第六四話 二度目の失恋
ボアの死体を確認すると、シルヴィアの一撃を受けた側頭部は無残にひしゃげていた。彼女の一撃でボアは即死していたのだ。あとは生前の突進の勢いそのままに死体が地面を滑っていっただけ。
シルヴィアの攻撃は見事だった。
ゼミ生と嬉しそうにハイタッチするシルヴィアを、私は歯噛みしたい気持ちを押し殺して見つめることしかできなかった。
何とも滑稽なことをしてしまったものだ。
時間と金をかけて寄せ場に通い詰め、才能豊かな若い前衛を探したが、それは大学内の、それも同じゼミナールにいたのだ。
シルヴィアに限らず、魔法専攻の学生全員に対して「ハンターを目指す場合の立ち位置は後衛」という先入観を抱いていた。色眼鏡で見ていた、と言うべきか、濁り曇って何も見えていなかった、と切って捨てるべきか。
どちらにしても私の眼識のなさは救い難い。
私の奥底に沈んだ中庸な理性は、いつから剣を鍛えていたのか、とか、剣は誰に習ったのか、とシルヴィアに対する質問をいくつも浮かび上がらせる。その質問を上から塗り潰すのは私の負の感情だ。どこにも向けようのない醜い怒りが決々と後から後から生まれ出ては理性の上に滴り落ち、全てを塗り替えていく。醜い感情に呑まれた私は何も言葉を発することができなかった。
荒れ狂う感情を外に出さぬように抑えるのが精一杯で、ボア討伐に浮かれるゼミ生達の輪に加わることもなく呆然と彼らを眺めるだけ。シルヴィアも、ゼミ生も、彼らの興奮を窘めるイオスも、まるで自分とは無関係の人間達のように思えた。怒りに割って入ることができたのは、理性ではなく孤独感だけだった。
実習を終えてフィールドから学園都市へ帰る道すがら、上機嫌のシルヴィアが何やら私に話し掛けてくる。
心ここに在らずの私に彼女の言葉を咀嚼する能力は無く、彼女の形の良い唇から流れ出る高い音は、私の右の耳から左の耳へ素通りしていった。
何をどう受け答えたのか覚えていないが、筋違いの怒りを彼女に差し向けることだけはなかったと思う。
シルヴィアが何を言ったのか覚えていない一方で、ピレルが端のほうで「くそっ、僕は……僕は……」と悔しがっていたことだけは無駄に覚えている。
自分とシルヴィアに関しては正常に思考が働かないのに、ピレルのことだけは気味が悪いほどに落ち着いた心で考えることができた。
ピレルの自己評価はともかく、彼が撃ったアイスボールの初弾はちゃんと標的に当たった。私もイオスも学生の魔法で魔物を倒すことは期待していない。
演習棟とは全く雰囲気の異なるフィールドで落ち着いて初弾を命中させ、そこで手を止めずに二発目を練り上げて動くボアのすぐ近くに撃つことができたのだ。イオスからの評価は上がったことだろう。私もピレルの評価を少し上げた。
その後二日ほど腑抜けになっていた私は、荒れ狂う銀閃に出席し、ヤバイバーが来ない日だというのにダラダラと活動に参加していた。
そして、普段なら軽くあしらえるニール相手から左腕に強烈な一撃を受け、ようやく我に返った。
ニールではなくもっと実力がある相手であれば、普段の私と全く異なる剣に気付いて手心を加えてもらえたかもしれない。生憎と、ニールは私に対して常に全力だ。
別にカードで馬鹿勝ちしすぎて恨まれている、ということではなく、私が格上のヤバイバーに挑むときは常に全力なのと同様、ニールからしてみれば格上の私と打ち合うときは常に全力なのだ。
不幸中の幸いだったのは、彼の剣が闘衣を纏っていなかったことだ。かすり傷でも大怪我でもない。そんな怪我を左腕に負ったことで、痛みが私に思考力を戻してくれた。
ニールにも他の部員にもいたく心配されたが、悪いのは私である。夕以降でも診察している医院へ連れて行こうと伸ばされる手を丁寧に断り、一人そそくさと家に帰った。
木剣が打ち据えたのは骨そのものや腱ではなく、ちょうど肉がある部分だ。上腕は内出血によって気持ち悪いほど腫脹していたものの、軟部組織が衝撃を受けてくれたおかげで骨には異常が無かった。
