「ファン (fan)」の語源は、「狂信者(fanatic)」
「ん………」
彗は、柔らかいベッドの上で目覚めた。
(あれ?ここどこ?私、何してたんだっけ?思い出せない……)
明るくて目が慣れない状態で彗が最初に見たものは、自身が付けているマスカレードマスクの裏側だった。
(え?マスク?)
慌てて首を曲げて自分の服装を確認すると、月光色のカクテルドレスを着ている。
(あ、あれ?私、変身したまま寝てたの?)
彗はなぜこんなことに、と思ったがとにかく手探りで満月鏡を探した。
いつもWitch Phantomに変身するときは腹に直接巻きつける薄型ウエストポーチの中に、満月鏡や連絡用のスマートフォンを入れている。
(あれ!?)
彗は二つのことに驚いた。
まずウエストポーチ自体がない。
そしてもう一つは──
(なんで、ドレスに『触れる』の……!?)
怪盗Witch Phantomの衣装であるドレスは満月鏡の作り出す幻。
つまり、それを身に纏う彗が触ろうとしても手が通り抜けるはず。
しかし確かに、いま腹をまさぐっている自分の手はドレスの布の感触を手に感じている。
満月鏡はない。ドレスは本物。
このことから導き出される結論は、一つ。
(私、ドレスを『着ている』……?魔法の変身じゃなくて……?)
そして彗が明るさに目が慣れた頃、周囲の様子がおかしいことに気がついた。
天井、壁、置いてある机や本棚にいたるまで、全てに自分が──怪盗Witch Phantomの写真やポスターが貼られ埋め尽くされている。
さらに机や本棚の上には怪盗Witch Phantomのぬいぐるみやフィギュアが所狭しと置かれている。
そしてベッドの近くには白いマネキンが立っており、そのマネキンの体型は怪盗Witch Phantomの体型……つまり、彗自身の体とそっくりだった。
(な、なに!?何この部屋!!怖い!!)
彗は根源的な恐怖を感じた。
痺れて動かない体。自分の写真と人形だらけの部屋。自分と同じ体型のマネキン。
(お、おに、おにいちゃ、お兄ちゃん……)
彗は恐怖で半泣きになりながら耳や胸を触るが、いつものイヤホンもカメラもマイクもない。ウエストポーチもないのでスマホもない。兄に連絡して助けに来てもらうことはできない。
体は痺れて動かない。魔法も使えない。兄に助けてもらうこともできない。
彗は自分が絶対絶命であることを自覚し、腹の底から湧き上がるような焦りと恐怖で叫び出してしまいそうだった。
「はああああ……Witch Phantomさまぁ……お美しいですぅ……♡」
(はっ!?)
体が痺れていた彗が次に感じたのは、謎の声と、自分の太ももに何か暖かいものがスリスリと擦り付けられている感触。
首だけを動かしてそれを見ようとしたが、少し捲れているスカートが邪魔で見えない。
「くっ……!!」
彗は痺れる体に力を入れ、上半身を起こして様子を見てみた。
「Witch Phantomさまぁ……私は永久に、あなたさまに尽くしますぅ……♡」
するとパジャマを着た一人の女子が、妙な声を出しながら彗が着ているカクテルドレスのスカートの中に頭を突っ込んで、太ももに顔を擦り付けている。
「!?!?!?!?」
しばらくそれを眺めていたが、彗は状況を何一つ理解することが出来なかった。
しかしこのまま固まっていても状況は変わらない。その人物と話をするため、彗は意を決してスカートを捲ってみた。
「はあああWitch Phantom様……ふあああ、最高、至高、究極…………あっ!」
「玲香……」
スカートを捲ると、彗は自分の太ももに顔を擦り付けている玲香と目があった。
玲香の顔はみるみるうちに青ざめ、彗から離れ、ベッドから降り、床に正座し、手を床につけ、次に額を床に付けた。
「ごめんなさいっっっっっ!!!!」
玲香は彗に向かって土下座をして謝った。
「ええぇ…………?」
彗は、理解ができない何かを見る目で玲香を見下ろしていた。
「ああ、Witch Phantom様のその蔑むような表情、ご褒美ですぅ……♡じゃないっ!!!!スイッ!!ごめんっ!!!」
玲香は一瞬うっとりしたような表情になったあと、すぐに申し訳なさそうな顔に戻り、再び床に頭を打ちつけた。
「えっと、まず、説明してくれる……?」
──────────────────
私たちの出会いはそう、8月にヴェルサイユ・ロゼに最終公演を観に行ったあの日だった……
「え?ナレーション風に語る感じなの?」
彩光寺麗子さんを目当てに劇を観に行った私だけど、ラストシーン間近で突如現れた『彼女』に一瞬で心を盗まれてしまったの。
流麗な動き、美しい衣装。
そしてその場から闇に溶けるように消えてしまう儚さ。
そんな彼女のミステリアスな挙動の全てが、私の心を盗んでしまったの。
「そうなんだ」
早速私はSNSでファンアカウントを作り、Witch Phantom様を崇拝して応援するアカウント──「Witch Phantom様ファンクラブ名誉会長@会員No.0001〜死ぬまで永久絶対推し〜」を作って応援を始めた。
「あのアカウント、玲香だったの!?!?」
ネット上でWitch Phantom様を批判する愚か者を断罪することが、私に与えられた使命。そう思ってアンチと徹夜で戦ったこともあったわ……
「そんなことないよ、多分。怪盗もそこまで重いと嫌だと思うよ。きっと」
その後もWitch Phantom様が予告状を出されたら、私は全て現場に行った。
もう一度逢いたい、あなたの姿を一目見たい。そう思って私は彼女の元へ通いつめた。
でも私はWitch Phantom様を見ると同時に、彼女を必死に捕まえようとするお父さんの姿も見てしまった。
「あっ……そっか……」
そう。私は刑事の娘。
お父さんが「泥棒なんかに歓声をあげるな」とファンの群衆に声をあげている中、その娘が一番大きな声をあげている。
鈍感なお父さんは私が来ていると気付いていないけど、私は刑事の娘と、Witch Phantom様の忠実な僕としての二つの立場で板挟みになってしまったの。
「し、しもべ!?」
私は心がどんどん狂っていくのを感じた。
お父さんが刑事として頑張っているのに泥棒の応援なんか──でもWitch Phantom様が見られなくなるなら、私の眼球の存在価値もなくなる。
嗚呼、私はどうすればいいの!?
