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第一三話 毒壺 七 ラシード対二脚

 私たちの四人の中ではアリステルしか行ったことのない最下層。そこを初めて全員で訪れる。穴に下ろしたどこまでも長い梯子を下っていくと、その先にはセーフティーゾーンと同じか、それ以上に広々とした空間があった。ここが最下層、ボス部屋か……。渺々(びょうびょう)たる、と言うと大袈裟かもしれないが、どれだけ身体の大きいボスであったとしても、手余しすること請け合いの広さだ。


 気付くのは広さだけではない。中層上部から中層下部へ入ったときのような、得も言われぬ空気の変化が感じられる。ここは下層とは何かが明確に違う空間だ。


 梯子からは降り切らず、桟に身体を預けたまま眼下に広がる最下層を見回す。


 地にはセーフティーゾーンよりも鬱蒼と植物が生い茂っている。ダンジョンの床や壁とも違う、小さな小さな光の粒が植物の下からこの空間を照らし、幻想的な光景を作り上げている。ダンジョンボス以外にも、小さな魔物が無数に生息していそうだ。ボスさえいなければ、ここだけでずっと暮らしていくことができるかもしれない。


「本当にヴェスパがいなくなっている。初めて来たときは誇張でも何でもなく、数十万いてもおかしくない大群のヴェスパが最下層の空を埋め尽くしていのに、それを全部倒してしまうなんて……」


 最初期の最下層の光景を知っているアリステルがしみじみと感嘆を漏らす。


「あそこにいるのがクイーンヴェスパです」


 ポーラが指し示す方向を見ると、巨大なヴェスパがモゾモゾと動いていた。遠目でこれだけはっきりと分かるのだ。あれは一体どれだけ大きな魔物なのだ……


「でけぇ……」

「気持ち悪ーい」


 私の心を代弁するかのようにラシードとサマンダが感想を述べる。


「ゴーレムはずっとあそこにいますね。ゴーレムからどうやってクイーンを引きずり出したんですか?」


 何度も潜っているアリステルはゴーレムの位置を知っているようだが、私はゴーレムを視認できていない。どれだけ探せど、見つかるのは草木ばかりである。


「クイーンには何もしていません。一週間程前に幼虫を全滅させたら勝手に出てきました。蛹と成虫を全滅させたのは昨日の話です。クイーンが巣に引き篭もるためには、ある程度の数の幼虫が必須なのかもしれませんね」


 会話に入っていけないことに我慢できなくなってアリステルを突つくと、アリステルはゴーレムの場所を教えてくれた。


 だが、指を差して教えられてもゴーレムがどこにいるのかよく分からない。アリステルが指示した地点は、少しばかり土が盛り上がっているように見える。その盛り上がりがゴーレムなのかもしれない。サマンダだけは、「あれがゴーレムかー」と、姿を認識できていた。




 見学を終え下層に戻ってくると、再突入の準備をするエルリックにラシードが話し掛ける。


「俺もクイーンとの戦いに連れて行ってください」

「駄目です。ラシード君はクイーンの攻撃に対応できません。一撃で死ぬことになります」

「やってみないと分からないじゃないですか。絶対邪魔はしません。戦う所を見てみたいんです」


 ダンジョンボスを見たことで、ラシードは怯むどころか猛っている。戦いに混じるつもりまではないような口ぶりだが、実際にその場に行ったら、黙ってはいられないのがラシードだ。


「ラシード、やめておけ。死ぬだけだ」


 アリステルがラシードを止める。


「班長からもお願いしてください。俺は少しでも強くなりたい!!」


 上官に思い留まるよう言われてもラシードは引き下がらない。燃え盛る気炎はかなりの熱量だ。


「口で言うより……」


 ポーラはボソリと何かを呟いた。


「いいですよ、ラシード君。ただし、条件があります。我々を相手に(ひと)勝負して、いいところを見せてください。それができないのであれば、たとえ見学目的であってもハントの場において邪魔にしかなりません。私以外がお相手をしてあげますから、対戦相手を指名してください」


 エルリックのひとりを相手に好勝負を演じることができたら最下層に連れて行く、という約束だ。確かにそれができるならば、自分の身を守りながらボスとの戦闘を見学することは可能だろう。


