表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
127/214

第五四話 新種のアンデッドの最後

 他者の耳目の避けようがない飯場上の休憩所で私とルカ、テベスの三人は小さな輪を作り、小声で会話を進めていく。


 雑音にかき消されてしまいそうなテベスの声が乗せた情報をひとつたりとも聞き漏らさぬよう、私は耳をそばだてる。




    ◇◇    




 ドラゴンが初めて目撃されたのは、大氾濫(スタンピード)が起こってしばらくしてからのこと。目撃場所は大森林付近に限定されており、この新参の魔物が直接ヒトの住処を破壊した事実はない。


 ドラゴンによってマディオフが受けた被害は今のところ間接的なもの、大森林の魔物の大氾濫(スタンピード)に限られる。


 ゆえに“ドラゴン討伐隊”などというものは結成されておらず、今後も結成の予定はない。




 その代わりではないが、実際に結成されたのは“特別討伐隊”だ。それは国の指揮の下、ハンターを主体として軍人や衛兵からも精鋭を選抜して結成された。


 特別討伐隊が目指すのはドラゴン討伐ではなく、大氾濫(スタンピード)の収束である。


 特別討伐隊は既に行動を開始し、大森林に近い場所にある街や村の安全確保に力を注いでいる。


 実力者揃いの特別討伐隊といえども、大森林の食物網上位層を討伐できる隊員はひと握りだ。そのため、レッドキャットのような上位の種が多く出回っている地域は、まだ手を付けることすらできていない。


 魔物の討伐はまだまだ始まったばかりであり、大氾濫(スタンピード)収束の目途は立っていない。


 未来を見通すために情報として重要なのは特別討伐隊が挙げた成果だけではない。特別討伐隊に生じた被害もまた情報として重い意味を持つ。ある意味、民間人の被害情報以上に重要とも言える。


 ハンター勢に関して言うと、死者も重傷者もそう多くない。召集に応じたのも、自ら参加名乗りを上げたのも、いずれも腕に自信があるものばかりで、しかも、元来、魔物討伐に熟達している。たとえ相手が大森林の魔物であっても易易とはやられない。


 ところが軍人や衛兵はそうもいかない。ハンターと違って魔物から身を守る術など熟知していないし、配置や役割は適性や本人の意志を十分に考慮せずに与えられるものだから、ハンター勢の比ではない大きな被害が生じてしまうのは致し方ない。


 軍人、衛兵の損耗が大きくなるのは予期されていたことではあるが、部隊編成や人員配置がもっと練られたものだったならばあるいは、との痛惜は、手配師ならずとも抱く念であろう。




 これが特別討伐隊の向かった東の話である。では、西はどうなっているか。


 マディオフ西端に位置する都市ロギシーンで起こった反乱の首魁は二人。


 ひとりは誰もが知った元ミスリルクラスのハンター、アッシュである。そして、もうひとりは出自不明の女性、自らをクローシェ・フランシスと名乗っている。


 アッシュはロギシーン及び近隣の街の住民有志を率い、クローシェの方はどこから集まったのか分からない謎の武装集団を率い、そして集団二つは統合してひとつの反乱軍を形成した。


 反乱軍において高い戦闘力を有する「個」はアッシュだけではない。クローシェも戦闘力はミスリルクラスに匹敵する。さらには武装集団も、各人がゴールドクラスかそれ以上に相当する実力を有しており、寄せ集め品ではない真っ当な武具に身を包んでいる。つまりは、およそ反乱軍とは思えないほど高い水準で組織された戦闘集団ということだ。


 戦力充実の反乱軍により、ロギシーン及び周辺地域一帯の衛兵は完全に沈黙させられた。


 ロギシーンに広がる巨大穀倉地帯を手中に収めた反乱軍は支配地域を日々拡大しており、近いうちにポジェムジュグラやその近隣地域も取り込む勢いだ。


 反乱が起こったならば、それを鎮圧するのが国の役目である。しかし、大氾濫(スタンピード)収束のために精鋭を送り出して人手不足となったマディオフ軍には、反乱鎮圧に必要十分な部隊を編成できない。


 これまでに送り込んだ申し訳程度の質と量しかない小規模の部隊は全て反乱軍に一蹴されている。


 近日中に反乱を鎮圧するのは不可能、と判断したマディオフ軍は、目標を『反乱軍の支配地域拡大阻止』へと切り替え、ロギシーンから遠すぎず近すぎずの距離にある中規模都市に戦力を集めて対反乱軍用の防衛線を築くべく行動している。




 最後に東の果て、大氾濫(スタンピード)の舞台を越えて更に東、国土最東端へ視点を移す。


 ゴルティア軍が侵攻を開始した時点において『最東端』はアウギュストだった。この都市の失陥を皮切りに、周辺の規模の小さな街や村は、一切、交戦を経ることなくゴルティアの手に落ちた。ただ、これはマディオフ軍の無策を意味しない。


 ゴルティア軍の不審な動きを事前に察知していたマディオフ軍は防衛困難なアウギュストとその付近を初期から見限り、鉄壁の拠点まで後退することを選んだ。


 大きく引いたマディオフ軍はアウギュストのずっと西方、都市リクヴァスの付近に戦力を結集し、風魔法使いとしてはマディオフ軍最強であるレイシェン・ケンプを中心に据えた防衛体制の構築を概ね完了している。


 勢いづいたゴルティア軍が西進を続けた場合、マディオフ軍はこれをリクヴァスで迎え撃ち徹底抗戦する。


 これらはいずれも場当たり対応などではない。事前に策定された防衛計画大綱に基づく作戦行動である。




    ◇◇    




 一通りを話し終えたテベスが豊かと表現するには見苦しい顎髭を撫でる。


 テベスからもたらされた情報は、大家オスカルの話とはかなり様相を異にする。


 アウギュスト一帯の陥落はマディオフ軍にとって想定内だった。第三者的な立ち位置にある私と似たような防衛構想をマディオフ軍は最初から練っていた。


 ゴルティア軍の方もマディオフ軍の反応を概ね読んでいた模様で、マディオフ軍が本気で守っているリクヴァス近辺には、まだ全く手出ししていない。


 いたずらに挑発行動を行わないのはゴルティア軍がマディオフ軍を全く侮っていない、という証明でもある。


 調子に乗って敵の領土深くまで攻め入ってしまうと、いざ、固い守りにぶつかって引こうとしても、安全な場所まで撤退するのは極めて難しく、結果、甚大な被害を受けることとなる。


