三百二十一 三狸、猫侍の正体を暴く事
前話にて「陸龍島」を「六龍島」と表記を改めました、混乱を生じますれば誠に申し訳有りません。
徹島の猫神――猫柳黒之助の言に拠れば、この島から然程離れていない場所に有る六龍島という場所は、この世界の猫又達の一部が余生を過ごすのに集まった言うならば『猫又の老人ホーム』とでも言うべき場所なのだそうだ。
表向き百に届かない程度の人間が暮らしている事には成っているそうだが、実の所それらも猫又が化けた者で有り、実質的には人っ子一人住まぬ無人島らしい。
本来ならばその島に定期航路など必要無い筈なのだが、便利な生活に慣れてしまえばその生活レベルを落とす事が容易では無いのは猫又でも同じ事らしく、完全に人間世界との交流を断絶する様な事はしていないと言う。
『今更、野性動物の様な生活なんて、かったるくてやってられっか』
と言うのは、この島へ来た旅猫又『先代、沙蘭』の言葉らしい。
本来旅猫又は、一所に定住せぬが故に旅猫又なのだが、彼はこの世界は疎か近隣世界、それこそ地獄の果てまでも余す所なく踏破し尽くしたと豪語しており、この島へと来たのが最後の旅だと語ったそうだ。
「旅に飽いたが故に、弟子の一人に名を譲り其処で余生を過ごす、とそう言うて居ったわ。なんでもその島には良い湯場が有るらしくてな、長旅で疲れた身体を癒すには良い場所だと言うておったわ」
そう言う猫柳様は何処か羨まし気で、溜息にも似た気鬱げに息を吐き、
「此処にこうして座り続けて早、三百年……偶には湯に浸かってゆっくり休みたい物で御座る……。と、そうだの……紹介状をくれてやるのに一つ条件を出そうか……」
さも良い事を思い付いたと言わんばかりの笑みを浮かべ、そう言い放つ。
喉を鳴らして唾を呑み込んだのは、ポン吉か芝右衛門かそれとも俺自身か、その笑みは俺達にとって何か途方も無く不吉な物を感じさせる物だった。
「硬ってぇ……ガチで石見たいにガッチガチじゃねぇか……」
「こ、れ、を、揉み解すのは……一寸……所じゃ無く……骨……だね」
大太刀から手を離し畔の草場に横たわった猫柳様の、腰と肩を二人がかりで揉み解す。
「これは、キツイ。長くは保たないぞ……」
代わって大太刀を――その下に居ると言う竜を押さえるえるのは俺の役目なのだが、大妖怪と言うには十分な格の化け物だからこそ、無造作に座ったままでもソレが出来たのだろうが……
そこから伝わる妖力の脈動は、全身の氣を振り絞らねばあっと言う間も無く
弾き飛ばされそうだ。
考えてみればこの島は明らかな火山島、地図や書物に突然現れたと言うのも、海底火山の噴火の結果出来たと考えれば、別段不思議な話では無い。
と成れば、彼が打ち倒し封じ続けている火竜と言うのは、どう考えても火山の化身そのものだ。
ソレを超常の力が扱えるとは言え、一人の人間が押さえ込むなんてのは、無理無茶無謀としか言い様が無い。
「お……おお、そこ! そこだ! うにゃぁぁぁあああ! くぅぅぅ……、この島に居る猫魔共は化ける事は出来ぬし、並の人間では此処へと辿り着く事も出来ぬからの……にゃぁぁぁん! そこ……そこぉ!」
必死で押さえ込む俺を他所に、先程までの中年男性の物と思しき物とは違う、丸で若い娘が上げる様な嬌声を漏らす。
その身を覆う着物も黒い裃から、色艶やかな振り袖姿に変わっている。
先程とは別の意味で唾を嚥下する音が聞こえたが、今度は胸を張って俺では無いと断言出来た。
「歳経た妖怪に性別をどうこう言うのは不毛だって事位は俺だって知ってるけどよ……、相棒が妙な気を起こしても困る。頼んますから、男のままで揉まれてくんねぇかな」
