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第一二話 毒壺 六 クイーン

 誰かひとりがいない。なるほど指摘されてしまえば、簡単なことだ。いるメンバーの中で違いを探すから分からない。


 最下層に突入したとき、下層に残ったポーラ、フルル、イデナ、二脚の四人は今もちゃんといる。欠けたのは、最下層突入メンバーの誰かだ。


 背高とシーワは背丈と幅で分かる。二人とも前を歩いている。


 となると、いないのはノエル、マドヴァ、ウルドのうちの誰かだ。三人までは絞り込めているが、汚れ方があまりにも酷すぎて、それ以上見分けがつかない。身体を綺麗にするまでは無理そうだ。




    ◇◇    




 欠員は誰か。その答えはディープセーフティーゾーンに戻った後、訓練の時間に判明した。


 普段、私たちの訓練はウルドとフルルが交代でつけてくれる。それが、この日はフルルが最初から最後までずっと出突っ張りだった。つまり、いないのはウルドだ。




 訓練が終わり私たちに食事を振舞うポーラに恐る恐る聞いてみた。


「ポーラさん……。最下層に足を踏み入れたメンバーのひとりはどこへ行ったんですか」


 ポーラは歯噛みし、天井を仰いで答える。


「ヴェスパの海に飲まれて散っていきましたよ。我々の実力と準備が足りませんでした。インチキですよ、ダンジョンボスが二柱いるなんて」


 ウルドは挑戦した最下層でヴェスパに襲われて滅びてしまっていた。アンデッドであるウルドにヴェスパの毒は効かないはず。それが滅ぼされてしまう、ということは、ヴェスパに全身を齧られてバラバラになってしまったのかもしれない。


 会話をしたことはなくとも、ウルドは訓練を付けてくれた相手だ。もう会えないのかと思うと哀悼の念を少なからず抱いてしまう。人間ではなくアンデッドだというのに……


 それにしても、ダンジョンボスが二柱? よくウルドひとりの犠牲で切り抜けられたものだ。


「ダンジョンボスが二柱……。そんなことがあるのでしょうか。本当であれば、世界各地にあるダンジョンの中でも唯一ではないですか?」


 ボスが二柱いることを、なんて恐ろしいのだ、くらいにしか思わない私と違い、アリステルは客観的にその特殊性を指摘する。


「中佐も明日一緒に見に行ってみますか? はっきり姿が見えたのは大きなゴーレムだけで、ゴーレムの身体の中に隠れていると思われるヴェスパの(アルファ)の姿は目視していませんが、多分クイーンヴェスパです。ゴーレムもクイーンヴェスパも途方もない強さです。あなたのお父さんを彷彿とさせるほどでしたよ、ラムサスさん」


 人の父親を魔物と一緒に列挙する神経はいかがなものかと思う。エルリックをして、途方もない、と言わしめるくらいだ。ライゼンもダンジョンボスもそれだけ強いのだろう。


「あれでもドラゴンスレイヤーらしいですからね」


 ライゼンは、近隣最後のドラゴンの生き残りに差し向けられた討伐隊の主要メンバーのひとりだった。こんなのは、私が生まれるよりもずっと前の話だ。ライゼンも墓の下にいていい年齢だというのに、未だにハンターなんかをやっているから国にいいように利用される。


 老いて力が衰えつつあるライゼンに頼りっぱなしのこの国の将来はどうなるのだろうか。ライゼンの威光は、ジェダが強く成長を遂げるまでこの国を守り続けることができるだろうか。


「お父さんのこと、嫌いなんですか?」

「好きも嫌いもありません。我が国の重要人物です」


 班員はそそくさと私から視線を逸らす。ライゼンの話をすると私が不機嫌になることを三人とも知っている。アリステルだけは普段と変わらない従容な雰囲気を保っているが、内心どう思っているかは分からない。


「その重要人物と同じくらいの強さの魔物が二体。これは倒しがいがあります。今日は惨めに負けましたが、雪辱は果たしてみせます。ラムサスさんも一緒に見に行ってみますか? 滅びゆく強大な魔物の姿を脳裏に焼き付けておくのも乙かもしれませんよ」


 私がどれだけ不機嫌になっているか分かっていないエルリックは、私とライゼンの関係を茶化すように言う。物事には、からかっていい内容と悪い内容がある。いや、いいも悪いもない。私のことはからかうな!