衝撃療法によって精神的負傷からなんとか立ち直った私は、最後のチャンスと考えてシルヴィアをハントに誘うことにした。何のことはない、長期休暇のハントにだ。
ゼミが終わった直後、彼女へ話し掛ける。
「シルヴィア、長期休暇の予定はもう決まっているか?」
「え? 去年と同じく、イオス先生のお手伝いをして、イオス先生の用事が済んだら一緒にハントに行くけど……。アールだって知ってるじゃない」
そうであった。立ち直ったつもりになっただけで、頭のネジは何本か外れたままだった。
そういえばシルヴィアがイオスと異様に近しくなったのは去年の長期休暇後からである。大学業務に忙殺されるイオスを一人で支え、それが終わった後は解放感に包まれながら二人でハント。恋の芽生える条件が整っている。
ハントのパートナーを求めてシルヴィアに話し掛けたはずなのに、今の私の脳内を占めるは色恋ばかり。もはや自分が何をしたいのか分からない。
このまま胸奥を吐露したところで、シルヴィアをかけてイオスと恋の争いを繰り広げることにしかならない。
強くなることにも難度の高いハントに挑むことにも、恋愛感情はまるで貢献しない。そんなものは不要。
「あ、ああ。そうだった」
「もしかしてアールも手伝ってくれるの?」
シルヴィアの顔に、ぱっと大輪の花が咲いた。
私が残る、と勘違いしたからこその嫣然なのか、私かどうかはどうでもよく、人手が増えたことに小安しただけなのか。
狭量な心は醜い想像を呼び、自分で自分を傷つけていく。
「いやー、どうかなー。私はハントの予定があるから」
「えー、いいじゃない。誰かと約束があるんじゃなくて、ソロなんでしょ?」
こともなげにシルヴィアは私の手に自分の手を伸ばしてくる。
確かにエヴァとは明確に日時の取り決めを交わしていない。手配師から受注した案件を元に、エヴァが勝手に私の場所を突き止めて合流してくるだけだ。
私はハントに行かず、学園都市で待っていたほうが、合流はむしろ容易いと言える。
ただ、フィールドで魔法を練習するためのまとまった時間を取れるのは一年に一回、長期休暇のこの時期しかない。
イオスの仕事は日程が定められていて、手伝う人数が増えたところで一人当たりの業務量が減るだけ。最終的に休暇に入れる日は数日と変わらない。助手が何人増えようと、大学受験も離任式も着任式も、一日たりとも早く終わることはないのだ。
私がここに残る意味はシルヴィアへの執着以外に無い。
もうシルヴィアにはイオスとの約束を反故にしてもらい、私のハントについてきてほしい。
それほど私の心の内は爛れている。
ただ、いくら私でもそこまで人の道を外れた発言はできない。まかり間違ってシルヴィアが私についてきてしまった日には、イオスに今後顔向けできなくなってしまう。
イオスに嫌われるのは、将来の損得抜きに嫌だ。一時の熱病に惑わされて短絡的な行動を取ってはいけない。
「最初はソロだけど、途中から人と約束がある」
「どんな人?」
「ミスリルクラスに最も近い戦闘力がある、と個人的に思っているハンター」
「そんな凄い人とハントしてるんだ。じゃあイオス先生に近い強さってことでしょ?」
エヴァは剣士、イオスは魔法使いであり、戦闘力の単純比較はできない。
イオスとエヴァが戦うとどうなるか。戦闘開始時の距離が短距離であればエヴァが、遠距離であればイオスが勝つだろう。
中距離だと未知数だ。私の知り及ばない真の実力と展開次第になる。
短距離でイオスに勝てるのはエヴァに限らない。今の私でもイオスには多分勝てる。
イオスは闘衣がそれほど上手くない。絶がかろうじてできるだけ。外骨格に至っては使いこなせない。前衛として最低条件を満たしていない以上、近距離でイオスを倒すのに何ら苦労はしない。戦闘補助魔法すら不要だ。
「あくまで前衛としての戦闘力の話」
「私もそれ位強くなれるかなあ」
「シルヴィアはこの一年ちょっとで見違えるほど強くなった。何も心配はいらない」
