千二百六十 想定外の事態を聞き青ざめる事
「ほぉ……富田藩骨川家の家訓や家風に付いて知りたいのか……親父がどんな悪巧みをしているのか、ソレを聞いた時点でピンと来たわ。まぁあの娘をお前の許嫁とした時点で大方の察しは付いて居たがな」
……政務の合間に茶を啜って居た父上に今朝考えて居た事を問うとそんな言葉が返ってくる。
どうやら御祖父様は父上にはっきりと話しを通して居ないらしい。
いやいや待て待て、俺には思いっ切り新年会の席で骨川強右衛門を断罪する手筈に成っていると言っていたのに、なんで父上がその話を知らないんだよ。
年が開ける前後にお連と俺の仮祝言を上げ、骨川筋右衛門の義息として義父の敵を討つ事を大義名分に掲げて富田藩へと攻め入る予定だった筈だ。
そうした儀式云々の準備を考えるならば既に藩を上げて動いてないと奇怪しい筈で、ソレを父上が把握して居ないと言うのは増々奇怪しな話である。
……待てよ? 考えて見れば豹堂家に婿に行った義二郎兄上の所には、何等かの正当な理由が無ければ、母上ですら孫の顔を気軽に見に行く事すら許されて居ない位には、火元国で家と家の垣根と言うのは大きなモノだ。
その事を考えると、富田藩を簒奪……奪還するに当たって猪山藩猪川家の全面的な支援と言うのは受けれないのではなかろうか?
強右衛門の暴虐的な圧政に関しては幕府も既に把握している事実では有るが、ソレを表立って告発する様な直訴状の類は出ていないと言う。
御祖父様は確かに猪山藩の人間では有るが所属という意味では、既に楽隠居の身分で猪山藩は勿論猪川家に関しても父上や母上へ忠告なんかは出来るとしても、最終的な決定権の類は一切無い事に成っている。
何等かの理由で父上も母上も、そして跡取りである仁一郎兄上も江戸に居ないなんて状況で有っても、御祖父様は飽く迄も先代様でしか無くその場合の決定権は江戸家老を引き継いだ笹葉が持つ事になるのだ。
その上で普段の御祖父様の生活や人間関係なんかを鑑みれば、彼は猪山藩の人間と言うよりは、幕府の……もっと言ってしまえば上様子飼いの特務員と言う見方も出来る。
と成ると、俺とお連の縁談もソコから連鎖する対富田藩への対応も、父上が主導した物では無く幕府の主導に依る物と言う事になるのだろうか?
だが俺とお連の武具を作る為に天目山へと向かう際に護衛役と成る者達を国許から呼んだ上に、ソレは手当を出しての雇入れでは無く労役と言う税の一種として来て貰っていた筈だ。
物納では無いとは言え税の取り立ては大名である父上の領分で、そこに嘴を突っ込む様な真似は幾ら御祖父様とて簡単に出来る事では無い。
「……また色々と考え込んでいる面をしとるが、お主が国盗りを為して大名と成るならば、その顔色に考えている事が出る癖は本当に何とかせんとイカンぞ。まぁ子供の頃よりは大分解り辛くは成ったが儂等の様に良く見知った中ならばまだまだ見抜ける」
交番勤務時代は兎も角として捜査四課に配属され課長にまで登り詰める頃には、鉄面皮とまで言われた位に表情を消す訓練は完璧に近い位に行って来た、剣道と並んで自信の有る技能だったと思う。
けれども生まれ変わってからは周りから見て面白い程に思っている事が表情に出る性質だった。
俺と言う中身入って居てソレなのだから、恐らく志七郎と言う少年は本来とても表情豊かな子供だったのだろう。
それを理解した上で意識的に表情を殺して居る筈なのだが、ソレでも子供の頃の様に何を考えているまで筒抜けには成らない物の『考え事をしているな』程度には表情の差で見抜けるらしい。
とは言えソレも身内だから解かる程度の物でしか無い様では有るが『大名に成るならば』と態々言った辺り、俺が富田藩を盗る事が出来た暁には他藩他家の者として利害が一致しない時には容赦しない……と言外に言っているのだろう。
「ソコまで察して居るならぶっちゃけて聞いてしまいますが、俺達が天目山へ行く際の動員に関してはどういう話に成っているんですか?」
血税と言う言葉を前世の報道機関が好んで使った通り、税と言うのは為政者が民から搾り取る血の様な物だ。
民主主義国家ならば其れ等は当然主権者足る国民の生活へと還元される様に、様々な政策の原資や俺達の様な公務員の給料として使われていた……実際の所は官々接待の様な無駄遣いが全く無かったと断言は出来ないが……建前としてはそう言う物である。
けれども火元国は民主主義と言う概念が外つ国には存在していると、知識層と呼べる様な者達ならば知って居ても不思議は無いが、極々普通の市井の者達までソレを知っているかと言われたら否と断言出来る、ソレくらいには政は御上の物と言う考えが根強い。
其の為、一般庶民は税は御上に取られる物だが、その代わりに領地や生活を武士が守ってくれると言う、前世の民主主義国家に生きて来た俺の感覚からすると前時代的な価値観のままに税を納めている者が大半である。
……とは言ったが、日本に限って言えば俺が生きていた時代も、割と多くの国民が『今の政治はけしからん』と言いつつ選挙にも行かず、只々体制の求めるままに生きていた者が大半ではなかろうか?