「結構です」


 ライゼン二人に相当する魔物がいるならば、エルリックでも勝てないはずだ。もしそれを打ち倒せるようであれば、ジバクマはエルリックに白旗を上げるしかない。


「じゃあ明日は我々と中佐だけですね」

「いえ、私は遠慮いたします」

「大丈夫、ちらっと見るだけです。戦いになる前に中佐は下層に戻っていただきます」


 固辞するアリステルをエルリックは強引に誘う。


 ああ、ラシードとサマンダだけでなくアリステルまでエルリックの玩具にされかかっている。いや、されかかっているのではなく、もうなってしまっている。お願いだからアリステルの身に何事も起きませんように。


「ふっふっふ、それにしても……。『殺さないで』とは……」


 ポーラは身体を揺すって笑い始めた。


「全員利用価値があるのに、殺すわけがないじゃないですか。中佐なんか、私は何も言っていないのに、何でも言うことを聞かせる権利を私にくれました。こんな楽し……素晴らしい人たちを殺すなんてとんでもない」


 あれだけ散々私たちを脅しておきながら、『何も言っていない』だと? 強請(ゆす)(たか)りを繰り返しておきながら、友人関係を主張する犯罪者のような口上だ。


 いまこの場でこうやって話していても恐怖が拭い去り切れていないのは、私だけではないはずだ。


「ラムサスさん。何で我々があなたを殺すと思ったんですか?」


 それは、つい先日ポーラの口を通してハッキリと言われたからだ。エルリックは覚えていないのか。ほんの数日前のことなのに……あれ、一か月前だっけ? うーん……もっと前だったかもしれない。最近時間の流れが早い気がする。どれ位前のことだったか、私も思い出せなくなってしまった。


「ポーラさんに、『能力を使ったら、私たちを全員殺す』と言われたから――」

「あぁ? ん? うーん」


 百面相を始めて考え込むポーラを見て確信に至る。やっぱりエルリックは私に言ったことを覚えていないのだ、と。


「それくらい我々も腹の内を探られるのはいやですよ、ということです。そういうことにしておきましょう」


 ポーラは清々しい笑顔を浮かべた。思い出せたことで生まれた笑顔ではなく、全然思い出せないから誤魔化そうという笑顔だ。私たちはエルリックが恐ろしくて仕方ないのに、エルリックは都合が悪くなると笑って誤魔化すことができる。強者はこうやって理不尽が許容されるものなのだ。弱者である私たちは、エルリックの過失を譴責(けんせき)できない。


「皆さんの任務には我々の監視と情報収集が含まれていることでしょう。しかし、ラムサスさんの小妖精で我々のことを探るのは今後も禁止です。言い訳になりますが、あれのおかげで我々は手足を一本失ってしまったのです」


 手足一本の喪失、というのはウルドの滅びを指している。


 今だからこそポーラの言葉の深意が少し分かる。同じことを昨日言われたとしても、おそらく意味を正確に掴むことはできなかった。小妖精を斬り裂かれ、恐怖に戦慄しながら得た情報があってこそだ。私が掴んだ情報はたったひとつ。でも、それでエルリックのメンバーの関係図にひとつだけ確実な情報を書き加えることができた。


「聞きたいことがあれば、直接我々に聞いてください。答えられないことは喋りませんが、皆さんを信頼している分だけは私も答えてあげましょう」


 エルリックが答えるのは、エルリックにとって都合がいいことだけ。都合が悪いことは答えない。しかも、答えた内容が事実か否かは分からない。だからこそトゥールさんで調べる必要があるのだ。トゥールさんに嘘はつけない。……それは少し違うか。トゥールさん()嘘をつかないのだ。


「では、本当に許してくれるんですね。私のことも、班員全員のことも」

「ラムサスさんは疑り深いですね。では、あなたにだけ罰を与えることにしましょう。何がいいですかね。あ、いいことを思いつきました。身体を起こすことすらできなくなる残酷な罰を……」


