第一一話 毒壺 五 ソボフトゥル
私たちとエルリックの関係が変化してから三か月以上経った。私たちの訓練に時間を割いておきながらも、エルリックのダンジョン探索にかける時間が減ることはない。エルリックは飽きることなく毎日下層に向かい、今日も普段通りに下層を探索している。道中で休憩を取っている際、ポーラが誰にともなく質問を投げ掛けてきた。
「ヴェスパって知ってますか?」
「この辺りに出現するビーですよね」
ポーラの手作り弁当を頬張るラシードは何も考えることなく回答する。これだけ長く時間を共有していてもポーラがどんな答えを聞きたくて質問しているのか察せないものだろうか。男が馬鹿なのか、ラシードが馬鹿なのか……
「ラムサスさん、知ってますか?」
「営巣性のある真社会性を持った大型のホーネットです。ビーの中でもかなり強力で、集団で行動することから討伐にはプラチナクラスを要する手強い魔物です」
私の答えを聞いてポーラは小さく頷く。ポーラの挙措から私の回答の点数を読み解くならば、聞きたい回答の大半は含まれてはいるが、あと少し。百点満点中の七十点といったところか。
私の答えに付け加えたいことがあるサマンダは、訴えかけるような目でポーラを見つめている。そんなサマンダを見てポーラは回答を許可する。
「毒の質とか種類は一般的なホーネットと同じだけど、身体が大きい分、一刺しあたりに注入してくる毒の量が多くて危険ー。あと、ホーネットなのにハニービーみたいに巣に蜜を溜めるんで、蜜は食糧としても薬としても高値で売れまーす」
「なるほど。やっぱりそうですよねぇ……」
自らの持つ知識と私たちの回答が相違ないことに満足したポーラは、何もないところを凝視して考え込み始めた。
最近探索している場所では、時折ヴェスパが姿を見せる。ところにより、その出現頻度はかなり上がる。アントやビー等の真社会性を持つ魔物は一度戦闘になると、大量に仲間を呼ぶ可能性があり、討伐は慎重に行わなければならない。特にヴェスパほどの強さを持つ魔物となると、危険度は非常に高い。それをエルリックは遠慮なしに倒していくから私たちはいつもヒヤヒヤして見ているのだが、今のところヴェスパの大群と交戦する羽目に陥ったことはない。単体で出現される分には、エルリックではなく私たちであってもヴェスパを倒すことに問題はない。
「巣がどこにあるのかを気にしているのですよね」
質問の意味を語らないポーラに焦れたアリステルが正解に迫っていく。
「そうなんですよ。一匹ずつしか出てこないと、気配はすれども姿が見えず、という状態に似た薄気味悪さがあります。気付いたら巣のド真ん前に来てしまった、となっては良くありません。なんとか巣の位置を突き止めたいですね」
「危険性の問題だけでしょうか、ポーラさん」
ラシードが妙に真面目な顔でポーラに尋ねる。こういう顔をしているときに限ってラシードはロクなことを考えていない。
「もちろん、巣が見つかったら皆さんに振舞う料理のバリュエーションが増える、という点も見逃せません。幼虫、成虫、蜜、ローヤルゼリー。食材の宝庫です」
「ヴェスパを食べたら、また一回り身体を大きくすることができそうだ……」
ラシードはヴェスパを自分の身体に取り込んだ後のことを想像して半笑いになっている。気色悪い人だ。ラシードはこの先、もう常人と同じ感覚で物事を考えることはできないのだろうか。嘆かわしい。
エルリックがヴェスパの巣を警戒していることは分かったけれど、下層の未探索領域を進む際はエルリックの後ろを付いて行くだけの私たちである。巣を見つけろ、と言われても見つけることはできない。それでも念のため、とポーラは私たちに、ヴェスパに対する一層の警戒を促した。
その後、下層探索を続けていると、壁や床に小さい穴がちらほら開いている場所に出た。
「何でしょうね、この穴?」
「ひょっとすると、この穴からヴェスパが出てきているのかもしれませんよー、ポーラさん」
そう言ってサマンダが小児頭の大きさがある謎の穴に顔を近付けた。その直後、サマンダは大絶叫をダンジョン内に響かせた。
「どうした!? 何が見えた、サマンダ!!」
