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第六三話 大学二回生の眼力

 長期休暇を終えて大学二回生になり、専攻課程が始まった。ようやく体系化された学問としての魔法に触れることができる。


 幼少期から待ちわびた魔法書の閲覧権をついに手に入れたのである。だが、待たされた時間の分だけ期待が膨らみ過ぎてしまったのか、いざ魔法書を読んでみても、内容が私の心の琴線に触れることはなかった。


 どの魔法書を開いても、魔法という概念に対して、科学とか技術という観点からではなく、宗教とか観念という切り口で示している。ページをめくれどめくれど、どこかしらに精霊という単語が書かれている。明らかに紅炎教の影響を強く受けている。


 宗教は科学の発展の礎として必要な側面もあるが、幅を利かせすぎるとこうなる、という悪い見本だ。


 精霊は魔法という事象の極致の一つであったとしても、断じて根源ではない。それが私の基本的立場だ。こんな紅炎教信者獲得指南書の出来損ないのような文章を読んだところで、私の魔法の見識は絶対に深まらない。無駄に長い文章の中から科学的事実だけを抜粋して再編纂(へんさん)すると、ペラッペラの薄い本ができあがる。いかに内容がないか分かるというものだ。


 教科書として指定されている魔法書は成績評価の試験対策以外、全く何の役にも立たない。魔法書が私に知識を与えない、という事実が私の心を荒ませる。


 こんなことで挫けてはいられない。魔法書が無価値ならば、論文に当たればいい。魔法専攻の学生全員に閲覧権がある論文を年代の新しいものから手当たり次第読んでいく。すると、魔法書に続いて論文までもが私を憤慨させる。論文としての体裁をギリギリ整えているだけの、卒業論文程度の水準があるかないかの読む価値に乏しい論文が大半で、完成度が高く、なおかつ重要な科学的事実を報告した論文は極めて少数だ。


 しかも、ここでも紅炎教が存在感を発揮している。結果まではともかく、結論や考察があまりにも紅炎教の教義や理念に気を遣いすぎていて話にならない。筆者が結論や考察で真に述べたいことは、論文を読むのではなく、当人に聞いてみないことには分からない。


 書き方の問題だけではない。軍事的に利用価値の高い技術に関する論文は題名しか読めない。要旨すら特殊な技法で塗りつぶされていて勉強すらさせてもらえないとは由々しき情報統制である。どうしても読みたければ、筆者と同じ研究班に属する必要がある。


 閲覧権に付帯してくるのが軍と国による枷であり、不自由な大学関係者の出来上がりだ。


 見る目と動く手を得るためには走り回る足を切り落とせ、と言われているようなものではないか。私は自由が身上のハンターである。何が悲しくて自由を手放さなければならない。


 今の私は二回生。魔法について広く浅く学ぶ身。三回生になると、更に細分化された講座を選んで学習を進めていく。人気度が高いのは、攻撃魔法四属性の講座である。これらはいずれも軍との結びつきが強い。論文でさえあのように扱われているのだ。研究計画も軍の意向に沿ったものしか承認されないのだろう。


 私が入学前に大学に寄せていた期待は、どれもこれも非現実的なことだったのだ。単に大学に所属して、魔法を専攻して、規則を守って四年間を過ごすだけでは、科学者としても魔法使いとしても成長できる見込みは殆どない。


 特に受け身の人間においては、それなりに真面目に四年間を過ごしたところで、"大学卒業"という肩書以外、何も手に入らないで終わることだろう。


 受け身でいてはならない。必要なのは積極性だ。私には積極的に学ぶための能力がある。ハンターの世界でもそうである。手取り足取り教えてもらえることなどない。見て盗むという言葉通り、教えてもらわずとも学び取っていかなければならない。盗みは私の得意技だ。




 二回生になった数少ない利点を挙げるとすれば、魔法専攻者用の設備が一部使えるようになったこと。これは素直に有難い。


 特にプラグナス、受験の際に私の実技の試験監督を担当した眼鏡の教授が開放してくれた演習棟は、攻撃魔法の練習になくてはならない得難い空間だ。


 プラグナスは防御魔法が専門だ。防御魔法の実験には、往々にして物理、魔法のいずれかによる破壊能力が必要となる。演習棟は、その大半の空間が大半の時間、防御魔法と攻撃魔法の専攻者によって占有されている。演習棟において使える空間の広さと、使える時間の長さが、各講座の力関係(パワーバランス)の略図となっている。


 防御魔法講座が持つ演習棟の使用権は、かなりのものである。権利を押さえるだけ押さえて、実際には誰も使っていない時間がいくらでもあり、それを私が使ってもよい、という話である。


 私が攻撃魔法の教授陣や講座、研究班に(なび)く前に、恩を売ることで唾を付けておこうという魂胆だ。


 プラグナスは立ち振舞は少年のように無邪気で、下の回生に優しく、ウケのいい教授だ。しかし、それは彼の二面性の表側に過ぎない。


 彼は(あめ)(むち)を使い分ける。飴は専門の決まっていない学生、特に優秀な者に対して与え、一度学生がプラグナスの研究チームに所属すると、そこからは鞭が振るわれるようになる。


 プラグナスの裏の顔を見た学生がいざ逃げ出そうとしても、プラグナスは何も手を下す必要は無い。研究内容を知った学生には軍の枷がはまり、逃れることは決してできないからだ。


