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第二四話 敵地潜入 三 宝物庫

 夜の闇に浮かぶクラーサ城、美城と名高いオルシネーヴァが誇る王都本城の城壁を登る。城壁を登りきったら壁上から城内を観察し、侵入経路をポーラと確認する。


 私たちが今、突破したのは最外周の城壁だ。クラーサ城は三重の城壁によって三層構造となっている。城壁ひとつ登った程度で直ちに城内全ての建物に侵入できるようにはならない。ジバクマの名ばかりの城壁とは訳が違う。


 最初に目指すのは宝物庫の鍵の確保だ。三つの城壁全てを越えた最上層、そこに建てられた王宮内の宝物庫に審理の結界陣は保管されている。宝物庫の扉を開けるための鍵は王宮内ではなく、同じく最上層内に建てられた東塔にある。金庫と鍵は別々の場所に置く。安全管理の基本ができている。


 ルーヴァンの手記があればこそ最短で宝物庫の中に入れるというもので、これで手記が無かったら鍵を探すための手間と時間が膨れ上がっていたことだろう。宝物庫に着いても鍵が開けられず、鍵の場所を知っている人間を探して小妖精で情報を引き出して、それから鍵を確保しに行き、また宝物庫に戻り……などとしていては、城内を二度も三度も往復することになり、作戦成功率が下がってしまう。


 侵入は静か、かつ迅速に行わなければならない。しかし、どれだけ隠密に入り込んでも、東塔に辿り着く頃には王城を警邏する親衛隊がアンデッド感知によってこちらの存在に気付き警戒度を上げるであろう。私の偽装魔法(コンシステント)では上級以上の魔道具を欺けないからだ。


 城壁上から大まかな経路を確認し、私たちは再び動き出す。城壁から城内第一層に下り中周の城壁に向かう。城内に入っても見張りには全く出くわさない。首都ジェラズヴェザやゲダリングの街中を駆けた時と同じ。この城は見張りどころか、人っ子ひとりいないのではないかと勘違いしてしまうほど誰もいない。ここは王城なのだ。誰もいないはずはない。いやはや、ドミネートとは何とも反則的な魔法だ。エルリックに付き合っていると、潜入がとても簡単なことのように思えてくるから困る。


 疑似無人の城内を進んで城壁を更に二つ越える。内周城壁からは第三層、つまり最上層内部がよく見える。東塔は城壁間際に建てられている。ただ、間際といっても壁の上で助走をつけて跳躍して届くような距離ではない。一旦、壁から最上層の床面まで下りて塔まで走る。これが人間的な考えだ。


 ところがエルリックは壁から下りずに土魔法を展開する。魔法が作るのは二本の平行な棒だ。棒の径は私の指にして二本分ほどの太さしかない。遊具の鉄棒程度の頼りない細い棒二本の上をエルリックはスイスイと渡っていく。棒から足を滑らせて地面に落下すると軽い打撲では済まない。これではまるで曲芸師だ。


 私では到底真似できない曲芸と土魔法により地面に下りることなく東塔の壁面に到達し、壁を登っていく。ここで私は予測が盛大に外れたことを悟る。


 この場所は王城最上層だ。王族の暮らす居館はすぐそこにある。人体に例えるなら、私たちは心臓の真横に居る、と言えよう。中枢の中枢を新種のアンデッドがゾロゾロと何体も壁を這い回っているというのに王城は未だに沈黙を守っている。警報や警鐘の類が作動する様子は本当に何もなく、オルシネーヴァ人は至って平和な夜を満喫している。


 第一層や第二層との違いは見張りがいること。塔の壁から三層地上を見渡すと動哨がいる。しかし、それもごく少数。塔の壁を這う私たちに気づく様子は全くない。


 ジバクマとオルシネーヴァは戦争中ではあるが、ジバクマ軍の大部隊がオルシネーヴァ領内に攻め入ったことは一度もない。ジバクマ軍としては不名誉極まりないことであるが、今はそれが怪我の功名となっている。精鋭中の精鋭である王城警備の親衛隊ですら、ワイルドハントが奇襲してくるとは思っていない。だからこそこうやってやる気なくダラダラと巡回している。最上層を巡回する親衛隊の仕事は、いるはずのない敵を探すことではなく、寝過ごさずに定時の時間に定時の場所を巡ること、ただそれだけだ。どれだけ上等な装備に身を包もうとも、生まれもっての高い戦闘力に恵まれていようとも、侵入者に気付かないことには宝の持ち腐れだ。ゲダリングの庁舎を見回っていた民間警備員と大差ない。


 不法侵入者を想定していない塔は、どこもかしこも開け放たれた狭間(さま*)だらけだ。有事の際には、塔という高所から王都中を見渡し、場合によっては少し大きめの矢狭間(アロースリット)として働く機構も、今は私たちにとって都合のよい侵入口でしかない。




[*狭間――さま。城壁・(やぐら)などに設けて、外をうかがい、また、矢、石、弾丸を放つための小窓(広辞苑より)]




 塔の中に入ってからが今度こそ本番。親衛隊がウジャウジャいる……と、心構えをしておいたのに、入ってみると拍子抜け。外と変わらず静かなものだった。塔の中腹に空けられた狭間から侵入した私たちは塔備えつけの螺旋階段を下る。すると、塔正面入り口の扉内側には親衛隊が二人だけいた。この二人は常識的な侵入者が侵入口(アクセスポイント)に使いそうな正面扉を守っているのだ。外から塔に近づく者がいれば、扉の覗き窓から誰何し、不審者であれば引っ捕らえる。注意を向けるのは外であり、まさか塔の上から侵入者が下ってくるとは夢にも思っていない。二人はボンヤリと椅子に腰掛け、たまに小声で雑談している。会話内容全ては聞き取れないが、食べ物の名前がチラホラ聞こえることから、夜勤明けに食べたいものでも語らっているのだろう。何とも平和な労働者だ。