ラシードは、固まったまま動けずにいるサマンダの肩を引いて穴の前から引き離す。
「ヴェスパの顔が見えました!!」
サマンダが穴から離れると、穴の奥からもぞもぞとヴェスパの頭部が覗くようになった。それを見たラシードは、すかさずヴェスパの頭部を切り落とそうと剣を振り上げる。ヴェスパは穴から頭だけ出しているのだ。断頭台さながらである。
だが、振り上げたラシードの剣がヴェスパの頸を斬り落とすことはなかった。ウルドがラシードの動きを止めたからだ。
「このヴェスパ、お預かりしますね」
ポーラが手出し無用を宣言すると、イデナが穴に近付いていく。そしてクレイクラフトを操り、ヴェスパの頭部を土で完全に固定した。
身体を動かすための羽と肢が生えたヴェスパの胸部も、毒を放つ危険な腹部もいずれも穴の中であり、ヴェスパはその場で顎をカチカチ鳴らすことしかできない憐れな存在に成り下がった。
「それ、どうするんですか?」
「面白いことを思いつきました。まだ皆さんには内緒です。ということで、ちょっと離れていてください」
そう言ってエルリックは私たち四人を穴の側から追い払う。何かおかしなことをやろうとしている。
それから何をするでもなく数時間は待たされた。こんなに何もしない時間、というのも珍しい話である。
何かを一段落させたエルリックが私たちの所へ来た。
「随分時間がかかりましたね。何をやっていたんですか?」
「ですから、面白いことですよ。時間をかけた甲斐があり、色々と分かりました」
何か格別な成果が得られた、という顔でポーラはニンマリと笑っている。笑顔の中には、ラシードをからかうときに見られる悪い表情も含まれている。
「中佐、毒壺のダンジョンボスって分かりますか?」
「毒壺は人間があまり立ち入る場所ではないため情報に乏しく、残念ながら存じません」
「ダンジョンボスについて聞く、ということはつまり――」
「ええ、最下層を見つけました」
第二セーフティーゾーンに辿り着いてから既に四か月以上が経過している。毎日下層を探索しているというのに、最下層には今まで一度もたりとも行ったことがない。エルリックは敢えて避けているのかと思っていたが、最下層への入り口を見つけられなかった、というだけのことのようだ。
それが、ヴェスパ一匹を捕らえたことで最下層を見つけた、ということは……
「ヴェスパをドミネートして穴に潜らせた先に最下層があったんですね」
ポーラは私を見て莞爾として微笑んだ。ポーラの表情を観察し続けた結果、笑顔の意味は簡単に見分けがつく。これは、褒めてくれるときの笑顔だ。
「頭のいい子は好きですよ。巣を回収したら、ラムサスさんから食べたいものを選んでもらいましょう」
折角のご褒美ではあるが、あまり嬉しくはない。成虫も幼虫も見た目は最悪だ。絶対に食べたくない。ローヤルゼリーは、見た目は悪くないが、ハチミツほど美味しくない。ここはハチミツ一択である。
それにしてもヴェスパはそれなりに強い魔物だというのに、エルリックのドミネートをなぜ抵抗できないのだろう。エルリックが用いるドミネートは特別性で、強い相手にも有効、とでもいうのだろうか。
もしもそうならば、私たちにドミネートをかけることができるかもしれない。エルリックと一緒にいることに対する不安は最近全く無くなっているものの、自分が操り人形にされるかもしれない、と思うと、それはやはり怖い。
「最下層らしき場所を見つけたのはいいんですけど、奇妙なことにダンジョンボスが見当たらないんですよ」
「それは身の毛がよだつ恐ろしい話です。私たちが今いる下層をダンジョンボスが歩いているかもしれない、ということではありませんか!」
最下層は他の層と異なり入り組んだ迷宮にはなっておらず、セーフティーゾーンのように広い空間、所謂ボス部屋のようなものだと聞いたことがある。そこにダンジョンボスがいないとなると、どこにいるかは考えるまでもない。
「やっぱりそうなりますよね」
非常事態を告げられているというのにポーラは呑気そのものだ。エルリックにとってはどうということのない話であったとしても私たちは違う。気が気ではいられない。