 ポーラは口の端を吊り上げてにたりと笑った。


「そんなこと、絶対に――」


 ほくそ笑むポーラを見て激情に駆られたラシードが立ち上がってテーブルを叩く。


「ラシード君、いいから座ってください。内容を聞いても、君がそんなに怒るほどのものではありませんよ」

「どんな内容なんですか!!」


 落ち着くように諭されてもラシードの興奮は収まらない。ひとりフルルに斬りかかったときもそうだし、よく怖気づくことなくエルリックにかかっていけるものだ。


「ビクビクしている皆さんを見るのも久しぶりです。それは食事も講義も終わってから話すことにしましょう」


 ポーラがスッと立ち上がると、それに反応してラシードは大きく身体を後ろに反らした。ポーラは普通に立ち上がっただけなのに。


 そうだ。いくらラシードだって恐くないはずがない。ラシードは私を守るために恐怖をねじ伏せて抗議してくれていたのだ。そんなことも私は分かっていなかった。


 過剰に反応したラシードを一瞥だけすると、ポーラは私たちのテーブルを離れてエルリックの野営スペースに戻っていった。


 このテーブルに着いているのは私たちだけ。私たちは早食いが身についているから、今では食器などの魔法を更新するためにエルリックのメンバーが横に待機する、ということはなくなっている。


「ひとつだけ分かったことがあります、班長」

「それは何?」


 アリステルは食事の手を止めることなく、ポーカーフェイスのままで私の言葉の続きを促す。


「ポーラはドミネートされています」




 ポーラがドミネートされている可能性。それは既に散々話し合われてきたものであり、かつ、十中八九違う、と判断されていた。


 エルリックは確かに恐ろしいワイルドハントだ。でも、そんなに悪い連中ではないのではないか? むしろ、良い集団であってほしい。そんな、非軍人的な願望すら、私は抱き始めていた。


 訓練は厳しいけれど、いつも笑顔を絶やさずに私たちの母のような役割を演じてくれているポーラが、ドミネートされた傀儡などではない。そう信じていた。


 最初は九割方、客観的に判断を下していた。でも、いつしかその判断は主観に基づくものにすり替わっていた。


 信じていた。ううん、信じたかった。そんな私の気持をエルリックは裏切ったのだ。信頼を裏切ったのは、私たちだけではない。


 能力を使ったトゥールさんに質問して得られた唯一の情報。それが、ポーラがドミネートにより身体を支配されている、ということだった。


 私たちのこの会話内容はエルリックに聞こえているかもしれないが、私たちの周りには常にエルリックがいる。いつ話しても、聞かれてしまう可能性はある。それどころか、明日、再びダンジョンボスに挑戦するときに話すのは、今聞かれるよりもむしろ危険だ。ダンジョンボスに挑戦するときは、エルリックもかなり気が立っている。興奮したエルリックが、私の穏やかでない発言を耳にしたら、今度は小妖精ではなく私を両断するかもしれない。


 小妖精を切られるなんて初めての経験だ。トゥールさんは今後、召喚できるのだろうか。死んでしまって二度と召喚に応じない、ということはあるまいか。念を押された以上、この場で試すことはできない。確かめるのは当分先になりそうだ。




「やっぱりそうか。でも、なんでポーラさんはあれほど人間らしいのだろう」


 それだ。それがどうしても腑に落ちない。


 憲兵の報告によると、エルリックの中で純粋な人間はポーラだけのはずである。その情報が誤りで、実は偽装魔法によって紛れ込んでいるポーラとは別の人間がいた、と仮定しよう。その人間がポーラを操っている? それは難しい。


 幻惑魔法が得意な魔法使いであっても、ドミネートは習得が大変に難しい。なんとか習得したとしても、傀儡をまともに操作するのが困難なうえ、傀儡操作に集中すると今度は操作者本体が十全な動きを取れなくなる。「人間がドミネートという魔法を使おうとした場合」について、私の持つ知識はそんなところだ。


 ドミネートを使いこなせるのは、リッチやエルダーリッチなど、ドミネートを得意とすることで有名なアンデッドたちだけ。ダニエル・ゼロナグラもドミネートを使いこなしていたアンデッドだが、ダニエルはエルダーリッチよりも更に上位のプロロックとかいう種族だったはずだ。


