第六〇話 霧の大地 ムグワズレフ
学園都市を出発して一人歩き続け、ムグワズレフに到着した。この土地では毎日のように霧が立つ。ただし、日がな一日霧が出ずっぱりではない。昼間になると、それなりに視界の開ける時間帯が存在する。
その時間帯は、地形を理解するために傀儡を操作して情報収集をするのに留め、自分自身は動かないのが吉だ。サンサンドワームという巨大ワームが出現するからだ。ムグワズレフで最も恐れるべき魔物である。
サンサンドワームは、地面のそこいら中に開いた穴から気配を殺し、目にも止まらぬ速さで襲い掛かってくる。こちらが動かなければ穴から顔を出すことがなく、足音に反応しているのだと推測できる。
霧が晴れてきたら無闇に動き回らず、穴の開いていない固い地面を見つけてその場所で大人しくするにつきる。地中に潜んで獲物を待つサンサンドワームが相手では、傀儡で先んじて存在を察知することができない。
できないことは無理にやろうとしない。これもまた大切なことなのである。
こんな危険な魔物が出現する場所に何をしにきたのか。もちろんサンサンドワームを討伐するためである。倒そうと思ったらどうすればよいか。私の魔法の手本となっている先輩ハンター、イオスを思い出してみよう。
イオスの特技は水魔法だけではない。彼は釣りもまた得意である。水生生物は、陸に釣り上げてしまうと本来の能力を失う。そう、サンサンドワームも釣りの要領で討伐すればよい。ハンターならではの陸釣りだ。
サンサンドワームは足音に反応する魔物だ。アビルマイマイの天敵のスコルパドノシェンという大きなオサムシが地面を歩くときに限り、サンサンドワームは地上に姿を現す。スコルパドノシェンも、晴れている時間帯は歩き回らないようにすればいいのに、何故だか唐突に歩き出す個体がいる。晴れたムグワズレフをフラフラと動き回るスコルパドノシェンは、直ちにサンサンドワームに察知され、穴から身体を伸ばすサンサンドワームに一飲みにされてしまう。
スコルパドノシェンの大半の個体は、晴れると動きをピタリと止める。つまり、晴れているときに動いては危険だ、とスコルパドノシェンは理解している。それなのに動き出す個体というのは、もしかしたらサンサンドワームが出すフェロモンの類に引き寄せられてでもいるのかもしれない。あるいは魅了魔法をはじめとした幻惑魔法か。
いずれにしても、サンサンドワームにとってスコルパドノシェンなるオサムシは食糧なのである。このスコルパドノシェンをドミネートし、生き餌として用いればサンサンドワームを釣り出せることであろう。ところが、このスコルパドノシェン。これが非常に強く、ドミネートをかけようとしても抵抗されてしまう。
真っ向勝負を挑んでしまうと、今の私では死闘を繰り広げる羽目になる。実際に何度かそうなった。
ドミネートではなく討伐が目的であれば、話はまた変わってくる。倒すだけであれば、奇襲して一撃を浴びせ、それで仕留めればよい話だ。ただし、一撃で倒すことや接続部を切り落とすことに失敗すると悲惨である。
逃げようと試みたところでスコルパドノシェンの足の速さは相当で、到底振り切れるようなものではない。つまりは、どちらかが倒れるまで終わらない戦いの幕開けを意味している。
強力な腮から繰り出される噛みつきを躱し、腹部から放出される毒を避け、闘衣に覆われた頑丈な外骨格を剣で斬る……いや、剣で殴るのだ。メタルタートル退治と同じだ。高速で戦闘を繰り広げる中、体節と体節の隙間に剣で斬り込む、などという針の目を通すような芸当は、私にはできない。概ね同じ箇所を目掛けて何度も何度も殴るのだ。
持久戦に持ち込むことで、私の体力と魔力が尽きる前にスコルパドノシェンは活動限界を迎える。そうなればこちらの勝利で、後は好きにできる。
一度は側方に回り込み、腹部を切り落として、頭部と胸部だけになったスコルパドノシェンにドミネートをかけようと試してみた。だが、頭部と胸部だけになりながらも、スコルパドノシェンは私のドミネートをレジストする。往生際の悪い話である。