 ラシードはかなり強くなっている。毒壺に来る前はプラチナクラスまであと少し、というところだったが、毒壺に来てからの急激な成長によってプラチナクラス中位の実力を既に身につけている。フルル相手に戦うのは無理でも、二脚であれば……


「じゃあこの人で」


 考えることは私と同じだった。ラシードは迷いなく二脚を対戦相手に指名した。




    ◇◇    




 下層の通路を舞台に、ラシードと二脚が戦う。私たちは二人から離れ、戦いの行末を見守る。


「私が、やめ、と言ったらそこで終わりです。いいですね、ラシード君」

「分かりました」

「じゃあ始めてください」


 特に複雑な規則を設けることもなく勝負は始まった。


 ラシードは抜剣し、普段の構えをとる。対する二脚は仁王立ちのまま動かない。


 腕のない二脚は剣を持てない、魔法も使えない。足に仕込んだ武器で蹴るしか戦法がない。攻撃手段は至って単純であり、攻撃を見切るのはそこまで難しくないはずだ。この勝負、ラシードが圧倒的に有利である。


 ラシードには強くなってもらいたい。しかし、ここは二脚に勝ってほしいところだ。仮にラシードが二脚に勝てたところで、最下層でのダンジョンボスとの戦闘に巻き込まれてラシードが死なない、という保証などない。それを言ってしまうとラシードはますます発奮しそうだから、私は敢えて口をつぐむ。


「じゃあ、行くぜええええ!!」


 律儀にも、ラシードは宣言してから攻撃動作を開始する。


 ラシードは二脚と戦う作戦を何も考えていない。ただ前進して距離を詰め、いつもの剣を撃つだけだ。


 大きめの予備動作からラシードが撃つ剣は、私だと防ぐのが難しいくらいに速い。ただ前に進んで剣を振り下ろすだけの一撃が、以前とは比べ物にならないほど、それこそ「必殺の一撃」と言えるまでに速く強力になっている。


 二脚はわずかに身体を反らし、最小の動きでラシードの剣を躱す。空振りに終わった闘衣を纏うラシードの剣が地面を直撃し、下層の地面を穿ち、飛礫が周囲に飛び散る。


「まだまだっ!!」


 ラシードは即座に剣を切り返して下から切り上げを撃つと、そこから流れるように連撃へ繋げていく。


 武器を持たない二脚はラシードの剣を受け止めて防ぐことができず、体捌きで攻撃を避ける。ヒラリ、ヒラリと風に揺れる枝垂れのように鮮やかに剣を避けていく。少しずつ少しずつ後方に下がりながら。


 ラシードもそれに気付いているのか、巧みに横へ回り込んで剣を撃ち、二脚を壁際へ追い詰めていく。


 下がり続けた二脚はついに壁を背にした。


「これでっ、どうだ!!」


 ラシードは少し低めに横薙ぎを撃った。これなら二脚は上に飛び上がるしか避けようがない。空中であれば動きが制限される。攻撃が当てられる。


 当然、二脚は跳ねて横薙ぎを躱す。そこへ、ラシードが本命である切り返しを空中の二脚の無防備な身体へ振るった。


 あまりにも予定調和すぎて、横で見ていてリズムを取れるくらいの安定した動きだ。ラシードの剣が二脚の身体に叩き込まれる。私だけでなく、アリステルとサマンダもそう思ったはずだ。


 だが、ラシードの本命の一撃は虚しく空を切った。二脚はその場で今までと同様、軽々とステップを踏むように剣の軌道から身を躱した。


 空中で?


 ……二脚は空中に立っていた。


 私の……いや、この場にいる私たち全員の認識が一瞬揺らぐ。二脚は壁に立っていたのだ。まるで木の幹から生えた枝のように、壁に直立していた。


 その異様な光景にラシードは手を止め、後じさって距離を取った。


「な、なんだよ……それ?」


 目の前で起こっている現象を理解しきれないラシードは、もう剣を振ることを忘れてしまっている。戦意喪失を悟った二脚は音もなく地面に降りると、ラシードに向かって蹴りを繰り出す。それは何てことのない、ちょっとばかりの闘衣を纏っただけの緩慢な蹴りだった。


 戦うことを忘れてしまったラシードには、もうその単純な蹴りを避けることができなかった。ラシードにできた精一杯の抵抗は、自分に向かって伸びてくる一撃に対して、不安定な闘衣を纏った剣をかざすことぐらいであった。