先日のシルヴィアの動きは、ゴールドクラスのキレがあるように感じた。エヴァと同格になるのは無理であっても、数年後にプラチナクラスに到達することはできそうだ。
いや、骨格的には完成していることを考えると、早ければ一年程度でも……。それは過剰な妄想にせよ、間違いなく寄せ場の有象無象の新人よりも才能がある。
「ありがとう、アール。今日は優しいね」
「そうだな。お前はもっと女性に優しくしたほうがいい。アッシュと違って女性への気配りが足りない」
突然会話にイオスが割入り、私をうんと驚かせる。イオスの存在をすっかり失念していた。
居て当然なのだ。イオスのゼミなのだから。
イオスはいつまで経っても私をアッシュと比較する。イオスにとってのアッシュの存在の大きさを考えてみろ。この先ずっと比べられるのだ。そこに終わりなどない。
「イオス先生。アールはやっぱりオープンキャンパスの準備とかは手伝ってくれないって」
「シルヴィアもそうだが、アルバートには普段から随分手伝ってもらっている。無理は言えないよ」
イオスは私に貸しがあるというのに、私が手伝って当たり前とは思っていないようだ。真面目な奴め。こういう奴だからこそ、二年過ぎてもまだ手伝っていたいと思える。セリカ時代の淡い恋心も、"借り"の話も関係ない。イオスは良い奴で、私はイオスが好きだ。たとえ一方的だとしても、私が友情と好意を抱いている数少ない人間だ。
「悪いな。休暇から戻ったらまた手伝う」
「ああ、頼む」
「イオス先生とアールは不思議な関係だよね」
「ハンター繋がりだからね。せっかくの長期休暇なんだ。君も、無理に私の教員業務に付き合う義務は無いんだよ」
「私だって今はハンターです。それにイオス先生は大丈夫なんですか、私が抜けて? 私達以外に助手はいないじゃないですか」
「もちろん大丈夫だ。そのときは別に補助を依頼する」
イオスはまだ見ぬ新助手と自分だけで年度末と新年度前の仕事がこなせる、と本気で思っている。
何人雇う気か知らないが、手伝いに来る人間がもしも一人だけで、なおかつその者の事務処理能力が人並み程度だった場合、間違いなく業務を回しきれない。
教授であるイオスよりも、私やシルヴィアのほうが業務、日程、イオスの部屋事情を把握している。イオス一人だと、部屋の中から目的の書類を探し当てるだけで時間が掛かって仕方ないだろう。
私とシルヴィアが不在になることで、危機感からイオスの把握力、書類処理能力などが飛躍的に高まる、という可能性も無くはないが、現在までイオスは教授業務に手抜きしていない。この状態からいきなり負荷を増大させたところで、能力が急激に倍加するとは考えにくい。そういう"覚醒"とは、得てして普段不真面目な人間が物事に真剣に取り組んだ際に起こる現象だ。
「嘘嘘、嘘です。イオス先生を置いて行ったりしませんよ」
「そうか? 済まないな」
せっかくシルヴィアがこう言ってくれていることだ。私もそれに甘えさせてもらおう。
気になるのは私がイオスを手伝えないことではなく、シルヴィアとイオスを二人きりにさせることだ。私がそんなことで焦慮に駆られるのはおかしいことだ。むしろそういう場面を私が積極的に作り出すべきなのだ。
引き攣った笑顔で二人に別れを告げ、私は一人帰路へ就く。
視界からシルヴィアとイオスが消えても負の感情はのたうち回ることをやめない。無理に忘れようとするよりも、何かに鬱屈をぶつけるのが手っ取り早い。
「前」であれば娼館に行くか、犯罪に手を染めるかしてすぐに発散できた。「今」はそれを選択肢とできない。
私は名前が売れすぎてしまった。チタンクラスと認定された頃から、私に向けられる視線が急に増えた。学園都市、王都、繁華街、食事処。どこに行っても誰かに見られている。チタンクラスというのはそれだけのネームバリューがある。
法を犯すことを是認できるのは、危険を冒すだけの価値があり、かつ犯行が露見しないように周到に準備を整えられたときのみ。どこに人の目があるか分からない状況下、思いつきで犯行に及ぶなど愚の極み。