 フルルとシーワは階段柵から身を乗り出して壁を這っていく。螺旋階段をそのまま下りると歓談中の親衛隊真正面に飛び出してしまう。しかし、こうやって壁を伝えば、親衛隊の真上から奇襲できる。音を立てずに直上まで迫り、後は飛びかかって二人同時に首を絞めるだけ。親衛隊が重鎧を着込んでいないのが幸いだった。


 絞める、といっても命までは奪っていない。二人が失ったのは命ではなく意識だ。親衛隊の身体が完全に弛緩したところで眠り薬を溶かした液体を口に含ませ、さらにその上から魔法をかける。背高の手から放たれる珍妙な霧状の魔法の意味をポーたんが読み取り、謎の霧が睡眠魔法(スリープ)であることを私は理解する。睡眠魔法があのように不思議な霧を出すなどという話を私は知らない。新種のアンデッドだけあって、人間が使う魔法とは見た目からして異なっている。


 扼頸(やくけい)、睡眠薬、睡眠魔法の三重奏で深く丁寧に眠らせる理由をエルリックは、「親衛隊になるレベルの精鋭を殺すのは後の自軍の戦力を削ることに他なりません」と説明する。これはゲダリングの倉庫で軍事物資を発見した時と同じ。オルシネーヴァの保有する物資や戦力をエルリックは既に自分のものと見做している。侵入する前は、時間との勝負、と言っておきながら、いざ現場に着いてみれば、三重に眠らせた隊員を最後に縄で縛り上げる、という贅沢な時間のかけっぷり。今のところアンデッド感知に引っかかった気配はないから、これもギリギリ臨機応変の範疇だろうか。




 塔の扉に(かんぬき)をかけて密室化した後、塔一階を探索する。最奥部にはちょっとした小部屋があった。ルーヴァンの手記によると、この部屋の中にいるのは王城防衛の統括責任者だ。日中であればその役割を担うのは親衛隊隊長であり、隊長はこの小部屋を執務室として仕事をしている。夜間の今は隊長代理が部屋の中にいる。


 小部屋の扉の前に背高が佇み、そのまま数分の時が流れる。エルリックは小部屋内部の構造を探っているのだ。奇襲に適した構造が何もない、と判明すると、背高に代わってシーワとフルルが扉の前に立つ。二人は変装魔法(ディスガイズ)により、先程眠らせたばかりの親衛隊とそっくり同じ姿になっている。


 シーワは扉をノックすると、返事を待たずに部屋の中に入る。シーワとフルルの二人が部屋の中に入った直後に、「ん、なんだお前ら。勝手に入って――」と、声がして、それきり一切の物音が途絶えた。


 二人に遅れること数十秒、私たちも中に入る。部屋の床には筋骨たくましい男性が寝かされていた。部屋の中に争った形跡は全く無い。男が座って仕事をしていたであろう座席の傍らには、一振りの剣が虚しくホルダーに立てかけられている。勿論、鞘に入ったままだ。憐れ、この男は抜剣すらしないままエルリックに眠らされたのだ。


 夜間とはいえ親衛隊を統括する立場にあるのだから、この男は階級も役職も相当に高いはずだ。身体つきを見るに、高い立場にふんぞり返っているだけでなく、鍛錬を怠っていない。戦闘になっていたならばさぞかし強かったことだろう。


 大きな机の上には決済途中の書類がうず高く積まれ、一部は床に散らばり落ちている。夜間も健気に仕事をしていたのだ。机で書類仕事をしているあたり、この男は隊長代理ではなく本当の親衛隊隊長で、今日はたまたま夜番で決済業務の続きをこなしていたのかもしれない。私はオルシネーヴァの親衛隊の顔など知らないから実際のところは分からないが……。


 男の入眠作業を終えたエルリックは、何もよりも先にホルダーの剣に手を伸ばした。鞘と柄に手をかけたポーラが物理錠と闘衣錠を瞬時に外して剣を鞘から引き抜く。一瞬とはいえ、ポーラの闘衣を見るのは初めてだ。一度も戦うところを私たちに披露したことのないポーラが闘衣を使えたのは驚きである。


「あっ、この剣、結構いいやつです。やったあ。良い物を手に入れてしまいました」


 審理の結界陣を入手するために王城に来ただけなのに、エルリックはそれ以外の物品を盗むことに一片の疑問も感じていない。ワイルドハントらしくなってきた。


 ポーラはそのまま剣身を眺める。


「この剣、ローマン、という名前が刻まれていますね。この人の名前か、剣匠の名前か」

「それ、剣匠の名前ですよ。数十年間、オルシネーヴァ最高の名工という評価を守り続けている本物の中の本物です」


 独り言じみたポーラの発言にラシードが熱く返事する。


「敵国の剣匠について知っているとは、君はよく勉強していますね」

「別に勉強熱心とか、そういうのじゃないですよ。ちょっと前までは友好国だったんで、俺の実家にも一振りだけローマンの打った剣があるんです。親がやけに大切に手入れしていたから、たまたま覚えていただけです」


