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地面を蹴りつけたオレは、同時に迅の懐へと入る。
オレは持っていた短剣を抜いた。
……戦闘では、なんでもありだ。
彼は動かない。まったく見えていない? いや、違う!?
オレが攻撃をする瞬間、迅の口元が緩む。
そして、かわされた。
ぎりぎりまで引き付けたあげく、攻撃をかわされた。
最小限の、無駄のない動き。
一撃をかわされたことに僅かな驚きがあった。
……驚き? そうか。
オレは迅より自分のほうが強いと思っていた。
油断。それを彼は見ていたのだろうか。
反撃の隙はあったというのに、何もしてこない。
「……」
ただただ、じっとこちらを伺うように見て、不敵な笑みを浮かべている。
……まだまだ、余裕があるようだ。
まずは、その笑みを消すところからだ……!
二撃目。即座に踏み込んで短剣を振り下ろす。
だが、それもかわされる。
オレの攻撃はすべてかわされていく。
……まだ足りない。
人間相手に、セーブしていた部分はある。
――命を奪うつもりで、やる。
そうしなければ、彼の本気を見ることはできそうになさそうだ。
さらに一段階、肉体の強度を高めると同時、短剣を振りぬいた。
しかし、まだかわされる。
こちらは本気の殺意を持って攻撃している。
だというのに、まだ迅の笑みは消えない。
余裕の演技をしている? いや、違う?
それさえも、演技? そう考えてしまっている時点で、オレは彼の術中にはまっているのかもしれない。
ぴくり、と彼の右腕が動いたのを見て、オレは即座に大きく飛びのいた。
「……はぁ……はぁ……!」
……視聴者からすれば、今のオレの飛びのきの意味は理解できないかもしれない。
――殺されていた。
あのまま、あそこで攻撃を繰り出していれば、オレは……死んでいたのか?
明確に、死のイメージが脳裏に浮かんだ。
……落ち着け……落ち着け!
相手が黒竜を一人で倒したからといって、ここまで力の差があるはずがない……っ。
〈速すぎるだろ……っ〉
〈もう何が起きてるか分からんぞこれ……〉
〈力はほぼ互角って感じか〉
モニターに映っていたコメント欄は、凄まじい数だ。
……戦いを始めて、まだ一分ほどしか経っていない。それなのに、雑談のときとは違い視聴者は百万人を超えていた。
ほぼ、互角……?
……視聴者からすれば、そう見えるのかもしれないな。
オレと彼の間には、歴然とした差がある。
――オレが彼と戦いたいと思ったのは、自分の実力を測るためだ。
Sランク以降、明確なランク分けはされていない。
……一応、Sランクの中でも特に危険な力を持つ人たちは、災害級と呼ばれているが……それでも公式では同じSランクというくくりだ。
だが、同じSランクでも明らかに格差はある。
今の自分の立ち位置を知りたい。そう思い、オレは……恐らく日本でもトップのレベルに近い迅に、戦いを挑んだ。
「攻撃してこないんですか?」
迅からの問いかけの言葉に、オレははっと顔をあげる。
そちらを見ると、彼は片手を腰に当てたまま、じっとこちらを見ている。
彼の魔力の質が、変わっている。
……本気、なのかどうかは分からない。
だが、俺でもはっきりと感じられるほどの魔力の圧力。
昔、偵察のために黒竜がいる95階層へと足を運んだことがある。
……そのときに感じた威圧感と同じ――いや、それ以上だ。
短剣を、握りなおす。
恐らく、次の攻防で勝者が決まる。
……最後にオレが立っているために、ここですべてを叩き込む!
「……そうですね。それでは、行きましょうか」
オレは小さく息を吐いてから、地面を蹴りつける。
先ほど同様、彼の懐へと一瞬で迫る。
だが、短剣を振りぬく隙はない。
最速の拳が迫る。
慌ててオレはそれを横に跳んでかわす。
結果的にぎりぎりまで引き付けることに成功しての回避になった。
ただの、偶然だ。だが、最高のチャンスだ。
彼の伸びきった腕の下をくぐるように、彼の懐へ入り、拳を振りぬいた。
全力の拳だった。
思い切り力を込めての一撃は、しかし彼の胸を捉え――
「がっ!?」
オレの左手から嫌な音が上がる。骨の砕け散る音。
受けきられた。まるで、鋼鉄でも殴ったかのような衝撃が、オレの右手に返ってきていた。
頑丈すぎる。
だが、痛みに足を止めるわけにも、驚きで動きを止めるわけにもいかない。
彼の左拳が迫っているからだ。
……さっきの攻撃は、まさかオレの攻撃を誘うためのフェイント。
まずい。まずい。
状況を立て直すために、
だが――迅の姿はなかった。
視線を切らした覚えはない。本当に、文字通り目の前から消えた。
……かのように思わされるほどの速度で動かれた。
「……」
気配はまるでない。
だが、本能が背後から危険信号を伝える。
振り返ったそこに、やはり彼はいた。
すでに拳を振り下ろしていて、回避は間に合わない。
……Sランク冒険者には、能力差がある。
彼は……紛れもない。Sランク冒険者でも、トップのほうだ。
それは自惚れではない。
だが、オレは……はっきりと理解した。
――オレは、迅の足元にも及ばない……!
振りぬかれた拳に、オレの体は地面に叩きつけられていた。





