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魔女の末裔、怪盗となり月夜に舞う  作者: ぽよみ30号
ジンギなき戦い

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56/60

泣いた赤鬼

大西椿は、とある病院の病室で死を待っているだけの一人の老人だった。


末期癌で、もう助からないと医者に言われた。

医者に「家族を呼んでくれ」と言われたが、彼に家族はいなかった。


人を愛さなかった。だから妻もおらず、当然子供もいない。


彼が愛したものは、剣。

若い頃からひたすらに稽古、修行に打ち込み、修羅のように剣の道を極めた。


高校でインターハイを制覇し、就職した警察でも剣道の特別練成員プロとして稽古を続け、何度も日本一となった。


歳をとってからも稽古を続けた。

最高位である八段も取得した。

彼の名は剣道界のあらゆるところで「伝説」として残っていた。


(だから……なんだ?)


病室で、死を待つ老人は一人後悔に苛まれていた。


最強の剣士に家族はいない。親も先に死んだ。兄弟もいない。


どれほどに強くなろうとも病には勝てない。

そして、病には負けて弱くなった自分はもう剣を持てない。


剣を持てない自分に、価値はない。

そう考えながらここまで生きてきたが、その価値観が死の間際で彼の心を斬りつけていた。


「くっ……!」


静かに涙が垂れ、布団に落ちる。


虚しかった。

剣の道を進んだ先に何があるかを知りたかった。その頂からしか見えない景色を見てみたかった。


しかし、違った。

本当に価値があるものは、頂に至るまでの道中に落ちていたのだ。


山の山頂は綺麗なだけで何もない。

人が生きるために必要なものは、山の途中にあった川の水や、途中の植物に実っている果物だ。


それらを無視してただひたすら山頂を目指しても意味がなかったのだ。


人生の本質を履き違え、死ぬ間際に阿呆のような後悔をする老人。

それが、大西椿という自分だ。


虚しさと後悔で真っ黒になった心を、誰かに救ってほしいと願いながら毎日泣いていた。


「それなら、私と契約してみませんか?」


「は……?」


突然病室の中に現れたのは、一人の女。

かなりの美人で、明るい笑顔が眩しい。

しかしその笑顔は、どこか作り物のように見えた。


「……帰れ。誰かは知らんが、生命保険の契約は間に合っている。受取人になるような家族もいないからな」


大西がそう言ってゴホッ!と咳をすると、口元を抑えた手に大量の血が付着した。


「ああ、私は保険のセールスレディじゃありません。魔女です。あなたに幸運を届けに来た……ねっ♪」


女はそう言って勝手にベッドの上に腰掛け、大西に向かってウインクをした。

図々しい女だと大西は思った。


「……帰れ。保険も魔女も必要ない。今更、何を手にしたところで変わらん」


「あらら、そんなこと言ってぇ。それなら、まずは私の魔法を見てくれますか?」


女はそう言うと、体の後ろに隠していた一振りの刀を前に出した。

すると刀から赤黒い光が漏れ出し、その光は大西の体の中へと入っていく。


「なっ……な、なんだ……!?」


最初は、生臭い血を体の中に無理やり入れられるような気色悪い感覚が彼を襲った。


しかし彼はすぐに体が軽くなっていくのを感じた。

力がみなぎってくる。

手の皺が消えていく。


(何が起きている……!?)


大西は途中で理解した。

これは自分の体が、若返っていっているのだ。


「し、信じられない……!ありがとう!魔女の……ええと、すまない。あなたの名前は?」


大西は女の手を握り、心からの感謝をした。

こんなに苦しくなく、それどころか気分の良い体は久しぶりであった。


「ふふっ、喜んでもらえてよかった。私は月詠夏波ツクヨミナツハと申します。あなたを救いに来た、幸運の魔女ですよ♪」


女は、真夏の太陽のように明るい笑顔でそう名乗った。


─────────────────


大西は若い体を堪能した。

夏波に親戚ということにしてもらって病院を退院し、夏波が暮らすマンションに居候して新生活がスタートした。


夏波は不気味なほどに優しく、大西が生活で困らないように何かと世話を焼いてくれた。


そして彼女が「契約書」と言って差し出してきた物は、簡素なものであった。


夏波は大西に魔法をかける。

その代わりに大西は、彼女のお願いを「なんでも」きくこと。


たったそれだけであり、しかも夏波は最初は何も頼んでこなかったので彼はただ若い体を楽しむだけであった。


「よし、まずは……!」


大西がまずやりたかったのは大好きな剣道であった。


本名はまずいので偽名を使ってさまざまな道場に稽古に行き、時には小さな大会に出てみたりもした。


若い体で久々に竹刀を握り稽古をするのは格別に楽しく、若い体を手に入れた状態での第二の人生は彼にとって最高に幸福なものであった。


大西が楽しく剣道に勤しんでいる姿を、夏波は彼の実力を確かめるように見つめていた。


「わあ!大西さんって噂通り、本当に強いんですね!」


彼の剣技が、熟練した達人のものであることは素人の夏波にでもわかった。


「ええ、昔は何度も日本一になりましたから」


長年の稽古で身につけた技術と、若く力のある体。今の彼に勝てる者はいなかった。


八段の老人が、若返って20代の肉体で戦う。それはこの世のことわりを超えた強さであった。


(ああ、なんて素晴らしいんだ!この人は、私に幸福を運んでくれた素晴らしい魔女だ!)