「早く引き上げたほうがいいのではありませんか?」
察しの悪いポーラにアリステルは重ねて警戒を促す。
「どうしてですか?」
「エルリックの皆さんはともかく、私たちはダンジョンボスと戦う力がありません。戦いに巻き込まれるだけで死んでしまいます」
ボスと戦うのであれば、私たちのいないところでやってほしい。これは切なる願いである。
「本当にダンジョンボスがいるのでしょうか……。そもそも、下層、最下層を含めてどこにもダンジョンボスがいない、ということもあり得るのでは?」
「そんな話は聞いたことがないですね。どんなダンジョンにでもダンジョンボスはいますよ。たとえ討伐したとしても、しばらくすると別の魔物がダンジョンボスになります。毒壺に入ってから私たちは他の人間と一度も会っていません。どこかから流浪のハンターが現れて毒壺のボスを倒したとはとても考えられません」
エルリックはワーカーやハンターを名乗っている割に、ダンジョンボスについて詳しくない。軍人のアリステルのほうが事情通だ。
ダンジョンボスに挑戦できるのはごく限られたハンターに過ぎずとも、ダンジョンボスのように話題性抜群の情報というのは凡百のハンターに知られているものである。幅広い知識を備えたエルリックが、どうしてそんなことを知らない。ポーラは知らないフリをしているのではなく、おそらく本当に分かっていない。知識量に乖離したおかしな現象だ。
懇願にも似たアリステルの警告を聞き、ポーラは口元に手を当てて考え込んでしまった。
しかし、最終的に私たちの願いがポーラに届くことはなく、しばらくの後にエルリックはノロノロと下層の探索を再開した。
道を進むと穴は所々に開いている。ヴェスパはこれまでにないほど高頻度で姿を見せる。恐ろしいのはダンジョンボスだけではない。ダンジョンボスがどこにいるかは不明にせよ、“ヴェスパの巣”という名の脅威に私たちは確実に近付いている。
穴から出てくる現場を目撃したのは、先ほどの一回だけだったが、これらの穴の大半は巣のある場所に繋がっているはずだ。いかなるタイミングで穴からヴェスパが大量に湧き出してこないとも限らない。ヴェスパの数匹ならいざしらず、数十のヴェスパに囲まれるだけで私たちアリステル班は全滅だ。エルリックがいるなら、それも何とかなるにせよ、もしもそこにボスが現れたら?
有り得る未来に恐怖しながらエルリックの後を付いて行くと、ふとパーティーの足が止まった。ポーラは勢いよくこちらを振り返ると、高らかに宣言した。
「我々は、最下層に行ってみることにします」
「どうやってですか? 最下層に下りる道も見つかっていないのに……」
警告を聞かないばかりか、常軌を逸したことを言い出すエルリックにアリステルが抗議の意味も込めて方法を尋ねる。行こうと思っても現実に行く手段が無いのだ。絵空事を語るのもほどほどにすべきである。
「ヴェスパの通る穴があるのです。最下層の直線方向は分かります。穴を拡張してやればいい。ヴェスパに掘れて、我々には掘れないと思いますか?」
「……本気なのですか?」
「冗談でこんなことは言いませんよ」
エルリック各員はシャベルを取り出すと、地面を掘っては掘り返した土で穴を塞いでいく。拡張する、と言っておきながら何故か穴を塞ぐ。言動に一貫性がない。
「ポーラさん、これは何を……」
「先に不要な穴を塞いでおかないと、ヴェスパが大量にこちらに流れて来かねません。言っていなかったですけれど、最下層には途轍もない数のヴェスパが飛んでいるんですよ」
勿体ぶって全てを話そうとしないポーラのせいで分からなかったが、これでハッキリした。ヴェスパの巣があるのは最下層だ。
状況はいよいよ悪い。ダンジョンボスが下層を練り歩いているかもしれない中、エルリックはヴェスパの巣がある最下層と、ここ下層に大きな通路を開こうとしている。なんと無謀極まりないことを考える。そういうことに私たちを巻き込むのはやめてほしい。
自分たちがどれだけ危険な行動を取っているのか理解していないエルリックは本気も本気。建設作業で大活躍したアンデッドの無限の体力と土魔法をここでも十全に活用し、穴という穴を塞いでいった。