 そういった事情があり、ゴルティア軍は占領した地域の完全掌握に専らの力を注いでいる。


 リクヴァスはマディオフ本領から遠い土地でありながら、戦力の集中具合から考えて実質的な最終防衛線と言って差し支えない。


 もし死闘の果てにリクヴァスが陥落したとき、ゴルティア軍からマディオフ本領を守る確実な手段があるだろうか。少なくとも私は思いつかない。


 昔、マディオフがゼトラケインと小競り合いしていた頃の要衝であるフライリッツ近くのトレド平原に防衛線を築くことを私は考えたが、それはあくまでリクヴァスで大敗しなかった場合の話だ。


 あの辺りは大氾濫(スタンピード)によってかつてなく不安定な状況となっている。大敗を喫した後に改めてあの場所に防衛線を構築して安定稼働させるのは到底無理だ。


 リクヴァスを失うとマディオフの生命はまさに風前の灯火、ゴルティア軍の心ひとつで瞬く間に吹き消されるだろう。


 アウギュスト奪取後、足元固めに勤しんでいるゴルティアがいつ再び攻勢に打って出でてくるか、それが最大の問題だ。


 それがいつになるにせよ、リクヴァスでの衝突は、ジバクマ、ゴルティア間でも近年無かったほど大規模かつ苛烈な会戦になるだろう。




 厳かな面持ちで話を聞いていたルカがテベスに尋ねる。


「国内の治安はどうなっています」

「衛兵も大規模任務にかなりの数を割かれている。通常業務にすら支障をきたしていて、増加の一途を辿っている犯罪対応にはまるで手が回らない。街は荒れていく一方だな。……ああ、あんたはクリフォード・グワートって男を知っているか?」


 第三のアンデッドたちはここ最近のマディオフにおけるハンター事情を知っているだろうか。


 私は少しばかり知っている。クリフォードは、旧ゼトラケイン領からマディオフ本領に移住してきたミスリルクラスのハンターだ。


「ええ、名前くらいは。彼が何か?」

「奴は混乱に乗じて、都内の見た目がいい女を手当たり次第に襲って回っている。倫理観とか頭の出来はどうあれ力はミスリルクラスだ。誰も奴を止められない。有志や衛兵団ではどうしようもないから、戦闘力最上位軍人たち、具体的にはネイド・カーターとかリディア・カーター、エルザ・ネイゲルあたりが王都に残り、クリフォードを探し回っている」

「国はクリフォードへの対策に、かなりの力を注いでいるようですね。それならば――」


 テベスはルカに台詞の続きを喋らせず、首を横に振る。


「それがそうもいかない。クリフォードはどうにも勘がいいようでな。追手が迫るとすぐ雲隠れしてしまう。軍人たちとは戦闘にすらなっていない。王都に集められた軍人連中は戦闘力が高いだけで、逃げ隠れする犯人を追うには向いていない。クリフォードにとっては軍人なんて、いないも同然。もうやりたい放題さ。あんたもクリフォードに狙われそうな見た目をしているから、精々気をつけな」


 テベスはルカに対してだけ忠告する。私の方は見ようともしない。


 もういい。この扱いには慣れた。


 なんにしても、マディオフ軍は貴重なミスリルクラスの人材を三人も王都に集めて、そんな下らない対応に当たらせているのか。


 確かにクリフォードは女の敵だ。強姦は女を殺すにも等しい犯罪であり、クリフォードが排除しなければならない絶対悪であることに間違いはない。しかし、そのためだけにミスリルクラスを三人も王都に張り付かせるとは、人材の無駄遣いもいいところだ。


 女の貞操を気にして国を滅ぼす真似に出るとは……。国を守れなければ、民を守るどころではないというのに。


 テベスはなおも国内事情を語る。




 クリフォードの件以外にも犯罪は加速度的に増えており、衛兵はもう軽犯罪の捜査から完全に手を引いている。必然、民間人は高度な自衛を求められている。


 また、マディオフの食料庫であるロギシーンが反乱軍の手に落ちたことで主要穀物の買い占めが始まり、今は国が何とか押し止めているものの、物価の高騰が足音を聞かせつつある。


 一度(ひとたび)熱狂的物価上昇ハイパーインフレーションが始まれば手持ちの貨幣は価値が急速に落ちていく。代わりに食料でも日用品でも、実体のある“物”の価値が急騰する。価値の安定した貨幣がないことには流通が滞る。


 フィールドに出れば食べる物には困らない私たちと違い、マディオフ国民は近い将来飢えに苦しむのは確実だ。


 温暖なジバクマと異なり、マディオフの食料事情は国土の広さほど良くはない。ここまで何十年も戦争に興じられる程度には整っているけれども、それも国内基盤あってこその話だ。


 ロギシーンという巨大な食料供給源を失ってしまうと、大氾濫(スタンピード)、反乱軍、ゴルティア軍、この三方面に同時に対応を続けるのは、食料事情だけ考えても不可能だ。