「ゼロナグラ公はジバクマの法を守り、貴族となってからは人間をドミネートしていませんでしたが、もし仮にですよ。長年人間を観察し続けたアンデッドが人間をドミネートすれば、傀儡に人間らしい振舞をさせることも可能なのではないでしょうか?」

「その仮説に基づいて考えてみると……」


 アリステルの顔色が沈む。何か好ましくない考えが頭に浮かんだのだ。


「エルリックの中に、復活したゼロナグラ公がいるのではないだろうか」

「アンデッドは復活するんですか!?」


 仮説が生み出す、また別の仮説を聞き、ラシードが興奮気味に卓に身を乗り出した。


 聞かれてはいるかもしれないが、それでも聞かせたくはないのだ。もっと小さい声で話してくれ。


 不満とは別に、とあるひとつの疑問を抱く。ラシードはどちら側の人間なのだろうか、と。


 畏怖すべき強大な力を持ち、人が住む領地を長く治めたダニエル・ゼロナグラは、ジバクマでは人気の存在だ。滅び去った今でも人気は落ちていない。知識だけでは推し量れないアンデッドの異様性や特殊性、それに人間が手にすることの能わない禍々しい能力が、人々に恐怖を与え、かつ、一方では魅了する。性格的に、ああいう強力な存在に憧れそうだ、ラシードは。


「そういう事例は聞いたことがない。けれども、可能性としては考えておいた方がいいかもしれない。あらゆる線を考慮しておく必要がある。現に、彼らは今までの常識が当てはまらない存在だ」


 滅びたはずのアンデッドの復活。有り得ない話のように思うが、ダニエルの研究室に保管されていた未解明の闇魔法が記された書物の数々。あの中に、アンデッドの復活方法について記されたものはなかっただろうか。私はダニエルの研究室に行ったことがないから、確実なことは言えない。それに、行ったとしても簡単に目を通せるような量ではない、とも聞いている。


 エルリックの中にダニエルがいるのであれば、強くて当然だ。しかし、強いのはまだ分かるにせよ、ダニエルの強さとはまた方向性が異なるように思う。それに絶対的な強さもダニエル未満のような……


「異議を唱えるようですが、少し違和感を覚える部分があります。ゼロナグラ公であれば、憲兵はエルリックの強さを、ブラッククラス、と見立てて然るべきですよね?」

「復活したばかりで、まだ力を完全に取り戻していない、なんてのはどうだろう。あるいは身体をいくつにも分けて復活した、とか」


 虫の類ではあるまいし、潰すと増えるなんて考えたくもない。


「まあ、あくまで可能性だ。ポーラさんが人間らしく振舞う理由付けのためのね。人間に操られている、とすれば、自然な人間らしさを持っていることも、より頷ける」

「ドミネートの行使者が人間だとすれば、私たちの知るドミネートとは毛色が異なります。異能……ユニークスキルでも持っているのかもしれません」


 私やライゼンの小妖精がユニークスキルの好例だ。こっちは、個人の努力と修練で到達したユニークスキルではなく、血が継いできた能力によるものだ。云わば、特別な生まれなのだ。


 待てよ、人間でもアンデッドでもない者。そんな者がいるのであれば、それも特殊な生まれのひとつと言えるかもしれない。なにせ、エルリックには食事を取り、生命反応を呈するアンデッドが四人もいる。


「半分アンデッド、半分人間、という歪な者がいるのではないでしょうか。あるいは、アンデッド化しつつある人間、とか」

「うえぇー。気持ち悪い」


 この手の話に一番動じなさそうなサマンダが気色悪がっている。珍しいこととはいえ、至って自然な反応。考えたくもない話である。


「そういう新種がいれば、食事を取る理由、ドミネートができる理由、ポーラが人間らしく振舞う理由、全て説明がつくね」


 人間への敵対心が低い理由も、である。言った本人の記憶が無いようだが、そもそも新種が云々の話はアリステルがゲルドヴァでの会議で言い出したことだ。この説が正しいとして、エルリック八人の中で新種に該当するのは背高、マドヴァ、イデナ、ノエルの四人だ。エルリックの中にポーラの操者がいるならば、それはこの四人のうちの誰かである可能性高い。