途中からは穴にただ土を込めるだけでなく、泥を流し込んでは焼き固める、という作業を何重にも繰り返して、簡単にはヴェスパに穴を再開通されることのないように、頑丈に塞いでいった。
泥を普通に焼き固めようとすると時間は無尽蔵に必要になるが、水魔法で加えた水分は、時間経過とともに勝手に飛ぶ。
穴を埋める作業はシーワ、ウルド、フルル、ノエル、ラシードが行い、焼き固める作業は背高、イデナ、マドヴァが行った。ラシードはまるでそれが当然であるかのように、至って自然にエルリックの作業に参加している。敬虔な筋肉教の信者は“おつとめ”に疑問を感じないのだ。
一つを除いて、見渡す限り全ての穴を塞ぎ終えると、最後に残った穴をシーワたちは大きく拡張し始めた。
大きく、と言っても、ヴェスパがやっと通れるだけの大きさだった穴を、人が何とか二人は通れるのではないか、という直径にしているだけだ。径の大きな穴を深く掘り進めるのは難事でも、径をその程度に留めておけば怪力のシーワのこと。穴はみるみるうちに深くまで掘り進められる。
深さはすぐにシーワたちの背丈を超え、コンベヤーがここでも稼働を開始する。エルリックはコンベヤー好きだ。
何かあった時に備えて穴を封鎖できるよう、弁の役割を果たす蓋を穴の途中に数か所作り、穴を昇降するための梯子を通す。魔力切れに備えてか、蓋や梯子は土魔法ではなく、念入りに焼き固めた土で作り上げていった。
開通工事に勤しむエルリックとラシードと違って退屈を持て余した私は、魔法の練習をしながら事の成り行きを見守る。ヴェスパ一匹を捕まえたところから始まり、今日は待たされてばかりである。
数時間経過後に、エルリックは全員穴から出てくると、「連絡路は最下層まで開通しました。突入前に入り口周りの安全を確かめておきます」と言い残し、下層の見回りに行った。
ほどなくして戻って来ると、第二セーフティーゾーンまで安全に戻れる順路を整えたことを私たちに告げた後、「では突入します」と、存外に意気込みのない宣言をして、次々に穴の中へ入っていった。
突入する、と言った当の本人のポーラを筆頭に、イデナ、フルル、二脚の四人は穴に入らず、下層に残った。最下層に突入したのはシーワ、背高、マドヴァ、ウルド、ノエルの五人だけだった。
今日はエルリックに待機させられ続けて、もう結構な時間になっている。普段ならばディープセーフティーゾーンに戻って訓練をしている頃合いだ。どうせ残っているなら今のうちにフルルに訓練をつけてもらえないか、とポーラに頼んだところ、「今、かなり集中してるんで、緊急の用事以外では話し掛けないでください」と、えらく真面目な顔で咎められた。
集中している、と言われても、私にはポーラが暇そうにボーっと突っ立っているようにしか見えない。情報魔法でメンバーに指示出しでもしているのだろうか。
しばらくすると地の底から地鳴りのような音と鈍い衝撃が響き始めるようになった。衝撃は何度も何度も繰り返し生じる。何事か知りたくとも、ポーラは仁王立ちのまま穴の底をじっと見つめたままだ。
エルリックが最下層で戦っているのは分かる。しかし、具体的にどんなことになっているのかは見当がつかない。腹の底まで鈍く伝わる低い音と身体を揺らす衝撃が続くと、不安と焦燥が強くなっていく。
ここは下層と言う名の自然の牢獄である。これから何が起ころうとも、私たちだけではこの場所から逃げ出すことすらできない。ただ、信じてエルリックを待つだけだ。信じるためには、信じるに足る根拠が要る。心を強く持てるよう、ポーラには少しでいいから状況を説明してもらいたい。
見ているこちらが痛くなってくるほど、ポーラは拳を強く握りしめている。とても話し掛けられる雰囲気ではない。
地鳴りは十分以上も続いただろうか。
最初は私たちがいる通路の奥と手前を巡回していたフルルたち下層残留組であるが、今は全員穴の周囲に集まっている。最下層はよほどのことになっているのだろう。
残留組全員の意識が最下層に集中する様を見て、私は今なら情報を探れるのではないか、と思い立った。