 ローマンという名前には私もどことなく聞き覚えはあるが、ラシードに言われるまで思い出せなかった。男はどうしてか鎧や剣が好きだ。どの剣が強いだの、あの甲冑が格好いいだの、値段がいくらだの、剣匠が捻くれているだの、武具の話をさせると異様なまでに盛り上がる。アリステル班でラシードが武具談義に熱を上げたことはないが、単に語らう相手が居なかっただけの話で、本当は熱弁したくて仕方なかったのかもしれない。


「それはそれは……。では、感謝して使わせてもらわなければなりません」


 剣一振りでエルリックの機嫌は上々になる。ポーラは剣を鞘に納めて荷物に加えると、満面の笑みを浮かべて床に転がる男の身体をひん剥いていく。美人が笑顔で男を全裸にする様というのは、何とも言えない淫猥さがある。


 失神させられたとはいえ、裸になった男の血色はすこぶる悪い。それに言及すると、「身体に悪い、とても強ーいお薬を使ったからでしょうねえ」と、ポーラは悪びれずに答える。笑顔で危険薬物の使用を告白されると快楽殺人者と話しているような気分になる。


 男から剥がした装備を探り、ポーラは一本の鍵を見つけ出した。これは宝物庫の鍵ではない。宝物庫の鍵の保管場所にアクセスするための鍵だ。宝物庫に入るだけでも手順が多く煩雑だ。まるで役所仕事の見本のような事例である。


 エルリックが破れるのは簡単な錠に限定されているようだから、鍵探しに時間を費やすのもやむを得ない。


 エルリックは仮称、隊長に再び装備を着直させると、ぐったりと弛緩したままの身体を肩に担ぎ上げた。


 塔の上層部にある鍵の保管場所に向かいつつ、隊長の姿をトゥールさんに“転写”して情報を集める。


 トゥールさんの特性上、強い相手に小細工なしで調査を強行すると調査効率はガタ落ちし、時間がとんでもなく長くかかってしまう。一転、こうやって毒なりなんなりで瀕死にしてもらえれば調査が捗る。レンベルク砦での学びが活きている。




 そのまま何の障害もなく塔上層部で宝物庫の鍵を無事に確保した私たちは一旦足を止め、隊長の執務室で入手した王城の見取り図を全員で眺めながら宝物庫への潜入経路を再思案する。


 時間短縮のために上層部を直進するか、一旦城壁まで戻り、壁を伝って回り込むか議論していると、塔の外から人間の声が聞こえだす。


 耳をそばだてると、『アンデッドが云々』と、喋っているではないか。どうやら魔道具がアンデッド反応を感知し、親衛隊が動き始めたようだ。このまま最後まで私の偽装魔法(コンシステント)は見破られないのではないか、などと思っていたが、それは少し虫の良い考えだったようだ。


 ラシードと視線を交わし、危険度が一気に増したことを無言で確かめあう。すると、その場に走る緊張感を壊すように、ポーラがクスクスと笑い始めた。


「親衛隊はまだ事態の深刻さを理解していませんね。『また誤反応かなあ?』とか、『ネズミでもアンデッド化したんじゃないか?』などと、とぼけたことを言っていますよ」


 城内にアンデッド感知の魔道具がひとつだけ、ということは考えにくい。私の偽装魔法(コンシステント)により、程度の低い魔道具は反応せず、上質な魔道具だけがアンデッド反応を告げている、そういう状態のはずだ。それがどれだけ危険な状態を意味しているか即座に理解できないとは、親衛隊の名が廃る。塔内の親衛隊各員が眠り、剰え隊長が瀕死になっているとは思いもよらないだろう。


 私たちは侵入口に使った狭間から塔の外へ脱出する。塔の壁を下ると、塔の正面入口方向から、「おーい、寝てるのかー。扉を開けろ」と、まだ事態を理解していない親衛隊の声がした。


 そのまま開くことのない東塔の扉と語り合っていればいい。


 私たちは親衛隊に見つからぬまま最上層の地上を走り、東塔の裏側から城壁へ辿り着くと、壁を登って壁の外側に身を隠した。


 いくら呑気な親衛隊でも、塔の中から返事が無いことの異常性にはすぐに気付くだろう。もう最上層はひっそりと突っ切れる場所ではない。私たちは城壁の外側を伝い、王族の居館と宝物庫がある北側へと向かった。


 いつもならば私は紐に完全に結ばれた状態でイデナの背中に背負われているが、今はシーワに載せられている。しかも、キッチリ背負子で身体を結び留めておらず、私とシーワの身体を繋ぐのは一本の紐だけ。ほとんど自分の腕力でシーワにしがみついている、と言っていい。