 そういう話は限定サークルでもゴシップレベルで流れてくる情報だ。ただ、そういうゴシップには耳を全く傾けず、自分の目で見た優しいプラグナスを信じて彼の門戸を叩く学生が毎年後を絶たない。それも優秀な学生に限って。優秀な学生に、特別に甘い飴をプラグナスが馳走していたのか、それとも学生が自身の眼力を過信していたのかは分からないが、愚かな話である。


 私はプラグナスに尻尾を振らず、飴だけを受け取るつもりだ。甘い飴を与えられたからといって、脇の甘い所を見せたり、言質(げんち)を取られたりしてはならない。


 演習棟内で使用規則を犯すのも問題を起こすのも論外である。私が起こした問題をプラグナスが片付ける見返りに、プラグナスの命に従わなければならない、というどこかで聞いた追い込み方をされてしまうかもしれない。


 私が面倒事に巻き込まれるようにプラグナスが裏で糸を引く可能性も考慮したほうがいい。


 なにが、『演習棟は自由に使ってくれていいからね』だ。演習棟の利用には様々な制限がある。いくつもの講座の人間が奪い合うように同時利用し、しかも攻撃魔法が行使される場所なのだから、使い方を制限する様々な規則があって当たり前。人に聞かなければ分からないような複雑な規則や、手引きには書かれていない不文律が多数ある。それをちゃんとした説明も受けないまま私が自由に使ってしまうと、一発で揉め事が起きてしまう。


 自分の身を守ることを考えるならば、演習棟に行かないのが最も安全だ。それでも、学園都市から往復何時間もかかる遠いフィールドに行かずとも、平日に攻撃魔法を放てる空間というのはとても蠱惑的で代え難く、私の心を掴んで離さない。


 演習棟を安全に使用するためには、プラグナスの周囲の人間を洗っておいたほうがいい。


 プラグナスは上に立って指示を出すだけ。実際に動くのは彼の走狗(そうく)。深いところでプラグナスと繋がっている人間が私にアヤをつける場合、誰がどう繋がっているか把握していると、あしらい易い。


 あとは手引きに書かれた利用規約を熟読だ。悪事を働くときは、そういう規約の穴をつくのが常道となる。悪事に長けている輩ほど、規則や法について常人よりも詳しい。知もまた力、もっと言うなら暴力の構成要素の一つなのだから。




 二回生になってできることが増えれば、逆にできなくなることもある。専攻が始まってからは、モニカと会話する機会が減った。


 一般教養のときと異なり、モニカが専攻している薬学と私が専攻する魔法学は、区画からして離れている。平日にモニカと会う時間はなく、モニカと会うのは週末の最後の夜だけになった。


 私がハントに行くのは週末だけ。ハントが終わったらモニカの所へ行き、モニカが専攻課程で一週間かけて学んだ薬学のエッセンスを教えてもらうのだ。学生は私一人のモニカ塾である。


 勤勉な彼女は、教科書とは呼び難い、分厚い図鑑のような書物を読み込んで要点を簡潔に纏めている。それを並の講師よりもずっと分かりやすく私に説明してくれる。声が美しいのも学習効率を高めてくれる好材料だ。


 モニカ塾の前か後に謝礼代わりに晩飯を馳走するだけで、魔法専攻の私が薬学も同時に修めることができる。費用対効果も最高ときた。


 モニカは最初、奢られることを嫌がったが、それで一度私が不機嫌になったふりをしたら、後は黙って奢られるようになった。争いを好まないモニカらしい了見である。


 東天教でも紅炎教でも寄進を一律に断ることはない。週に一度の晩飯程度、寄進のようなものだと思ってもらいたい。モニカ個人(ひとり)しか受益できないものは寄進とは見做(みな)せない、などと言わずに。


 そうでなくとも、モニカはもっと食べるべきなのだ。特に肉や魚が足りていない。普段食べている物だけだと絶対的な熱量が足りていなければ、バランスだってとれていない。若い頃から肉類は造血に寄与し、将来的には骨や筋肉の脆弱性の悩みを遠ざけられる。


 それは薬学を専攻しているモニカ自身がよく分かっている話のはずなのに、自分のこととして捉えていない節がある。痩せ過ぎていてもいいことはなにもない。極端に細身の女性をありがたがる地域もあるようだが、共感できない文化だ。


 モニカが私好みの体型に近付く必要はないけれども、病的痩身一歩手前の彼女を見たくはない。モニカのことは嫌いではない。健康な身体を維持してほしい。


 それに、せっかく貴重な彼女の週末の時間を私一人に費やしてもらっているのだ。ただ栄養を取ればいいだけではなく、この機会に美味しい物を食べてもらいたい。自分自身は美食に興味がなくとも、返礼として人に食べさせるのであれば話は変わる。


 自分の舌は信用がならないので、シェルドンに教えてもらった店に連れて行くのが安全確実だ。この店がどこもいいお値段するのだ。多分モニカが一番イヤがっているのが、高い店に連れて行かれて奢られる、という部分だと思う。


 今の私にとっては懐が痛む額ではないのだから本当に気にしないでほしい。私がモニカに食べてもらいたいのは、「高い料理」ではなく「美味しくて滋養のある料理」なのだ。結果的に、高い店が選ばれているだけなのである。




