0- その眼に映るのは
――その眼に映る光景はまさに驚愕の一言。
空気の温度差や気圧差によって生じる物理現象を自分の手足のように操るその練度は魔法となんら遜色の無いものだろう。
大気の収束、拡散、循環、形成。気象力学を元にした現象を戦闘技術へと落とし込み、本来世界という基準で起こりうる大規模の災害を引き起こす強大なエネルギーを白兵戦という極小の戦闘領域に用いる。
名無と流が持つ異能はこの世界における精霊や魔力と言った概念を介さない力であるが故に、魔法を用いての戦いを用いる者達にとって基礎的で且つ重要な戦闘技能である魔力探知を掻い潜る脅威。
名無の『虐殺継承』、流の『風製製統』――異能として真に優れているのは名無の異能である。だが、対魔法騎士に特化していると言えるのは流の異能。魔法と同じように風を自在に操る事の出来る力であり、魔法とは異なる超常の結晶。
似て非なる力であるが故に魔法による肉体や武器の強化、攻撃、防御、回避、回復、隠形……様々な面で適応出来てしまえる多様性が身に染みこむ者であればあるほど呼吸と同じように魔力探知に依存している状態だと言ってもいい。
異能行使時、両眼が銀の光を宿し発動を知らしめてしまう欠点がある。しかし、銀の瞳を隠す方法など考えればすぐに思いつき用意できる。
異能の持つメリット、デメリットを比較してみてもメリットが勝ると言って良い。
これらの観点から流は正に魔法騎士達の天敵とも言える――
【風音流。種としての起源は少々異なるとは言え、輪外者の一人としてとして充分な力を有しているようだな…………だが、これならば必要無いだろう】
確かな実力を持って『未完魔律調整体』と相対する少年の姿に落胆の声が上がった。
流に向け失望の言葉を贈ったのは何の混じりけ無い白髪とその白髪よりも目立つ道化を思わせる仮面で顔を覆う男。
【クアスは風音流を代替案の一つにと考えているようだが、奴を召喚できた事で代案はクアス達だけで充分だろう】
右眼は涙を、左眼は十字架を連想させるような模様が描かれている白の仮面。
道化師の面の中でもピエロを模した仮面が、男が発した言葉に込められた悲哀とも取れる強い失望を表しているようだった。
【だが…………】
しかし、次の言葉を口にした瞬間にはその感情は消え失せる。
仮面越しとは言え口元に手を添え思案する様に先ほどの失望は無い。失望も、落胆も、嫌悪も無い。あるのは自身の脳裏に浮かび上がった事柄に対し、真摯に考えを巡らせる凜とした佇まい。
顔を覆う仮面と一方的な私見がなければ、その立ち姿は異様であっても見る者によっては頼もしくも見えただろう。
けれど、その姿を見ることは叶わない――この黒一色の世界では。
【………………】
仮面の男が立っていたのは何の混じりけもない漆黒の空間。
彼以外の人間の姿はなく、物や風景も何一つ視認できない黒い世界……それでも仮面の男が流の姿を直に見ているような言葉を吐くのは涙と十字架を模した両眼の部位から微かに漏れ出る銀の輝きが物語っていた。
『繋眼外取』
約十秒間、視線を合わせる事が出来た相手と自分の視界を共有する事が出来る異能。
一度でも共有する事が出来れば距離という概念を無視して半永久的に能力の効果を待機付与しておくことが出来る。その上、異能所持者が対象者の視界を一方的に覗き見る意地の悪さだ。
直接戦闘は勿論、情報収集の面でも希に見る優位性を有している。が、視覚を共有した時間と同じだけ擬似的な失明状態に陥る欠点がある。
仮面の男がいったいどれだけの時間、異能を発動していたのかは分からない。分からないが、流の実力を正確に計れている事から考えれば短くない時間だろう。しかし、そんな欠点を抱える異能を使用していながら思考に意識を傾ける男に限定的にとは言え視覚の欠如によってもたらされる危機に危惧さえ抱いてはいない……この漆黒の空間がそれだけ安全を確保された場所だからだろうか。
【雑兵が二人ほどいるが、このおもちゃの性能を確かめるには丁度良いか】
だが、思考の終わりを告げる言葉から彼が危機感を全く抱いていない理由が単に外部干渉の有無から来ているものでは無い事が分かる。仮面の男が――『未完魔律調整体』の眼が捉える流が、フォルティナが、ベッカーが振るい見せる力の全てを理解し眼にしても銀の双眸は何処までも静かに此処では無い前を見据えている。
【借り物の身体で戦うのは初めてだな。『コレ』に関しては向こうに分がある、何処まで保つか期待しよう】
例え視界が色ある本来の世界を映していても、男が身を置くのは黒一色の世界。
一歩、たった一歩足を踏み出す事さえ恐ろしい、本当に自分が立っているのか疑わしい。手を伸ばしても触れられるものは無く、発する声が響いているかも定かでは無い上に暑くない寒くも無い……熱という温度を感じる感覚さえ閉ざされてしまっている世界。最早現実なのか、自分の生き死にの定義さえ曖昧に……
【これで俺が勝った場合、『反逆の境』に利用価値が消えてしまう訳だが…………お前はどう動くのだろうな?】
自身が持つ肉体の感覚、精神に備わる本能と呼ばれる第六感。それら全てが疑わしいと言う考えに埋め尽くされる閉鎖空間にいながら自然体でいられる胆力。
そして、流達を除いた『誰か』が自分の問いかけにどう答えを返すのか。想像を巡らせ弾む声音が、男と三人の間にある力の差を物語っているようだった。