それは大西が若返った肉体で男たちの真剣勝負を楽しみ、この世の絶頂にいるとき。

夏波は冷たい目で大西に言った。


「──楽しかった?じゃあ、今日からは私のために働いてもらうからね♪」


「……へ?」


ある日彼は、夏波から赤鬼の面と刀を渡された。


「今から行く暴力団事務所の中にいる人間、全員その刀で殺してきて。ああ、あんたは魔法で強化されてるからピストルの弾でも躱せるから大丈夫よ」


大西は、顔が青くなった。


「ひ、人を殺すなんて。そんなことは出来ない!私は、もともとは警察官だったんだぞ!」


「……だからなに?簡単よ?その刀でズバッて斬る。それだけよ」


夏波の顔から最初に見せていた笑顔は消え失せており、今は冷酷そのものであった。

しかし、その冷酷な表情の方が彼女には似合っていると感じてしまった。


「だから、出来ないと言っているだろう!殺人なんて、私には……剣士の誇りにかけてでも出来ない!」


大西がさらに言い返すと、夏波は「あっそう」と言い、冷たい目で彼を見つめた。


「じゃあ、私たちの関係はこれでオシマイね♪」


「……へ?うぐうっ!!!」


夏波がそう言った瞬間、大西は体に激痛を感じた。

少し前まで、自分が病室で味わっていたあの痛みだ。


急速に体は老いていき、病魔が再び肉体を蝕む。


それは「元に戻っているだけ」だが、幸福の絶頂にいた彼を奈落の底に叩き落とすには、十分すぎる絶望であった。


「な、なぜ……!?」


「だって、そういう契約でしょ?私は魔法をかける。あなたは私のいうことを『なんでも』きく。つまり私の指示に従えないなら魔法は終わりってこと」


「そ……んな……!!」


大西は急速な老いと、病魔の激痛に苦しみもがいた。


(嫌だ……せっかく、また若い体で……楽しかったのに……なんで、こんな目に……)


どうせ取り上げられるなら、最初からあの病室で死んだ方がマシだった。

そう思えるほどに、若返った体で剣を振るった日々は彼にとって甘美なものであった。


(この若い体を失いたくない……絶対に……!でも、殺人、なんて……!)


大西の心は揺れた。

剣士の誇りというのであれば、このまま死ぬべきだろう。


だが魔女から一度与えられた「飴」は、彼の脳を浸し心を溶かすほどに甘かった。

このあとに魔女から与えられると予想される、どんな「鞭」にでも耐えられると思えるほどに。


「や、やる……!やる、から……また、若さを……若い体を……!!」


「ふっ、『剣士の誇り』なんてそんなものなのね」


夏波は、大西が床に倒れてもがき苦しみながら誘惑に屈した姿を見下ろしながらほくそ笑んだ。


「そんな態度じゃダメよ?『お願いします、夏波様』は?」


そう言って大西を見下ろす彼女は残酷な笑顔を浮かべ、男を完全に支配下に置いたことを実感して楽しんでいるような、サディスティックな笑みを浮かべていた。


「おねがい、します……なつ、は……さま……!!」


「はぁい、陥落ね♡じゃああなたは今日から大西椿って名前は捨てて……おおにし、おに……そうね、『鬼坊』って渾名あだなにしましょ♪」


その日、とある暴力団の事務所に恐ろしい事件が起きた。


それは刀を持った赤鬼面の男が突然現れ、その場にいた全員を斬り殺してしまうという凄惨なもの。


そんなことは前代未聞で、彼らは必死に抵抗した。


だがそれらは全て無駄に終わり、彼らは一人ずつ容赦なく斬り殺されていった。


しかし最後の一人は斬り殺される直前、奇妙なことに気がついた。


男が付けている赤鬼面の隙間からは、大量の涙が零れていた───



☽ あとがき ☾


人を操る最も効果的な方法。

それは「最高」と「最悪」の両方を握ること。


鬼坊は夏波から「若く楽しい時間」という最高と、「老いて死ぬ瞬間」という最悪を握られてしまいました。


どんなに速く、強く走れる馬でも……人参と鞭の両方を持った人間には逆らえないのです。

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