娼館は法律違反に該当しない代わりに、後々病に苦しむことになる。これもまたありえない。どうしても我慢できないのであれば、商売女ではなく町娘にするべきだ。誰か候補はいないか。
モニカは見るからに押しに弱そうだ。しかし、目的があって関係を構築している。適切な関係を維持することを考えると、発散相手には不適当。
では誰ならいいのか。
……誰もいない。
二十年この身体で生きてきて、私には誰もいないのだ。発散する相手も、愚痴を吐く友人も、相談する指導者も誰もいない。
濁った思いが話を広げすぎている。真に信頼できる人間を探そうとすることは、そもそも間違っている。求めるのは誠実な人間ではなく、一時だけ欲求をぶつけられる都合の良い女だ。
色々な女性の間を渡り歩いて浮名を流している男はしばしば存在する。あれはどうやっているのだろうか。関係の持ち方よりも、関係の終わらせ方のほうが謎めいている。
艶福家に憧れはないものの、今だけは手練手管を参考にしたい。今の私の周りには参考になる人物がいない。これでアッシュが近場にいたら、知り合いでもないのに彼を頼って訪ねてしまったかもしれない。
訪ねたとしても無駄だ。アッシュは単純に顔がいい。他には何の説明もいらない。
無駄なことに思考時間を費やした。女の問題を別の女で解決する? 解決などしないまま、別の問題が無数に湧いてきかねない。
年度末という時期が幸いして、明日は演習棟が目一杯使える。魔法を使っていれば気分は晴れるだろう。
◇◇
翌日、演習棟に行ってみると、棟内から人の気配がする。気配がするだけではない。誰かが私を見ている。いつも通りの未明の時間、しかも年度末の試験ももっぱら終了したこの時期に、学生が大学の施設内に残っているだろうか。試験直前であれば、徹夜で練習に励む学生がいても不思議はない。
何の目的で演習棟を使っている? 演習棟で飲み会をしているのなら規約違反だ。演習棟の使用申請は、私以外誰も出していない。このまま放置すると、規約違反は私になすりつけられることになる。中にいる"犯人"が誰なのかは確認しておかねばなるまい。
試験の打ち上げのために演習棟を不正利用しているのは理解できるとしても、視線を感じるのはおかしい。私はここまで普通に歩いてきた。特別、気配は消していないが、かといって大きな物音を立ててはいない。それなのに、犯人が私を見ている、ということは、この時間に私が来るのを知っていた、ということになる。エヴァがずっと前に言っていた"暗殺者"の可能性はないだろか。暗殺者であれば人数、毒、罠などに注意が必要だ。
演習棟内の気配を丹念に探る。漏れ出す気配は複数人分だ。犯人は一人ではない。複数人相手は不利だ。仮に一人一人が雑魚であっても、数は力であり、対応が一気に難しくなる。
……犯人は本当に暗殺者だろうか? 気配遮断は全く上手くない。形だけ隠れようとしているド素人感がある。暗殺者という線は否定的だ。暗殺者ではなく学生のほうがずっと考えやすい。私に学生をけしかけてくる人物の心当たりは一人しかない。
これから棟内で起こる事態を一通り想定し終えたところで、意を決して棟内へ入り、演習場の扉を開ける。
演習場の中央には一人の男が立っていた。犯人の残り数人は周りに身を伏せている。立っている男は私の注意を引きつけるための囮。伏せている犯人のほうこそ注意が必要。伏せている気配は二つ、先ほど感じた視線の数は四つ。中央に立つ男を加えても、数が合わない。誰かもう一人、巧妙に隠れている。身体は隠していても気配は消せていないのが学生。真に危険なのは、気配をしっかりと消せている者だ。
「やあ、アルバート。アルバート・ネイゲル君だね」
中央の男が陽気な声で高らかに話し掛けてくる。
驚いた。こいつはかなり魔力が強い。ハンターで言うところのプラチナクラスはある。身体は鍛え上げられている風もなく、ごく普通の学生に見える。
残りの犯人の強さは不明。自分の目で直接見ないことには魔力が分からない。
全員プラチナクラスだと私一人の手には負えない。
どうする。逃げるか?