 腰の入っていない剣は二脚の足に当たっても、蹴りの勢いを削ぐことすらできない。ラシードは剣と共に蹴り飛ばされて、壁に叩きつけられた。


 背中から壁に激突したラシードはそのまま地面に落ち、地中に沈み込んでいきそうなほどぐにゃりと力なく倒れた。


「大尉!!」


 サマンダがラシードの傍へ駆け寄る。


「大丈夫!? 分かりますか!!??」


 サマンダによって上を向かされたラシードの目は、数秒だけ焦点を結ばずにあらぬ方向を向いていたが、繰り返されるサマンダの呼び掛けに応えるように瞬きをし始めた。脳震盪で自失していたようだ。


「ああ、分かるよ」


 意識を取り戻したラシードは、すぐに身体を起こそうとする。


「まだ起きないでください! 今、回復魔法をかけています」


 サマンダはラシードの横に辿り着いた直後から、ずっとヒールをかけ続けている。


「悪い……」


 打ち砕かれたラシードは、黙ってサマンダの回復魔法を身に受けていた。




    ◇◇    




 十分に回復魔法をほどこしてもらったラシードが地面の上でゆっくりと上半身を起こすと、それを待っていたかのようにポーラが話を切り出した。


「実力の違いが分かりましたか」


 ラシードはガックリと項垂れたまま、何も答えない。ポーラの目すら見ようとしない。だらりと下げた手で剣の柄を握り、その目は折れ曲がってしまった剣身に救いを求めて縋りついている。


「私が皆さんを最下層に連れて行ったのは、今後の糧としてもらうためです。人の世では稀に見る、異次元の強さを持つ魔物。剣を交えなくとも、実際に自分の目で見たことがある。そういう経験がいつか皆さんの役に立つと信じ、恐ろしさを体感してほしくて連れて行ったのです。早死になど望んでいません。むしろ逆です。けれども、ラシード君は逆に勇み立ってしまいました。ラシード君はまだ彼我の実力差を十分に見極められていません。一太刀も浴びせられない、一撃すら防ぐことのできない我々の手足一本のことを、『腕がないから容易に倒せる相手』と思い込んでいた。さらに、壁に立つところを見ただけで茫然自失となる始末。あれは前に見たことがあるでしょう」


 前? ……私がトゥールさんをポーラに使ったときのことを言っている。あのときフルルは壁を走っていたが、ネコ科の魔物が反動をつけて壁から壁へ飛ぶのと同じような原理だとばかり思っていた。どうやらその理解は間違っていたらしい。粘着魔法のようなものか、あるいはそれに類いする何らかのスキルか。


「一度見たことがあるスキルを披露されただけで恐慌(パニック)に陥り、避けられるはずの蹴りすら避けられず、まともに受けられず。心を簡単に揺さぶられないようにしないと。これは人間相手でも魔物相手でも……アンデッド相手でも同じです」


 ポーラはラシードの前に歩いてくると、眼前にしゃがみこんだ。


「班員の誰も動けない中で、あなたは何度もひとりだけ我々に臆することなくかかってきました。誰よりも勇気があります。ただ、死んでしまえばそれは蛮勇と呼ばざるをえません。こんなところで死んではいけません。あなたは軍人なのですから、生き残ることも任務でしょう?」


 ポーラの横にすっとイデナが立つと、鞘に収まった一振りの剣を取り出した。


 ポーラはイデナから剣を受け取り、ラシードの前に差し出す。


「あなたたちがウルドと呼んでいた、我々の手足の一本が使っていた剣です。今、我々が駄目にしてしまったあなたの元の剣には劣りますが、毒壺で身を守るには十分用を成すでしょう。受け取ってください」


 ラシードは剣から逃げるように、ぷい、と横を向く。


「俺は弱くて……そんな剣は荷が重いです」


 ポーラはラシードの手を開かせると、そこに無理矢理剣を握りこませた。


「あなたが一人前になったから贈るのではないんですよ。師が弟子に剣を贈るのは、とある国では一般的です。弱くて重く感じるのであれば、早く軽々持てるように強くなってください。今ここに居る弟子たちの中ではあなたが一番強いのですから、我々が最下層で戦っている間にここに魔物がきた場合はあなたに奮起してもらわないと。腑抜けてもらっていては困ります」