「が、眼球の存在価値!?」
部屋の中に増えていくWitch Phantom様のグッズ……もうこんな部屋にはお父さんを入れることも、友達を呼ぶことも出来ない。
(東条刑事、だから玲香が部屋に近づくと怒鳴って怒るって言ってたのか……)
そこで私は決意した。
次の獲物をWitch Phantom様が手にするのを見たら、この推し活をやめようと。
普通の女子高生、刑事の娘に戻って、Witch Phantom様の応援は心の中だけにする。
そう誓って、私はグランドジュエリーミュージアムに向かった。
前日の夕方から徹夜で待機した私は、群衆の最前列で応援することができた──。
「前日の夕方から徹夜!?」
(そんなのまだ私、アパートでお兄ちゃんとご飯食べてたよ……)
Witch Phantom様の獲物は「女神の落涙」。
華麗にそれを盗み出す姿が最後に一目見れたらいい──そう思っていた。
──でも、事件は起きた。
「さっきから出てくるその伸ばし棒みたいなやつ、どうやって発音してるの?」
見事獲物を盗み出し、外へと飛び出して私たち群衆の前で警官達を舞うようにかわすWitch Phantom様。
嗚呼、こんなに近くで見られるなんて。
本当に来てよかった。これで心置きなく普通の女子高生に戻れる。
明日からはお父さんの仕事を応援する、普通の娘に戻れる──。
1ヶ月半の儚い夢だったけど、最後の思い出がこれなら……私はやっとこの終わらない夢から醒めることができる──
──そう思ってた瞬間!!
「ちょ、目が怖いよ玲香!充血し過ぎて、眼球の本来白い部分が全部赤くなってるから!」
──怪盗Witch Phantom様は私の目の前に現れっっっ!!
私の頬にっっっ!!
チュッと!!!
キッスをして下さったのですうっっっっ!!!
(あっっっ!あのときの!!鼻血出して倒れてた子!!!玲香だったのか!!)
私は鼻血を吹き出しながら失神した……と、介抱してくれた方に聞いた。
そう、これで最後にしようと思っていた私の浅い心を見透かすが如く、Witch Phantom様は再び私の心を盗んで……いや、強奪していった!!
「か、怪盗も、そんなつもりはなかったんじゃないかなぁ……?たぶん」
キッスをしていただいたのは頬だったけど、私は心臓に直接、永遠に消えないキスマークを刻まれてしまった。
「心臓に直接!?永遠に消えない!?」
獲物は華麗に盗むけど、心は強引に奪っていく彼女に、私は再び僕にされてしまった。
そう。きっとあのお方はあのとき、私にこうおっしゃったの。
──『私のファンを辞めるなんて許さない。お前は永遠に私だけを推し続ける僕だぞ、玲香』……って。
「言ってない!!ぜっっったい、そんなこと言ってないって!!怪盗!!!なんならそのときはなんにも考えてなかったって!!……たぶん!!」
そう、きっとあの方は魔法使いなの。
私の心を盗むための魔法が使える、ね……。
「いや、そんな魔法は使えないと思うよ?」
あの晩Witch Phantom様に魔法で永遠に消えないキスマークを刻み込まれた私は、それ以降グッズだけじゃ飽き足らず、あのお方の動画や写真を見ながらこのドレス、マスク、マネキンを作り始めた。
完全なWitch Phantom様をここに再現したい──。
私はその一心で眠るのも忘れて、ドレスやマスク、マネキンの作り方を調べながら、必死に作った!!
「そして作りながら気付いたの、スイ!!!」
「わっ、急に普通に話しかけるのやめて?」
「あなたと、Witch Phantom様の体型は!!指の長さから足の大きさまで、ほぼ……いや、完全に!!同じっっ!!!」
「ッ───!」
彗は頬を冷たい汗が流れ、心拍数が上がるのを感じた。
それはただの焦りではなく、全てが終わってしまうような、逃げ場のない感覚──
彗が誰よりも親友だと思っていた玲香は、気付いていたのだ。
怪盗と親友が、同じ体を持つ人物だと──
☽ あとがき ☾
人が最も周囲が見えなくなるのは、どんなときでしょうか?
仕事や勉強が忙しいとき?
深く心が傷ついたとき?
いいえ、恋に堕ちたときです。