アリステルたちも、地鳴りが響くようになってから自主的な訓練の手を止め、穴の周りに立ち尽くすエルリックを不安そうに見守っている。
全員の意識がそちらに向いている。今ならいける。
私はアリステルたちに目配せをして、そっとエルリックから距離を取る。できる限り距離を取った上で、通路の少し窪んだところに小妖精を呼び出す。
トゥールさんを呼び出すのは数か月ぶりだ。狙いはポーラ。上手くいくだろうか。
この距離ならば大丈夫、射程範囲だ。ポーラは集中している、と言っていた。傍目にも没頭して見える。きっと気付かない。
だが、そんな甘い考えはあっさりと打ち砕かれることになる。
私が調査を開始するために、トゥールさんにポーラを見させた瞬間、蓋越しに穴の底を見つめるように下を向いていたイデナとフルルが両者同時に首だけをぐるんと動かしてこちらを向いた。
気づかれた。ものの一瞬で……! でも、肝心のポーラはまだトゥールさんを見ていない。せめて一つでも質問を……
フルルは、フッ、と身体を低く沈み込ませるとその場から大きく跳躍し、アリステルたちを避けるようにこちらに向かって壁を走りつつ、剣を鞘から引き抜いた。
いつも私たちに訓練をつけてくれるときのフルルの動きよりもずっと速い。しかも人間とはかけ離れた異質な動きをしている。
フルルは本気だ。こ、殺される……
応戦するため、私も剣を引き抜こうと柄に手を伸ばすが、震えて柄が手につかない。
「どああああああ!!」
壁を走るフルルに向かってラシードが斬りかかった。
フルルは大きく壁を蹴り、鮮やかにラシードの斬撃を躱す。そのまま空中で一回転すると、ラシードを無視したままこちらに向かってくる。ラシードが一呼吸遅らせてくれたおかげで、なんとか私も剣を鞘から抜くことができた。
黙って殺されるつもりはない。フルルの初撃をなんとしてでも防ぐ。そうすれば……全員で囲めば活路を見出せるはず!
撃ち合って押し負けぬように私も軽く膝を曲げ、腰を落とし……たところで、フルルは私の真横を通り過ぎた。
まさか、フルルの狙いは……!?
ラシードも私も無視して走り抜けたフルルは、一直線にトゥールさんに向かい、容赦なく剣を振り抜いた。小妖精の身体を横一文字に斬り裂いた上に、ご丁寧にも縦の斬撃を追加する。
十字に身体を断たれた小妖精は、空中に溶けていくように消えてしまった。
「構えろ、ラムサス!!」
ラシードが私の斜め前に立つ。
トゥールさんの消えゆく様に自失してしまっていた私は、剣先をだらりと下げていた。脱力した腕に力を込め、剣を構え直す。いつ、襲い掛かってくるか、動きの全てを見逃さないようにフルルを真正面に見据えるものの、フルルは小妖精を斬った後、まるで石と化したかのようにピクリとも動かない。
ラシードに遅れること数歩、私の背中をアリステルとサマンダが守る。
私たちから見て通路の手前にはフルル、通路の奥にはポーラ、イデナ、二脚がいる。
私とラシードはフルルの方を向き、抜剣したアリステルとサマンダはポーラたち三人の方を向き、二人が二人の背中を守る隊形を取る。全員いつでも戦えるように身構えている、というのに、ポーラたち三人は、私たちに構ってなどいられない、というように、再び穴の底に視線を戻した。
「もしかしてこいつ、動けないのか……?」
微動だにしないフルルにラシードがジワジワとにじり寄っていく。
「目障りだ、動くな!!」
ポーラの怒号が通路に響いた瞬間、ラシードはビクッと身体を震わせ、それきりフルルににじり寄るのを止めた。
エルリックはそのまま誰も動かない。私たちも誰も動けない。
その場に立つ誰もが静止した空間の中、ダンジョンを揺らす衝撃と轟音の二者だけが変わらずに続き、時間が確実に流れていることを告げる。
「参ったね……。いつまでこうしている気だろうか?」
アリステルが恐怖を誤魔化すかのように軽く笑いながら言う。
アリステルの言葉に反応したのか、それともそんなものとは関係なく、偶然そのタイミングだったのか、固まったままになっていたフルルがやおら動き始めた。
そんなフルルを見たラシードは、ギュッと音を立てて強く剣の柄を握りこんだ。