腹部を切り落としても駄目とくれば、頭部と胸部を切り離すしかない。何とも表現し難い気分でスコルパドノシェンの頸にあたる箇所に剣を通し、頭だけになったスコルパドノシェンにドミネートをかけると、今度はレジストされることなく成功した。
これは、『ドミネートには成功し、傀儡作りには失敗した』という端的な例である。戦闘中に触覚を全て切り落とされた頭部をドミネートしたところで、動かせるのは口器だけ。後は、ボコボコに凹んだ複眼を通して見える訳の分からない映像と、頸の激しい痛みが私に伝わってくるだけで、何の役にも立ちはしない。
利用価値のない頭部に見切りをつけ、頭部と腹部という身体の両端を失った胸部に興味を移す。昆虫は、胸部だけでも動くことは動く。そこで、スコルパドノシェンの胸部にもドミネートをかけてみる。しかし、これはどうにもうまくいかない。自分なりに理由を考え、胸部の神経節だけではドミネートに不適格なのだ、と結論づけた。
虫が相手だと良い按配に弱らせることが難しい。火魔法で弱らせようとすると、一線を越えたところで呆気なく死んでしまう。ギリギリを見定めて半殺しにした上で、なんとかドミネートを通しても、今度は一度負った火魔法のダメージから回復できない。
土魔法を身体にぶつけても、効いているのか効いていないのか見た目では判然とせず、ずっとピクピク動き続ける。
水魔法は絶対的に威力が足りない。イオスほどとまでは言わなくても、もう少し強力な水魔法を使えれば属性的に最も効率的に弱らせられることであろうに上手くいかないものだ。
風魔法に至っては、水魔法以下の低威力であり、選択候補にも挙がらない。
手持ちの四色の攻撃魔法をそのまま使うだけでは無駄骨を折ることになる。そこで考えたのは、水魔法の使い方を工夫することだ。苦手な水魔法を使って状況打破を図ろうとは、シルヴィアの水魔法の上達速度に触発されているのかもしれない。
とはいえ、属性的に水魔法が最も適しているのは疑いようのない事実。多少の時間をかけてでも、一工夫加えた魔法を粘り強くかけ続けることにした。
サンサンドワームがまだ動きを見せない早い時間から、スコルパドノシェンを探し求めて行動を開始する。霧の大地ムグワズレフの真ん中ともなると、右を向けども左を向けどもアビルマイマイがいる。目的のスコルパドノシェンはとんと見当たらない。
アビルマイマイが呑気に殻から顔を出している、ということは、近くにスコルパドノシェンが居ない、ということを意味している。捕食者、被食者について考えるとオグロムストプとジュヴォーパンサーのことを思い出す。
武具を何本も潰した今になっても、オグロムストプ相手に剣を折った場面の記憶は鮮明に残っている。あのときから闘衣の使用頻度が急激に増し、それに伴い剣を買う頻度が一気に増した。
固有名持ち武器がありがたがられる理由がよく分かる。ネームドウェポンは概して耐久性が高い。耐久性の低いものは、ネームドウェポンとして世間に広く認知される前に壊れ、鋳潰されて姿を消すのだから、自ずと高い耐久性を持つ物だけがネームドウェポンとして存在と名前を残していくことになる。
先日、ネームドウェポンの一つの推定価格を耳にする機会があった。その額は天文学的とも言うべき、正しく桁違いの金額だ。武具にかけていい値段ではない。"購入"という単語よりも、"投資"とか"買収"とかいう概念と親和性のありそうな超高額である。マネーゲームの一端で値が釣り上げられているのかもしれない。
武具というのは本来ハンターや軍人などの戦闘者が持つべきものである。だというのに、ネームドウェポンの高さときたら、あれだと手にできるのは戦闘者ではなく支配者階級や資本家階級、大商家に限られてしまう。イオスやアッシュでも厳しいのではないだろうか。
