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第一五話 戦う理由

「それで、俺たちの次の任務は……!?」


 絶句から立ち直ったラシードが誰よりも早くアリステルに質問する。


「まずは首都へ向かう。全てはそれからだ」


 言葉を濁して明言を避けた様子ではない。どうやらアリステルにもそれ以上の指令は下っていないらしい。


 そういえばトゥールさんはどうなっている? 確かめなければ。


 ほとんど半年ぶりに小妖精のひとり、ソボフトゥルを喚び出してみる。私の呼びかけに応じ、剣で身体を十文字に切り裂かれたことなどなかったかのように小妖精はいつもどおり、黒い(もや)状の姿を現した。


 良かった……


「できればエルリックを連れて行く必要がある。そのためにも、一刻も早く彼らを探さないといけない」

「ワイルドハントを首都にですか?」


 ブリーフィングでは求められたとき以外あまり発言をしないサマンダが、抗議の感情を込めてアリステルに言う。ラシードですらそんなサマンダに驚いているのだから、サマンダがどれだけ珍しい反応を呈しているか分かる。ただし、サマンダの反応は至って正常とも言える。強力無比なワイルドハントを自ら首都に招き入れるなど、ともすれば自殺行為である。その危険性を、私もサマンダに言われるまで気付かなかった。毒壺の中でエルリックの毒に浸った時間が長すぎて、大分感覚が麻痺してしまっている。


「大丈夫。選択を間違わない限り、エルリックが首都の民を襲うことはない」


 エルリックの強さは圧倒的ではあるが、生者殺害に傾倒した集団ではない。それは毒壺生活で明らかになっている。では、選択肢があるのか、というところが問題になる。この先、首都でどんな事態が待ち構えているか不明だ。そこで私たちに選択肢などあるのだろうか。取れる行動がひとつしかないのであれば、選択とはとても言えない。


「さあ、迷っている時間なんて無い。足を動かしながらエルリックの向かった先を考えよう」


 庁舎でのブリーフィングを終了し、市街に向かって歩き出す。


「エルリックは骨肉店とか魔道具店ですよ。素材を換金するって言ってましたから」

「もしそれが終わってたら……食材店かな。ポーラさんは料理に凝っていた」

「あとは武具店。エルリックの武具は人間が作った物です。それを使っていたのだから、本格的な整備をするにも新調するにも、必ず武具店に立ち寄るはずです」

「ちょっと待って、皆」


 庁舎の敷地から足を踏み出す直前、アリステルが全員を止める。


「その四か所、どこにあるか分かる?」


 ラシードとサマンダは顔を見合わせて首を横に振る。私はごく幼い頃にリレンコフを訪れたことがある。理由や用事はよく覚えていない。親に連れられた来ただけの話であり、店の位置など全く記憶に残っていない。去年四人で来た時にしたって、憲兵団の庁舎と毒壺を往復しただけ。曲がりなりにも土地鑑があるのはアリステルだけで、そのアリステルですら詳しいとはとても言えない。回れ右をして憲兵に街の地理を尋ね、それから改めて四者に分かれてエルリックを探す。


 私が向かうのは武具店だ。武具店も何箇所かあるが、闘衣対応装備取扱店はリレンコフではひとつだけという。息を切らせて街中を走り、目的の武具店に辿り着く。急ぎ店内に入ってエルリックがいないか確かめる。しかし、ローブ姿の者はどこにも見当たらない。店員に尋ねても、そんな者は見かけていない、と言う。ここではない、ということか。


 街に到着して別れてから結構な時間が経っている。そのことを踏まえて考えると、エルリックが真っ先に向かった場所が骨肉店だとして、もうそこでの用事は済ませているはずだ。つまり、二つ目以降の場所に赴いている。……であれば別の武具店か、サマンダが向かった食材店か。


 もう既に誰か別の班員がエルリックを見つけている可能性はある。しかし、全員が空振りしている可能性もまたある。一番困るのは、エルリックが食材店にいる場合だ。そんなものは、街のいたるところにある。多くの店が集まった中心商店街を訪れていた場合はサマンダが見つけてくれる。これで街の片隅にポツンと孤立した小さな個人商店を訪れていた日には、私たちでは見つけられない。