逃げる私を追ってくるようであれば、立ち回り次第で一人一人順番に殺すことができる。しかし、もしも彼らが私に上下関係を叩き込みたいだけの学生だった場合、私が殺人罪に問われてしまう。
これだけの魔力の相手をこの人数、殺さずに倒すなどという芸当は、私には無理だ。
逃げる決意を固め、その前に少しだけ話を聞くことにする。
「君は誰だ」
「僕はティム。こっちに来て少し話そうよ」
ティム? そんな名前の人物は知らない。
私は、彼らの元締めが防御魔法講座の教授プラグナスだろう、と考えていた。しかし、防御魔法講座の中にティムという名の人間はいない。
プラグナスの一派ではないとすると、何が目的なのか、いよいよ分からない。
「ここでいい。それよりこの場所にティム君の"お友達"は何人いるんだい?」
私は演習場の入口前に立っている。ティムの場所からは私の姿が見えても、お友達の場所からは私の姿が見えない。射線が通らない場所ということだ。ここはまだ安全度が高い。
演習場の中央に行くと、ティムとお友達のいい的になってしまう。
「友達? うーん、友達は二人。よく気付いたね。それがどうしたの」
目の前にいるのはティム一人。
気配を消せずに演習場の上方に設置された観覧場所に隠れている友達が二人。
気配を消している"某"が一人。
傀儡で探し回った限りだと、犯人は合計四人。ティムはこのうちの某の存在を隠した。某は彼らの奥の手。
某からは傀儡の監視を一瞬足りとも外さないとして、他に脅威がないかどうかが気になる。
仮にこの四人以外に隠れている人員がいるならば、そいつは完全に私の警戒の外から攻撃できる。
他に誰も隠れていなかったとしても、四人と同時に戦うのは厳しい。この場からは動かずにティムから少しでも情報を引き出すのが上策。
友達はともかくとして、某が動きを見せるか、あるいは未知の人物が姿を見せたら一目散に逃げることにしよう。
「私は恥ずかしがり屋なんだ。人目に晒されるのは苦手でね」
「新入生代表で挨拶してたらしいじゃない。何言ってるのさ。去年は特に話題になったんだよ、その挨拶。新入生の中に過激な人物がいるって」
代表挨拶はやりたくてやったのではない。以後、在学中に二度と代表役を指名されることのないように、礼儀を失した危険な宣誓をしたのだ。あれでも一応、停学や退学などの処分を受けることのないギリギリを狙って言葉を選んである。
大学で私が穏やかに過ごすことができているのは、あの宣誓のおかげだ。大学の人間ならば知っていそうなエピソードを絡めてきたことで、ティムが何らかの形で大学と関わっている可能性は高くなった。
「それより今日は何をしにここへ? まだ夜も明けていないというのに」
「夜が明けるまで君が来なかったら、あやうく待てないところだったよ。そんなに大袈裟な用事じゃないんだ。君と遊ぼうと思ってさ」
「何をして?」
「魔法で勝負とか面白そうじゃない? そんなところに突っ立ってないでさ、こっちへおいでよ」
四対一で何の勝負をしようというのか。ティム達が楽しくとも私は何も楽しくない。
「遠慮しておこう。今日、この演習場は君達が好きに使っていい。申請書は後で私が書き直しておく」
「ああー、待って。帰らないで。練習の邪魔をするつもりはなかったんだ。ほらー、皆。隠れているからアルバート君が怖がってるみたいだよ」
ティムが大きな声でそう言うと、友達二人と某はむくりと身体を起こし、ティムがいる演習場に下りてきた。
友達はともかく、なぜ某まで下りてくる。この行動は想定外だ。
私の退路は今も確保できている。それを塞ごうと現れる未知の人物はどこにもいない。
友達二人はダラダラと、某はきびきびとティムの横まで歩いてきた。
「紹介するよ。そっちがビリー、この子がラトカ、ちょっと老けてるのが……誰だっけ?」
「メイソンだ! 知ってるだろ、いい加減そのネタはやめろ」
ギャハハハハ、と下品な笑いが演習場内にこだまする。
何が面白いのか私には理解できない。
私は、四人の中でラトカのことだけは知っている。彼女はプラグナスの研究チームの一員だ。
お互いに面識があるのではなく、下調べによって私が一方的に顔と名前を知っているだけ。事前に情報を得ておくことの大切さを再認識する。
ラトカは後で何らかの形で利用するとして、今、最も警戒すべきはラトカではなくメイソンだ。
巧みな気配遮断、ティムよりも豊富な魔力、服の上からでも分かる隆起した肉体、安定した身体運び。こいつは私と同格だ。チタンクラスの戦闘力を持っているとみてよさそうだ。