 壁伝いに北側まで完全に回り込むんだところで背高、イデナ、マドヴァの三人が壁に直立し始めた。ここで何かをやろうとしている。


 イデナではなくシーワが私を背負っている理由を理解する。壁に垂直に立たれた日には、しがみつく私の筋力が保たない。


 三人は両手を掲げ、万歳の姿勢を取っている。魔法の溜め(チャージ)を彷彿とさせる姿勢だというのに、具現化した魔法はどこにも見当たらない。


 エルリックの魔法の空溜めを待つこと数分、最上層壁内はいよいよ騒がしくなってきた。親衛隊が本格的に動き出したようだ。


「どうしても時間が掛かって仕方ないなあ……」


 独り言のようにポーラが呟く。親衛隊に今にも発見されそうになっているとは思えないほど緊張の伴わない声だった。


「これは今後、要改良です。……さあ、二人とも、これから大きな音がします。頭を伏せて耳をしっかりと塞いでください」


 ポーラは独語に続けて警戒を発する。


「大きな音?」

「ベネリカッターを使います」


 ポーラはそれだけ言って自分の耳を塞いだ。


 ベネリカッターという単語にギョッとした私とラシードは、シーワとフルルから落下しないように思い切り身体を押し付けながら手で耳を塞ぐ。シーワにしがみつきつつ自分の手で耳を塞ぐ、というのは難易度が高い。何度か腕を組み直して防御態勢を取り終えた直後、巨大な爆発音が鳴り響き城壁が激震を始めた。揺れる、とかいう生易しいものではない。城が私たちを振り落とすため、意志を持って全力で飛び跳ねたかのような尋常ならざるものだ。紐を身体に回していなかったら冗談抜きでシーワから身体が弾き飛ばされるところだった。


 轟音と激震に引き続き、シーワが激しく身体を動かす。いつもの優しく静かな移動の揺れとは違う。シーワは何かと戦っている。恐る恐る目を開けてみると、シーワは飛来する石礫を剣で弾き落していた。両足で壁に斜めに立ち、両腕で剣を振り回す。壁登りのスキルを持つエルリックだからこその芸当だ。


 石礫がどこから飛んできたか。答えはひとつしかない。ベネリカッターが破壊した()()()()()だ。“レンベルクの悪夢”においてオルシネーヴァの魔法兵大隊ひとつを消し飛ばした土魔法は、此度は最上層を囲う城壁と王族の居館の北壁を貫き、それでも勢い止まらず、さらに中層、下層を囲う城壁を幾層にもわたって穿ち崩していた。


 ベネリカッターをまさかこんな間近で目撃することになるとは思いもよらなんだ。ゴーレムをバラバラに打ち砕いたのは伊達ではない。しかも、エルリック曰く、まだまだ発展途上の魔法。“レンベルクの悪夢”とは、先のレンベルク砦での一大会戦におけるオルシネーヴァ側の呼称だが、その呼び名がジバクマ軍に伝わってきて以来、すっかり定着してしまった。


「侵入口と逃走経路を同時に作成できて一石二鳥になりました。さあ、我々を歓迎する、大きく開いた口から中に入りましょう」


 私たちはできたばかりの大穴から宝物庫に繋がる居館の中へ突入した。




 どんな寝坊助でも飛び跳ねて起きる大警報(アラーム)により、居館の奥からワラワラと親衛隊が駆けつける。これを敢えて言うならば、「事故現場へ急行」というところだろう。


 親衛隊の足音が聞こえると、エルリックは素早く身を隠す。壁を登って天井に張り付いては、無節操に走る親衛隊を一旦やり過ごす。実に簡単だ。


 扉を開けて中に入るとき、人は正面を見る。親衛隊のように敵を警戒している者は、素早く横も見る。しかし、真上は普通見ない。


 天井で息を潜める私たちには気付かずにそのまま駆け抜けようとする親衛隊の直上から、エルリックは音もなく落下して一撃を当てる。それだけで親衛隊はバタバタと倒れていく。落下攻撃を受けた者は、何が起こったか分からぬまま戦闘不能となり、奇襲に気付いた新鋭隊は、精々剣を一振りするだけで、敢えなくエルリックの返しの剣を受けて倒れる。


 先行隊員の犠牲によって私たちの存在に気付いた後続の親衛隊は、私たちのいる部屋には突入せず、扉の奥に慌てて身を隠した。これは戦力を集めてから一斉にこちらに突入してくるパターンだ。


 扉の奥には何人いる? 一〇人か? 二〇人か?


 浮足立つ親衛隊を束ねるために上がる上級親衛隊員の大きめの指示の声が小声に変わろうか、という時、エルリックは扉など無視して壁を剣で叩いて突き破る。そして崩れた壁から一斉に突入し、親衛隊へ襲い掛かっていく。


 凄い……。


 上等な装備に身を包み、闘衣を纏い、死に物狂いで戦う親衛隊が、虫けらのように倒されていく。まるで戦いにならない。


 毒壺にいた一年弱により、エルリックの強さは重々承知している。レンベルクの悪夢を経て、対人、対軍戦闘力が高いことも理解していた。アリステル班はこのワイルドハントの強さを世界で一番理解していると言っても過言ではない。しかし、今、エルリックは私の理解を再び超えている。


 乱戦にもつれこむ前にオルシネーヴァ兵の頭上へ落下攻撃を行うタイミングにはじまり、壁を突き破り、それと同時に突入するタイミング。乱戦が始まってからは、敵の攻撃を避ける方向、左右上下に分かれるタイミング、局所的に多対一の状況を作り出す位置取り、挟み込んでから攻撃を仕掛けるタイミング。


 何もかもが完璧だ。連携が取れている、などという次元ではない。呼吸合わせを一切せずに、八人全員が完璧な協調の下に動き、飛び跳ね、剣を振るっている。それはあたかも八人のメンバーがただひとつの生命であるかのように、見事に連動している。


 スパイダー( クモ )(あし)は六対一二本ある。歩脚だけでも四対八本。人間の手足の倍にもなる数の脚をスパイダーは完璧に使いこなす。ある脚は右側に、別の脚は左側に、などと、脚並みが乱れることなどない。急速走行するときも、脚と脚がぶつかって絡まることなどもない。エルリックの戦い方は、スパイダーを思わせる。八人が協力して戦っているのではなく、「ひとつの脳」が全てを操り、協調して動かしているような、そんな錯覚を私に与える。