 イオスのゼミナールに集まった学生達は、私としては非常に好みの者達だった。人数があまり多くないのも好ましい点である。


 彼らがイオスのゼミに求めているのは、「楽して単位」とか「政治的な力」ではなく、「純粋な水魔法」だ。


 魔法を専攻する学生の多くは、魔法を目的として捉えておらず、自分がのし上がっていくためのステータスの一つとしてしか考えていない。野心は魔法に向いておらず、野心を華やかに彩るためのものが魔法なのだ。


 その点、イオスのゼミに集まった学生は違う。彼らは魔法に興味を持ち、魔法的向上心に溢れている。こういう若者はとても好感がもてる。私は愛想が悪いとよく言われるので、彼らに対してだけは努めて友好的に接した。


 ゼミでは私とシルヴィアが学生兼講師補助として働いた。イオスは講師補助を雇う金を大学から配分されておらず、私とシルヴィアは無給だ。一回生から居座り続けて勝手知ったるイオスの部屋は、イオスよりも私のほうがよく分かっている。借りを返す、という意味でも、私はイオスを手伝う理由があり、給料の有無は問題にならない。


 しかし、それは私の話であり、シルヴィアには当てはまらない。シルヴィアが無給でイオスを支援する表向きの理由は特に存在しない。裏の理由は分かりきっている。


 部屋に私とイオス、シルヴィアの三人しかいないとき、シルヴィアとイオスの距離はとても近い。お手伝いと称して、本格的にイオスにちょっかいをかけているのだ。


 シルヴィアがイオスの身体にさりげなく触れるのを見る度に、私は言いようのない苛立ちを覚える。典型的な嫉妬である。


 この感情を嫉妬だと理解できていなければ、感情に踊らされてシルヴィアに相当のめり込んでいたのではないかと思う。


 ハントで接点を持つようになってからシルヴィアの事はどちらかというと好きになっていた。私の事をちやほやしてくれた人間にいきなりそっけなくされて目の前であてられると、こんなにも心を揺り動かされるものなのか、と正直自分でも驚いている。嫉妬は恋の媚薬、とはよく言ったものだ。


 (こす)いシルヴィアがこれを意図して行っているのか、それとも私が意識過剰になっているのかは不明だが、どちらにしろ私が取るべき行動は決まっている。


 イオスはシルヴィアのことを気に入っていて、シルヴィアは身元のしっかりした魔法の才能がある若く美しい女だ。イオスの相手としては最低合格点どころか、優秀合格点以上であり、素晴らしい組み合わせである。二人の関係が上手くいくように全力で後押しするべきだ、と私の理性は言っている。


 しかし、感情とはややこしいもので、私の中には、『シルヴィアをイオスに取られた』という感情だけでなく、『イオスをシルヴィアに取られた』という七面倒な感情が入り混じっている。私がセリカだった頃にイオスへの好感があったこと、イオスは今でもハントのメンバーとして代えがたい存在であること。この二つが大きな原因となっているのだろう。


 セリカ時代と違って、イオスに対して恋愛感情なんてものは抱いていないが、私にとってイオスが特別な存在であることは間違いない。


 この先、シルヴィアのせいでイオスと高難度の狩場に行くことができない、という状況が生まれるかもしれない。厭わしい事態ではあるが、二人が結ばれるためには、それも受け入れなければならない。理性と感情の相克が私をひどく苦しませる。


 人知れず苦しみながらも、シルヴィアと私の二人はゼミを盛り立て、イオスを支援している。


 ゼミのカリキュラム作成には深く関わらず、イオスに独自のものを作らせている。イオスがどんなカリキュラムを作ったか見るのは、私の楽しみでもある。補助をしているとはいえ、私はイオスのゼミ生なのだから、学習内容に期待するのは大学生のあるべき姿である。


 講師補助といっても、事務的な作業を負担するだけで、学生指導に回ることはない。ゼミ生から助言を求められた際は、同ゼミ生としての立ち位置を崩さぬように気を付けて受け答えしている。圧倒的な実力を持つイオスの前では、私と他学生の水魔法の技量差など誤差に過ぎないのだから。


 イオスのゼミは選択であり必修ではなく、他に必修のゼミを何単位か取得する。


 分野としての魔法の発展において、基礎研究はとても重要なことである。しかし、私は大学でマディオフという国家の技術と学問の成長に資することなど求めていない。大学に期待するのは踏み台、魔法技能の成長の助けとなれば、それでいいのである。ならば基礎よりも応用や実践のゼミを選択するほうが理に適っている。


 それに、マディオフの魔法全般における基本的立場は私の信条と全く異なる。それは応用よりも基礎において大きな問題になるため、基礎研究には身を投じる気になれない。各領域の応用や実践のゼミが選択候補だ。


 魅力的な領域は大学内でも強大勢力の属する研究チームの人員が担当している事が多く、これに所属すると、また面倒な人間関係に煩わされることになる。そこで、内容的には魅力が乏しくても束縛時間が短くかつ後腐れの無さそうな弱小のゼミを取ることにした。つまり、必修ゼミは単位が目的なだけの腰掛を選ぶことになってしまった。


 単位目的にゼミを選ぶとは、私も他の学生とやっていることは変わらない。ゼミ在籍中は、その領域の論文を自由に読める。検閲によって塗りつぶされることのない無垢の論文だ。必修ゼミの時間を少しでも無駄にせぬように、時間の許す限り論文を読む。しかし、そこは弱小かつ軍事利用価値の低い領域のゼミ。ここで得る知識は他人に話すことのできない雑学に過ぎず、今後活かす機会はなさそうだ。