 さあ、どうする。もう少しこの店でエルリックが来ないか待ってみるか、別の場所を探してみるか。何か行き先を推測する端緒はないだろうか……


 考え事をしながら()()もなく店外へ出ると、そこには私たちの探していたポーラがいた。


「血相を変えてどうしたんですか、ラムサスさん?」


 少しだけ眉を上げて驚いたポーラが問いかける。


「ポーラさんたちを探していたんです。お願いです。私たちと一緒に付いてきてください」


 袖を引いてでも連れて行きたい気持ちでポーラに近付くと、ポーラはすっと手を挙げて私を制した。


「落ち着いてください。まずは我々を呼び出す用件を聞かせてもらいましょうか。何も聞かされずにノコノコついて行くつもりはありません」


 ポーラの顔に毒壺で見せていた笑顔はなく、代わりにあったのは凍り付くように冷たい視線だった。トゥールさんを斬られたときの威圧感に少しだけ近いものがある。


 あの事件のしばらく後にポーラは、殺意などなかった、と笑っていたが、私が剣を持ったフルルから目を切れずにいた間、きっとポーラは今と同じ目をしていたのだ。


 次の瞬間に私を斬り殺してもおかしくない。そんな冷え切った目だ。そういう死の恐怖以上に辛いのが、ポーラにこういう目を向けられている、という事実だ。愛想笑いではない、本当のポーラの笑顔を知っているからこそ、こんな目を向けられるのが辛くて堪らない。


「ゲルドヴァでのオルシネーヴァとの事情は、もう知っていますか?」


 少しだけ震える声でエルリックにこちらの状況を説明する。事前打ち合わせはほとんどできていないから、どこまでが民間人でも知っている情報で、どこからが機密に当たるか分からない。そのため、漠然と濁した聞き方をせざるを得ない。


「ああ、もうゲルドヴァが失陥寸前という話ですね。骨肉店の人たちから聞きました」


 エルリックが最初に訪れていたのは骨肉店だった。相変わらず耳が早い。話も円滑に進められるというものだ。


「私たちの班は首都に帰参を命じられています。そしてその際、あなた方にもご同行いただくように、と指示が下りています。どうか私たちと一緒に――」

「何度も言わせないでください。それには肝心な部分が抜けています。我々が首都に喚ばれる理由です。それは何なのでしょう?」

「それは……」


 それは私も分からない。その場に行ってみないと本題が分からないのは、エルリック相手に限ったことではない。


 ジルの命令だとしても、ここに鏡はないのだ。鏡を使うか、誰か事情を知る“仲間”に会えないことには、私もアリステルも答えられない。


「話にならないですね。建前すらも知らされていないとは。それくらいはちゃんと確認しておいてください。心配せずとも、我々はしばらくこの街に留まります。きちんと理由を教えてもらったら、召喚に応じるかどうかを考えましょう。どうせ、ゲルドヴァを守るために戦争に出て人殺しをしろ、とか、そんなところでしょうけれど。大丈夫、落ちるときはどれだけ急いでも落ちてしまいますし、落ちないときは一週間や二週間遅れても落ちませんって」


 ポーラは私の横を通って武具店の中へ入ろうとする。


 どうすればエルリックを説得できる。私の持っているものの中にエルリックを惹きつけられるものがあれば……。まてよ、持っていないものであればある。


「ポーラさんはヘイダ(ラシード)に剣を授けてくれました。私にも頂けますか?」


 ポーラは立ち止まるとゆっくりこちらを振り向いた。


「ええ、いいですよ。都合がよいことに、ここは武具店です。ラムサスさんに一番合ったものを見繕ってもらいましょう」


 ポーラは優しく微笑む。


「いえ……剣の代わりに、私の“お願い”を聞いていただきたいです」


 折角私に向けてくれていた本当の笑顔はあっという間に消え去った。


「アリステル班の皆さんが我々に害意を持っていなかったとしても、皆さんにそれを命じた上層部、何なら国王がそう思っているかどうかは別の話です。もしかしたら命じた側は皆さんにも嘘をついているかもしれません。あなたを疑わずとも、あなたの話全てを信じることはできない、ということです。我々を滅ぼすのが目的であれば首都には招かない、とは思います。しかし、それでもおいそれとは行けません。甘い想定をしていると、両腕を斬り落とされてしまうかもしれません」


