第15話 暴風
「んー、良い感じですねぇ」
戦場の状況を覗き見て、スペンサーはそう楽しそうに笑った。
彼の傍に寄るのは、バンディットの幹部である。
「このまま我らバンディットの恐ろしさを、無能な貴族共に知らしめてやりましょう!」
「ええ、期待しておりますよ」
「はっ!」
スペンサーがそう声をかけると、嬉しそうに笑って前線に飛び出して行った。
そんな幹部を見送って、誰も近くにいなくなったのを見計らい、彼は本音をポツリと漏らした。
「まっ、そんなうまくいくはずはないんですけどねぇ」
熱心な幹部連中は、これを好機と見て貴族を……あるいは、そのさらに上の王族をも弑しようとしているようだが、そんなものは不可能である。
いや、スペンサーの魔法を使えば、貴族の何人かは始末することができるだろう。
実際、フレイヤをも彼は倒してしまっている。
殺し損ねたが、武に精通した彼女をも倒したのだから、ただ指揮官としてやってきただけの貴族なんて恐れるはずもない。
だが、この場にいる敵が、全員無能というわけではないのである。
「んー。やはり、あちら側はもう押し戻され始めていますねぇ」
スペンサーの目線の先では、アビス軍が再度バンディットを押し始めていた。
あちらでもそれなりに混乱があっただろうに、すでに立ち直っている。
本陣がマズイ状況になっていても、なおも戦意が衰えないのは、さすがの一言だ。
それは、完全に瓦解してしまう前にバンディットを潰してしまえばいいという猛将ゆえの考えか。
あるいは、そもそも本陣がどうなろうと知ったことではないという考えか。
「いやはや、しかししかし……人間って、空を飛ぶんですね……」
アビス軍と衝突しているバンディットの賊と、裏切ってこちら側についた諸侯連合軍の兵が飛んでいる。
もちろん、自発的にではなく、強制的に飛ばされているのだが。
「なるほど、あれが王国最強と謳われるアビスですか。まだ底を見せていないでしょうに、すでに圧倒的な強さ……。んー、私なら数秒も持たずに斬り殺されますねぇ。絶対に近づかないようにしましょう」
身の程を弁えると言うのはとても重要だ。
自分の力の程度を知っていれば、愚かな行動をしなくなる。
そして、それは自分の生を永らえることにつながるのだ。
「分かりましたか? フレイヤさん」
「…………ッ!!」
血走った目で睨み続けるフレイヤに、スペンサーはニッコリと笑いかけた。
片や笑顔、片や殺意。
明らかに双方向にならない感情を向け合っていた。
「おっと。そんな恐ろしい目で睨まないでください。お伝えしたように、私自身には大して力なんてありません。あなたのような女傑に見据えられるだけで、倒れてしまいそうなほど貧弱なのですから」
「この……っ、どうなってやがる……! あたしの身体が、あたしの思い通りに動かない……!」
食いしばりすぎて口の端から血が流れているフレイヤ。
彼女は、まったく拘束されていなかった。
身体が動けなくなるほど痛めつけられているわけでもない。
だというのに、目の前のスペンサーを攻撃しようとしていなかった。
いや、彼女はそうしようとしているのだが、身体がまったく動かなかった。
それが当然のことのように、スペンサーは笑った。
「んー。ありえないとは思いますが、万が一あなたが生き延びてしまうと私のネタがばれてしまうことになるので、教えてあげません」
気分はいいが、ネタをペラペラと喋ってあげるほどお人よしではない。
ほぼ確実にフレイヤはここで死ぬが、ごくわずかな可能性で生き残ってしまえば、自分の力が露見してしまう。
んーっと背筋を伸ばして、スペンサーはポツリと呟いた。
「さてと、逃げますか」
「はあ!? あんた、逃げんの!?」
ギョッとした表情を浮かべるフレイヤ。
それに対して、当然とばかりに頷く。
「当たり前ですねぇ。これ以上ここにいても、アビス軍がこちらを食いつぶすだけです。まあ、その前にうまくいけば何人か貴族を食べることができるかもしれませんが……」
現在は、アビス軍と衝突していない部分では、大概優勢である。
瓦解しかけていた賊たちも、今は一心不乱に連合軍に襲い掛かっている。
勝馬に乗ろうというのだろう。
これが勝馬に見えているところが、愚かなところだが。
スペンサーはそう嘲笑った。
「バンディットの頭領なのに、仲間を死地に置いたまま逃げるのか?」
「仲間と言いましても……。お互い、好き勝手生きようというだけで集まった集団ですし。頭領になったのは、一番美味い汁が啜れると思ったからで、責任なんてものは引き受けていません」
講義をするように、フレイヤに指を立てる。