 下らない駆け引きさえ不要であれば、本当は実践火魔法の最若ナンバーを冠するゼミを履修したかった。火魔法が得意な人間は、講師、学生と揃いも揃って攻撃的な気がしてならない。火魔法関連を選んで履修することは、文字通り「火に入る」ことになりそうなので、意図して避けた。


 私は大学内でもこそこそと逃げてばかり。無駄な(いさか)いの回避は処世術の要点とはいえ、なんとも悲しい話である。




 必修ゼミという名目で論文を読み漁り、選択ゼミという名目でイオスの下で水魔法を修め、空いた時間でイオスの講師補助をする。知識を増やすだけであれば、イオスの講師補助ではなく別領域の講師補助をしたほうがいいのだが、魔法関連はどこもかしこも勢力争いに巻き込まれるから鬱陶しい。


 かといって、他の専攻の区画に行くとなると移動だけでもそれなりに時間がかかる。それだけ時間に余裕があるときはワーカー業務を優先する。そつなく仕事をこなすことで、私に回されるワーカー業務の単価は一年前の比ではない額になっている。ゼミの合間にこなすだけでも、馬鹿にできない収入になる。


 夜になったら同好会で剣を鍛える。ヤバイバーが来ない日は思い切りよく早めに切り上げてさっさと眠り、未明のうちに演習棟に行って火魔法と次いで土魔法を鍛える。この時間帯だけは、演習棟の場所取りに悩まさせることがほとんどないからだ。


 週末や祝祭日など、大学が休みの時はハントに出かける。概ねソロが半分、イオスとシルヴィアの両者、あるいは片方と出かけるのが四半、テンポラリーなパーティーを組むのが残りの四半。週末の最後の夜はモニカに薬学を教えてもらう。


 ハントの効率が落ちる冬場は、ハントの頻度を大幅に抑え、学園都市に来てからできた知己をワーカーの立場から手伝う。既に学費は卒業見込みの年の分まで、住居費は十年先の分まで払いこみ済みであり、金には困っていない。報酬よりも人脈を維持しておくのが目的で、かなり割安な友人価格で働いた。


 奉仕精神ではなく完全に下心からそうしていただけなのだが、人脈は維持するどころか広がりを見せることになり、学外で私を知る人間の数は加速度的に増えていった。


 友人価格で仕事を手掛けること以外、愛想よくすることも優しくすることもなかったというのに、思いがけず人から親切にされることが増えた。たとえ仕事で一度会った程度でも、見知った人間から「ありがとう」と言われるのは悪くない気分だと知った。




 立ち止まらずに走っていると時間の流れの速いことときたらなく、瞬く間に大学二回目の春の訪れを迎えた。


 冬の間はハンターとしてロクに活動もしなければ、目立った成果も挙げていなかったというのに、私のハンタークラスはなぜかチタンクラスになっていた。


 いくら何でもこれはおかしい、と手配師に事情を尋ねてみると、春になってからチタンクラスになったのではなく、私が知らないだけで冬入りする前からチタンクラスと判定されていたそうだ。


 クラス上はエヴァと並んだ形になるが、エヴァの背中は一向に見えてこない。チタンクラス最上位層がエヴァで、最下位層が私ということなのだろう。


 手配師に「アールもマディオフのハンター上位十傑が見えてきたな」と言われても、何も嬉しくない。闘衣と魔法はそれなりに上達を続けているが、闘衣の要素以外の部分では剣技の上達に(かげ)りが見える。事実、同好会で一年前に勝てなかった相手達には、今でも勝てない。


 闘衣が上達した分だけヤバイバーとの闘衣戦はほんの少しだけ形になりつつある。それでも、一年前の私の剣も今の私の剣もヤバイバーにとって児戯であることに変わりはない。


 なぜ剣が上達しなくなったのか。理由は簡単だ。剣の事を考える時間も剣を振っている時間も短過ぎるからだ。


 演習棟が使えるようになったことで魔法の練習に費やす時間が増え、ハントにおいても剣より魔法を使うことが増え、その分、剣に費やす時間が減る。


 ヤバイバーが同好会に来る日だけ剣を真面目に練習したところで、上達するはずがない。試験前日だけ勉強する学生のようなものだ。知識が皆無の状態であれば、前日だけでもやらないよりずっとマシなのだろう。しかし、私の剣は既にそういう領域にはない。魔法に時間を注げば注ぐほど剣は疎かになる。これはどうやっても避けられない部分である。


 二回生になって無駄なパーティーの類が減った今、これ以上はどうやっても時間を捻出できない。遊びの時間が無い以上、練習時間を作るためには何かの時間を削ることになる。


 短慮から走ってはいけないのは、睡眠時間を削ることだ。必要に迫られた上での徹夜なら、数日程度であればまだ申し開きもできるであろう。しかし、睡眠不足は決して褒められたことではない。


 恒常的に睡眠不足でいることは、あらゆる事象に対する学習効率が落ち、失敗が増えるばかりか、身体にも負担がくる。疲労の回復が遅くなり、あらゆる病気の発症率が上がり、寿命は決定的に縮む。