イオスの魔法杖は、十中八九ネームドウェポン。イオスはあれを『発掘品』と言っていた。購入ではなく自分で発見したからこそ、イオスはネームドウェポンを所持できている。私も自分のネームドウェポンを持とうと思ったら、ダンジョンや遺跡などで入手するしか手はなさそうだ。
ハントの収入をコツコツ貯め続けていれば、いつか王都に家を構えることはできるやもしれない。だが、どれだけの時間をハントに費やしてもネームドウェポンを買える気はしない。
……一つだけ例外があった。アーチボルクには昔領主が住んでいたという館があり、有名な観光名所となっている。一般人も有料で拝観できる、開放された遺構だ。館には地下室があり、地下室の奥、地面と繋がる剥き出しの岩に一本のネームドウェポン、ネグレドの美という魔法杖が刺さっている。私もシェルドンも知っているアーチボルクの七不思議の一つだ。あれが入手できるのであれば話は別である。
剣や槍のような刃物が刺さっているならまだしも、なぜ杖が岩に刺さっているのか理解しがたい。しかも嘘か真か、岩を壊そうとすると杖まで壊れてしまうらしい。頑丈さが売りの一つであるはずのネームドウェポンだというのに。
あの魔法杖は"適格者"にしか岩から抜くことができないようになっている。おそらくは呪いの一種であろう。イオスも若い頃に挑戦したが、抜けなかった、ということだ。適格者と認められるには、魔法使いとして優秀か否かだけではなく、何か特殊な条件を満たす必要があるのかもしれない。
私がネームドウェポンの魔法杖を入手する一縷の望みは、このウロダネグレダのみ。しかし、近接戦闘職と異なり、後衛魔法職の場合、ネームドウェポンの魔法杖が無くとも、金銭的には楽なものである。遠距離から敵を一方的に倒すと、武器も防具も壊される心配が無いからだ。装備品は、経年劣化の償還分だけ計上すればいいのだ。
少しばかり剣が強くなったからといって、剣に頼ってあらゆることを解決しよう、と考えるのは不適切だ。せっかくの長期休暇、せっかくの競合他者のいない土地、この機会に魔法を存分に使わずいつ使う。
魔法に拘る理由付けを考えていると、スコルパドノシェンが目に入る。頭部をアビルマイマイの殻に突っ込み、ツヤツヤと黒光りする腹部は殻の外に剥き出しにして、マイマイの肉を貪っている。周りに他にスコルパドノシェンはいない。
食事中でも警戒を怠らない被食者と違い、食事中の捕食者というのは無警戒そのもの。実験開始には都合がいい。
まずスコルパドノシェンの機動力を削ぐために、距離を取ったままでファイアボルトを中肢に放つ。狙い通り中肢の接続部に命中したファイアボルトは外骨格越しに肉を焼く。
攻撃されたことに気付いたスコルパドノシェンがアビルマイマイの殻から顔を抜き、辺りを見回す。虫だけあって遠方視力はさして良くなく、私のことを一向に視認できない。周囲の確認のために動き回るスコルパドノシェンだが、ファイアボルトを受けた中肢だけは動いていない。
再びファイアボルトを放ち、同側の肢を狙う。今度は前肢に当たった。
二発目の魔法を身に受けたスコルパドノシェンはようやく私を見つけ、反撃をしようと、こちらに向かって走り始める。走るうちに前肢は焼け焦げていき、それにつれて動きが不安定になっていく。
ファイアボルトの初撃を受けてからスコルパドノシェンは闘衣を展開していて、前肢の損傷は中肢と比較して軽微。機動力を削ぐ、という意味ではこれで十分だ。
両側の肢が一本ずつ動かなくなったのであれば、その機動力はまだまだ健在なのだろうが、同側の肢二本が動作不全に陥ると、一つの方向に真っ直ぐ歩くことすらままならない。
近接戦ではあれだけ苦労させられるスコルパドノシェンも、魔法で先制攻撃すれば簡単にあしらうことができる。
不安定な肢で、それでもなお懸命にこちらに向かって来ようとするスコルパドノシェンに対し、今度は水魔法を放つ。あまり得意とは言えない水魔法も、悪いのは威力と成長性だけで、照準も溜め速度もそこまで悲観したものではない。
