う人物のもので一つは同行者のものだろう。最後の一つはベッカーさんのものだが――何故同質の魔力が二つ?)
少し前までベッカーの魔力は一つだけ、ベッカー自身の魔力である事は言うまでも無い。しかし、聞き取れた音の中で一際大きかった音。魔力を全く感じなかった事から流が放った攻撃によるものだろう。
その一撃が放たれた事で敵対者の存在を認識する事が出来る中途半端に混ざり合っているような異様な魔力を感じた。その内の二つは既に故人のもので、最後の一つに関してはベッカーのものだ。それも二つ、何の違和感も、違いも感じ取る事が出来ない全く同じ魔力を。
これには名無だけで無く、拠点で警戒に当たる者達の多くも動揺を露わにしていた。
「これはどういう事だ……?」
「分からないわ。けど。ついさっきまでは確かに」
「魔法具によるものだろうさ。外の情報を集める事が出来ているとは言っても、偏りがでて充分とは言い難い」
「どちらにせよ打開策を――」
(めぞしい情報は『反逆の境』にも無しか、だが……)
動揺しつつも警戒を緩めること無く議論を重ねる者達の言葉に、名無は僅かにだが眉を寄せる。
(魔法具だと仮定して流を主軸にベッカーさん達が戦っている状況から考えれば、魔法具の能力は魔力を奪い活用する事が出来るものだろう)
魔法具が貯蔵する事が出来る魔力総量、一度に奪う事の出来る魔力量と数、奪った魔力をどう自身に還元するのか。他にも魔力に対してどのような効果を発揮するよう製造されたのか等、気になる点は多い。
だが、今この場に置いて名無が懸念しているのは魔法具がどのような性能を有しているのかでは無く――
「……大丈夫ですか、ティニーちゃん?」
「……ちょっとだけこわい……」
『今現在、ワタシが索敵出来る範囲では敵の反応はありません。加えてワタシ以上の索敵範囲の警戒に当たっているマスターや他の方々もいます、マスター達が動かなければ、それは安全であると言う証明でもありますので安心して下さい、ティニー様』
「うん、マクスウェルおねえちゃんも……ありがとー」
魔法具が自分の、自分達がよく知る物であったらティニーにとって良い結果にはならないだろう事だった。
(魔力探知の精度はまだ拙いが、それでも流達が戦っている事は分かっているんだろう。今のところ負傷者が運び込まれてはいないが、怯えているのは明確だ)
突如として起こった魔王側の勢力による侵攻、前触れも無く穏やかな日常が似ても似つかない戦争という非日常に変わってしまったのだ。『ラウエル』で姉を喪し、『敗者の終点』で医者としての心構えを学び、肉体的にも精神的にも同世代の子供達よりもずっと成熟していると言ってもティニーはまだ子供だ。
レラとマクスウェルが傍に付き目の前で起きている戦闘は無いとは言っても、魔力探知によって人の生死を理解出来てしまっては怯えるなと言う方が無理筋である。
だが、その怯えもあって名無のように『未完魔律調整体』の存在に気がついている様子は見受けられない事は名無にとっては救いでもあった。
(魔法具の力は絶大だ、魔力その物に作用する物である事も予想はしていた。だが、魔力の隠蔽だけで無く、魔力の剥奪、恩恵として還元する効力まで持っているとは。……これだけでの性能、『聖約魔律調整体』(テスタメント・レプリツク)を投入してきたとすれば流達でも一筋縄では行かないだろうな)
『聖約魔律調整体』、クアス・ルシェルシュが科学技術と魔法を用いて作り上げた疑似人体魔法具。その性能は魔法具の域を超え、魔王に連なる選定騎士の位に就く者すら超える力を秘めている。
何より人としての姿と知能を有し、人として在る事が出来る擬態能力を発揮すること画出来る生物兵器。単なる性能だけで図る事の出来ない最悪にして最良の脅威。事前知識も無く初見で相対すれば一流の実力者であれ、僅かな隙を突かれ絶命たらしめる暗殺者にもなり得るモノ。
ソレを再び眼にしてしまえば、喪した姉の姿で無かったとしてもティニーの心に深く重い痛みが響いてしまう。
(流達の加勢に向かうべきではあるが、この侵攻に投入された『聖約魔律調整体』が一体だけとは限らない。『聖約魔律調整体』でなかったとしても、ソレに類似し匹敵する性能を持ったナニか……ティニーとレラから離れるには戦力が心許ない)