 そういえばエルリックは常々パーティーメンバーを指す際、「手足」との言い回しを好んで使う。それは比喩でもなんでもなく、指令者にとって本当に手足なのでは……。


 異次元の高水準で繰り広げられる戦闘模様が私に恐ろしい憶測を喚起する中、親衛隊は次々に戦闘不能になり、あっという間に殲滅と相成った。




 居館に静寂が訪れ、床に倒れ伏す親衛隊をグルリと見回して、数を数える。親衛隊は百人も千人もいるかと思っていたが、この場に倒れているのは高々数十人ほど。決して百には届かない。


 気配を研ぎ澄ましても、後続がここに集まってくる様子はない。如何に本城を守る親衛隊といえども、非緊急時の夜間に城内で待機している人数はこの程度、ということだ。




 見取り図を活用して居館を進み、宝物庫の扉の前に来た。トゥールさんによる調査とルーヴァンの手記から、宝物庫の扉に罠が仕掛けられているのは分かっている。ポーたんも罠にしっかりと反応している。


「扉の罠はどうやって解除するのです?」

「そこは彼の出番ですよ」


 荷物のように担ぎ上げられていた隊長が力なく立ち上がる。執務室で全裸にされた時よりは血色が戻っている。時間経過で薬の効果が切れたか、解毒魔法で回復を早めるかしたのだろう。


 ポーラから鍵を渡された隊長がひとり、宝物庫の扉に近寄っていく。


 この動き、隊長はエルリックにドミネートされている。ドミネートという魔法で操れるのは、カッパークラス程度の力量の者まで、と思っていたが……。まさかこの隊長らしき男が闘衣を使えない、ということはないだろう。これはおそらくトゥールさんによる調査と同じ。どれほどの強者であっても瀕死にさえしてしまえば操れる。そういうことなのだろう。


 ならば、フルルやイデナがドミネートされていても不思議はない。毒壺で私とエルリックが衝突した時も、フルルやウルドが傀儡である可能性を私は考えた。


 ……それでもやはり無理のある推理かもしれない。アンデッドは生者と違う。毒は基本的に効かないし、何よりどんなに痛めつけても、生者と違って「瀕死」という状態にならない。


 私たちは扉から離れて隊長の解錠作業を見守る。


 隊長が鍵を鍵穴に差し込んで捻った瞬間、ヒュッという風切り音と、ズブリという鈍い衝撃音が鳴った。


 見ると、隊長の腕には小さな矢が刺さっていた。状況から考えて、あれはまず間違いなく毒矢。隊長は刺さった矢には目もくれずに鍵を回し続ける。


「うーん。なかなか開きません。開け方にコツがあるのでしょうか……。ああ、分かりました。目に付きやすい鍵穴は偽物なのです」


 ポーラが独り言ちると、隊長は身を屈め、足元の高さにある扉の鍵穴に鍵を差し込んだ。すると、またしても隊長の腕に矢が刺さる。隊長の腕に生えた矢の数が三本、四本と増え、五本に達したところでようやく宝物庫の扉は開いた。


「隊長の身体は限界の模様です。ここからは別の()()()の力を借りましょう。サナ(ラムサス)さんも補助をお願いします」


 開いた扉の前でグタリと倒れて動かなくなった隊長にはおざなりに回復魔法がかけられ、そのまま床に寝かせられた。お役御免となった隊長の代わりに、先ほど倒したばかりの親衛隊を新しい傀儡として目覚めさせ、その者を先頭に宝物庫を進む。


 宝物庫内にはあまり罠が無かった。仕掛けられていたのはたったの二箇所だけ。そのうちの一箇所に審理の結界陣はあった。他の財宝と同じように、ただそのまま置いておけば探すのに少しは時間がかかった。それが、ご丁寧に罠を仕掛けてくれたお陰で、むしろ私には目印になり、探すまでもなく見つけることができた。


 傀儡の親衛隊を使って罠を解除し、結界陣を収納する箱ごとマドヴァが回収した。


 ポーラが宝物庫の外をチラリと見る。


「下の階層から別の親衛隊がこの層に辿り着きました」

「えっ!? では、早く脱出しないと!」

「大丈夫です。彼らの大半は宝物庫側ではなく王族が退避している側に回り込みました。すぐはこちらに来ない模様です。折角、宝物庫を手薄にしてくれているのです。もう少し宝を漁るとしましょう」


 エルリックは私がマジックライトでマークを施した残るひとつの罠仕込みの財宝に近付いていく。


 一見して貴重品櫃(カーファー)と分かる(いかめ)しい装飾が施された長持の罠を、傀儡を使って解除し、開き戸を開ける。中に収められていたのは、一振りの剣だった。守られていた剣へ傀儡が手を伸ばす。


「触れてはなりません。その剣、何らかの呪いがかけられています」


 私に警告され、傀儡が慌てて伸ばした手を引っ込める。


「なるほど。都合がいいことに手引がありますね。読んでみましょうか」


 傀儡が貴重品櫃(カーファー)に同梱されていた一冊の薄い本を手に取る。


「ページをさっと捲って見てください」


 傀儡が内容に目を通すことなく本の頁だけをサラサラと送り、早送りされる本の内容をポーたんで読解する。


「人間が握ると、その者の魔力が尽き果てるまで手から離れなくなります」


 この剣の呪い……これはオルシネーヴァ秘蔵の魔剣クシャヴィトロだ。よく見れば、表書きにもきちんと剣の名前が書いてある。


「ははあ、それは結構な呪いです。一応持っていくとしましょう」


 人間には不可触の魔剣をエルリックは貴重品櫃(カーファー)ごと装備の中に収納する。その他、魔道具を数点回収すると、エルリックは宝物庫の出口へ足を向ける。どうやら略奪はこれで終了の様子。歴史的、美術的価値がある財宝には徹頭徹尾、興味を示さない。