アイスボールがスコルパドノシェンの頭部に当たる。水魔法の直撃を受けてもスコルパドノシェンにダメージを負った様子は見られない。アイスボールよりも強力な土魔法でさえ、打撃的なダメージを十分に与えられないのだから、この結果は想定の範囲内。
私が今、水魔法に期待しているのは打撃とか衝撃といったものではない。相手を冷却することだ。
そういう意味において、アイスボールは水魔法の中でいい選択肢とは言えない。氷縛魔法で全身を包みこむのが冷却手段としては理想的。ただし、フロストホールドは攻撃魔法にあるまじき短射程であり、フロストホールドが届くほどにスコルパドノシェンの近くに寄ってしまうと、剣で応戦しなくてはならなくなり本末転倒である。
動きが悪化しようとも腮の破壊力は健在、毒も尻から放出可能。油断は無用。距離を維持するためにこちらは足を動かして後退、腕はアイスボールを連続して放ち、頭は次の作戦を考える。
氷玉よりも効率的に対象を冷やす魔法。となると、水魔法と風魔法の組み合わせが自然に挙がる。もしイオスが風魔法も得意であれば、容易に使いこなせそうな組み合わせだ。
吹き荒ぶ氷塊と極冷風。名付けるとすれば、アイスストームとかストームガストとか言ったところか。
問題は私が水属性も風属性も不得意なことである。どちらも成長速度が鈍重な上、風魔法に至っては威力が四色中最低最弱。大学受験の日程二日目、実技試験の際に私がガストを放った直後の試験官二人の顔が脳裏をよぎる。全力ではなかったにしろ、あれは突風と呼べない代物だった。
あの頃に比べればガストは上達した。多様なハンターとパーティーを組んでハントを重ねた恩恵である。人間、プロになる連中というのは、大抵長所の一つや二つは持っている。たとえシルバークラスに過ぎないハンターであっても、隠密能力だけはゴールドクラス以上であったり、ナイフ捌きだけは一流であったりする。
私以上の風魔法使いなど、それこそ掃いて捨てるほどいる。自分よりも上手い人間の技術を観察することは上達への近道だ。総合的な能力では私よりも格下であるハンターから、エヴァやイオスと組み続けても得られない貴重な経験を得ることができる、ということだ。
風と組み合わせることを考えるならば、水魔法は氷の状態よりも適切な形態がある。冷却が目的なのだから、霧状の水を作りだすのが、より好ましい。水魔法で少量の水を作り出し、それをガストで目標に吹き当てるだけで、勝手に霧状になってくれるのではなかろうか。
将来の上位攻撃魔法、高位攻撃魔法の使用を見据えると、二種類の魔法の組み合わせである"合成魔法"の練習にも、そろそろ手を付けるべきである。
上達の原則を考えると、得意属性の火と土から始めるべき合成魔法の練習。火と土を組み合わせると、どんな魔法を編み上げられる? 溶けた土でも作り出せばいいのか? それでできあがる魔法の名前は、モルテンメタルとかフォージとでも命名したらよいだろうか……
思考が脱線した。今はどうでもいい話である。今すべきは、兎にも角にも水魔法と風魔法だ。右手に水魔法、左手に風魔法を展開するため、魔力を溜める。だが魔力の操作が上手くいかずに、両手の魔法が散逸する。
右手で剣を振るい、左手で魔法を展開するのとは難易度が段違いだ。そういえば片手で魔法を放つ時、もう片方の剣を持つ手や身体の側で闘衣やスキルを使っていなかった。一つの身体で二種類の魔力の回線操作を試行したことがない。
初めて試すのだから失敗して当然。成功するまで何度だってやるしかない。
スコルパドノシェンとの距離を確認しつつ、何度も何度も試行と失敗を繰り返す。水魔法を練り上げられたと思ったら、出来上がった水は手の先から力なくチョロチョロと滴り落ち、風魔法と組み合わせるどころではなかったり、水魔法がそこそこ形になったと思ったら、逆の手で風魔法を全く展開できなかったり、と失敗を繰り返すこと際限がない。