防衛拠点にいる全員が向き不向きはあっても誰もが一流の実力者であるのは間違いないが、『聖約魔律調整体』を相手取るには力が足りない。数の上ではこちらが有利でも個としての力の差が大きすぎる。
数で押し切れば戦闘で生じる犠牲は甚大な物になるだろうが勝機は充分に見込める。しかし、それは流達が戦っている個体を基準にした場合だ。自分が戦ったティニーの姉を模したモノと同性能、ソレを十全に扱う事が出来る選定騎士がいれば『反逆の境』が被る損害と人的被害は比べものにならない程に大きなものなってしまう。
敵が『聖約魔律調整体』であるなら、正面切って戦う事が出来るのは自分だけ。劣勢とは言え戦闘状態を維持出来ている流達を放っておくこともまずい。
「………………」
流達の加勢に向かうか、防衛拠点でレラ達を護る事を優先するか……。名無は葛藤に口を噤み、誰も気付かぬ胸中で焦りを募らせ――
「お~い! ナナキく~ん、今良いか~い??」
差し迫った状況に悩む名無だったが、物資の確認配分作業を終えて戻ってきたグノーの声が彼の耳に届く。レラ達と並ぶずんぐりとした身体で診療所の前で懸命に両手を大きく振るほのぼのとした姿は、ピリピリと張り詰める空気が漂う中で一際目立つ。
そんなチグハグな光景は緊張感漂う場の雰囲気を柔らかくするものではあったが、名無の心をほごすには至らず硬い表情のままグノーへと歩み寄る。
「その様子だと物資の方は一段落付いたようだな」
「うん。ナナキ君や他の子達が警戒してくれたおかげで無事に終わったよぉ、ありがとうねぇ」
「礼を言うには早いと思うが……」
「そんな事無いよぉ。こうしてボクや戦えない子達が無事なのはナナキ君達がいてくれるからだよぉ……そうじゃ無かったらとっくに決着は付いてだろうからねぇ」
「だとしても、だな。現に流とベッカーさん達が戦っている、あの三人でも勝ちきれない詳細不明のナニカが攻めてきている」
「『ナニカ』かぁ……出来ないわけじゃ無いけど、ボク達魔族は魔力探知も下手っぴだからなぁ。ナナキ君は、そのナニカに心当たりはある感じぃ?」
「ああ、特殊な方法で作られた魔法具だ。だが俺の思い当たるモノであるなら戦況はこちらが不利だと考えて良い。どれだけの数が投入されているかは分からない、戦力を此処に集めたのが最善だと言えるわけじゃないが迂闊に戦力を分散するような事をしても返り討ちだろう」
「うぅん、それは……ちょっと困ったねぇ」
右手の肉球でひげ袋から伸びる髭を撫でつけながら、グノーは眉間に浅くない皺を寄せる。
(この深域を堕とす為に投入された戦力が流達が戦っている個体だけなら直ぐにでも加勢に向かえるんだが……俺や『反逆の境』の実力者達全員の魔力探知を欺くことが出来る性能を有している以上、楽観的に動く訳にはいかない)
せめて魔力探知を無効化する力さえ持っていなければ、もっと積極的に行動を起こすことも出来た。しかし、実際にはそれが出来ない状況に置かれている。この劣勢を『反逆の境』の優勢へと傾けるには決断が――決断の果てに生じる犠牲を看過する覚悟が必要だ。
(後は選ぶだけだ。俺が誰を、何を犠牲にするのか……)
数多の戦場を越えて、無数の命を手に掛けて対面した矛盾と悔恨に満ちた選定。
どちらか一方を救い一方を見捨てる、眼前に広がる現実が迫る無慈悲な自己肯定。
「ナナキ君はどうすべきだと思う?」
「……ナナキさん」
「ナナキお兄ちゃん」
『――マスター・ナナキ』
打開案を求めるグノー、葛藤する名無を慮るレラ、不安に揺れるティニー、そして主の決断を待つマクスウェル。
三人と一機の声に銀の双眸を閉ざす名無。
成すべき行動と費やす犠牲、そこから導き出した得られであろう最善とうそぶき招く結果。ただ効率と効果のみだけを切り詰め、価値を求め理想に叶う実質を選び続ける事の出来る機械のような合理性をもってざわめく心を名無は力尽くで押さえ込む。
だが、これもまた名無の歪な感情が、狂気的なまでに孤独を恐れる心が導き出した嘘偽りの無い心の在り方。
自己肯定と言うには惨い自己暗示、押さえつけても軋み続ける心を意識から切り離すように閉じた目蓋を開き――
「――魔法具の相手は流達に任せよう、こちらの守りを疎かにする訳にはいかない」
直前までの葛藤を微塵も感じさせること無く、名無は淀みない銀の瞳でグノーとレラ達を見据え選び取った答えを示す。