 宝物庫入り口の扉まで戻ったところで私は違和感に気づいた。


 扉の罠を解除した後、お役御免となって床に横たえられた隊長の姿がどこにも見当たらない。毒に冒された身体で這いずり移動したのだろうか。


 神経を研ぎ澄まして気配を探ると、扉の向こう側に多数の人間の存在を感じる。


 親衛隊は、私たちが宝物庫から出てくるところを待ち伏せしているのだ。


「さて、数的不利な状況です。彼も活躍しがいがあるというもの」


 哀れ、傀儡は土魔法の盾を持たされ、入り口に向かって走っていく。


 入口を通り過ぎた瞬間に傀儡に大量の矢が射かけられ、土魔法の盾がボロボロに崩れる。


「目を覆え」


 ポーラが一言、私たちに指示を出すと同時に、背高とイデナは魔法を放った。


 飛んでいった二発のファイアボルトは、エルリック作にしては歪形をしている。エルリックの魔法は常々、見て美しい整った紡錘形をしている。不心得者が作った泥団子のような出来の悪い球形のファイアボルトが私の視線を強く引きつける。


 しかし、あれを見ていてはダメだ。


 警告を思い出して目を強く瞑った直後、(まぶた)の上からでも眩しさを感じるほどの強烈な光と、耳から脳髄までをビリビリと痺れさせる高調な炸裂音が響く。


 眩しさによる視界の消失と耳鳴りによる聴覚喪失の中、私を背負うシーワが急激に動く。シーワから振り落とされぬようシーワの動きを見定めようにも、連続して放たれる閃光魔法のせいで目を開けられず、ひたすら強くシーワの背中にしがみついていることしかできない。


 私をわざと振り落とそうとしてブンブン振り回しているかのような超急激な左右移動が鎮まり、おそるおそる目を開けてみた時には、私たちはもう居館の外に脱出していた。


 先のベネリカッターは居館の壁を崩すだけでなく、内周、中周、外周の三重の城壁全てを貫いて真っ直ぐに一本の逃走経路を作っている。


 崩落部を通してよく見れば、中層にも下層にも百では利かない多数の親衛隊が集まっているではないか。


 これは力押しだと容易に突破できない。何か策を講じないことには、と咄嗟に考えるも、エルリックは親衛隊員の群がる城壁崩落部に真っ直ぐ突っ込んでいく。


 いかに強いとはいえ多勢に無勢、これでは自殺行為だ。


 親衛隊による一斉攻撃を覚悟して一際強くシーワの背中を掴む。


 しかし、どれだけ待っても親衛隊は一向に私たちを攻撃してこない。「止まれ!」と叫ぶ者が数人いるくらいで、鞘から抜いた剣を誰も振ろうとしない。


 ……ああ、分かった。この連中は、異常事態を察して取り敢えず現場に駆けつけただけなのだ。そこから先の行動を独断で取るのは親衛隊という部隊の性格上難しい。


 本来であれば、宝物庫の入り口で毒矢塗れにされた隊長がこの隊員たちを統率していた。あの男が、『殲滅しろ』なり、『生け捕りにしろ』なりの号令を出せば、この親衛隊員は獅子奮迅の働きを見せてくれる。何せ、親衛隊。全員が兵として極めて優秀だ。


 しかし、責任を取れる指揮官の指示がないことには、私たちという不審人物を見つけても、迂闊に勝手な行動を取れない。これが大きな部隊の欠点だ。班や小隊などの規模の控えめな部隊と違い、ひとりひとりに与えられた裁量が小さく、個々の判断による行動を許されていない。


 私たちが中周の城壁を全員突破する時になってようやく、「そいつらを捕まえろ」と誰かが叫んだ。親衛隊員が待ち望んだ指示がもたらされるも、内容が十分ではない。『抵抗するなら殺しても構わない』と申し添えられなかったために、私たちの前に立ち塞がらんとする親衛隊員からは気合しか出ていない。それでは不十分なのだ。


 エルリックに対抗しようと思ったら、やる気や気合だけでは全く足りない。求められるのは一撃で相手の命を奪う殺意の剣、高威力かつ針の目を通すような制御された剣術だ。牽制や威嚇を目的とした腰の入っていない、捕縛術の延長線上にある剣撃などは簡単に弾かれてしまう。それが分かっていない親衛隊は、捕獲を目論んだ立ち回りから鈍い剣を撃つ。


 捕獲目的であっても呼吸が揃っていればそれなりにこちらを足止めできたであろうが、あまりにも急なことで親衛隊はてんでバラバラに掛かってくる。それをエルリックは完璧な息合わせで受ける。


 冴えというものが感じられない鈍重な親衛隊の剣をフルルが走りながら簡単に防ぎ、続く二脚が親衛隊の身体を軽く蹴り飛ばし、そこにできた隙間をマドヴァが悠々駆け抜ける。


 何人掛かってこようと、およそこれらの繰り返し。数は親衛隊のほうが圧倒的に多いというのに、連携の関係上、親衛隊ひとり対エルリック複数人の構図が局所的に何箇所も生じている。戦闘模様の一瞬一瞬を切り取って見てみると、どの一瞬を見ても戦闘に関与している数は親衛隊よりもエルリックのほうが多いのだ。