 睡眠時間を削ることを以てして、頑張っている、と考えるのは甚だしい勘違いである。正常な判断力を喪失し、自分を磨り減らすことに快感を得ているだけ、と私は断じている。


 自分が同じ轍を踏むつもりはない。今は順調に成長している魔法も、いずれどこかで必ず伸び悩む時期が来る。そんなときこそ、剣にかける時間を増やしてやればいい。詰まった際は少し距離を置くことで、逆に見えてくるものがある。


 剣については取り敢えず、衰えない、というだけで満足しておくことにしよう。




 さて、春といえば、私は今年必須課題がある。そう、有望な新人ハンターの発掘だ。


 耐久力のある前衛。誰と合わせられなくてもいい、私とだけでいいから合わせられる協調性。男女は問わない。あとは、足手まといな仲間と既に組んでいないと尚よい。


 条件を明確にして、春の王都の寄せ場に集まる新成人を眺める。初々しさのある新成人は、中堅ハンターとは簡単に見分けがつく。


 新成人の中で、寄せ場で所在なさげにしていて、かつ魔力が多めの者に声を掛けてみる。しかし、残念。記念すべき勧誘一人目の彼は後衛タイプだった。彼には謝り、次を探す。


 二人目、三人目と声を掛けてみるものの、続けざまに後衛タイプの人間にあたる。挫けそうになる自分の心を励まして発掘作業を継続するも、次も、その次も、そのまた次も後衛タイプだ。


 前衛はどこにいる? 私の探し方が悪いのだろうか。悪いに決まっている。そうでなければ、これほど連続して後衛タイプを引くことはない。


 所在なさげにしている人間に声を掛けるのが有り得ない。奥手な人間は後衛タイプと相場は決まっている。前衛はもっと積極的だ。雰囲気前のめりの人間に声を掛けるべきだ。


 それに魔力に目を取られるのも私の悪い病気だ。魔力でしか相手の能力を推し量れない。


 落ち着け。……本当にそうか? 魔力の貧弱な者に声をかけても時間の無駄だ。ヤバイバーしかり、エヴァしかり、たしかアッシュもしかり。強い前衛は高度な剣技だけでなく高い魔力も備えている。ハンターとしてはそこまで見るべきところの無いヤバイバーを前衛の例に挙げるのは適切ではないような気もするが……


 兎に角、どれだけ恵まれた体躯と優れた物理戦闘技術を持っていたとしても、限られた魔力しか持たない者では闘衣やスキルを一定以上上達させられない。今、新人として比較的優秀な前衛の能力を持っていたとしても、魔力の絶対量が少なく成長限界が明らかに低い人間は、私のパートナーには選ばない。


 妥協して選んだ相手と実りの無い関係を続けるのは人生の無駄遣いだ。


 目先を変えて探してみても、前のめりの人間があぶれていることはなく、これと言って目星をつけられないままに朝の人夫出しが終わり、寄せ場から人がはけていく。


 このまま学園都市に帰っても何にもならない。寄せ場を後にしようとする手配師を呼び止め、情報料を払って新人の様子を教えてもらう。


 思った通りと言うべきか、手配師が目をつけるそれなりに有望な前衛は、既にパーティーを組んでしまっている。前衛と違って後衛は新成人の段階だとハントにおける実用性が低く、あぶれている者が少なくない。私でも声を掛けられたのが、その良い証拠である。


 徴兵の段階だと大切にされる"魔法を使える人間"は、新人ハンターとしては低需要。特に攻撃魔法は、ハントで使い物になるまでかなりの時間を要する。スヴェンのように新人離れした実力があるとか、血縁者とか、元から仲の良い人間同士で組むなどしない限り、パーティーに潜り込めない。


 魔法使いがハンターとして生き残っていくためには、ハントの前段階で世渡りに成功した上で前衛よりも厳しい下積み時代を耐えなければならない。


 魔物と直接ぶつかる厳しさではなく、一日も早く魔法使いとして物にならないことには、パーティーからいつ何時(なんどき)追放されかねない、という厳しさであり、前衛の味わう厳しさとは質が異なる。


 自分(アール)ではそういう時期を経験したことがないため、今の今までそのことを忘れていた。セリカだった頃は、かなり初期から固定のパーティーに入れてもらっていた……はずだ。セリカの場合、攻撃型の後衛ではなく、戦闘補助魔法による支援が主となる後衛だったのが幸いした。水魔法を敵に当てられずとも、仲間に筋力強化魔法(リーンフォースパワー)などの支援魔法をかけていれば、『仕事をしていない』とは言われない。魔法の適性という意味でも、人との巡り合いという意味でも、セリカは運が良かった。


 セリカ時代の思い出に浸ったところで現在の問題は解決しない。どうするべきか、一人悩み考える。


 既に寄せ場に新人はおらず、そこに居座り続けても何も進展はない。その日は諦め、また別の日に寄せ場に顔を出す。ところが、日が変わったところで、一年経過しないことには、寄せ場に現れる人間は大きく変わらない。


 適当な人材があまりにも見つからないため、いっそ後衛を標榜している人間でも構わずに誘ってみることにした。彼らは概して、魔法の才能を認められて徴兵時代に魔法兵に配属された、という経歴を持っている。後衛になるべき理由としては全く強い説得力がない。徴兵時の選別など流れ作業に過ぎない。魔法兵に選ばれた人間の中には、後衛よりもむしろ前衛の眠れる才能を持つ人間がいてもおかしくない。