「全く……何もやってほしくないタイミングでやってほしくないことをしてくれましたね」
背中越しにポーラの声が聞こえる。それは今までに聞いたことのない、低い凄みのある声だった。
ポーラがどんな形相で言葉を放っているのか気になって仕方ない。だが、動き始めたフルルが一歩ずつこちらに向かってきている以上、目を切ることはできない。フルルは剣先こそ下げてはいるが、まだ抜身のままである。
「私を狙う魔法の気配がしたので斬り払いましたが、あれはどういうことなんでしょうね」
フルルは、決死の覚悟で立ちはだかろうとするラシードなどまるで目に映らないかのように、ゆったりとした余裕ある歩調でラシードの横を通り過ぎていく。
「あの魔法には、どんな効果があるのか――」
ラシードの横を通ったフルルはそのままサマンダとアリステルの横を通り……
「教えてもらってもいいですか。ラムサスさん?」
残るもう一体の小妖精に剣先を向けた。
エルリックには小妖精が見える。その可能性はゲルドヴァでライゼンに教えてもらっていた。しかし、身の安全には代えられない。第一セーフティーゾーンに辿り着いてからはごく偶に、中層下部に入って以降は頻繁にポーたんを呼び出していた。
ポーたんがエルリックの周りを逍遥しても、エルリックが小妖精に気付く様子は全くなかった。私はそれを見て、エルリックは小妖精が見えないのではないか、と勘違いするようになってしまっていた。事実、小妖精は特定の条件を満たした特別な相手以外には見えないのだ。
その原則に当てはまらないのがダニエルであり、このエルリックだった。エルリックはポーたんを泳がせていたのだ。私がいつか馬脚を現すと踏んで……
ポーラは以前こう言っていた。『私の能力をエルリックに使ったら、皆殺しにする』と。どうやれば関係を維持できるかエルリックは明言していたのに、情報に眩んでしまった私が関係を壊してしまった。また私のせいで……
「私以外を……殺さないでください」
「はあ?」
ポーラは呆れた顔で聞き返す。
「私が勝手にやったことです。他の三人は殺さないでください」
「何を言っているのやら……」
私が必死に助命を嘆願する中、我関せずと、イデナが動き、最下層を封ずる重い穴の蓋を開ける。
穴の中からゾロゾロと背高、シーワたちが身を這い出す。その身体は負傷しているのだろうか、独特の臭気を放つ謎の液体、奇妙な形状の物体、硬軟大小様々なものが付着して汚れに汚れ、元の姿が分からないほどになっている。
全員が出てきたのであろう、シーワは軽々と穴の蓋を動かして閉めた。
これで私たちの生存の目は完全に潰えた。フルル、イデナ、二脚の三名を相手にするだけなら、私たち四人でも何とかなったかもしれない。でも、背高やシーワは無理だ。強さの次元が違う。エルリック最強のメンバーたちが戻ってきた以上、もう手も足も出ない。
「私はね、ラムサスさんが使った先ほどの魔法の効果は何ですか、と聞いたんですよ。意味の分からない返事はやめてください」
私が何を言おうと、一人も生かしてはおかない、と言っている。
私の能力は、私だけの秘密ではない。ライゼンから始まり、特別な仲間たち全員で隠してきた秘密だ。たとえ拷問にかけられたところで……
「ラムサス、君が命を捨てることはない」
アリステルが私を見て首を振る。
「喋るんだ。もしかしたら命だけは助けてくれるかもしれない」
アリステルがポーラに向き直る。
「ラムサスは軍人として任務を全うしたまでです。その責任は指揮官である私にあります。私は好きにしていただいて構いません。部下たちは無事に街へ解放してください」
私に代わって責任を引き受けようとするアリステルを見たポーラは、渋面を作って考えこみ始めた。
何もない通路の天井を睨むこと須臾、一思案を終えたポーラの視線がアリステルに戻る。
「それでは、ズィーカ中佐。中佐には街に戻った後で我々のお願いを一つ聞いていただくことにしましょう。何でも一つ、です。それが約束できるなら、中佐の提案を受け入れます」
「お約束いたします」
アリステルはポーラが出した条件を呑み、畏み約束を交わした。