 ポーラはそう言ってラシードの肩をポン、と軽く叩いてから、すっと立ち上がった。


「さて、そろそろ行くとしましょう。ではズィーカ中佐、この場は任せますよ」




 エルリックはポーラ、二脚、イデナの三人を下層に残し、シーワ、背高、マドヴァ、ノエル、フルルの五人が最下層へ下りて行った。


 最下層に向かったメンバーの顔ぶれは、初突入時に近い。滅びてしまったウルドに代わり、フルルが突入役を担っている。他には変更点が無い。


 下層に残るエルリックが三人だけ、というのは、なかなか心細いものである。一切戦闘に携わらないポーラと、エルリック最弱の二脚、最後に魔法使いのイデナ。下層の魔物がこの場所に現れた場合、エルリックは問題なく魔物を退けることができるのだろうか。エルリックの戦闘員最弱の二脚ですら、ラシードよりもずっと強いのは分かったけれど、不安なものは不安である。やはり、剣を持って前に立てる者の存在というのは大きい。ラシードが失意から立ち直っていないこの状況、アリステルは病身、イデナは基本的に魔法ばかり。まともに剣を撃てるのは私だけだ。私がしっかりしなければ、と自分を叱咤する。


 緊張に身を震わす私には関知せず、残ったエルリックの三人は全員が穴際に佇み、蓋された穴の奥をジッと見据えている。




 しばらくすると最下層から、初日のように衝撃が下層へ響いてきた。最下層で戦闘が始まったのだ。今度は働きバチがいない。エルリックは本当に勝ってしまうのだろうか。


 衝撃音は一度だけ響くと、前回とは違って鳴りを潜めた。その後は巨大なウシガエルでも鳴いているような低い、とても低い音が連続して鳴り続けた。




 一時間ほどすると、先ほどよりは小さな衝撃が一度だけ走り、その後は断続的に大きな衝撃が響くようになった。ラシードが惨敗した手前、誰にも言えないことではあるが、最下層でどんな戦闘模様が繰り広げられているか、若干気になるところだ。ポーラに状況を尋ねたくとも、今話し掛けると絶対に迷惑になる。ポーラに話し掛けるどころか、アリステルやサマンダと雑談するのも憚られる。




 それから更に一時間半ほど経過すると、低い音も衝撃も完全に止まり、下層は静けさを取り戻した。


 また下層の……いや、ダンジョンそのものの雰囲気が変わったように思う。ダンジョンの雰囲気とは、元来張り詰めたものである。張り詰めた空気、というのは、一概に不快なだけではなく、張力が張り巡らされているからこその安定感のようなものもある。それが無くなった今、ダンジョン全体がひどく不安定なように感じる。


 具体的にどう不安定なのか表現に困るが、これがもしダンジョンではなく都市であったなら、今にも暴動が勃発しそうな、そんな不安定さが漂っている。


 この妙な感じの原因……もしや、ダンジョンボスが倒れたのではないだろか。ううん、違うか。ボス討伐に成功したにしては、穴際に佇むエルリック三人の様子に変化がない。焦眉の問題に取り組む緊張感が、依然として続いている。




 私が感覚的に察していたことの正しさを裏付けるように、再び最下層から衝撃が響き渡り始めた。今度の衝撃は、間隔が著しく不規則だ。今までの戦闘とは趣が全く違う。


 まだダンジョンボスは倒れてはいないのか!? ああ、もう本当に最下層の状況を教えてもらいたい!


 かといって、行け、と言われても最下層には死んでも行きたくないが……




 私が内なる葛藤と戦う中、イデナが不意に動きだして穴の蓋を開け始めた。


 おかしい、まだ衝撃と音は今もやんでいない。最下層では戦闘が続いているはずだ。それなのに、開け放たれた穴からエルリックのメンバーが這い上がってきた。シーワ、背高、ノエル、マドヴァ、最後にフルルが出てくると、フルルは穴の蓋を閉めてしまった。


「では、セーフティーゾーンへ戻りましょう」


 ポーラはまるでダンジョンを揺るがす衝撃など何も生じていないかのように清々しい声色でそう言うのだった。

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