第1話 彼の統治
殺戮皇。
字面だけでもとんでもない言葉だが、これを異名として持っている男がいる。
その名を聞けば、善人悪人問わず震え上がり、恐怖のあまり脱兎のように逃げ出す。
しかし、逃走という手段をとることができるのは、必要最低限の知性を持ち合わせているものに限られる。
世の中、様々な人間がいるため、時にはその賢明な判断を取ることができず、あまつさえ殺戮皇に刃を向けるような者まで現れる始末。
そして、そのたびに悍ましい二つ名が確かなものであったのだということが知れ渡るような、残虐無比な殺戮が巻き起こる。
そんな化け物と称していい存在がいるのは、皇国の辺境、ホーエンガンプ領であった。
◆
ホーエンガンプ領のとある農村。
畑仕事の休憩中、二人の農夫が話をしていた。
「おい、聞いたか? 賊がこの領地に襲い掛かってきたって」
話題に出てきたのは、皇国を騒がせている賊である。
不安定な政情を表すように、全国的に大暴れしている賊が存在していた。
かなり大規模で、とある領地なんて領主が殺害され、その賊に支配されている地域もあるとされている。
当然、その大きな余波を受けるのは、社会的カーストで言うと下位に位置する農民である自分たちである。
話題に出てくるのは当然と言えた。
「マジか。ついにうちにまで……」
「ああ、賊がここに……」
二人は不安そうに顔を見つめ合って、口を開いた。
「……大丈夫なのかよ、その賊たち」
「……分かり切っているだろ、そんなこと」
二人はかわいそうな表情を作る。
心配していたのは、自分たちのことではない。
このホーエンガンプ領に牙をむいた、賊たちを心配していた。
何せ、この領地に攻撃なんて仕掛けようものなら、凄惨な末路をたどることになるのは、明らかに賊たちの方だからである。
「なんというか、難しいよな。俺ら農民からしたら、賊なんて最悪な存在だもんな。農作物は奪われるし、娘や女房は連れていかれるし、男の俺らは殺される」
「ああ、だから、領主様方には感謝しているんだよ。この領地で賊がはびこらないのは、あの方たちのおかげだからな」
領地と領民を守るのは、王から支配権を委任されている領主である。
彼らは、心の底から彼ら一家に感謝していた。
……多分な恐怖も併せているが。
「ああ。……でも、クッソ怖いんだよな、マジで」
「絶対に目をつけられないようにはしておかないとな。マジで。本当に怖いし」
ブルブルと身震いする二人。
ホーエンガンプ領の領主一家は、襲い来る賊たちを絶対に許さないだろう。
そこだけを切り取ると、領民の命と幸せを守る、とてもやさしい貴族に聞こえる。
しかし、実態は違う。
領主一家は、なかなかの人格破綻者の集団であった。
「俺、たぶんどれだけ追い込まれたとしても、領主様たちには逆らわねえ」
「この領地にいる領民はほとんど全員同じことを考えているだろうよ。それこそ、赤ちゃんまでもな」
ホーエンガンプ領で領主たちの恐ろしさを理解していない者は、一人もいないだろう。
しかし、それ以上に彼らからもたらされる平和というものが、領民たちを黙らせていた。
そうでなければ、武力蜂起が起きていても不思議ではない。
まあ、起きたら速攻で潰されそうなものだが。
「賊も、もともと困窮した俺たち農民が多いって考えると、なんだかなあ……」
「どんな理由があろうと、他人のものを殺して奪うようになったらダメだろ」
「だよなあ。俺たちはよかったよな。めちゃくちゃ重税だけど、絶対に守ってもらえるし」
最後に、彼らはこう言って話を終わらせた。
「あの方がおられる限り、賊に殺されるとか、そういった死とは無縁だろうな。ディオニソス様がいらっしゃる限り」
◆
戦いは楽しい。
闘争は心が躍る。
戦闘が好きな理由は、人それぞれだろう。
命を奪い合うドキドキを楽しみたい者もいるだろうし、自分が強くなるために相手を打ち負かすためだという者もいるだろう。
かくいう俺も、その類ではあるが、理由はそういったものではなかった。
理由は簡単だ。
――――――弱いものいじめができるからである。
「う、おおおおおおおおおおっ!!」
ボケーッとそんなことを考えていたら、まさに決死の覚悟で俺に斬りかかってくる男がいた。
感動的だな。素晴らしい。
だが、そんな大声を上げるのは、自分が死の恐怖におびえていることを伝えるだけにしかならない。
「うるせえ」
「ぎゃっ!?」
だから、俺は適当に賊から奪った粗悪な剣で、そいつの振りかざしてきた剣ごとぶった切ってやった。
死にたくないとかビビるくせに、賊なんかしてんじゃねえよ雑魚。
血反吐をまき散らして地面に倒れる賊を足蹴にする。
「あー、面倒くせえな、マジで。ふざけんなよカス。お前らみたいなゴミのために、何で俺の貴重な時間を潰さないといけないんだよ。早く死ね。迷惑かけずに勝手に死ね」
『言い方キッツイね。というか、武器ごとぶった切るって本当にやばいね。さすが、ディオニソス』