 ポーラは私ではなく向こうの建物をボンヤリと見ながら話す。その目は少し寂しそうだ。両腕の離断は、おそらく喩え話ではなく、現実に二脚に降り掛かった出来事を指している。二脚が両腕を失った理由の一端を、思いがけず私は知ってしまう。


 エルリックは、本当は一緒に来ようと思っている。でも、そうすべき動機が十分ではないことを厭っている。理性と感情の相反。だから私を見ない。


 エルリックもまた足を運ばざるを得ない理由を探している。あと一押しだ。どうすれば……


 さっきは“持っているもの”ではなく、“持っていないもの”が私に取っ掛かりを作ってくれた。その応用……理由は、私ではなくエルリックの中にあるかもしれない。危険な試みにはなるが、これはいつか必ず聞かなければならないことだ。


「あなたはどうしてジバクマに来たのですか? ポーラさんは……いえ、()()()()()はジバクマの民ではない。そうですよね……」


 ようやくポーラがこちらを見た。私を値踏みするようでもあり、真意を確かめるようでもある。


「あの一瞬でそんなことを調べたんですか? あなたの能力は厄介ですね」

「私が調べたのは全く別のことです。でも、そのときに分かった事実と、マジェスティックダイナーでの食事作法を見れば分かります。エルリックはどこか別の国から、何かひとつ以上の明確な目的があって、この国にやって来たのだ、と」

「では質問を質問で返すようですが、少し答えてもらいましょうか。ラムサスさんは何故軍人になったのでしょう? なぜ国を守りたいのですか? 建前ではなく本音を答えてください。答えられないならば、話は終わりだ」


 最後の一言だけポーラの喋り方がいつもと違った。これがポーラを操作する者の本来の喋り方なのだろう。同じなのはポーラの声だけ。今はポーラの後ろに真のエルリックという不可視の存在が薄っすらと姿を晒しているように錯覚する。


「……私は、安全さえ保たれるならば、国なんてどうだっていい。でも、国の存亡は必ず安全に関わってくる。私自身の安全もそうだけれど、何より弟が……。弟は私よりもずっと優れた能力を持っている。だからこそ、良からぬ輩に狙われる。私は弟を守る。それは他の誰にも任せきりにはできない。たとえ世界最強の……それこそ精霊が弟を守護していたとしても、私は弟を守ることを止めない。それが私の戦う理由。弟を守るために国を守っている。それだけ」


 もう自分の中でも曖昧になりつつあった戦う理由。国を守る理由。こんなことに身を投じ、全てを賭けたところで、私の夢が叶う可能性は限りなく低い。


 私には何もない。誰でも持っているはずのものを、私は持っていない。あるのは敵ひとりを倒すことすらできない小妖精の召喚能力と、ちっぽけな、人からすればつまらない夢だけ。私には、このやり方以外に夢が叶いそうな方法を知らない。どんなに可能性が低かったとしても、これに縋り付くしかないのだ。


 自分が戦う理由を説明した私は、ポーラの目を見た。


 まったくエルリックは私の口からなんて危険な言葉を吐かせるのだ。軍人として口にしていい言葉ではない。


 アリステルの代わりに修行をつけよう、とエルリックが言い出したときも、私は軍規違反ギリギリの発言をさせられている。エルリックは私の口から危険な言葉ばかり吐かせる。理由は明確に説明できないが、エルリックといると、そんな危険な選択肢を選びたくなる。賭けてみたい、と思わせる何かが、エルリックにはあるのだ。


 この日中の街通り、今の私の危険な発言を他に誰か聞いていた者はいないだろうか。まあ、聞かれたところで国が滅びれば私の存在は露と消えるのだから、気にしても仕方がないか……


 ポーラは小さく、ふっ、と笑った。鼻につく、馬鹿にしたような笑い方だったが、ポーラが浮かべている笑顔はとても優しかった。


「弟妹っていうのは、憎たらしかったり可愛かったり、こちらの心をかき回してくれるものだ」


 エルリックは私の言葉に共感を示し、何かを追想して笑っている。


「弟さんのため、というのであれば放ってはおけません。美しい姉弟愛に心を動かされることとしましょう。ただ、私の信頼を醜い計略で裏切るようであれば容赦はしません」


 私がジェダの身を案じていることなど、エルリックが首都に行く理由には何らならない。今の質問を通してエルリックが本当に聞きたかったこととは何なのだろう。私には分からない。ただ、説得を受け入れてついてきてくれる、ということでよさそうだ。