 今は備蓄食料を少しずつ吐き出している段階で、その枯渇は遠い先の話ではない。




 マディオフ軍戦略部の情報がダダ漏れになってはいないだろうか、と私に心配させるほど、テベスはたくさんの情報を持っていた。


 ……手配師という職業を舐めていた。


 想像を遥かに超えた、とんでもない情報力を有している。




    ◇◇    




 テベスから、あらん限りの情報を聞き出した私たちは飯場を出て王都の通りを当てもなく歩く。


 事情を知ってしまうと、道行く人、物言わぬ街並みが強烈に私の感情を揺さぶる。


 行き交う人々の顔は、絶望に打ちひしがれ、助けを求めてこちらに縋り付いてきそうな悲壮な面持ちに見える。実際は大きな変化などきたしていないはずの街並みに、『滅びの覚悟』のような、そこはかとない物悲しさを感じてしまう。


「ルカ、これからどうしよう。もう少し情報を集める?」

「テベスは王都最高クラスの才腕手配師です。彼よりも事情を把握している軍関係者は少ないでしょうし、その数少ない関係者から穏便に情報を入手するのはかなり難しいはずです。私としては、方針決定に十分な情報が集まったと考えています」

「うん、私も同感。今後の計画を立てるのに不足はあとひとつ。あなたたちが何を考え、どうしたいと思っているか、意見と気持ちを聞かせてほしい」

「情報を集めても私の考えは変わりません。まずは人に会いに行きます。その後は、おそらくリクヴァスに向かうことになると思います」

「その人があなたたちにどんな対応を取るかで、自ずとあなたたちの取るべき行動が変わってくる。そういうことだね」


 私なりの理解を伝えると、ルカは何とも言えない微妙な顔で笑う。


「うーん、あまりにも見事に見透かされてしまうと、ちょっとだけ気分が悪いですね。まるっきり察しのとおりですよ。その人がどんな答えを私に返すか、概ねの予測はついています。そして、それはここから先が熾烈な戦いへの一本道であることを意味しています。こんな戦いにあなたを巻き込むつもりは毛頭ありませんでしたし、あなたの能力が出る幕だってありません。あなたが私に付き合う必要はないのです。家族と過ごす時間が少しでもあるうちに、あなたは故郷(ジバクマ)に帰ってください。お望みとあらば、最寄り都市まで全速力で送り届けます」


 ルカの語りからポーたんが“意図”を読み取る。第三のアンデッドは、“その人”を守るためならば己の滅びも辞さない覚悟だ。


「私の望みは家族と一緒にいることではない。弟が自分ひとりで生きられるようになるまで国を守る。それが私の望みであり、なすべきことだと思っている。手伝えるか分からないけれど、あなたたちがマディオフを守るために戦うなら、私も一緒に行く」

「私にも、どう転ぶか分からないのです。故郷(ジバクマ)にも帰れぬまま、あなたが命を落とす必要はありません。小国(オルシネーヴァ)相手とはわけが違います。必ずしもあなたを守りきれません」

「知ってる、ルカ? 南の国のジバクマにはこんな(ことわざ)がある。『毒か薬か分からぬ杯も、選んだならば飲み干さなければならない』って。あの時、私はリリーバーを選んだ。飲み干さないうちに杯を投げ出すつもりはない」

「別にあの約束にこだわらなくても……。変通の心もまた賢さのひとつです。約束を交わした私本人が許可しているのです。今ばかりは義理立てする必要はありません」


 親切心のつもりで私の方針転換を促す第三のアンデッドに、私は首を横に振る。知らぬうちに、私は少しだけ笑っていた。


「新しい情報を得て選び直す、というなら、この状況を踏まえたうえで、私はもう一度同じ杯を選び取る」

「はあ……。せっかく優しく逃げ道を示してあげたのに」


 その道は歩いて確かめるまでもなく中途で絶えている。逃げは終わりの先延ばしに過ぎず、根本的解決ではない。


 存在するかどうか分からない未来へ通じる道は骨と皮からできている幻想の杯を掴み取り、不可思議な色で揺れる毒を飲み干した先にある。そして、その毒杯を飲む機会は私以外の誰も持っていない。


 毒は嗤う。あの不敵な笑みで。


「では、ちんたら歩いている時間はありません。これからアーチボルクへ向かいます。事態はまさに焦眉の急を要します」


 嗤うアンデッドたちは歩く速度を上げた。




    ◇◇    




 王都に持ち込んだポジェムジュグラ産の食料は、市場には流さずに全て孤児院へ寄贈した。


 身軽になった私たちは夜を待たずに正面から王都の外へ出る。


 王都の外へ出る検問は、あまり厳しくなかった。衛兵が厳しく調べるのは王都の中へ入ろうとする人間だ。


 王都の外へ向かう人間に対する調査は比較的緩く、食料流出に繋がる持ち出しがないかどうかしか力を入れて調べない。


 手で持ち抱えられる程度の荷物を詳しく調べられることはなく、装備についても細かく言及されることはなかった。


 調味料やわずかな乾物については法外じみた持ち出し税を払うことであっさりと許可が下りた。朝に入手しておいた入都許可証も速やかな脱出に一役買った。


 出都の難易度や所要時間を見積もれていたからこそ、第三のアンデッドは危険を冒してでも日中の検問を通り王都を抜け出すことにしたのだろう。




 王都を出て街道を少し進み、街道周囲に木々が目立つようになった地点から街道を離れ、移動速度を大幅に引き上げる。


 夜の仮眠と短時間休憩は欠かさず取るものの、それ以外には“遊び”を設けない。イデナの背から降りて私が走る時間は全く無い、久しぶりに全速力と言える長時間、長距離移動である。


 日中は街道脇の林間を駆け抜け、人の往来が無くなる夜間は街道に出て、より速度を上げてひた走る。




    ◇◇    




 王都を出て三日目の夜、ひとつの街に辿り着く。ここが第三のアンデッドたちの想い人、きっと全世界に無数にいるであろう想い人の中のひとりが住むアーチボルクだ。


 アーチボルクはマディオフの三大地方都市のひとつだけあって、リレンコフやゲダリングにも引けを取らない大きな街だ。星明かりの下、少し高い場所から街を眺めるだけで、噂に違わぬ立派な街だとすぐに分かる。