 今は本人にその気がなくとも、前衛としての経験を積ませているうちに覚醒してくれればいい。最初から前衛を標榜している人間であっても、新人である以上、数年は足手まといになることが確定している。つまり、現時点で前衛であろうが、後衛であろうが、長期的には大差ない。誤差みたいなものである。私は長期的視点を持たなければならないのだ。


 ……という夢物語を描いて人材を探したところで、そんな人間が見つかるはずがなかった。前衛をやる気のある奴は既にやっているのだ。


 前衛を選び取る積極性のある者が、パーティーに誘われるのを待って寄せ場でおどおどしているわけがない上、私が口下手であることも災いした。


「後衛はやめて、今日から私とパーティーを組んで前衛をやってみない?」という詐欺のような勧誘に乗る新人は、どこにもいなかった。


 どうしても諦めきれず、粘りに粘って勧誘を続けところ、一人だけ話に乗ってくれるハンターに巡り合うことができた。「得意ではないけれど、前衛をやってみてもいい」と言ってくれたのは、二年目のハンターであるトニスという男だった。


 トニスの魔力はそこそこだ。まだハンター二年目なのだから、あぶれている点はそこまで不安材料にならない。むしろ、逆境に挫けることなくハンターを続けている事実は、彼の根性を証明していると言えるだろう。


 勇んでトニスを連れてフィールドに行き、まずは魔法を披露してもらうことにした。期待しているのは前衛能力でも、現時点の能力を把握しておくことは大切だ。


 ……


 彼の火魔法を見て思った。


 ど下手くそだ、と。


 詠唱律によって生み出される火と見紛うほどに小さく頼りない火が、的に当たることなくフラフラと放物線を描き、地に落ちて消える様を見て、『こいつは徴兵で魔法を習ってから二年半、何を練習していたのだろうか?』と呆れを通り越し、怒りすら覚えた。彼は何回転生しても偉大な魔法使いにはなれないだろう。


 後衛を標榜しているのにこの下手くそ具合だ。私に誘われなければ、彼のハンター人生はお先真っ暗だった。だが彼は今日から新しい人生を歩む。魔法の才能がなくとも、前衛として敵をひきつけてくれればいい。トニスは敵の攻撃に耐えてくれれば、私が後ろから敵を殲滅してみせる。


 気を取り直し、前衛としての力を見せてもらうため、剣を抜いてトニスと手合わせをする。


 私は剣を撃たず、トニスが剣を撃ってくるのを待つ。じっと待っていてもトニスが一向に手を出してこないので、「固くならず、訓練だと思って気軽に剣を振ってみて」と、優しく、私としては最高級に優しくトニスを促す。


 促すことでやっと振るわれたトニスの剣は、ふざけているのか、と思うほどに遅く、力がなかった。新成人は普通、ゴブリン以上の戦闘力を持っている。トニスは徴兵を満了しているのにゴブリン以下。俗に言う(レード)クラスの戦闘力しかなかった。


 魔法使いとしてはゴミ、前衛としてもゴミ。ゴミなのに一年間どうやってハンターとして生き延びられたのかを聞くと、彼は「弓が得意なのだ」と答えた。


 射手は確かに後衛や中衛を名乗る。しかしトニスは弓を持っていない。弓を持っていない理由を尋ねると、「数日前に壊した」と答えた。


 人を苛立たせるお手本のようなトニスの舌足らずの説明に、私はものの見事に苛立ってしまう。声と表情には苛立ちを出さず、説明下手なトニスから時間をかけて事情を聞き出すことで、ようやく彼のおかれた状況を理解できた。


 彼は元々射手としてハンター活動を始めたのだ。しかし、頭が悪く、ただの意思疎通にも支障をきたす言語能力しか持っておらず、誰ともパーティーを組めずにいた。


 射手としては、自分一人なんとか食べていけるだけの能力があるため、一年間ソロ活動を継続できた。それが数日前、弓に力を籠めたらいきなり弓が壊れてしまった。弓が無いことにはハントができないため、途方に暮れていたところ、私に「前衛にならないか?」と言われたため、話に乗った。


 前衛としてのやる気も能力も持っていない、ということだった。


 私は人材が見つからないあまりに、禁忌に手を伸ばしてしまったことが分かった。


 トニスなんかとパーティーを組んだ日には、意思疎通がままならずに私はいつか死ぬ。魔物に殺されて死ぬどころか、トニスに後ろから誤射されて死ぬかもしれない。


 私はトニスを連れて街に戻り、新しい弓を買い与えた。


 この弓は私が彼に支払う迷惑料代わりであること、今日のことは忘れること、今後私とトニスは赤の他人で会話をしてはならないこと、もしも私を誤射した日にはあらゆる手段を用いて報復すること、などなどを、何度も何度も繰り返し説明して理解させ、トニスと別れた。


 トニスの魔力は悪くない。それだけは間違っていない。トニスが弓を壊したのは、もしかしたら弓スキルに目覚めかかっていたせいかもしれない。もしもそうならば、私が買い与えた弓も早晩壊れることだろう。それは私の知ったことではない。また弓を壊したときに新しい弓を購入する知性があるなら、トニスは十年後、一端の射手になっているかもしれない。私のパーティーには無用の名射手に……