 今のポーラは口の端で笑っているだけで、眼光は鋭く私を見据えている。その視線に私は頷いて答える。


「ま、ラムサスさんにそんな気が無かったとしても、首都を貪る毒虫たちやあなたの上官はそう思っていないかもしれません。我々が困ったときは、今度はラムサスさんが我々を助けてください。これは私からのお願いです。いいですか?」

「そ……それは場合によりますが、私なんかにできることであれば勿論です」


 エルリックが危機的状況に陥った場合、私の力程度ではどうにもならないような気がするが……


 ただ、実際問題、首都でどんな陰謀が待ち受けているのか分からない。エルリックを倒せる人間は、そうはいないにしろ、それでも何かしら試してみようと考える人間はそれなりにいそうなものだ。


 エルリックを首都に連れてこい、というのはジルの命令なのだろうか? 連絡手段が無かった以上、ジルを含めた“仲間”たちは私たちとエルリックの関係性の変化を知らない。よほどのことがない限り、エルリックを首都に招こうとは言い出さないはずだ。ゲルドヴァ付近の防衛線が破綻寸前というのは、そのよほどのことに該当するかもしれないが、それが理由ではないように思う。これはあくまで私の勘だ。


 ポーラに凄まれたバイルをはじめ、“仲間”内でアンデッドの恐ろしさを知っている人間がエルリック招聘を提案することはない。もし“仲間”の誰かの指示だとすれば、やはりジルだろう。


 もしジルではなかった場合、指示者は“仲間”以外の人間の可能性が高い。おそらく“愚者”側の人間……。愚者という蔑称で呼んでいるとはいえ、まさかエルリックと首都で事を構えよう、というほどの馬鹿はいないだろうな……


「我々も今のところは単に付いて行くだけです。あなたも深刻な顔をする必要はありません。可能な範囲で大丈夫です。さあ、行くとしましょうか。それで、他の班員はどこをほっつき歩いているんですか?」

「皆さんを探すためにリレンコフの街中を走り回っていると思います」

「では、まず彼らを探さないといけませんね」


 そう言うやいなや、フルルは近くの建物の壁に張り付き、屋根へ向かって登っていった。パルクール自慢や登攀家でも舌を巻くほどの凄い速さだ。


 毒壺内でも二度披露した壁を登る能力。私は実物を見たことがないが、蜥蜴人間(リザードマン)という亜人は、こういったスキルを持っているという。二脚やフルルはリザードマンがアンデッド化したものなのかもしれない。そんな話を、以前毒壺でアリステルたちと交わした。


 アンデッドに転化すると、生前の記憶や精神は完全に失われると言うが、スキルはどうなのだろう。転化後も残るものなのだろうか。エルリックの中に新種のアンデッドがいる、という説は未だに潰えていない。フルルと二脚に新種の疑いはかかっていなかったものの、私たちの想定する新種とはまた別の新種という可能性だってあるだろう。未知なる新種ならば、記憶とスキルの両方を保持していたとしてもおかしくはない。


「あー、アリステルさんは、この区画のちょうど反対側に居ますね。捕まえましょう」

「大丈夫です。それぞれ担当の場所を確認して一定時間経過したら、見つかっても見つからなくても中央庁舎で落ち合うことにあっています」


 そういうことは早く言ってくださいよ、とポーラが答えると、フルルは屋根の上から降りてきた。




 私が先導し、エルリックを庁舎へと案内する。歩きながら、首都へ向かうための足を考える。馬車にするか、それとも早馬か。エルリックは乗馬ができるだろうか。腕のない二脚だと乗馬は難しそうだ。私もゆっくり歩く馬になら乗ったことはあるが、速く駆けさせたことはない。速歩(はやあし)で駆ける馬に長時間乗るとなると、技術だけでなく乗馬用に磨かれた体力がいる。馬の脚が保っても、馬に乗るアリステル班が先にヘバッてしまっては本末転倒だ。