 騎乗のまま私たちは夜の街を駆けていく。


 リリーバーの足は、まだ明かりの灯る繁華街ではなく、暗く眠る住宅街の方面へと向かう。


 少しばかりの高みにある閑静な住宅街を進み、本当に小さく緩やかな小川にぶつかると、そこに架かっている橋の橋台部分へ下りた。


 ルカが、なぜか荷物をその場に降ろしながら言う。


「ちょっと様子を見てきます。あなたはここに居てください」


 一行は、そろそろ更新時間である偽装魔法(コンシステント)も私にかけ直させずに、その場を去ろうとする。


 ポーたんが一連の行動に隠された“意図”を私に告げる。


 小妖精由来の情報がなかったとしても、鈍い私ですら気付いてしまう浅はかな行動だ。


「分かった。気をつけて」


 何も分かっていないフリをしてリリーバーを見送り、全員が私から目を切ったところですぐさま追跡を開始する。




 思い返せば第三のアンデッドは道すがら、『故郷(ジバクマ)に帰りませんか』と、何度も私に尋ねてきた。


 偽りの生命しか持たないアンデッドなりの“決死の覚悟”ゆえの発言だ。


 王都ジェゾラヴェルカを思えばここアーチボルクはジバクマから極めて近い場所にある。そして、第三のアンデッドはご丁寧に荷物まで残していった。


 ここまで示唆を残しているのだ。他に何を言われずとも、考えは自然と分かってしまう。


 リリーバーは私を置き去りにするつもりだ。もちろんそこに悪意などない。いつもながらのズレた気遣いである。


 こういう気の遣われ方は甚だ不愉快だ。私の身を案じて別離するにしても、誠意を尽くして説明し、円満な別離を試みるべきである。


 心尽くしの提案を私は当然、拒絶する。


 私はリリーバーの力になると決めた。ここで別れを許すつもりはない。


 だからこそ急いで追わないと、本当に置き去りにされてしまう。


 あの一行の鋭敏さは尋常ではない。迂闊な追跡はすぐに勘付かれてしまう。


 ポーたんを()けさせることができれば簡単に後を追えるのだけれど、小妖精を見抜く刮眼アンデッド相手ではその手が通用しない。


 足が速く、壁を登れて、気配に乏しく、視線感知ができて、小妖精まで見える。これほど尾行し辛い相手はない。


 久方ぶりの尾行対象がリリーバーだ?


 とんだ無茶をさせられる。


 メンバーの姿そのものは直接視界に入れず、一行から発せられるごくわずかな音だけを頼りに追わなければならない。


 道の巡りも建物の並びも知り尽くした街であればいざしらず、初めて訪れる不案内な街で、しかも真夜中にそんな追跡方法は困難極まりない。


 けれども、ごちゃごちゃ考えたところで一行は遠ざかっていくばかり。


 今はとにかくやるしかない。




 取り敢えず橋の上に登る。登攀が格別得意ではない私には、これだけで一作業だ。


 橋の上に登ると、一行はもうずっと遠くまで移動している。


 いくらなんでも速すぎる。これではすぐに見失ってしまう。


 視線を切ることはやむなく諦め、静音行動も疎かなままに小さな影を目指してひた走る。


 だが、追跡叶わず、その影もすぐに見失ってしまった。


 多分、一行は私を撒くべくガムシャラに急いだのではなく、いつもと変わらぬ隠密移動していただけだ。


 闇をすり抜けるリリーバー一行の捕捉が、ここまで困難なものだったとは……。




    ◇◇    




 その後、あちらへ行ったりこちらへ行ったりして、何とか追跡続行を試みるものの、一行と思しき影はおろか、追跡の手がかりとなる痕跡すら見つからない。


 そればかりか、見知らぬ暗い住宅街で視線を何度も大きく動かすと、自分がいる場所すら覚束なくなりかける。


 完全に迷ってしまう前に別離の舞台となった橋へ帰り、橋台へ下りる。


 一行が残していった荷物が虚しく佇んでいる。


 力なく荷物に近付くと、中の食べ物のニオイに引き寄せられたのか、不快な生物が二匹、嚢の横に両足立ちして鼻をスンスンとさせている。


 汚らわしい身体で、私たちの物に近寄るな。


 突如としてこみ上げた怒りが、駆逐には過剰なほどの強い水魔法を私に放たせる。


 完膚なきまでに異物を排除してから荷物を確かめる。


 ……大丈夫、漁られた痕はない。中身は全部そのままだ。


 大切な私と第三のアンデッドの荷物が無事であると分かった瞬間に怒りが消え失せ、今度は怒り以上に猛烈な悲しさが私を襲う。




 どうして私を置いていく。


 私の大切なものが皆、私の前からいなくなる。




 ……ダメだ、堪えろ。


 泣いてしまうと、見えているものが見えなくなる。分かるはずのものが分からなくなる。


 感情に負けていいのは、やれるだけのことをやってからだ。


 こみ上げたものをゴクリと飲み込み、嚢の中をもう一度しっかりと確認するためにマジックライトを(とも)す。


 魔法の光に照らされながら中身を(あらた)めると、すぐに書き置きが見つかる。


 流麗な文字で記された植物紙には、正確な現在位置やジバクマへの安全な戻り方などが記されていた。


 こんなものはどうでもいい。


 あと、記録用紙の代わりにすると言った隕鉄をなぜ使わない。私に嘘をついたのか。小妖精すらも欺いて!


 ハア……ハア……。


 落ち着け。


 怒りの焦点がズレている。


 第三のアンデッドがどれだけズレていても、私はズレない。なぜなら私はクールな情報魔法使いなのだから。


 私が今、考えるべきは、あの一行がどこにいて、どこに向かっているのか。そういうことだ。


 ポーたんに書き置きを読み取らせても、そこに込められた“メッセージ”は『安全な帰り道』だけだ。


 小妖精の能力をもってしても、一行の現在位置や目標地点が分からない。小妖精は一旦、諦めよう。




 さあ、ここから、どうやって置き去りアンデッドを見つけたらいい。


 考えろ、考えろ、考えろ。


 考えることこそが私の役目なのだから……。


 そうだ!