 私が求めているのは中衛でも後衛でもない。前衛だ。しかも、普通の強さの前衛ではなく、一流、いや、超一流の強さを持つ前衛だ。


 今日のトニスに落ち度はない。私が馬鹿だったのだ。トニスがソロ射手として今後益々活躍することを陰ながら"お祈り"しておく。




 こうして、大学二回目の春のパートナー探しは諦めることになった。


 半月強を無駄にした。半月で見切りをつけられただけ良かったのかもしれない。そう思わないことにはやっていられない。


 春を棒に振っている間にも大学の時間は粛々と流れている。教職員と違い、大学生の一年はとても短く、あと数ヶ月で長期休暇である。


 学生は単位認定や進級試験、提出レポートが気になりだす時期だ。大失敗した後ということもあり、私はなるだけ大人しく普段通りの生活を送ることにした。




 しばらく経ち、マディオフにも夏の足音が近付きつつある時分、イオスのゼミナールである実践水魔法の今期最後の実習という名目で学外に活動場所を求めることになった。フィールドに出て、魔物相手に水魔法を使うのである。実践水魔法改め実戦水魔法だ。


 強い魔物と戦う予定の無い気楽なものである。しかし、それが当てはまるのは私だけであり、他の学生達はそう思っていない。学生の大半はハンターでもワーカーでもない。徴兵期間にたまたま機会が無かったが故に、生涯一度も魔物と対峙したことがない者だっている。


 学園都市を発ち、魔物が滅多に出現することのない安全な街道と里山を離れ、人の手の入っていない自然の中に足を踏み入れる頃になると、学生一行の緊張感は急激に高まる。


 フィールドと言っても、この辺りは学園都市からほどない距離に過ぎず、こんな場所でゴブリン、オークのなどの大群(ホード)や強力な魔物に出くわすことはない。


 質の面でも量の面でも、私もイオスも一人で欠伸(あくび)しながら平らげられる魔物しか出現しない。


 学生グループの主な目標はディアー(シカ)飛ばない鳥(ビェグパロット)をはじめとした、反撃される危険性の低い魔物ばかりだ。攻撃性の高い肉食の魔物などが居たら、学生には手を出させずにイオスか私がさっさと倒すという手筈になっている。


 その辺りはもちろん学生に事前周知はしているが、それでも恐いものは恐いらしい。


 学生を引率するイオスは、学生とは別の緊張をしている。イオスが恐れているのは魔物ではない。引率者からしてみればそんなものよりも、学生が木の根に足を引っ掛けて転んだり、斜面で滑落したり、有毒植物に手を伸ばして被毒したりすることのほうがよほど怖い。フィールドワークは大変だ。


 そんなイオス教授と引率学生のため、危険な山中に安全な道を作るのが先頭を歩く私の役目だ。ジバクマ人を護送したときを思えば何ということのない作業である。


 私の苦労の甲斐あってか、指示に従えばフィールドを安全に歩けることが分かった学生達は、次第に緊張を緩めていく。


 標的にぴったりの魔物を見つけると、慎重に学生を誘導し、静かに魔法を放たせる。魔法を当てて倒すだけ、というところまで状況を整えても、そこはやはりハントの素人。魔物を倒すことはできず、魔法一発で標的に感づかれて逃げられてしまう。それでも、ハントしている、という感覚は十分味わえる。


 適当な魔物を見つけるたびに学生に水魔法を放たせる。何度繰り返しても水魔法は少し離れただけの対象に全く当たらない。


 そう。


 初心者にとって攻撃魔法は相手に命中させるのが極めて難しい。命中、照準の問題は、攻撃魔法使いに最初から最後までついて回る永遠の課題なのである。


 藁人形などの動かない相手が目標であれば、素人であっても剣を空振りすることはないだろう。これが遠距離攻撃になると全く話が変わってくる。


 弓を例に挙げて考えよう。弓はまず、矢を(つが)えて飛ばすことからして難しい。練習して矢が前に飛ぶようになっても、照準合わせがこれまた難しい。目と鼻の先に設置した、人よりも幅広の藁人形に全く当たらない。遠くの小さな的になると、もっともっと難しくなる。


 練習用の規定の距離であっても、一か月練習した程度では命中率三割といったところだ。


 そこから練習を重ね、更に遠く、射界も無く、足場も悪く、射形も満足に取れない場所で自らの気配を消しつつ、好き勝手動く目標に当てられるようにならないと、弓を扱うハンターとしては使いものにならない。私も昔ダナに少しだけ手ほどきしてもらったが、魔法を代替(だいたい)するものではないと早々に諦めた。


 攻撃魔法の命中率向上の問題は物理的な投射攻撃以上に深刻だ。弓の練習は体力が続く限り行えるが、魔法の練習は魔力が尽きたら終わりだ。体力と魔力、どちらが先に尽きるか。間違いなく魔力である。


 弓の初心者でも矢を一日百射数えることはできるだろう。では、魔法の初心者がファイアボルトを一日百発放てるだろうか。練習開始時の魔力総量によりけりではあるが、十発程度がいいところではないだろうか。特に最初の頃は、威力が低い割に消費魔力だけは無駄に大きい。


 理論や型を守ることを前提として、命中率向上のために練習初期に必要なのは回数を重ねることだ。数を撃たないと命中率を上げることができないのに、最初の頃は数を撃つことが困難、という八方塞がりに近い状況を強いられる。