脳内で俺以外の声が聞こえてくる。
俺を唯一悩ませる最悪の存在だ。
声が聞こえてきただけで、俺は露骨に嫌な気分になる。
「お前に褒められても不快なだけだわ」
『ひどい!』
「閣下!」
どうやって頭の中に住み着いている異生物を殺してやろうかと考えていると、俺が率いる私兵団の部下が駆け寄ってくる。
人相の悪い男だ。まあ、だいたい俺の部下ってそんな感じだけど。
一歩間違えたら犯罪者みたいなやつらばっかりだし。
「おー。終わったか?」
「もちろんですよ。こっちの被害はなし。あいつら、雑魚すぎて結構殺してしまいましたけど、ちょっとは生け捕りにしていますよ」
「おし、それでいいぞ」
部下の報告を聞きながら歩く。
ホーエンガンプ領に侵入してきた命知らずの賊。
無論、皆殺しにしてやりたい気持ちでいっぱいだが、全員殺してしまうのはマズイ。
効率的に賊を潰せなくなる。
だから、部下にも全員は殺さないよう言い聞かせていたのだが、何とかギリギリ守ってくれたようだった。
隣を歩く部下が、俺の顔を覗き見て文句を言ってくる。
「というか、閣下は前に出てこないでくださいよ。一瞬で終わってしまって、つまらねえ」
「やかましい。好きなんだよ、弱い者いじめ」
「俺もっす!」
『なんだこのゴミみたいな会話は……。だから、君って主人公に殺されるんだよ?』
まーた意味の分からんことを言う異生物。
主人公に殺されるってなんだよ。主人公って誰だ。
そもそも、俺が殺されるわけねえだろ。殺すぞ。
そんなことを考えながら歩いていると、生き残りの賊たちが集められており、そこを犯罪者のように見える部下たちがニヤニヤと笑いながら囲んでいた。
生け捕りにされている賊たちも五体満足というわけではなく、傷だらけで身体の一部が欠損したりと、満身創痍であった。
まあ、かわいそうとも思わない。
賊なんかしている方が悪い。
「で、お前らが生き残りか。言いたいことは?」
「だ、だずけてください! もうこんなことはしませんから……!」
「なんでもやります! だから、命……命だけは……!!」
何だか典型的なことを言われてしまい、思わず鼻で笑ってしまう。
必死に訴えかけてきているんだけど、なんだかなあ……。
「おいおい、聞いたかよ。賊がこんなこと言っているぞ、お前ら」
『えぇ……。迫真の命乞いのどこに笑える要素が……?』
俺が周りに言えば、部下たちがドッと笑う。
異生物はそれが理解できないらしい。
笑えるだろ。
今までさんざん他人の命を奪ってきたのに、いざ自分の番となったら全力で命乞いだぞ?
滑稽でたまらねえな。
『性格バグってるんだよなあ……』
「どうします、閣下?」
「そうだなあ……」
部下に問われて、少し考える。
確かに何人か生かしておく必要はあるが、これだけはいらないな。間引く必要がある。
どうするべきかと悩んで、俺は一つの案を思いついた。
「よし、鬼ごっこするか」
「お、鬼ごっこ……?」
ポカンと俺を見上げる賊。
そんなバカな奴らにも分かるように、丁寧に説明してやる。
「今から、お前らのうち一人に火をつける。で、誰か仲間に全力で抱き着け。そうしたら、火は消してやる。抱き着かれた奴には火をつけるから、それの繰り返し。そうだなあ……残り3人になったら命は助けてやるよ。だから、全力で気張れや」
「「「おー!!」」」
説明を受けて、賊たちは顔を真っ青にしているが、部下たちは大喜びである。
結構面白そうだろ。
必死に自分が生きるために仲間を殺そうとするさまを見るのは。
さてはて、どうなることやら。
とりあえず、特等席でも作ってもらって、そこから眺めたい。
『倫理!!』
しかし、直後、異生物の怒りの声が響き渡ると、俺に異変が発生する。
ぐおおおおおおおおおお!?
腹がああああああああああああ!?
激痛が俺の腹を襲う!
い、痛い……!
普通に殴られたり斬られたりする方が痛いはずなのに、こっちの方が全然我慢できない……!
痛みの種類が違うんだ。我慢できねえ……!
「……と、思っていたが……! こんなクソみたいなことに時間を使いたくないから……! 適当にボコボコにして情報を抜きとれ。俺は帰る」
「え? りょ、了解です」
怪訝そうに首を傾げる部下たちをしり目に、俺はひょこひょことおかしな歩き方をしながらその場を後にする。
ゆっくりと、刺激を与えないように歩き、ようやく痛みが落ち着いた。
そして、すぐに俺は怒りが爆発する。
「何やってくれてんだテメエ! これから面白いショーを見られるところだったのによお!」
『凄惨すぎる殺人ショーのどこがおもしろいんだよ! 僕がいる限り、そんなことはさせないぞ!』
異生物がそう叫ぶ。
クソがぁ! 俺の邪魔ばっかしやがって……!
憤る俺に、異生物は宣言するように声を張り上げる。
『僕は、君を守るためにここに来たんだから!!』
「守れてねえじゃねえか!!」
嘘つくな、ゴミ!!
そう叫びながら、俺はこのカスがやってきたことを思い出していた。




