第23話 あなたはディオニソス様に感謝しないといけませんね
多くの護衛がいる陣地を、フレイヤが歩いている。
その隣には、当然とばかりにオオトリもいた。
王族は力を持っていないが、護衛が誰一人としていないというわけではない。
そんな王族の状況でも、なお忠誠を誓う者たちもいる。
だからこそ、練度も士気も高く、少数精鋭と言える護衛たちとなっていた。
そんな彼らが守る場所は、当然王族のいる場所である。
歩くフレイヤたちを見る彼らの目は、かなり厳しい。
ヘタをすればパトリシアにも危害が及びかねない状況だったからである。
冷たい目にさらされながらも歩き続ける二人。
ひときわ大きな天幕の前にたどり着くと、そこにはパトリシアの側近であるスイセンが立っていた。
「……お呼びにお応えし、参上しました」
そう話したのは、オオトリであった。
え、何でお前が喋るの? というような顔を一瞬見せたスイセンであったが、フレイヤに向き直る。
「お待ちしておりました、フレイヤ様。どうぞ中へ……と言いたいところですが……」
やはり、スイセンの目はオオトリを捉える。
呼んでない人が来た……。
困惑の色を隠せないスイセン。
「こちらの方は?」
「えー……あたしの側近なんだ。入れてもらっても構わないかい?」
「少々お待ちください」
貴族が側近を連れて動くことは当然だ。
護衛という意味もある。
そのため、スイセンは一度天幕の中に戻って確認をとる。
しばらくしてから、彼女はまた戻ってきた。
「殿下の許可が降りました。礼儀にうるさい方ではありませんが、最低限のことは守っていただきますようお願いいたします」
「は、はい」
そうして、オオトリとフレイヤは天幕の中に入っていく。
そこには、豪奢な椅子に座って薄く微笑んでいる王女、パトリシアがいた。
彼女の前に跪く二人。
そんな二人に、涼し気な声が届く。
「先の戦い、ご苦労様でした」
「は、はっ」
「殿下。直接お声をかけられるのは……」
王族レベルの高貴な者になれば、気軽に声をかけることさえもためらわれるものとなる。
そのため、式典などの公式行事では、王族は演説以外で声を発することはない。
スイセンはそれを理解しているから窘めるように言葉を発するが、パトリシアはそれを否定する。
「公式な場でないから大丈夫でしょう。いちいちスイセンを通すのも、時間の無駄です」
「……承知しました」
確かに、この場には四人しかいないので、そこまで気にする必要はないだろう。
スイセンが引き下がったことを確認し、パトリシアは見えない目でフレイヤを見据えた。
「では、フレイヤ。私に何か言いたいことはありますか?」
その言葉に、びくりと身体を震わせるフレイヤ。
勇猛果敢で武名がとどろく女傑であるが、王族の……それもパトリシアの前となれば、当然緊張していた。
しかも、思い当たる節がある。
本来であれば、物理的に首を飛ばされてもおかしくない大失態を犯している。
「こ、此度は責任重大な大任をいただいたにもかかわらず、最低な結果をお見せしてしまい、心の底から申し訳なく思っております。罰はいかようにも受けますので、どうかあたしだけにとどめていただけますと……」
「なるほど……」
フレイヤの言葉に、パトリシアがコクリと頷く。
バンディットとの戦いで敗北し、指揮官である自分は虜囚の身となる大失態。
下手をすれば、そのままパトリシアにまで危害が及ぶところであった。
貴族であったとしても、罪は免れないだろう。
だというのに、パトリシアは薄く微笑んだままだった。
「確かに、何の御咎めもなしというのはできませんが、何も処刑などは考えていませんから、安心してください。先ほど労をねぎらったのは、別に皮肉ではないのですよ?」
「は、はっ」
一瞬唖然とするも、フレイヤは深く頭を下げた。
何と慈悲深いのか。
それほど王族に対して忠誠心が強いわけではなかった彼女だが、これを機に忠誠心が一気に高まる。
しかし、次のパトリシアの言葉に、彼女は凍り付いた。
「――――――だから、あなたはディオニソス様に感謝しないといけませんね」
空気が凍る。
呆然と見上げると、パトリシアはニコニコと笑っていた。
そこに、どのような意思が介在しているのかは、側近であるスイセンですらも分からない。
「ディ、ディオニソスに、ですか……?」
「ええ、もちろん。今回の戦いで、この程度の被害で抑えられたのは、彼の尽力が大きい。それは、直接ディオニソス様に助けられたあなたならば分かるのでは?」
「それは……」
その通りだろう。
フレイヤの中の冷静な部分は、パトリシアの言葉に間違いなく賛同している。
ディオニソスが私兵を率いてバンディットとぶつからなければ、あのままスペンサーの思うままになっていただろう。