 考え事をしていると、すぐに庁舎が見えてきた。既にラシードは戻ってきている。


「あそこです。ヘイダはもう戻っているみたいですよ、ポーラさ――」

「そういえば、どうしてこの国に来たのか、という質問に答えていませんでしたね」


 私の言葉を遮って、ポーラが話し始める。庁舎はもう目の前なのだから、着いてからではダメなのだろうか。


「教えておきましょう。我々は、ジバクマに雇われたうえでオルシネーヴァに攻め込むつもりです。そのためにゲルドヴァを訪れたんですよ」


 はっとして思わずポーラの瞳の奥底を見る。ポーラは今、何の表情も浮かべていない。それに、ポーラはエルリックに操られた傀儡。エルリックの本当の感情は、必ずしもポーラから読み取れるとは限らない。


 最初からオルシネーヴァと戦うつもりだった? なんのために?


 それにエルリックは強い。戦おうと思えば、いつだって戦い、そしてオルシネーヴァ人を好き放題殺すことができるはずだ。雇われて軍人や他の傭兵に紛れる必要などない。


 一気にエルリックのことが分からなくなった。このまま首都に連れて行ってもいいのだろうか。そう、忘れてはならない。エルリックはワイルドハントなのだ。


「ラムサスー、どうしたんだ。早く来いよー」


 庁舎前でラシードが叫んでいる。私が足を止めてポーラと向かい合っているのを不審に思った様子だ。


「今行きます」


 行く、と返事をしておきながら、私は足を踏み出せない。そんな私のことを気にも留めずにエルリックはラシードの下へ歩いていく。


 もう、私たちが連れて行かずとも、エルリックは勝手に首都に行くことだろう。このまま行かせて本当に大丈夫か?


 エルリックの本心は、“仲間”もアリステル班も、誰も分かっていない。エルリックにずるずるジバクマの内側へ入られたら、いずれ中から腹を食い破られることになりはしないだろうか。




 庁舎前でポーラは笑顔でラシードと話している。それは作り笑顔などではない屈託のない笑みだ。トゥールさんの使用は禁じられていても、ポーたんは常時召喚している。小妖精がいる以上、どれだけ演技が上手い者であっても、私の前では意味がない。ポーラの微笑みは、私たちに取り入るための偽装ではない。それだけは確実だ。しかし、だからといってエルリックが危険な思想を隠し持っていない、という証明にはならない。


 現実味のなくなった世界で、笑顔のポーラを操る不可視の糸が薄っすらと見えているように錯覚する。伸びた糸の先にいる真のエルリックは、また更に得体の知れない存在になった。エルリックは、ポーラに人間らしい言動をさせている。でも、エルリックが持つ心とは、表面に人間の皮を張るばかりで、中身は純粋な邪念そのものなのではないだろうか。


 今は答えが得られないと分かっているからこそ、想像はより恐ろしく、より不快な方向へ広がっていき、私の全身を執拗に撫ででは肌を粟立たせる。




「お、班長とサマンダも戻ってきたみたいだ」


 ラシードとポーラは遅れて庁舎に到着したアリステルとサマンダを笑顔で出迎える。


 二人ともラシードと同様、毒壺にいたころと変わらない態度でポーラと会話を交わす。


 三人は、知らないからこそこうやって会話できる。エルリックがジバクマに来た理由を知らないから。私もつい数分前までは、皆と同じだったのに……


「いやー、良かったですよ、エルリックの皆さんを捕まえられて。用事を済ませて街を離れてしまっていたら、私たちは一日リレンコフの街中を駆けずり回ることになっていたと思います。ラシードが上手く会えたのかな?」

「いえ。俺ではなく、ラムサスが連れてきてくれました」


 ラシードは自分の成果を報告するかのような得意げな顔でこちらを見る。


「え、ええ……」


 動揺を出さない、なんて私には無理な芸当だ。慣れ親しんだ班員相手ですら、作り笑顔の仮面を被ることができないのに。


 私の狼狽を察した一同に微妙な空気が流れる。


「あはは。ラムサスさんは我々とひとりだけで会話したために疲れてしまったようです。しかし、休んでいる暇は無いと聞きました。早く首都に向かいましょう」


 ポーラがその場の空気を変えがてらに場を仕切りだす。


「そうですね。では馬車の確保に向かいましょう」


 アリステルはリレンコフに来たときと同じく馬車を選択した。私の無言の抗議に耳を傾けることなく。


「馬を替えても馬車を夜通し走らせるのは難しいですし、それだと時間がかかるではないですか? ああ、でも皆さん人間ですから、それも仕方ありませんか。……提案ですが、日没近くになったら街で馬車を降り、そこからは走ることにしませんか?」