 もう偽装魔法(コンシステント)は時間切れのはずだ。


 ならば、アンデッド感知魔法(ディテクトアンデッド)で探し出せる。


 そもそも私は小妖精の存在を抜きにしても情報魔法使いだ。小妖精の存在のおかげで、それ以外の情報魔法は隅に追いやられがちで、リリーバーと行動を共にするようになってからというもの、使用頻度は更に減っていたけれども、使い方までは忘れていない。


 忘れていたのは、むしろ利用価値だ。


 今が価値を示す、またとない機会だ!


 熱を帯びた意志に突き動かされて情報魔法を構築する。


 私は必ずあの者たちを見つけてみせ……。


 ……あれ?


 案外と近い所にいる?


 アンデッド感知魔法(ディテクトアンデッド)を使った途端に反応が見つかり、虚を衝かれた思いとなってしまう。


 この五つちょっとのアンデッド反応は、どうみてもおかしい。


 五つではない。六つでもない。


 落ち着いて何度数え直しても、やはり『五つちょっと』なのだ。


 情報魔法に対する反応まで意味不明なのは、さすが新種と第三のアンデッドたち、と言ったところか。


 約二年前のゲルドヴァでは、手配師や軍と憲兵の情報魔法使いたちが、今の私以上に不可解な思いを抱いたはずだ。


 よし、意味不明アンデッドを追いかけよう。




 第三のアンデッドたちが残していった嚢も担ぎ上げて反応検出地点に向かう。


 魔法を頼りに辿り着いた先にあったのは、それなりの大きさをした、近隣住宅と同格以上に立派な邸宅だった。


 この邸宅の中に第三のアンデッドたちがいる。


 解錠は取り立てて得意ではない、壁登りのスキルも持たない私が、はてさて、どうやって忍び込んだものか。


 玄関前で侵入方法を思案していると、いくつかの影が音もなく私に近寄ってくる。


 は……?


 一体全体、これはどういうことだ。置き去りにする気だった私と、なぜ普通に接触を持とうとする?


 ルカが私の目を見ずに話し始める。


 嘘を言うために目を(そら)しているのではなく、考え事をしていて心ここにあらず、といった感じだ。


「サナ。これからかなり取り込んだ話になるので、さっきの場所で待っていてください」


 視線と表情、口振りから読み取れるのは少しばかりの焦りだけであり、『私を丸め込もう』という“意図”はない。


 何が本当で、解釈がどこまで当たっているのか、自分にも分からなくなってしまう。


 ええい、分からないなら直接聞いてしまえ。


「とぼけたことを言う。本当は私を置いていくつもりだった」

「はい……? いえいえいえ! そんなつもりは……ちょっとはありましたけれど、それはあくまで、もしもの場合です。“飾り”を使うときと同じで、もしものことが起こりうるのです。上手くいけば……ああ、話が大成功しても大失敗してもダメなのでした。大方の予想どおりの、そこそこ失敗という結果になったならば、ちゃんと迎えに戻ります」


 第三のアンデッドは焦るあまりに説明がしどろもどろになっている。


 自分で温めていた計画を失敗させたい? しかも、大失敗ではなく、ほどほどの失敗に持っていきたい、と。


 失敗したがって失敗するならば、それはむしろ成功なのでは?


 不可解アンデッドは混乱したからといって氷解アンデッドになることはなかった。


 それはさておき、私の解釈とは違って、第三のアンデッドはあの橋台に戻ってくるつもりがあったようだ、それなりに。


 大失敗したら戻ってこられないのはなんとなく了解可能だ。しかし、大成功しても戻ってこられないのは合点がいかない。


 この偏り著しいアンデッドに物事をほどほどの良い按配に帰着させる能力はない。必ず極端な結果を生む。断言していい。


 もちろん私も決してそういった高度なバランス感覚を求められる采配を得意としているわけではないが、取り成しに極めて長けているアリステルをずっと見てきたのだ。偏向アンデッドよりは上手くやれるはずだ。


「それなら、上手くいくように手伝いたい。仲間なんだから」


 助力の意向という私のありがたい御言(みこと)に、ルカは分かりやすく狼狽(ろうばい)して悩む。


「この先にあるのは()の秘密です。私は言いましたよね。出自を探ろうとするな、と。あなたは秘密を知ったならば、いずれそのことを“故郷”で報告するでしょう。あなたはともかく、国という得体のしれないものは、私が相手取るにはあまりにも大きく悪意に満ちていて厄介なものなのです。知りさえしなければ、そういう問題とはお互いに無縁でいられます」

「ということは、秘密を守ることと置いて行こうとしたこと、二つ分の貸しになる。ひとつは、これからあなたたちの意向に完全にはそぐわないかたちで秘密を知ることで相殺にしておくから、もうひとつは後でたっぷりと誠意を込めて返して」

「いえいえ、ダメですよ。お願いですから……。あっ、ひょっとして、あの場所が嫌なのですか。湿っぽい所ですものね。考えが及びませんでした。でしたら、ここで待つのはどうでしょう。星明かりに照らされた庭の眺めは悪いものではありません。虫の音も美しい彩りを添えてくれています。リーン、リーン」


 リーンリーンアンデッドが盛大に焦る様は正直、見ていてちょっとだけ面白い。


 しかし、クールな私は笑わない。笑ってはいけない。険相を保ったまま、もう一押(ひとお)しする。


「ここで私に騒がれると、あなたたちも困ったことに――」


 ルカは、私の金の一言を無視してバッと身を翻し、閉ざされたままの玄関扉を見て言う。


「もう起き出してきた。……見込みが甘かった。事前に説明しておくべきだった」


 またもや()の言葉遣いが出ている。これでもう数えて四度目だ。


 時に、焦りの度合いの明瞭な指標となってくれるものではあるが、私の前でくらい、普段から喋りやすい喋り方で話せばいいのに。


「仕方がありません。それでは一緒に中に入ることを許可します。ただし、仲間ではなく、道具として私の役に立つためです。絶対に私の指示に逆らわないでください。状況によっては、本当にあなたを手に掛けなければならなくなります」