 それだけではない。ウルドとフルルもポーラ同様に操られている、という線も十分に考えられる。


 先ほどポーラは言っていた。『小妖精の干渉によりウルドは滅びた』と。最下層でダンジョンボスと戦っている最中に、私が起こした下層でのハプニングに集中力を削がれ、その結果としてウルドの操作に支障をきたし、ヴェスパに倒されてしまった、というのは、ストーリーとして自然で、いかにも有り得そうだ。小妖精を切り裂いた後のフルルがしばらくピクリとも動かなくなった理由の説明にもなる。


 フルルやウルドほどの強者をドミネートで操る、というのは、ドミネートという魔法の領域を逸脱した発想かもしれない。しかし、人間にはまともな使い手のいない魔法だ。


 ドミネートという魔法技術を伸ばした場合、どのような形で発展するのか、正確なところは誰にも分からない。ダニエルのように千を超す大量の傀儡を操れるようなドミネート使いもいれば、傀儡の数は少ない代わりにどれだけ強い相手であっても支配下におけるドミネート使い、なんてのもいるのかもしれない。


 それに、新種か……。新種だとすれば、いつどこで誕生したのだろう。他にも仲間はいるのだろうか。知りたいことは山ほどある。


 最近では、エルリックの素性を考えることは珍しくなっていた。しかし、それは考えなくてもよくなったのではなく、思考材料が増えなかったからだ。こうやってたったひとつ事実が確定しただけで、思考が一気に先へ広がりを見せる。


「半分人間なのであれば、人間的な欲望があるはずです。それを満たすことができれば、むしろ純粋なアンデッドよりも味方に引き込みやすいかもしれません」


 ラシードは私の意見を聞いて、しきりに感心して頷いている。


 ラシードにも、私やアリステルでは思い浮かばない、常識に縛られない意見を言ってもらえるとありがたい。その大半が一笑に付されるとしても、だ。アリステルの言う、百回に一回当たればしめたもの、というやつだ。


「ポーラを操っている者は間違いなく人間的な感性を持っています。その者を満足させる手段を考えておきましょう」

「そうかなー。ライゼン卿と同じ強さを持つダンジョンボス二柱に明日も嬉々として戦いを挑もうとしているんだよ。人間的な感性には思えないなー」


 うっ、それは置いておいてもらいたい。


「俺はポーラさんの気持ち、ちょっと分かるけどな」


 ポーラさんではなくて、ポーラを操っている者の気持ち、だ。


「もっと強くなりたい。強い相手に挑戦したい。その気持ち、俺は分かる。ウルドやフルルと戦うのは結構楽しいし」


 こうやって意見が割れたときにラシードに意見を支持されると、自分の考えがはたして正しいのかどうか不安になってくる。


 でも、ラシードはそういう気持ちでエルリックの訓練を受けていたんだ。三人の中で最もしごかれているから、てっきり憎んでいるかと思っていた。今日だって、私に突進してきたフルルを迷いなく攻撃していたし。


 とにかく、エルリックは当初考えられていたよりもずっと人間的だ。“仲間”さえ納得してくれれば、一時的な駒ではなく、陣営に本気で引き入れることもありかもしれない。私たちの仲間には権力が少なく、どうしても情報力と武力に偏りがちになってしまう。エルリックをダニエルの後釜に据えられれば、権力的な不足部分が一気に補強される。武力に至っては二倍増、三倍増どころではなく強化される。


 愚者をはじめとして、エルリックに権力を与えることに対する国内の反発は大きなものが予想される。その抵抗勢力こそが私たちの敵なのだ。善を騙り、その実、自己への利益誘導しか考えていない寄生虫のような奴らを一掃するいい機会になりうる。そこまで政治的な部分は、流石に今考えるべきことではない。それよりも先に、エルリックを仲間にする方法が必要だ。何か良案が街に戻れる頃までに浮かんでほしい。