こいつは何者だ。こんなハンターは見たことがない。マディオフ全国見回しても、チタンクラスのハンターにメイソンなる人物はいない。ただの学生や研究職員がここまで強いとは、俄には信じがたい。
「さっき『お友達は二人』と言っていたね。お友達じゃあないのは、そのメイソン君かな」
「ええー! さっき省いてたのは俺のことだったの?」
メイソンは批難めいた目でティムを見る。
「だってメイソンは院生じゃないじゃん?」
「それを言ったらラトカだって助手じゃん?」
「いいんだよ、ラトカは年が近いから」
「さっきまで『メイソンは年が離れているけど完全に学生のノリについてこれてるよね』って話してたのに!?」
彼らは私を無視し、彼らだけで盛り上がり始めた。
話していることが"設定"ではなく"事実"ならば、ティムとビリーの男性二名は院生ということになる。ラトカが助手なのは、私の防御魔法講座の人員調査からも確実だ。
さて、この茶番はいつまで続くのであろう。
「それで、結局メイソン君は学生でなければ何なんだい?」
「俺は大学の職員だ。火魔法の研究室で秘書をやってる」
院生、助手ときて最後に挙がるのが秘書だと。どこの大学にお前ほど筋骨隆々の秘書がいる。
嘘をつくのであれば、もう少し真実味のある設定を用意するべきだ。設定魔のイオスが聞いたら立腹ものである。
「火魔法講座の秘書と防御魔法講座の助手、大学職員二名が院生二名を引き連れ、未明に鍵を盗んで演習棟に忍び込み棟内で飲食。挙句の果てに学生相手に私的決闘の申し込み。これは嘆かわしい風紀の乱れだ。演習棟利用規約だけでなく、マディオフの法律に照らし合わせても十分違法行為。前例から鑑みるに、大学から下される処分は懲戒戒告以上。法的処分は軽くて禁錮か追放、重いと烙印刑になる」
「アルバート君怒ってる。ウケるー!!」
顔を強張らせる男達三人とは対照的に、ラトカは自分が近い将来受ける処分と刑を聞いて笑っている。四人の中でとりわけ頭がおかしいようだ。
「違うんだ、アルバート君。鍵は盗んだんじゃなくて、俺達全員が一本ずつ持ってるんだよ。ホラ」
そう言ってメイソンは懐へ手を伸ばす。
毒を塗った匕首でも出てくるのではないかとひやりとしたが、メイソンが取り出したのは変哲のない鍵だった。
演習棟を利用する事のある講座には、教授に一本ずつ鍵が渡される。この鍵は複製が厳に禁じられている。それを私の目の前に曝け出すとは、私だけでなく火魔法講座の教授を誰か一人、ついでに陥れる算段なのかもしれない。
新任教授へのみみっちい嫌がらせ、ということで、イオスには演習棟の鍵が渡されていない。そのおかげで、イオスのゼミで演習棟を使うときは毎回警備室に鍵を借りに走らなければならない。私もついさっき警備室で演習棟の鍵を借りてきたばかりである。
イオスも私も固有の鍵を持っていないのが、今ばかりは状況的に有利だ。
「鍵の複製は禁じられている。罪の上塗りだ。鍵の管理者である教授の責任も問われるな」
鍵が何本もあるということは、私の演習棟使用時間や使用直前の、いつ何時忍び込まれて、よからぬ工作をされてもおかしくはなかった。背筋が冷える話だ。
「ちょっ、アルバート君……本気で怒ってる?」
「いくら何でも冗談が通じなさすぎるよ」
「言ってよ! そういうのは!! 最初に! 大事だから!!」
ラトカは笑ったり怒って絶叫したりして忙しい。終いには言語が不自由になっている。こういう奴は見たことがある。
直近だと……そう、荒れ狂う銀閃の飲み会だ。
……本当に飲み会なのか。
話はまだ決まっていない。先程ティムは魔法勝負がどうとか言っていた。彼らがここにいる真意はまだ図りかねる。本当の目的と、彼らを差し向けた"主犯"を聞き出す必要がある。
「それでティム君達は、本当は何のためにここにいるの?」
「アルバート君。お願い、聞いて」
ラトカがフラフラとした足取りでこちらへ寄ってこようとする。
「近付くな」
私は魔法杖を構えてファイアーボールの構築を開始する。
演技にしては真に迫るような気がするにせよ、メイソンの魔力は本物であり、彼は酩酊していない。油断は禁物。
本当にただの酔っ払いかどうかは距離を取ったままで確かめる。
「それ以上こちらへ近づいたら魔法を撃つ。話ならば聞いてやろう。近付くことなく、その場で喋るがいい」
ラトカはへなへなとその場に崩れ落ちると、演習場の地面の上に水溜まりを作り始めた。