 偽装魔法(コンシステント)切れ、邸宅の中でリリーバーの思惑とは独立した動きがあることなど、各種の要因が第三のアンデッドを焦らせ、私に味方してくれた。


 別に私は秘密を暴き立てに来たのではない。約束を果たす前に置き去りにされたくなかっただけだ。


 秘密にしてほしいと言われたならば、“仲間”にだって漏らすつもりはない。


 それに、第三のアンデッドは、『ここに出自の秘密がある』と言った。しかも、この者たちは過去の記憶が不完全だ。


 これは、若干私の願望も混じったことなのだが、ここで私の能力は、第三のアンデッドの予想や期待を超え、記憶の復活に役立つかもしれない。なかなかそう上手くはいかないだろうが、それなりに果たせる役目はあるはずだ。


 第三のアンデッドたちは私の申し出を()()すると、玄関扉に近付いて、そのまま開ける。


 既に錠が破られていた扉は抵抗なく侵入者を受け入れる。


 中へ入っていくリリーバー一行に私も急いで続く。遅れて閉め出されては(たま)らない。




 星の光が届かぬ建物内、扉が閉まると、灯りを(とも)さないことにはヒトの目だと何も見えない。しかし、ここには最初から灯りがあった。


 邸宅内、正面玄関から入ってそのまま吹き抜けが広がっている。そして、階段の上、二階部分に一挺(いっちょう)の灯りを提げた人間がひとり、立ってこちらを見下ろしている。


 その人間が、吹き抜けの階段をゆっくりと下りてくる。


 近付くにつれて、それが女性であると分かる。不安定な灯りしかないので判然としないが、年齢的には低く見積もると壮年期後半、高く見積もると中年期の中ほど、といった相貌をしている。


 女はしっかりとした装備に身を包んでいる。目を覚ましたのが一〇秒、二〇秒前ということはないはずだ。左手にはランタンを提げ、右手には武器を持っている。


 あれは打棍だ。ここはマディオフなのだから、大方、紅炎教の修道士なのだろう。


 目を覚ました理由は、単純に不法侵入者に気が付いたのか、はたまた魔道具か何かの力でアンデッドの存在を報知されたのか。とにかく、異常事態発生を承知したうえで戦闘準備を整え、この場に現れている。


 第三のアンデッドは、『人に会う』と言っていた。この女を倒した先に、目的の人物がいる。


 ……本当にそうなのだろうか?


『大成功しても、大失敗してもダメ』とも言っていたのだから、ひょっとすると……。




 女は両目でこちらを厳しく見据えている。一対九だというのに数的不利に怖気づく様子は一切無い。


 階段を下りきると灯りを床に下ろし、両手で打棍を構えて口を開く。


「今度は確実に滅ぼす、アンデッド」


『今度』とは、いかなる意味を持つ。


 リリーバーは、私の傍を離れていた十分前後の間に女と一戦を交えたのだろうか。その割に、この空間には争いの形跡が無い。両者は別の場所で戦った?


「今日はあなたとお話しに来ました。でも、黙って話を聞いてくれる様子ではありませんね」


 ルカがそう言うと、リリーバーに三人いる新種のアンデッドのひとり、ノエルが一歩前に進み出る。


「全力のあなたに勝ちたいと前から思っていました。そして、これがその最後の機会になるでしょう。こちらからは、このひとりだけがお相手を致します。我々は他に誰も手出ししませんので、ご安心を」

「好都合だ。全員順番に滅ぼしてやる」


 女が闘衣を纏い始める。


 立ち姿の美しさから何となくは分かっていた。闘衣を見て自分の直感の正しさを認識する。


 この女、かなり強い。


 ルカが横から私をつつく。


「マジックライトを二箇所ほど」


 求められるがまま、空間の左右の壁にマジックライトを飛ばす。


 壁に(とも)されたマジックライトと女が床に降ろしたランタンの光で、この場所がそれなりに広いと分かる。玄関からそのまま広がる小広間、といったところか。


 外観に劣らず、内装にも趣向が凝らされている。


 女の緊張感を遮るかのようにルカが説明する。


()()()のファイアボルトと違い、火の出ないただの明かりです。ヒトにこの暗闇は闘い辛いでしょう?」


 第三のアンデッドに女をからかう“意図”はない。純粋に光の安全性を説いただけだ。しかし、女には挑発と受け取られたようだ。


 女は整った双眉の端を吊り上げると、まだ構えすら取っていないノエルに瞬時に詰め寄って武器を振り下ろす。


 振り下ろしは、重量武器たる打棍の重さをまるで感じさせない、凄まじい速度だ。


 抜剣もしておらず、避けることしかできないはずのノエルは、鈍い金属音を響かせて打棍を受け止める。


 女は初撃を止められても、返す打棍で下方向から第二撃を繰り出す。


 打棍にはこれがある。両手剣とは切り返しや変化が全く違う。


 ノエルはサイドステップで打棍を躱してから改めて後方へ跳び、女から一旦距離を取る。


 ノエルはいつの間にか右手に小剣を持っていた。


 打棍の初撃は、あの小剣で防いだのだ。なるほど、抜剣も速いはずだ。


 あんな小剣は初めて見る。一撃の重みと間合いに優れる打棍に対して、いつもの長剣ではなく、細く短い小剣を選ぶ理由とはいかに。


 それほど名のある剣なのだろうか。


 女は間を取られることをよしとせず、すぐに距離を詰めて技を繰り出す。ノエルは躱したり受けたりしながら女の攻撃を捌き続ける。


 ノエルは、これまでに見せたことがない奇妙な体重移動でヌルリ、ヌルリと身体を動かす。


 横に避けたり、後ろに下がったりして打撃の大半を躱し、いなし、それでも無理な技が出てくると、今度は重心をヌルリと前に揺らし、小剣で打棍を受け止める。


 不自然かつ癖のあるノエルの動きの“意図”を小妖精は逃さない。


 ノエルは武器破損を案じている。小剣が折れてしまわぬよう、打棍の真芯を食わずに打撃を受け止めるために複雑に重心をズラし、結果として軟体動物のような癖のある動きをしている。


