六十 志七郎、限界を感じ希望が推参する事
再び起き上がってきた生き屍に拳を叩き込み弾き飛ばす。
生き屍は動きも遅く行動パターンも単調で、稀にイレギュラーな動きをする者が出る事があるが、気を抜かなければどうと言う事も無い。
状況が安定してくれば氣が尽きるまでそれを繰り返すだけで、殆どモグラたたきと変わらない。
ただそれが何時まで続くのか、何時まで続けていけば良いのかが解らない為、気を抜かないと言う事自体が難しいのかも知れない。
「志七郎様、そろそろ代わります」
そんな事を思える位なのだから俺も気が抜け始めていたのだろう、鈴木がそう言いながらやって来た。
「ああ、頼む」
短くそう答えて跳び退る、こうして入れ替わり立ち代わり戦いを続けてもうどれ位の時間が経っただろうか。
俺達が此処に辿り着いた時点ではまだ高い位置に有ったはずの日も最早落ち、辺りは夕闇に閉されている。
日が暮れ始めた当初、夜の闇に紛れ陰に覆われた生き屍を見落とすのではないかと、心配もしたのだが闇の中に有って尚、黒い輝きとでも表現すれば良いのだろうか、蠢く陰その姿を見誤る事は無かった。
聞いていた通り、徐々に本当に少しずつでは有るが立ち上がる屍の数は減ってきたが、一匹を覆う陰を散らす為に必要な氣はそれに反比例して大きくなっている。
今はまだうちの藩士もこの場に居た鬼斬り者も、なんとかかんとか戦えているが、この分ではさほど遠くない内に一撃で倒せない者が出てくるだろう。
その場合でも数名でほぼ同時に氣を叩き込めばなんとかなるらしいのだが、そうなれば今以上にローテーションが厳しく成るのは目に見えている。
いい加減何か手を打たないとジリ貧だと思うのだが、それを判断するべき父上も義二郎兄上も、そしてその二人に意見する事が出来る立場の笹葉も一郎翁すらもが何も言わない以上、少なくとも我が藩の人間はその方針に従う他有りはしない。
そんな事を思いながらも陣中へと戻り、一息付くため腰を下ろす。
先程まで死屍累々と言った様子だったその場も、智香子姉上が霊薬を出し惜しみする事無く大盤振る舞いしたお陰も有ってほぼ全ての人員が戦線に復帰し、今横たわっているのは霊刀持ちの笹葉一人だけである。
彼も決して手傷を受け倒れた訳ではない、一郎翁という例外を除けばこの場に居る最高齢、己の歳の数より多くの生き屍をその霊刀で切り捨てたものの、寄る年波には勝てなかったらしく、腰を痛めつい先程戦線離脱してきたのだ。
剣戟響く戦場で一際高い破滅の音が、俺の居た後方でも聞こえたのだから重症と言う他無いだろう。
「うぬぬ……まさかこの様な大切な場で腰をやってしまうとは……一生の不覚」
俺もぎっくり腰は前世に経験した事があるが、激痛で息をすることすら難しい中で、そう口にした彼は口惜しい事この上ない、と言った様子がありありと見えた。
担い手がそんな状況では、当然霊刀は遊んでいる状態となっているのだが、残念ながらこれを有効活用する事は出来ないらしい。
神器や霊刀という物は基本的に神により授けらる物で、授けられた本人とその直系卑属以外は振るう事が許されないのだそうだ。
当然緊急時である今はそんな事を言っているべき時では無い、と思ったのだが流石は刀と術の幻想世界、資格の無い物がそれを手にした所でその効果を示さないだけではなく氣を吸われ立つ事すら出来なくなると言う話だ。
そして笹葉の子供や孫は国元で江戸には居ない。つまりはそれを振るう事が出来る者はこの場に居ないという事になる。
無論、貴重な戦力だし姉上の霊薬で直ぐに戦線復帰させるのかと思いきや、