「だから、バンディットの頭領の名前は知らなかったでしょう? 私が表に出てこなかったからです。いずれ、逃げやすくするためにね」
「今、結構優位に事を進めているんじゃないのかい? 逃げて本当にいいのか?」
フレイヤが彼をとどめようとしているのは、何とかして自分の手で名誉挽回したいからだろう。
このままいくと、彼女は間違いなく罰せられる。
王族の信託を得て賊の討伐指揮官を務めたのに、それができないどころか敵に倒されるなんて最悪だ。
ヘタをすれば、お家取り潰しだって考えられる。
それを逃れるためには、自分の力で何とかするしかない。
しかし、その程度の安い挑発に乗るほど、スペンサーは馬鹿ではない。
「もちろんです。アビス……初めて見ましたが、あれはダメですね。勝てる未来がまるで想像できません」
大暴れしているアビス軍。
全体の戦力も高いが、やはり何よりも戦闘で大暴れしているアビスの力が凄まじい。
魔法などを使っている様子は見受けられないのに、人体が空を飛んでいるのである。
いかにも華奢な女なのに、どこにそんな力があるのかと、戦慄を隠し切れない。
「あと、どうして私があなたを生かしているか、お分かりになりますか?」
「……さあね」
ふと問いかけられるフレイヤ。
それは、疑念を抱いていたところだった。
どうして自分を殺さないのか。
どのような手段を用いているのかは知らないが、自分の私兵を裏切らせた男。
自分の身体も手中に収めているのに、こちらを害そうとする気配がない。
指揮官を潰せば、大手柄だろうに。
そんな彼女に対して、スペンサーは笑顔で答えを言う。
「バンディットの首領が見つからないとなると、ずっと追い立てられることになるからです。あなたには、私の代わりにバンディットの首領となっていただきます」
「なっ!?」
「貴族でありながら、国と領民を裏切って賊のリーダー。……いやはや、凄い経歴ですねぇ」
自分で言っておきながら面白くなったのか、楽しそうに笑うスペンサー。
笑いごとでないのは、フレイヤである。
自分が……貴族である自分が、賊の首領だと?
そんなもの、認められるはずがない。
「ふ、ふざけるな! あたしがそんなことを……!!」
「あなたがどう言おうと無意味ですよ。状況が状況ですからねぇ……。あなたは連合軍を……王族を裏切ってバンディットについた。そして、それが元から賊の首領だったからとなると……意外とうまくいくと思うんですよ」
状況的にはまさに最悪だった。
自分から望んでこのようなことになっているのではないが、傍から見ればフレイヤ軍は多くが裏切って賊になり、指揮官であるフレイヤもまたそうだ。
いくら彼女が否定しようとも、賊の首領……少なくとも幹部という評価が下されても不思議ではない。
「まっ、あなたがそうではないと分かったとはいえ、かなりの罪には問われるでしょう。その間に私は遠くに高跳びしているので、関係ありませんねぇ」
結局、首領であると騙されてくれるかどうかはどうでもいい。
少なくとも、フレイヤにかかりきりで自分を追いかける暇はなくなるだろう。
なにせ、貴族の裏切りだ。
王族も動くだろうし、しばらくはこの話題で持ち切りのはず。
その間に、外国にでも高跳びすればいいのだ。
「お前……!」
「まあ、幸いにも今はバンディットが随分と押していますから、時間はあります。色々と準備しておきましょうね」
「く、来るな……!」
スペンサーがにじり寄る。
自分のため、フレイヤをバンディットの首領に落とすために。
「いやいや、別に襲うわけでもないんですから、そんな嫌がらなくても……」
思わず苦笑いしてしまう。
まるで、これから自分が彼女に襲い掛かろうとしているみたいではないか。
暇だったらそうしていたかもしれないが、ここは戦場。
さっさと逃げるためにも、そんな暇はないのだ。
安心してほしい。
そう考えていると……。
「――――――!!」
「……おや?」
怒号と悲鳴。
それが聞こえてきて、スペンサーは思わず足を止めた。
ここは戦場だ。
その二つが聞こえてくるのは、至極当然と言える。
しかし、それがやけに近く感じた。
すでに自分は前線から離れている。
今はバンディットが押しているから、実際に戦いが繰り広げられているのは、少し離れた場所のはず。
悲鳴が聞こえてくるのは、アビス軍のいる付近からだけだった。
だというのに、どうして……。
「に、逃げろぉ!!」
その悲鳴は、明確に聞こえた。
「殺戮皇だあああああ!!」
暴風が、吹き荒れた。
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