 重い打棍の撃力を受けるのに、こちらの武器の長さはこの際、重要ではない。必要となるのは武器の太さや厚みだ。


 ところが、ノエルの持つ小剣は細く、薄く、打棍とぶつかり合うと簡単に折れてしまいそうな華奢な見た目をしている。


 小剣と打棍がぶつかり合って奏でる鏗然(こうぜん)の調べも小剣の軽さを如実に表している。


 武器破損を心配するのも当然だ。


 そうと分かっていながら、なぜノエルは小剣を選択したのだろう。


 初撃の防御に長剣を抜く暇は無かったにせよ、それ以降はまた話が別だ。


 女は手を休めずに連続して技を繰り出しているが、重量武器である打棍を扱うがゆえに、構え直しや体勢の整え直しの僅かな隙が幾度となく生まれる。


 それに合わせてノエルが大きめにバックステップするだけで、武器を長剣に持ち替えるだけの余裕は十分に生まれる。


 ノエルは訳あって小剣を選択し、そしてそれがゆえに、武器破損のおそれを抱きながら女と相対している。一体どんな理由があって……。


 一見すると、ノエルに不利な戦いだ。ただ、ノエルは自分から手を繰り出していない。


 打棍が武器特性としていかに変化に富んでいようとも、その気になれば手数は小剣のほうが圧倒的に多く繰り出せる。打棍の一撃を防げば、二の手はノエルのほうが早く撃てるはずなのだ。


 ノエルが攻めに転じれば闘いはすぐに終わるはずなのにノエルは躱し、いなし、防ぐばかりで一向に攻める手を撃たない。


 ノエルは女に怪我を負わせることなく闘いに勝とうとしている。


 小妖精の助けを借りずとも、それくらいは見当がつく。


 相手からの攻撃を防ぐのに苦しんでいる状況で反撃せずに勝つ。そんな芸当ができるのだろうか。


 数手に一手、ノエルは打棍を躱すもいなすもできずに小剣で受け止めざるをえない状況がでてくる。


 女が今繰り出した一撃も、体勢的な問題で躱すことができず、小剣での防御を選択する。


 問題なく受け切れるように思われたが、小剣は乾いた音を立てて折れてしまう。


 防げていたはずの打棍は、小剣を折った分だけ僅かに勢いを失うものの、それでもなお残った大きな運動量でノエルの腕ごと身体を激しく打った。


 打棍の力を身に受けたノエルは壁に向かって弾き飛ばされる。


 そのままノエルの身体が壁に叩きつけられる……などということはなく、ノエルは壁の直前で身を捻り、音もなく壁に着地した。


 恒例のスキル、“壁登り”だ。


 女は壁に張り付くノエルを見ても戸惑いも怯みもせず、すぐさま追撃をかける。


 ノエルは爬虫類のように壁をスルスルと登り、食らいつく女の一撃を難なく躱す。そして、二階の床よりも高くまで登ると、壁に直立して女を見下ろし始めた。


 女はギリリと歯軋(はぎし)りし、怒りと憎しみの籠もった声で()える。


「上へ行ったところで、もう子供はいないぞ!」


 女の台詞の意味をどう受け取ったのか、ノエルは壁を蹴って小広間の真ん中に飛び降りた。


『もう』とは、どういう意味だ。私が駆けつける前に交えた一戦では、戦場の上方で子供が戦闘現場を眺めていたのか?


 断片的な情報では、女とリリーバーとの関係性が一向に見えてこない。


 剣を折られたノエルは、新しい武器を構えることもなく、無手(むて)のまま両手を広げ、まるで人を抱き入れようとするかのような姿勢を取っている。


 無手でも女の攻撃に対応する自信があるようで、『これで決める』という“意図”が籠もっている。


 これで戦っているのが膂力も魔力も圧倒的なシーワであれば、武器に頼らず女を制圧する絵が容易に浮かぶ。しかし、ノエルでもそれができるものだろうか?


 この女は強い。おそらく、私と同程度の戦闘力がある。


 私が女と戦うことを想定してみると、剣と打棍という武器の差から私がやや不利だ。間合いの取り合いに失敗すれば、私に勝ち目はない。


 対するノエルは、リリーバーの中だとかなり弱い。ルカを除けば最弱なのがノエルだ。それが今までの私の心像だった。


 ところが、今のノエルは全く違う。戦い方からして、これまでのノエルではない。癖と断じるには強すぎる癖がありながらも、キレも持ち合わせた動きを見せている。


 おそらく、今までは敢えて癖を抑えていた。


 癖を無理に抑えずに本来の戦い方をすれば、これくらいは強かったということだ。それでも、無手でこの女を倒せるか、と言われると、正直確信が持てない。


 これで女が一方的に負かされた日には、私も無手のノエルに勝ち目が無いということになる。


 ラシードも腕が無かった頃の二脚(ニグン)に成す術なく負けていた。


 私は、筋肉教第一信徒とは異なる、知性ある戦い方で食らいつきたいところだが、こうやって横から戦いを眺めていても、自分だったらこうやって勝つ、という攻略法がパッと思い浮かばない。


 いずれにしろ、すぐに結果は分かる。


 ノエルはこれで決める気だ。武器を持たない、ということは、関節技や寝技に持ち込むつもりかもしれない。


 一見すると隙だらけの大胆不敵なノエルの立ち姿を見てほんの少しだけ動きの止まっていた女が、再び動き出す。


 女はどこまでノエルの次なる手を読んでいるのだろう。あるいは、ノエルの思惑など顧みずにただ自分の攻め手しか考えていないのか、躊躇いも遠慮もまるでなしに、勢いよく間合いを詰めていく。