「日が沈んでからの移動は、走るどころか転ばず歩くのも大変なうえ、速度はかなり落ちます。エルリックの皆さんはともかく、私たちにはとても……」


 アンデッドは無限の体力を持ち、夜目だって利く。そんなエルリックに私たちが付いていくことはできない。こちらは人間なのだ。休息も睡眠も必要になる。


「大丈夫。我々が背負って差し上げましょう。そんなに乗り心地は悪くないですよ。もちろん、移動時間とは別に睡眠時間も確保します」


 そうだった。エルリックにはポーラがいるのだ。人間的な休息を必ず取る。そのはずなのに、昨年ゲルドヴァからリレンコフまで、エルリックは信じられない短い日数で移動した。ポーラは単に他のメンバーに背負われていただけなのか? それは無理があるように思う。


 背負う側のアンデッドは問題ないだろう。アンデッドは疲労しない。しかし、背負われる側は間違いなく体力を消耗する。背中の上は、馬上よりも馬車の中よりも疲れるに決まっている。


 アリステルたちも、エルリックの突拍子もない提案を聞いて苦笑している。


「あっ、笑いましたね、皆さん。ラシード君、ではちょっと乗ってみてください」


 フルルがラシードの前で背を向けてしゃがみ込んだ。


「ええぇ!? 俺ですか? サマンダのほうがいいんじゃないですか? ほら、俺は重いし……」

「つべこべ言ってないで早く乗ってください。どのみち全員乗るんですよ」


 ポーラに背中をぐいぐいと押され、渋々といった様子でラシードがフルルの背中に体重を預ける。アリステル班最重量のラシードを乗せたフルルは軽々と立ち上がると、道の真ん中を真っ直ぐに走り始めた。


「うわああああああぁぁぁぁぁ.....」


 情けない叫び声を上げるラシードを背負ったフルルはグングン加速し、遠ざかって小さくなっていく。フルルの走りはかなり速い。


 フルルは道の途中でピタリと止まると、折り返してこちらに戻ってきた。フルルの上のラシードは、なぜかきらきらとした笑顔であった。


「班長、これめっちゃ楽しいです!! 班長も乗ってみてください!!」


 ラシードはフルルから降りようとせず、全力で私たちを向こう側へ引きずり込もうとしてきた。筋肉教の信徒は、言葉ではなく行動により物の見事に籠絡されてしまった。数十秒、抵抗の姿勢を見せただけでも上出来かもしれない。


「そんなに楽しかったんですか?」


 サマンダが信徒の言葉に耳を貸す。


「立ち上がる瞬間と走り始めは物凄い恐かったけど、スピードに乗ったら全然だよ。なんせ、馬と違って揺れがほとんどないんだ」


 フルルの背中の上は、馬の背中よりもずっと揺れそうなものだが、実際はそうではないようだ。確かにフルルは奇妙な走り方をしていた。あれは、乗り手の快適性を求めるが故の走り方だったのだ。腰と膝を落としに落としたあの走り方は、人間が再現しようとすると、疲れて仕方のないものである。ただし、アンデッドには全く問題にならない。


「景色はみるみる後ろに流れていくし、風も気持ちいい。鎧がごつごつと身体に食い込んで痛いのさえ何とかなれば、いつまでも乗っていられそうだ」


 ああ、ラシードは今まで見せたことがないほどのいい笑顔をしている。なんて頼りにならない奴だ。


背負子(しょいこ)を用意してお尻の下に当てると鎧がもたらす不快感は軽減しますよ。皆さんは四人いますから……中佐は彼に乗ってもらうことにして、ひとつは上等な背負子を用意しないといけません」


 ポーラは勝手に私たちの騎乗計画を立て始めた。


「少し準備が要ります。一旦散開しませんか、中佐。ラシード君とサマンダさんは二日分の糧食を用意。皆さん四人分で結構ですよ。ズィーカ中佐には馬車を手配してもらいましょう。日没の少し前までに辿り着ける街で下車予定です。馬車の確保は中佐にお願いします。我々は消耗品を補充して、背負子の材料を揃えてきます。二時間後くらいに西の馬車転回場に集合。いかがでしょうか、中佐」