 それぞれが作戦を考えることとして、久しぶりのアリステル班エルリック対策会議は終わった。




    ◇◇    




 食事を終え、その次のアリステルの講義時間が終わった後、ポーラは私に、地面に仰向けになるように命じた。


 罰と称して、これからどんなことが始まるのだろう。


「じゃあ、ラムサスさんには罰として、そこで腹筋運動をしてもらいます。私がいいと言うまでです」


 腹筋? そんなことでいいのか。心配して損をした。


 硬いセーフティーゾーンの地面の上で、私は腹筋運動を開始する。


 ラシードたち三人は、残酷でも何でもない罰に安堵し、ほっとした顔で私の腹筋運動を見守っている。こうして四人全員、大甘な考えを抱きながら、終わりの見えない罰は始まった。




 ……八、九、十と、十回の上体起こしを終えると、一旦休憩を挟む。楽勝である。数十秒休むと、今度は斜め向きに上体起こしをさせる。左斜めに十回数えたら、今度はその逆、右斜めだ。


 正面、左右両斜めと終えたら、また休憩を取り、数分休むと、同じことを再開する。三度、四度と同じことをしていると、ただの上体起こしでもキツくなってくる。


 上体を起こすことができなくなると、少し長めの休憩を挟み、今度は寝たまま足を上げさせる。


 一回も上体を起こせないほど疲れていても、足を上げるくらいなら楽だ。


 ……


 …………


 足上げが楽だったのは最初の十数回だけで、どんどんと腹筋が熱を持ったように痛みを訴えだす。


 この足上げ運動も何度も休憩を挟んで繰り返し行う。休憩を挟んでも一回も足を上げられないほどに疲労すると、今度はポーラが介助を始めた。


 ポーラは、私が全力を出すとギリギリ足が上がるくらいの弱い力で介助を行う。ポーラに介助されながら、私は限界まで足上げを繰り返す。


 顔を真っ赤にしてウンウン気張っても腹筋と足に力が入らなくなり、次第に私の足上げをポーラが介助する、というより、力の入らなくなった私の足をポーラが持ち上げる、というような状態になる。


 限界なんてとっくに超え、もはや首を曲げて下を向くことも、腿を引き上げて膝を立てることも困難なまでに腹筋に力が入らなくなったところで、ポーラによる罰は終わった。


 終わったように見えた。




 ポーラから解放されたものの、私は身体を起こすことができず、そのままその場所で就寝することになった。寝返りを打ちたくても、腹筋に力が入らず寝返りが打てない。反動をつかって転がろうと、腕を持ち上げるだけで腹筋が()りそうになる。腕を動かすのにも腹筋の力が必要だ、ということが分かった。


 夜の番を交代することもできずに横になったまま、翌日の朝餉の時間を迎えた。この頃になると、私の腹筋は力が入らないだけでなく、常時痛みを訴えるようになっていた。サマンダに手伝ってもらいながら全力を振り絞ることで身体をなんとか起こし朝食を取ったものの、痛い。痛い。腹が痛い。何をするにも腹が痛い。


「三人とも、ラムサスさんに回復魔法や鎮痛魔法を使ったり、痛み止めの薬をあげたりしたらだめですよ。これはラムサスさんが望んだ罰なのです」


 ポーラはニヤニヤと笑ってラシードたちに禁則事項を告げる。


 痛み止め。今、私が何よりも欲する物。でも、もうそういう段階は過ぎているような気がする。立っても痛い、座っても痛い。なにしろ呼吸するだけで腹が痛いのだ。筋肉痛と言える生易しいものではない。故障、怪我の類。これは(まさ)しく刑罰だ。




 その日はまともな速度で歩くことができず、下層に行くときはラシードに負ぶってもらった。痛みがひどくて恥ずかしさを感じるどころではなかった。


 穴の場所に着くと、アリステルは昨日の言葉通り、エルリックによって最下層に繋がる穴に引きずり込まれていった。あんなに引き()ったアリステルの顔を見たのは初めてかもしれない。断末魔の声が伴っていてもおかしくないほどの引き攣り様だった。