 私たちはまるで苦戦することなく王城から脱出することができた。


 城外まで達すると親衛隊は魔法を飛ばしてきたが、エルリックは後ろを振り向きすらせずに後方から飛来する魔法を軽々と避けて走り続ける。勢いの衰えないアンデッドの全力疾走によって私たちはあっという間に城下街まで到達し、親衛隊からの攻撃は途絶えた。


 シーワの背の上で身を捻って背後を見るも、親衛隊は誰も付いてきていない。私たちは無損害で王城を脱出できたのだ。




 戻ってきたエイナードの街中は、ベネリカッターの爆音によって強制的に目覚めさせられた民衆と防衛兵で溢れていた。万にも届く無数の目が王城を向く中、私たちは王城とは逆方向に進んでいく。


 数え切れないほど多くの人間が私たちを見ている。しかし、あくまで視界の端に映っているだけ。誰も私たちを視野の真ん中に置かない。


 排除すべき異分子、とも、捕らえるべき盗賊、とも認識されないまま、私たちは“観衆”の横をすり抜けていく。この民衆たちが観たがっているのは、みすぼらしいローブに身を包んだ老人たちではない。もっと見ごたえのある大きな“異変”だ。




 数多の人垣越えて走り続け、物見の民衆と兵が疎らになったところで足が止まり、エルリックが後ろを振り返る。


 緊急事態発生に伴い灯された大量の篝火は王城を煌々と照らし、北側の端が不自然に欠損した名城の陰影を闇夜に立体的に浮かび上がらせていた。




    ◇◇    




 私たちはそのまま何事もなく廃教会まで帰り着く。アリステルとサマンダは地下室に隠れもせずに私たちの帰りを待っていた。


 戻ってきた私をサマンダが抱き迎え、ポーたんがその行為に込められた喜びの“メッセージ”を読み取る。


 上手く目的を達成して戻ってこられた、という私の喜びの程度よりも、無事に戻ってきてくれた、というサマンダの喜びの程度のほうが強い。


 サマンダは思っていたほど私のことが嫌いではないのだろうか。仲間として信頼してくれているのは分かっていたが……。うーん、人間の心理とはなかなか一筋縄に読み解けないものである。


「俺、何もしてないんですけど!」


 誰も怪我せずに目的を達成できて、全員大満足している、と考えたのは早計で、なぜかラシードは怒りを爆発させていた。


 ラシードが何を不満に思っているか察しがつき、ご立腹の本人には申し訳ないが、思わず失笑してしまう。


 エルリックが王城で好きに動き回っては無体の放題を尽くす間、私は小妖精でほんの少しだけ仕事をした。ラシードがしたのは、エルリックが眠らせた親衛隊を緊縛する際の補助や、剣匠ローマンの講釈だ。


 断じて何もしていなくはないのだが、ラシードが突入メンバーの一員に加わってやりたかったのは、泥棒の下っ端紛いのようなことでも、雑学を披露することでもない。無限に湧き出る親衛隊との身を削る死闘、ひとりまたひとりと倒れていくエルリック、生存への希望の光は微か、しかしそれでもラシードは諦めずに藻掻く……。大方、そういう妄想をしていたのだろう。


 ところがどっこい、ラシードは本日一切の戦闘に関わっていない。


 エルリックの侵入技量が高すぎたゆえに、東の塔では奇襲からの無力化で全てが終わった。少しだけ交戦らしきものがあったのは、宝物庫に入る直前。あれに手出しするには、ラシードに足りないものが多すぎる。


 戦闘力的には今より数段強くならないと話にならない。壁登りのスキルも不可欠だった。そしてどれだけ強かろうと、エルリックの集団戦ではメンバー間で完璧な連携ができないとダメ。普通の人間集団同士が繰り広げる乱戦とは全く別次元の超々高度な意思疎通ができなければならない。


 たとえラシードがミスリルクラス相当にまで強くなったとしても、上手く連携できないと邪魔にしかならない。邪魔をしない一番の方法は、エルリックの背中におぶさっていること。戦場で棒立ちされても、それはそれで邪魔。いずれにしても連携できなければただの荷物、強さはこの際重要ではない。


 それを分かっていないラシードは自分の活躍の場面が無かったことに怒り、ぶんぶんに膨れている。


「ちゃんと手伝ってくれたではありませんか。君は親衛隊相手に力試しをしたかったのかもしれませんが、それは我々の今回の目的ではありません。我々の目的はあくまで魔道具の回収。理想的には親衛隊と一合も剣を交えるべきではなかったのです。もう王城は出てしまったのですから終わったことは忘れ、目的を達成できたことと全員無事に帰ってこられたことを喜びましょう」


 エルリックは冷静かつ論理的にラシードを宥める。ラシードがこの膨れ方をしているとき、正論で諭すのは正解ではない。


 ラシードの扱いを知悉したサマンダがラシードの真横にスルリと身体を差し入れ、怒れるラシードの思いの丈を聞き出す。この怒り具合からすると、サマンダの力をもってしても少し時間がかかりそうだ。