「ええ、承知いたしました」


 テキパキと立てられた計画をアリステルが承諾する。それでは後ほど、という声を残し、エルリックは街中に去っていった。


「随分と乗り気だね、彼らは」


 アリステルはエルリックの積極性に驚いてこそいるものの、不審にまでは思っていない。


「班長、俺とサマンダは食料の調達に行ってきます」

「ああ、お願いね」


 サマンダに先を歩かせ、ラシードは意気揚々とマーケットの方へ向かっていった。




 アリステルと私がその場に残される。


「班長……エルリックを首都に連れて行っていいのでしょうか」

「エルリックを見つけたのはラムサスだって言ってたね。彼らと何を話したの?」


 私は、戦う理由のくだりを少しだけぼかしながら、先ほどの遣り取りについて報告した。




「どう思いますか。一見するとジバクマという国自体に好意的なようですが、実際のところは、何か一貫した目的のために行動しているように思われます」


 念のため、周囲に聞き耳を立てる者がいないか確かめながら話を続ける。


「エルリックの言っていることが本当であれば、エルリックはオルシネーヴァと戦う何かしらの理由がある。最重要なのはその理由だけれど、すぐには判明しないだろう。ジバクマから要請を受けた上で共闘しようという部分に関しては、不思議ではないね。彼らはジバクマと取引をしたがっている。遺産の譲渡か、仲間探しか、という説を覆すものではないように思う」


 エルリックはオルシネーヴァと仕方なくではなく、積極的に戦いたがっている。では、それがダンジョンボスとの戦闘を楽しんでいたことと同一の底を持つのか、というと、かなり違うように思う。「強者との戦闘の希求」は確かにある。しかし、対オルシネーヴァ戦に求めているものは違う、ということだ。もちろん、これは私の推測でしかないのだが……


「サマンダの後追いになりますが、エルリックを首都に入れていいか、私には分かりません……」

「もうそれは決まったことだ。誰の決定かまでは聞かされていないけれどね。ジバクマが生き残るには、彼らの力を借りるしかない。彼らの真意がなんであれ、協力を取り付けられなければジバクマは滅ぶ。それに変わりはない。いつか彼らは必ず首都に入る。だったら、僕らが好意的に迎えてあげるべきだ」


 トゥールさんさえ使えたら、謎の大半は解明できたのに……


 エルリックがどれだけ強かろうとも、十か月という期間は、全員を調べるに十分な長さだったのだ。それなのに、明らかにできた謎はたったひとつだけ。まさかあんな弱そうなポーラが視線感知を、しかも小妖精の視線を感知するとは思わなかった。


 ポーラをドミネートで操っているのは誰なのだろう。それは、このワイルドハントのリーダーなのだろうか。ポーラの操者すら集団内では従属メンバーのひとりでしかなかったら?


 エルリックの中で最も強いのは近接戦ならシーワ、魔法戦なら背高だ。変に深読みしなければ、この二人のどちらかがリーダーということになる。魔法の得意なマドヴァとイデナはおそらくリッチないしエルダーリッチ。ドミネートという魔法に限れば、マドヴァやイデナも使うことができそうだ。戦闘力がシーワや背高に劣ることを考えると、この二人がリーダーの可能性はやや低い。そもそもエルリックは異色のワイルドハント。リーダーなんてものは、いないかもしれない。


 考えれば考えるほど私の思考は泥沼に沈んでいく。


「それにさ、前に言っていたじゃないか。人間的な感覚を持っているなら、純粋なアンデッドよりも仲間に引き込みやすいって。彼らが僕らに本当に協力したくなるような勧誘方法、何か思いついた?」

「それは何も……」


 本当は少し考えていることがある。


 私が弟の話を出したら、エルリックは私に付いて来ることを決めた。アンデッドが家族愛や兄弟愛の類の話に弱いなんてことは普通だと考えにくい。しかし、エルリックに一般論は意味をなさない。本気でそんなものに心を動かされる存在で、それを私が殊更に主張しようとするならば、ライゼンやお母さんへの愛を声高に叫ぶことになる。