「では、我々が無事で、かつあなた方から再び我々の信頼を裏切らない限り、あなた方の安全は保障されました。さあ、安心して話してください。ラムサスさん」
アリステルは自分を売った。エルリックの要求次第で、アリステルは軍や国を裏切らなければならなくなる。しかも、私の能力まで露見るとなると、仲間もジバクマも先がない。
だが、ポーラは「信頼を裏切るな」と念を押した。先に約束を破ったのは私なのだ。私も覚悟を決めなければならない。
私は、ずっと守ってきた秘密を放棄することに決めた。
「先ほどの魔法……魔法なのか自分でもよく分かっていませんが、喚び出した小妖精は“ソボフトゥル”といいます。ポーラさんを調べるための、魔法でいうところの情報魔法の効果があります」
ラシードとサマンダが目を見開きこちらを見る。二人との付き合いは短くない。この班を結成してからずっと一緒だ。二人が知っているのは、私が情報魔法使いである、ということ、それだけであり、小妖精を使っている、ということは把握していない。
「ううぅぅん……。そのソボフトゥルっていうのは我々を攻撃したり、呪いを与えたりするものではない。そういう理解でいいですかね?」
「はい。その通りです」
ポーラはアリステルの請願を聞いたときよりも渋い顔で悩み始めた。表情だけ見る分には、私たちがポーラを悩ませ、困らせているかのようである。何をそれほど考えることがある。……考えもするか。この集団は相当な策士。私たち以上にずっと先のことまで見通しているのだ。
「そっちも他者を害する能力は無い。そういうことでいいですか?」
ポーラはフルルから剣先を向けられたままの小妖精を指差す。
「ポーラさんが指している小妖精は“ポジェムニバダン”。ソボフトゥルとは別の情報を探る能力があります。攻撃手段や呪いはもちろん、他者を害する一切の能力を持っていません」
ポーラは上半身を脱力させ、ふぅー、と大きく息を吐く。それを合図に、フルルは剣を鞘に納めた。
「そうでしょうね。そういう動きをしていましたから。ああ、最後に、ソボフトゥルとポジェムニバダンの二体が揃うと特別な効果を発揮する、ということはないのでしょうか」
私以外が使う小妖精には、そんな効果があるのだろうか。少なくとも私はそんなものを知らない。ライゼンとジェダも小妖精を使えるはずだけれど、小妖精の詳しい能力をお互いに教え合ってはいない。それに、他者に教えるよりも前に、自分の小妖精の能力を知っていなければならない。手探りを続けているというのに、私は未だに小妖精の力の細かい部分を見抜けていない。
「はい、ありません」
「それでは、もういいです。取り敢えず今日は疲れました。早くセーフティーゾーンに帰りましょう」
身を強張らせたままの私たち四人を尻目に、エルリックは第二セーフティーゾーンへ向かってゾロゾロと歩き始めた。
「何ボケーっと突っ立ってるんですか。行きますよ」
エルリックの最後尾を歩くポーラがこちらを振り返って私たちを手招きする。まだ小妖精の詳細は説明していないのに、もう許された? ディープセーフティーゾーンに戻ってから詰問の続きを始めよう、という風にも見えない。意味が分からない……
下層を歩きながら、エルリックが何を考えているのか推測する。黙ってその場に凝立することを止め、自分の足を動かして歩いているお陰か、私の思考を曇らせる恐怖という名の霧が徐々に晴れていく、それにつれて、エルリックが何か違和感を有していることに気付く。
知ってしまったから? 違う、それだけじゃない。エルリックは今までと何かが違う。シーワたち、最下層突入班がボロボロに汚れていて、それが違和感の正体かというと、それも違う。何だろう、何が違うのだ……
今度は混乱という名の渦が私の思考をかき乱す。
「誰か一人いない」
横を歩くサマンダが、私よりも先に違和感の正体を突き止めた。
私たちの前を歩くエルリックは、いつの間にか八人に減っていた。
ソボフトゥルsobowtórは英語であればダブルdouble、ドイツ語であればドッペルdoppelないしドッペルゲンガーdoppelgängerと訳せます。