「霊薬は売り切れなのー! 後は普通の薬しか無いのー。湿布貼っとくから大人しく寝てるのー。他の皆も怪我しないように気を付けるの―!」
との事だった。
その姉上の言葉を聞き、俺は自分の腰にぶら下がった印籠を思い出した。
「姉上、これは使えないのですか?」
「あー、志七郎君に持たせたのは『治癒丸』なのー。軽い怪我なら直ぐに良くなるけど、爺様位重症だと直ぐにぶり返すから意味無いの―。あ、でも痛み止め程度にゃなるの」
そう言われ、痛み止めでも無いよりはマシだろうと笹葉に霊薬を飲ませるべく歩み寄る、がしかしである。
「一等弱い物と言えども、貴重な霊薬。戦線復帰の目処も立たぬワシが口にして良いものでは有りませぬ。それがあれば救える者、戦える者に与えるべきで御座る」
と、本人に固辞されてしまってはしょうがない、なので霊薬の使い道、使い所をよく知っている姉上に渡そうかとも思ったのだが、彼女は彼女で。
「さーて、そろそろあっしも出張るかなのー。今宵の術砲は血に餓えてるのー!」
と、物騒な事を言いながら入万巾着から、前世で言うところのグレネードランチャーの様な武器を取り出し前線へと上がっていってしまった。
「志七郎様も、少しでもお休み下さいませ。なぁに一夜丸々掛かる話では有りませぬ。もうしばらくの辛抱ですじゃ」
痛みに顔を歪めながらもそう言う笹葉の言葉に従い、俺は再び腰を下ろしただ静かに氣の巡りが回復するのを待つ事にした。
更にそれから二度、入れ替わりに俺が前線へと立った頃だ。
生き屍の数は目に見えて減ってきたのだが、俺の一撃では最早陰を散らす事は出来なくなっていた。
それが未だにできているのは仁一郎、義二郎二人の兄上と礼子姉上、鈴木親子と僅か五人、もう一人の神器持ちである芹澤も疲労困憊と言った様子で戦力として数える事はできない状況だ。
信三郎兄上は打ち止めの無い術者、とは言われても流石にこれだけの長時間、呪を唱え続けるのは無理が有ったのだろう喉が枯れてしまい、まともに声すら出せない状態である。
もう一人の術者、とされた智香子姉上もその手にした術砲と言う武器や、以前も使った所を見たことのある閃光爆裂弾等様々な術具を使い大暴れしたものの、今はもう弾薬切れらしく陣中で大人しくしている。
それでも力が足りない者は複数で力を合わせ、なんとか凌いで居るのが現場である。
戦況はどう考えても悪いこの状況、もう駄目だと考える者が出ても仕方がない、そんな事を思ったその時だった。
「やぁやぁ、遠くの者は音に聞けい。近くの者は目にも見よ! 人間ども未だ生きておるかニャ! 根子ヶ岳の猫王様の命により、征鼠小将禰古末長斑目以下三十二匹、助太刀に参った!」
「猫又如きに先を越されるな! 御影山山犬衆白尾以下四十頭、義により御助力致す」
「犬猫や毛無猿だけがこの地に住まうでないわ! 多麻ヶ丘の狸狢連合、源太郎たぬ吉以下三十六頭、屍繰り討伐に推して参る」
と、雄々しい叫び声が次々と聞こえて来たのだ。
その言葉が聞こえて来た方を見やれば、蠢く陰の更にその向こう、大きな猫に跨った鎧兜に槍を手にした猫達が、同じく大きな犬達が、着流し姿に刀を手にした狸達がそこに居た。
「屍繰りは生きとし生けるもの、全ての敵。貴殿らの助太刀、猪山藩藩主、猪河四十郎、江戸州に住まう全ての人間に成り代わり御礼申し上げる!」
彼らが来る事を父上は事前に知っていたのだろう、ほんの一欠片の動揺も見せずにそう礼を述べた。
「にゃんの、にゃんの」
「屍繰りを放っておけば、我が御蔭山も安寧では居られぬ」
「それは多麻ヶ丘も同じこと、相身互いと言うものだ」
「「「いざ! 参る」」」
援軍は来ないが応援は来る、兄上の言葉はこういう意味だったのか。