黒い毛皮に覆われていたその顔も多少獣の相は残っている物の、艷やかな張りの有る肌へと変わり、軽く紅潮した頬も酷く艶めかしく見える。
「ちょ!? 妙な気を起こし掛けてるのはポン吉の方だろう!?」
お互いに押し付け合う様にそう言い合うが、端から見れば二人がかりで猫耳和装の少女を押し倒している様にしか見えない。
「どっちでも言いから、真面目にやって来れ! 此方は本気でキツいんだから! 俺が力尽きたら噴火するぞ間違い無く!」
相変わらず陰る事のない木漏れ日の中、俺がそんな叫び声を上げたのはきっと仕様が無い事だった筈だ。
流石に『噴火』と言う言葉に顔色を変えた二人は、色々と萎れた様子で手を動かし続けるのだった。
「んー! にゃぁぁぁあ! 久し振りに腰と肩が軽いにゃあ。これでまた暫く座ったままでも耐えられそうで御座るにゃ」
時間の流れが曖昧な此処ではどれ程の時間が経ったのか解らないが、彼――或いは彼女が、伸びをしながらそんな声を上げたのは、二度程氣が尽きかけ自動印籠に入った氣を回復する霊薬『補氣丸』を消費し、そろそろ三つ目が発動するかと言う頃だった。
「さて……そろそろ代わるにゃ。異界の出とは言え、人間がこれ程長い間押さえれるとはにゃ! それほどの氣を扱えるにゃら、界渡りも無謀な夢って訳でもなさそうで御座るにゃ」
確かめる様に肩と首を回し、想像以上に楽に動く様に成ったそれらに嬉しそうに微笑みながら、鈴を転がす様な愛らしい声でそう言いながら、一足飛びに再び岩の上へと移動する。
そして大太刀を抱きしめる様に撓垂れ掛り、その右手でしっかりと柄を握り締めた。
途端に負荷が消え、俺の役目が終わった事を知り……
「ふぅ……っと! どわっ!」
安心して手を離せば足腰から力が抜け岩から転げ落ちた俺は、水音を響かせ池へと落ちる。
とは言え、大人の膝丈程度の深さしか無いこの池で溺れる様な事は無く、多少鼻に水が入った程度で済んだ。
水を掻き分け岸へと辿り着き振り返って見れば、岩の上には此処に来た当初の黒い侍では無く、睦姉上に良く似た猫の姫君が微笑んでいた。
「んー! 此方の姿の方が随分と楽で御座るにゃぁ。元々儂は雌猫、男児の姿の方が戦うにゃァ都合が良いから、と気にした事もにゃかったけれど……」
曰く、飼い主だった姫君の魂が宿った懐剣と、その思人の武士の魂の三本を自らの尾に取り込み彼女は、三股の化猫へと変じたのだと言う。
悪意と憎悪を呑んで死した『黒柳』と言う名の侍の、その『恨み』に侵されただ生きる者を斬るだけの魔物に成り下がる筈だったのを押し留めたのは、その姫君の魂だったのだそうだ。
結果、無辜の者を殺める事は無く、野盗や悪鬼の類を傷付けるに留まったが、他者の魂を喰う程に力を増し、強く成ればそれを喰らおうと言う者に襲われる。
それを繰り返して行った結果、この地で悪竜と戦う事に成ったのだそうだ。
本来の性に親しい今の姿を取るのは化猫に変じて以来初めての事で、戦うので無ければ此方の方が余裕が有るらしい。
鼻歌混じりに左手で宙を掻くと、其処には一通の折封が現れ、それを送り出す様に腕を振れば、俺の胸目掛けて飛んで来る。
そっと手を伸ばしそれを受け取ったその時だった。
「黒之助様! 御言付け通り雲丹アイス貰って来ました! これで頼みを聞いて下さいますね? って、黒之助様は何処へ!?」
ビニールの小袋を口にぶら下げた小松が、そう叫びながらやって来たのだ。
「ぬ……? おお!? すっかり忘れておった……うむ! 小松、お前の心意気確かに受け取った。今、界渡りの手助けをしてくれるであろう者への紹介状を渡した所で御座るにゃ!」
黒猫の顔から人に親しい顔に成った事で、読みやすく成ったその表情は明らかに慌て、誤魔化す様な物だった。