 女は自分の間合いの一歩前で、打棍を頭上で振り回すように大きく予備動作を取る。


 最短距離で打棍を繰り出してきた今までとは違う、隙こそ大きいが遠心力と速度の乗った、この戦闘で最大の一撃を見舞わんとしている。


 女の上で一回転した打棍が回転高度を一気に下げ、横回転の振り回しとしてノエルに襲いかかる。


 打棍の軌道はかなり低い。これだけ低いと、上体を捻った程度でノエルが打棍を躱すのは無理だ。しかもノエルには打棍を受ける武器が無い。


 必然、後方か上方に跳ねて逃げるしかない。


 だが、私の思い描いた展開が目の前に広がることはなかった。


 ノエルは後ろも上も選ばなかった。


 ノエルは下に避けた。


 身体を動かすとき、上方向や横方向は、瞬発力次第でいくらでも速く動くことができる。しかし、下方向だけは無理だ。重力に従ってしか、下方向へは加速できない。


 そんな万物の法則、絶対的な原理に逆らうかの如く、ノエルは下方に鋭く加速し、避けられるはずのない地面擦れ擦れの極わずかな空間に身を伏せて打棍を躱しきった。


 回避されるはずのない方向に打棍を回避された女から、狼狽の声が漏れる。とはいえ、それも一瞬であり、すぐに次の打棍の技を繰り出そうとするものの、渾身の一撃が持つ打棍の勢いは女の身体の自由を奪う。


 次の打を撃つには、一旦打棍を振り切ってから身体の軸に引き戻さなければならない。


 その一瞬をノエルは逃さない。低く伏せた姿勢から飛び跳ねるように女の懐に入り込むと、伸ばした片手でまだ戻しきれていない女の打棍の柄を掴んだ。


 相手の武器の奪取。


 ノエルはこれを狙っていたのだ。




 もうノエルの勝ちだ。


 浅はかにも私はそう見切りをつけた。




 女は諦めていなかった。


 掴み合いとなった打棍を即座に手放し、魔力の籠もった拳打をノエルの顔面に叩き込む。腰の入った全力の一撃、素手で放つ聖なる強撃(ホーリーバッシュ)だ。


 完璧に入った。


 アンデッドの身体にとって、あれは痛恨打だ。生者で言うならば、紛うことなき致命的損傷(クリティカルヒット)である。




 剣を折られて打棍の一撃を食らった時と同様にノエルは後ろに吹っ飛ばされる。私はそう思った。


 けれども、瞬間的に私の脳裏に浮かんだ未来像はまたしても外れる。


 顔面に強烈な聖拳打を受けたというのに、ノエルはよろめきすらせず黙って立っていた。ただの一歩も後じさらず、聖なる強撃(ホーリーバッシュ)を完全に耐えた。


 ここまで一度も退くことなく、前へ前へと攻め続けてきた女は、聖属性攻撃を受けても平然と立つノエルを見て、初めて後ろに数歩下がる。


 今度こそ……今度こそノエルの勝ちだ。女は無手、ノエルは女が持っていた打棍を持っている。




 ノエルは左手で殴られた顔面を押さえながら右手に奪った打棍へ視線を落とすと、打棍に闘衣を纏わせていく。


 握り部分から打棍の両端へ向かって闘衣がジリジリと伸びる。時間をかけて好物を味わうかのような、緩慢な伸び方だ。


 この鈍い闘衣の伸びには、いかにも特別な“意図”があってよさそうなものだというのに、小妖精は何も“意図”を私に伝えてこない。


 シンと静まり返った小広間に声が響く。


「使用者の意思を汲み取ろうとするかのように素直に魔力の流れる素晴らしい一柄、アンデッドには恐ろしい一柄です」


 声のもたらす尋常ならざる圧力が、グシャリとエグみのある音を立てて私の胸を押し潰す。


 潰れてしまい、息すら吸えない胸で私は考える。


 今、喋ったのは誰だ?


 それは、この小広間には居ないはずの、低い男の声だった。


 ランタンの灯りとマジックライトに照らされ、複雑に影を作る女の表情が歪んだまま凍り付く。


 ノエルは女と距離を取るように歩き出す。小広間の中心まで戻って足を止めると、今度はルカがノエルの下へ歩み寄っていき、ノエルの死面(デスマスク)に手を伸ばす。


 死面(デスマスク)は女に殴られたことでヒビ割れ、一部が欠けていた。偽装魔法(コンシステント)だけではなく、変装魔法(ディスガイズ)もいつの間にか効力が切れていた。


 私たちアリステル班は、ノエルの素顔、下半分を一度だけ見たことがある。


 あれは、オルシネーヴァから帰還する日のこと、場所はジバクマとの旧国境線付近だった。


 ポーラを救うために髑髏仮面の下半分を外して、一瞬だけ晒されたノエルの顔は血の気が無く、不気味に濁ったアンデッドの肌を持っていた。


 ルカは今、再びそれを晒そうとしている。




 下を向いてルカに死面(デスマスク)を外してもらったノエルが顔を上げて女を正面に見る。


 変装魔法(ディスガイズ)が効力を失い、死面(デスマスク)を外し、顔の全てを見せたノエルは、もうノエルではなかった。


 ()が宣言する。


「私の勝ちです、お母様」


 肌には間違いなく血が通い、生気に満ち、両眼は不遜なまでにギラギラと自信に溢れた白く怪しい輝きを放っている。


 かつてジバクマに一度だけ師と共に姿を現し、オルシネーヴァの卑劣な奇襲から私たち姉弟を守ってくれたエルキンスが、そこにいた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] まじか、アールはノエルやったんか。ニグンは魔力量が低いからミスリードの可能性があると思ってたが、、、
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