 ぐずるラシードの対応をサマンダに一任し、私とアリステルは回収品を検分するべく地下室へ下りる。真っ先に調べるは大本命、審理の結界陣だ。


 箱の蓋を開けるとマジックライトの白黄色に照らされた結界陣が冷たい鈍色の輝きを放つ。宝物庫からここまで持ってくるまでの間、かなり衝撃や振動を受けただろうに、どこも損壊していない。どちらかというと男性が好みそうな古美術品の風体をした魔道具の中心には不気味な毒々しさのある精石が奢られている。保存状態は何も問題ない。


 大聖堂の例があるから興味本位で分解されたり、ぞんざいな扱いを受けて破損されたりしていないか不安だったが、杞憂に済んで何よりである。


「これ、もう読みました?」


 私たちに少し遅れて地下室に下りてきたポーラが結界陣を収めていた箱から一冊の本を取り出す。


「いえ、まだです」


 ポーラは本を数秒だけ流し読みすると、こちらに差し出してきた。


「その本の中に、虚偽の記載や初めて知る内容がないか確かめてもらってもいいですか?」


 受け取った本の表書きには、審理の結界陣手引、なることが書かれている。


 私たちに結界陣の手引を押し付けたポーラは魔剣クシャヴィトロの手引を開く。流し読みではなく、背高と仲良く並んで(いち)(いち)頁じっくりと精読している。


 道具を使いこなすには機能を知り尽くしていなければならない。私たちが結界陣の機能を全て知っているか、というと、疑問が残る。この魔道具には私たちの知らない機能があるかもしれないし、オルシネーヴァが結界陣に何らかの改造を施し、新しい機能を追加しているかもしれない。


 私はアリステルと一緒に結界陣の手引をじっくりと読むことにした。ポーたんで掴めるのは、この本の大意だけ。細かな部分はきちんと目を通さないと分からない。


 ……


 …………同じだ。


 オルシネーヴァが書き上げた手引に記されていた内容は、私たちの持つ知識と何も変わりがなかった。生命ある者には、その命と引き換えにしか扱えない、嘘を封じるための魔道具。効果範囲や時間あたりに消費する魔力量などについて綿密に調査してある。


「特におかしな記載は見当たりません。目新しい機能が追加された、ということもなさそうです」


 ポーラは私が返す手引を渋い顔で受け取り、背高と共に読んでは一層、眉を(ひそ)めるのだった。




 その後、他の魔道具にもざっと目を通していく。これらには手引が添付されていなかったため、ポーたん調べの大まかな効果しか分からなかった。ただ持っているだけで所有者に害を及ぼすような危険な魔道具は無かったため、全てそのまま持っていくこととした。


 検分を終えて地下室を出ると、やや機嫌を直したラシードがいた。


 サマンダにこれだけ長時間あやしてもらっても完全に直らないとは驚きだ。そんなに親衛隊と戦いたかったのか……。


「捜査の網が広がる前に王都を出ましょう」


 私たちは結界陣を奪還した。エルリックも執心の魔道具を奪還した。エイナードに来てから丸二日と経たずに目的を達成してしまった。たったの二日だ。私たちがオルシネーヴァに抗い苦しんできた年月は一体何だったのだろうか。力というものは、()くも無情なものなのだ。


 目的を達成した以上、エイナードに特に未練はない。敢えて心残りを挙げるならばただひとつ。美城と名高いクラーサ城を魔法で壊す前に、陽の射す時間に近くで見てみたかった。




 王都を出た私たちは脱出経路を南へ定める。エイナードに来る時に通ったのは東の街道沿い。南を通るのは、来た道とは別の道を通ってみたい、というエルリックの希望である。


 東と南、どちらの街道もオルシネーヴァの捜査網の厳重さは同程度だろう。エルリックが走るのは、街道ではなく街道脇。移動の速さを考えても、大量の追手と戦闘になる心配はない。


 私はイデナの背中の上で、今後について思案する。ジバクマの首都に戻った後、結界陣を使って誰から順に、どのような方法で裏切り者を沈黙させ、“愚者”に言うことを聞かせるか。結界陣を取り戻して思うに、結界陣奪還の難易度よりも、奪還した結界陣を最大に活用する難易度のほうが高いかもしれない。




    ◇◇    




 走り続けてオルシネーヴァとジバクマが戦争を始める前の旧国境線付近に差し掛かったところで、エルリックは足を止めた。私たちを背から降ろし、周囲を警戒している。


 手元の魔道具の反応を見ながらポーラが言う。


「アンデッド反応があります」


 アンデッドのエルリックが、アンデッド反応に警戒するのは実に妙な光景だ。エルリックはゲルドヴァで複数のアンデッド感知の魔道具を購入している。その中でも上級の物は、エルリックが放つ既存のアンデッド反応と新規のアンデッド反応を区別して教えてくれるのかもしれない。


「あれですね」


 ポーラは道の横、少しばかりの崖になっている場所の際に立って崖下を見下ろす。ポーラに引き寄せられるようにノエルと背高がポーラの傍へ寄っていく。


 そうやって揃って眺められると、何か面白いものでも見えるのか、気になるというものだ。


 私も崖際へ近付こうとすると、ポーラが振り返って片手を挙げ、私を制止する。


「危ないですから下が――」


 四名分の体重が集中したことにより、限界重量を超過したのか、地面がいきなり柔らかい焼き菓子のようにボロボロと崩れ始めた。


 拙い、崖下に落ちる!


 私が咄嗟に後ろに手を伸ばすと、ラシードがその手を掴んでくれた。ラシードの剛力が私の身体を軽々と崖上に引き上げる。体勢を整えながら崖上を見回してもポーラ、ノエル、背高の姿は見当たらなかった。

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