 行きは生贄のような顔で連れて行かれたアリステルは、何事もなく自分で梯子を登って戻ってきた。穴から戻ってきたときには学者のような真面目な顔になっていた。


「ゴーレムに巣食うヴェスパか……。ゴーレムはいつから最下層にいたのだろう」


 無理矢理連れて行かれたとは思えないほど真剣な表情で、アリステルは独りブツブツと何かを呟く。最下層で目にした光景は、アリステルの知的好奇心を刺激していた。




 アリステルを下層に解放した後、本日の挑戦と称して背高、マドヴァ、シーワの三人だけが最下層へと潜っていった。昨日よりも更に少数精鋭である。その日は最下層から衝撃が響くこともなく時間だけが淡々と過ぎていった。


 一時間もすると三人は戻ってきた。昨日と同じく三人の身体はヴェスパの体液や虫体の切れ端と思われる奇妙な物体で汚れに汚れていた。アンデッドだというのに休憩が必要なのか、それから更に二時間以上をその場で何をするでもなく過ごしてから、セーフティーゾーンへ戻った。


 セーフティーゾーン帰還後、平常通りに訓練と講義が行われたものの、動けない私だけは訓練が免除になった。




 私が痛みに耐えて普段の速度で歩けるようになるまでは二日ほどを要した。腹筋をやられると人間は歩くことも寝返りをうつことも困難ということを学んだ。復調してからは、なぜかサマンダと同じく隠密行動の練習もさせられるようになった。




    ◇◇    




「毎日最下層に挑戦していますけど、進捗はどうなんですか?」


 食事時、アリステルがポーラに尋ねる。


「順調ですよ、順調」


 ポーラは変わった様子無く、平然と答える。


「あのビー(ハチ)の海……とても数え切れるものではありませんが、おそらく数十万以上いますよね。あれでは、囲まれると身動きすら困難のように思われます。何か打開策があるのでしょうか」

「ゴーレムとヴェスパを同時に相手するのは難しいので、先に満々のヴェスパを処理しているところです。色々と方法を試した上で、一番無理のないものを選んだつもりです。その無理のない手段を反復継続している段階ですね」


 ポーラは具体的な手法の言及を避けて話す。


「じゃあ、ビーは段々減っていってるんですね」

「いえ、あまり減っていないですね」


 処理しているのに減っていない? (はか)が行っていない、と言う割にポーラは満足げな表情をしている。


「最下層に潜る三本の手足で一日に千を超えるヴェスパを屠っていますが、全ての働きバチからすればわずかなものです。最下層の空を飛び交うヴェスパがコロニーの全てではありません。巣の中で活動している個体や、穴を抜けて、下層に餌を探しにきている個体がたくさんいますからね。クイーンも毎日卵を千個以上産んでいるみたいですし」


 日に千以上ということは、アリステルの見立て通り、成虫は数十万匹以上いてもおかしくない。千匹倒したところで新たに千匹生まれてくるのだと、いつまで経っても状況は変わらないのではないか?


 ポーラは、「これは持久戦なのです」と微笑していた。




    ◇◇    




 最下層突入後、一か月超の間、同じような日々を過ごした。朝になると下層に行き、魔物相手の戦闘訓練を行う。私たちがいいだけ疲れたところで、エルリックは最下層に挑戦する。ダンジョンの地形が変わって折角作った最下層への穴が消えてしまっても、エルリックはその度に潜る穴を整えた。


 最下層に潜る長さは概ね一時間ほど。最下層から戻ってくると、その場で二時間強休憩を取る。その後、セーフティーゾーンに戻って訓練、食事、講義と、規則正しい生活を送る。




 そんなある日、ポーラが唐突に言った。


「ヴェスパの数が減り始めました」


 持久戦と言ってはいたが、何か戦い方でも変わったのだろうか。


「今までと違うことを試しているんですか?」


 私と同じ疑問を抱いたアリステルがポーラに尋ねる。


「我々が各種処理方法を試したのは最初だけです。以後、ずっと同じことを繰り返しています。その成果がやっと目に見える形で表れ始めた、ということです。一旦減り始めたら、後は早いと思いますよ」