 しかも矢と同じく、練習で的に当てられても、実戦で標的に当てられるとは限らない。攻撃魔法を使えることと攻撃魔法を実戦で使いこなせることの間には、決定的な差がある。


 私の攻撃魔法は、威力を褒められたことはそう何度もないが、魔法の難しさを分かっている者達からは命中率の高さを一様に驚かれる。ファイアボルトとクレイスパイクは溜め(チャージ)速度もそれなりだ。


 イオスの水魔法は照準とチャージ速度に加えて高威力、高弾速、短間隔と何から何まで揃っている。イオスの魔法を普段から見ていると感覚が麻痺してしまう。


 一流という枠組みすらも超えているイオスや、常人とは別の生え方をしている私は比較に不適切にせよ、魔法でも物理でも、遠距離攻撃を一朝一夕に目標に当てることはできない、ということだ。


 学生達が失敗した後に、お手本と称してイオスが見事に魔物を倒してみせることで、学生達がイオスに寄せる尊敬は一層高くて深いものになる。


 学園を題材にした演劇の一幕のような教授と学生のやり取りを繰り返しているうちに、我々はタイニーボア(小イノシシ)を見つけた。


 学生達の相手としては、それなりの魔物だ。とても易しい、と楽観視できる魔物ではない。


 魔法が外れた時にボアが逃げ出してくれれば問題にはならない。問題は、怒ってこちらに突進してきた場合だ。


 ボアの突進はかなり速い。伸びた牙の一撃は強烈だ。恐怖で足が(すく)み立ち尽くしていると、牙は膝部から鼠径部(足のつけね)を襲うことになる。大血管が走行する部位であり、致命傷になりかねない。


 ハンターにとってはなんということのない獲物であっても、学生にとってはそれなりに危険な存在である。


 イオスが学生に指示を飛ばす。学生に魔法を撃たせるつもりだ。つまりそれは、ボアがこちらに向かってきたら、迎撃する必要があることを意味している。


 イオスはピレルという男子学生を攻撃役に選んだ。ピレルはゼミ生の中でも水魔法の扱いがトップクラスに上手い。


 ピレルは臆することなく水魔法を練り上げ、ボアに向かって放った。ピレルが放ったアイスボールは、一心不乱に土の下の餌を探していたボアのでっぷりとした横腹に見事命中した。


 私とイオス、シルヴィアの三人以外では、今日初めて魔法が魔物に当たった瞬間である。学生達はここがフィールドであることも忘れたかのようにどっと沸き立った。


 すると、土の中に顔を突っ込んでいたボアが顔を上げてこちらを見た。泥だらけのボアの顔は、ぽかんとしているように見えた。


 ボアは水魔法によりダメージを受けてこちらに気付いたのではない。人間の声に反応して顔を上げたのだ。ピレルのアイスボールは、ボアの厚い毛皮と皮下組織の前には、憐れなまでに無力であった。普段のピレルのアイスボールであれば、ボアにダメージを与えられたはずだ。しかし、大学ではなくここはフィールドであり、フィールドという環境がピレルを変えてしまった。


 ピレルは「ボアを倒すための魔法」ではなく、「ボアに命中する魔法」作りに走ってしまった。こういうのをハンター用語で「魔法を置きにいく」と言う。これは遠距離攻撃全般に当てはまる話で、矢でも投げナイフでも、照準に意識を奪われて威力度外視になった一撃は、「置きにいった」とけなされる。置きにいった攻撃は威力が激減する。結果、命中しても、標的に有効なダメージを与えられない。


 ボアはそれを攻撃ではなく挑発として受け取ったのかもしれない。ボアは間の抜けた顔を憤怒で染め上げると、荒々しい鳴き声を上げて魔法を放った学生へ向かって走り始めた。


 向かいくるボアを前にしても、ピレルは恐れを見せず、二発目のアイスボールを練り上げてボアに放った。だが、自分に向かって真っすぐ走ってくるボアは、横腹を見せていたときと違って的として小さく、何より走っているために照準を合わせづらい。


 ピレルの魔法はわずかに外れ、魔法を掠めたボアは勢いを落とすことなく、むしろ加速してピレルとの距離を急速に詰めていく。


 どれ、代わって迎撃しよう、と魔法をチャージし始めた私をイオスが手で制する。


 私は溜めかけていた魔力を霧散させ、ことの成り行きを見守る。


 てっきりイオスがボアに魔法を放つものだとばかり思ったが、イオスは全く魔法を放つ気配がない。そうこうしている間にもボアは急速にこちらへ近づいてくる。


 私を止めておきながら、なぜイオスは何もしない。


 ピレルをもう一度見ると、彼は明らかに腰が引けて足が地についていない。あの様子だとボアの突進は避けられない。


 ボアはピレルのすぐ前に迫っている。もう私の魔法も間に合わない。突進を食らう……


 諦観が私の胸に広がった瞬間、突如ピレルの横からシルヴィアが飛び出し、鋭い剣の一太刀をボアの側頭部へ浴びせた。


 タイミングといい角度といい完璧であった。


 剣の衝撃によってボアの突進方向は逸れ、ピレルの身体の真横を掠めて通り過ぎながら、そのまま地面の上を滑っていった。


 四本の脚はもう動くことなく、ピンと真っ直ぐに伸展している。全体重を身体ごと地面に預けたボアは突進のエネルギーを滑走跡として長く深く地面に刻み込む。


 滑りのよい柔らかな地面だけでは余りある運動量を殺しきれず、ボアは最後に立木にぶつかって止まり、そのまま動かなくなった。

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