のたうつスコルパドノシェンと、形にならない魔法の失敗を繰り返す私の姿は、どこからどう見ても滑稽そのものである。
◇◇
どれだけ失敗を繰り返しただろうか。もはやスコルパドノシェンに魔法を当てることを忘れ、合成魔法を形にすることしか頭になくなっていた。費やした時間と魔力の甲斐があり、やっと風に乗せて水を前方に撃ち出すことに成功した。
水を噴出する子供の玩具じみた、威力、冷却力共に皆無の実用的ではない魔法ではあるが、一応は形になった。今度はこれをスコルパドノシェンに命中させてみよう。のたうち回り続けて疲れ果て、動きの鈍くなっているスコルパドノシェンに向き直り、魔力を溜め始める。
左手と右手に魔法が練り上がり、いざ放たん、と思った瞬間、眼前のスコルパドノシェンを巨大な薄灰色の影が包み込んだ。影は、完全にスコルパドノシェンを覆い隠した後、あっという間に姿を消した。影が消えると、そこにスコルパドノシェンの姿はなく、残っているのは土に開いた穴だけ。
考えるまでもなく今の影はサンサンドワームだ。魔法に集中するあまり、時間の経過を忘れていた。太陽はもはや高く昇り、霧は綺麗に晴れている。サンサンドワームが活動する時間だった。
私の踏みしめている足場は柔らかく、サンサンドワームが顔を覗かせる可能性は十分である。両手に作り上げておいた魔法は、いつの間にかかき消えている。空の右手を剣の柄に伸ばす。
惨めなほどに手が震えている。柄を握ることに一度失敗し、左手で剣を支え、もう一度右手を剣の柄に添え、しっかりと握りしめる。
剣を握ることで、震えが少しだけ収まり、ゆっくりと剣を鞘から抜く。剣を握るグローブの中の手は汗ばみ、自分でも信じられないほどに握力が込められてしまう。これだけ固く剣を握っては、素早く剣を振るうことなどできない。
リラックスを心掛けようとも、全身の緊張が解けない。
サンサンドワームは足音に反応する。足を動かしてはいけない。意識すると逆にバランスが不安定になる。ただ立っているだけなのに、眩暈でも起こしたかのように左右によろめきそうになる。
いつ襲ってくる?
右を見て、左を見て、そして後ろを見ようとして体勢を崩しかけ、慌てて立て戻す。
傀儡がいるのだから、自分の身体を動かして周囲を見回すことに意味など無いことを今さら思い出す。
傀儡で周囲を確認する。そこかしこにサンサンドワームの出入りできる穴が口を開けている。完全にサンサンドワームの領域だ。しかし、私に襲い掛かってくる気配は感じられない。
そもそもサンサンドワームは私の立ち位置を認識しているのだろうか?
ゆっくりと恐慌状態から意識が戻ってくる。この数十分、下手をすれば一時間以上、私は魔法を成功させることに没頭していた。試行中もスコルパドノシェンとの距離だけは注意を払っていた。されどもスコルパドノシェンは同じところをグルグル回るばかりでこちらに近寄って来られずにいたため、私の足は完全に止まっていた。
そうだ。私はもうかなりの時間足を動かしていない。足音を立てていない。サンサンドワームは私の位置を分かっていない。
そう考えた途端、どっと疲れが身体に押し寄せる。朝早くにスコルパドノシェンを見つけて以降、ずっと魔法を使い続けていた。魔力消費は近日稀に見る激しさだ。
そこにきてこの戦慄。全身を無駄に緊張で強張らせたことで肉体的な疲労度も一瞬にして激増した。
敵のテリトリーにいる以上弛緩しすぎることは良くないが、再び霧が出てくるまで、このままずっと同じ姿勢を保つのは難しい。
私は土魔法で一脚の立ち椅子を作り、スタンドにゆっくりと体重をかけた。自分の脚二本とスタンドの一脚で、三脚の状態となると姿勢は安定し、体勢維持の負担がぐっと楽になる。
人心地がつくと、今度は空腹が身を襲う。今の今まで死の恐怖に全身を震わせていたというのに、人間の身体とは不思議なものだ。私は立ち椅子に腰をかけた状態のまま、水と糧食へ手を伸ばすのであった。