 はぁ……。無いものは絞り出せない。好きな人への愛ではダメだろうか。


 それは勿論ダメである。なぜなら、エルリックがよくても私が恥ずかしくて死んでしまうからだ。


「顔が赤いよ、ラムサス。色仕掛けでも思いついた?」


 アリステルが、全く仕方ないな、といった顔で私を見て笑っているのに気付き、思わず顔を伏せる。


 私はどうしてサマンダのように表情を自在に操れないのだろう。感情が表に出てばかりでは、オチオチ考え事もできない。


「申し訳ありません」

「自分で言っておきながらなんだけど、色仕掛けが効くなら、考え方は大幅に変えないといけないね。ポーラの操者が雄性なのか雌性なのかが分かればなあ……。アンデッドだと無性かな?」


 ポーラの操者の性別か……。ポーラの立ち振る舞いは女性として特に違和感がない。あとはラシードのからかい方。あれも年下の男を挑発する女の行動に見える。男には見えない。男だとしたら、よほど精神年齢が低いか、同性愛者か。アリステルの言う通り、新種に人間的な性別があるのか分からないが。


「表面的なポーラの振る舞いをそのまま受け取るのであれば、女性にしか見えませんね」

「そうだよね。じゃあ、男を使って(たぶら)かすことを考えないといけないわけだ」


 班内で人選しようとすると、アリステルかラシードしかいない。


 ラシードはだめだ。逆に向こうに取り込まれる、というか既に筋肉教の第一信徒だ。筋肉の呪縛が無かったとしても、ポーラの魅力にラシードは抗えない。こちらが誑かすどころか、いいようにポーラに操られるのが目に見えている。


 では、アリステルにそんな役を担わせられるかというと、家族を持っているアリステルにそんなことはさせられない。背徳的すぎる。


 ……うん。具体的に想起するだけで、これほど危険な案、実行に移してはならない。


 ダンジョンの中と違って、ジバクマの外気は暑くて仕方ない。火照りを冷ますため、手で頬を扇ぐ。


「首都にいい人材がいればいいのですが……」

「おっ。首都に連れて行くのは受け入れてくれたみたいだね」

「それはやむを得ないというか、もう決定事項ということですし……」

「そう、まずは首都に行くのが今の僕たちの任務なんだ」


 アリステルの表情が引き締まる。


 社会と隔絶されてほぼ一年が経った。その間にゲルドヴァは陥落しかけている。それに首都だって、今までの私たちが知っていた首都ではない可能性がある。


 そうだ、これは任務なのだ。子供のお遣いではない。


「私たちはエルリックを確実に首都に連れていく必要がある……。班長、それは“仲間”の発案なのでしょうか。愚かな“賢老院”の決定や、内通者の計略という可能性も考えたほうがいいのではありませんか」

「政治家は現場のこともアンデッドの恐ろしさも知らないからね。ゼロナグラ公の恐ろしさを知らない世代ではなくとも、忘れている、という可能性は否定できない。どちらにしても、首都に入った途端にエルリックに攻撃を加える輩が現れる、なんてことがあるかもしれない」


 アリステルは憲兵団を経由して帰参を命じられた。国王のジルは、このことを全く知らないかもしれない。ならば、ここはジルよりも……


「大将と連絡を取りたいですね」

「大将も特別な用事が無い限り首都にいる。今はどうなんだろう? 陛下以外は確実ではない。もし、これが計略ならば、僕たちが首都に行っても大将に会うのは難しいよ、きっと」


 エルリックを首都に連れ帰ること自体は単純でも、そこで起こりうる事態を想定するのは複雑極まる。それでも私たちは考えなければならない。私たちはエルリックという盃をもう選んで手に取ってしまった。毒か薬か分からぬ盃も、選んだならば飲み干さなければならない。


「エルリックを首都に連れていくと決めたのであれば、“愚者”に会わせるよりも直接“仲間”に会わせませんか、班長」

「いきなり過激なことを言い始めたね、ラムサス」

「選んだならば飲み干さなければならない。そうですよね」


 ジバクマの(ことわざ)の引用を聞いたアリステルはニヤリと笑う。


「毒にも薬にもなる存在かもしれないけれどね。純粋毒じゃないことを祈ろう。さて、となると首都には――」

「潜入しないといけません」

毒を食らわば皿まで、に相当する言い回しは世界中にあるようです。

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