彼はそこまでするつもりはなかったようだが、下手をすれば、彼に操られてパトリシアに剣を向けていたかもしれないのだ。
そうなれば、いくら結果が良かったとしても、間違いなく処刑となっていただろう。
実権を持たないからこそ、象徴としての役割は大きい。
そこに剣を向けることなど、許されないのだ。
「だから、ちゃんとお礼は言いましょう。礼は失すると信頼を損ないます。その信頼を取り戻すのは、大変ですよ?」
ニコニコと微笑みながらパトリシアが諭す。
フレイヤには、彼女がどのような考えを持ってこのようなことを言ってきているのか分からなかった。
スイセンでさえも理解できないことだろう。
パトリシア本人以外は、誰も。
「お言葉ですが、よろしいでしょうか?」
「――――――」
そんな中、話に割って入ってきたのはオオトリだった。
パトリシアは珍しくポカンと口を開けた。
そもそも、許可されていないのに王族に話しかけるということ自体が、この世界の常識外のことであり、タブーである。
それを許してしまえば、誰もが王族からの覚えをよくしようと、嬉々として声をかけ続けるだろう。
そういうことがないように、王族からも声をかけることがなければ、逆もまたしかりだった。
それを、今オオトリはぶち壊したのだ。
止めなければならないはずのスイセンも、まさかそんなことをするとは思えず、唖然として硬直してしまっていた。
その間に復活したパトリシアが、うっすらと笑いながら先を促した。
ちなみに、本当に喜怒哀楽のうち喜、楽の感情で笑顔を浮かべているわけでないことは明白だったりする。
「ええ、構いませんよ。どうぞ」
「ディオニソスは、殺戮皇という悪名をつけられているほど、人格的に破綻している男です。確かに、今回は彼の活躍もあったでしょう。ですが、この戦いに勝利することができたのは、ひとえに名もない兵士たちの尽力があったからこそです」
「確かに、一理ありますね。兵の皆さんが頑張ってくださったことは、記憶していますよ」
パトリシアのその言葉は、兵士たちが聞けば泣いて喜ぶことだろう。
それほどの意味を持つ言葉だったのだが、オオトリはそれに関心を持つことはなく、自分の意見を口にした。
「つまり、ディオニソスに対して礼を言う必要はないということです」
「…………?」
どや顔で意見を述べたオオトリに対し、パトリシアは首を傾げた。
本当に何を言っているのか理解できなかったからだ。
今の言葉で、どうやったらその結論につながるのか。
「それとこれとは話が別では? ディオニソス様の介入があったからこそ、私の元まで賊が近づくことができなかったのです」
「――――――それを、ディオニソスが待っていたとしたら?」
「…………はい?」
修正するために話したが、さらに理解を超える発言が飛んできて、今度こそパトリシアははっきりと困惑の表情を浮かべてしまった。
何を言っているんだ、こいつ?
そんな表情を気にもしないオオトリは、自説を自信満々に語り続ける。
「彼はここぞという場面で参戦し殿下の覚えをよくするために、わざと緊迫する状況になるまで待っていたのです。実際、殿下はディオニソスを高く評価しておられる様子。それが、何よりの証拠です」
「…………スイセン?」
パトリシアはニッコリと笑いながら、見えない目でスイセンを見つめた。
笑顔がこんなにも怖いと思ったことはない。
スイセンはのちにそう語った。
あと、彼女の前でディオニソスをバカにしたり否定したりすることは絶対に止めようと、心に決めた。
「申し訳ありませんすぐにつまみだします」
「なぜ!?」
「その反応がなぜですよ!」
ギョッとしながらスイセンに引きずり出されるオオトリ。
なんで自分がパトリシアに怒気を向けられなければならないのか、と普段の彼女にしては珍しく苛立ちを露わにしながら外に出て行った。
それを見送ったパトリシアは、フレイヤの顔をニッコリと笑いながら見やった。
「……ちょっとあなたの咎を重くしておきますね」
「なぜ!?」
「あなたもですか?」
ギョッとするフレイヤ。
貴族のくせにどうしてこんな反応をするのかと、パトリシアははっきりと呆れていた。
王族から向けられる呆れの感情。
普通の貴族ならば心臓が止まるほどの大ダメージになるはずなのだが、フレイヤは困惑した表情のまま天幕の外に出て行った。
パトリシアはそれを気配で確認すると、薄く笑った。
「……やっぱり、この国はダメですね」
「殿下?」
「いいえ、何でもありません」
スイセンが戻ってきて、パトリシアに声をかける。
それに首を振って、小さく呟いた。
「ね、ディオニソス様」
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