 ポーラは手の内を明かすことなくほくそ笑む。


 アリステルはエルリックに誘われ、最下層の様子を見に行くことになった。今度のアリステルは抵抗する素振りなく、自ら進んで最下層に通ずる穴の梯子を下りていった。


 最下層から戻ってきたアリステルが言うことには、「最初に見た時とビーの数は変わらないように感じた」とのことだった。


 日々の変化が僅かなものだった場合、毎日最下層を訪れているエルリックよりも、アリステルのほうが変化を強く感じてよさそうなものである。そのアリステルが変化を実感していないのだ。エルリックが感じる成果、というのは、『あれだけ努力をしたのだから実りを得ているに違いない』と、妄想めいた願望が引き起こした錯覚に過ぎないのではないだろうか。




    ◇◇    




 アリステルの二度目の最下層見学から二週間後、ポーラが再び進捗を語る。


「やっとヴェスパの数が半分以下になりましたよ」

「一か月かかってやっと減り始めたかどうか、というところだったのに、それからたった二週間でどうして半減するんですか!?」


 実際に最下層の光景を見に行っているアリステルはポーラの言葉に驚きを隠せない。土産話を聞くばかりの私でも、計算が合わない、とは思う。


「それはそうですよ。なにせ、働きバチは我々が倒さずとも、ある程度は寿命で死んでいくのです。働きバチが減ると、巣に回収される餌の量も減ります。すると結果的に、クイーンが産む卵の量が減ります。この産卵量は、我々が最下層に突入した日から一貫して減り続けています」


 ダンジョン内ということで失念していたが、クイーン以外のヴェスパの寿命は長くない。倒す数と産卵する数が同じだと総数が減らない、というのは謬見(びゅうけん)だ。必ずしも倒す数が産卵数を上回らなくとも、寿命による自然減でヴェスパは減っていく。


 三度、最下層の様子を見に行ったアリステルは、「確かに最下層を飛び回るビーの数は減っているような気がする」と率直に所感を述べる。これは、『半分以下になった』というポーラの発言とは食い違っているが、こと魔物やハントについてはエルリックのほうが間違いなく活眼だ。人間という制約から逃れられない以上、アリステルには最下層の一側面しか見ることができない。傀儡の目を持つエルリックと違って、ヴェスパの総数を正確に計ることなどできないのだ。




    ◇◇    




 また更に二週間が経った。


「ヴェスパは十分の一以下に減りました。成虫を倒す効率が下がったので、卵を処理する方向でいきます」


 ポーラはヴェスパの処理手法の変更を宣言した。そう言われても、元の処理方法が分からないのだから、驚くべきやら褒めるべきやら分からない。


 その日から、エルリックが最下層に潜っている時間は一日三十分程度になった。アリステルは、「最下層を飛び回るビーの数は激減している」と言っていた。最下層でたった三十分だけ狩りをした後は、三時間近く下層で休憩している。私は今まで、これを完全な休憩時間だと思っていたが、おそらくこの時間はただの休憩ではない。エルリックは最下層で“何か”をやっている。その“何か”が、今はおそらく卵の処理ということなのだ。




    ◇◇    




 また二週間と少しが経過した。最下層に通い詰めるようになってから、かれこれ二か月と少し、というところである。ポーラは突然に提案する。


「今日はセーフティーゾーンには戻りません。下層で一夜を明かします」




 その日は本当に下層で一日を過ごした。エルリックが最下層に潜っているのはやはり三十分ほどで、その後は穴の付近で普段の訓練、食事、睡眠をこなした。秘密を貫くエルリックが最下層で何をやったのかは分からないまま、翌日になってから第二(ディープ)セーフティーゾーンに戻った。




    ◇◇    




 下層で一夜を明かした一週間後、ポーラはこう宣言した。


「クイーン以外のヴェスパは全滅させました。今日はクイーンと戦いに行きます」

「クイーンヴェスパはゴーレムの体内にいるんですよね。どうやってゴーレムから引き離すんですか?」


 そういえば、エルリックがヴェスパを倒しているのは、二柱のダンジョンボスを倒すためだった。あまりに日数が経過しすぎて、私の頭の中では手段と目的の境界が失われてしまっていた。


「クイーンの最後の日になってしまうかもしれませんから、今日は全員で最下層を見に行きましょう」


 アリステルの問いには答えないまま、ポーラは嬉しくない提案をするのだった。

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