警察官なんかをやっていると、偶に『俺達の税金で食わして貰ってるクセに』と言った文句を言う者と遭遇する事が有るが、そう言う奴に限って大した額を納めてる訳では無いモノだった。
いや金額の多少で人を区別したり差別したりするつもりは無いが、俺達公務員だって普通に所得税の源泉徴収とか受けてたし、買い物すりゃ消費税やら煙草税やら酒税なんかを払うのも当然で極々普通の納税者だったぞ。
まぁ今思い返して見れば報道機関の過度な公務員叩きとでも言う様な報道姿勢は、色々な政治的な意図が有って行われていたモノなのだろう。
「アレに関しては確かに決済の花押は儂が書いたが、お清から頼まれたモノをそのまま右から左に流しただけで詳細に付いては聞いて居らん。彼奴からの書状だったが故に向き絡みの事と判断したまでよ」
奥向き……つまりは家政に関する事で有り、藩政からは切り離された部分の事と言う判断だったらしい。
此方の世界では税収は藩の財政と言う面で考えるのが普通では有るが、同時に藩の財政はそのまま大名家の財政でも有る。
故に何処ぞの独裁国家が国民が食べる物すら用意出来ない様な状況でも軍事費を阿呆程積み上げていく様に、筋右衛門がやらかしている放蕩三昧で家政どころか藩政まで傾ける様な真似をする事も出来てしまう訳だ。
いや馬鹿な大名一人の乱行で藩……要するに小国を一つ丸っと潰す口実に成る程の放蕩に比べたら、自国の体制を守ると言う大義名分が有るだけ軍事政権の方が未だマシかも知れない。
とは言え向こうの世界でも王族の何代にも渡る放蕩と度重なる戦争で、財政が逼迫したのを平民に対する重税で乗り切ろうとした結果仏蘭西革命が起こった事を考えると、税は民に還元する物と考えるべきなのだと思う。
革命の際に断頭台送りに成った王族には全く責任が無いとまでは言わないが、ソレまでに積み上げられた負債の大きさ故に犠牲に成ったと言う側面が強いと思うのは俺の私見だ。
……ただ彼等の次男がその後置かれた惨状や、その後の恐怖政治なんかを知って居れば『仏蘭西革命こそが素晴らしい民主主義の萌芽だ!』とは口が裂けても言えないとは思う。
実際、その後仏蘭西は大混乱の末、後に皇帝を名乗る者が軍事独裁政権を樹立した事で簒奪され、民主主義とは掛け離れた時代を再び迎えるのだから、当時の欧州に民主主義は未だ早すぎた産物だったのだ。
民主主義ってのは『全ての有権者に君主足り得る知見を求める』極めて難しい政治体制である。
つまり有権者全員に対して一定水準以上の教育が機能していなければ、報道機関の都合が良い様に扇動される可能性が極めて高いと言う事だ。
事実として一部の独裁国家では報道機関は政府の都合の良い事しか流さず、国際電子通信網に関しても強い検閲を入れる事で、国民には政府が常に正しいと言う情報しか与えない……と言う様な事を行っていたりする。
そうした国は対外的に自国が民主主義国家であると見せる為だけに、形だけの選挙はやっているふりをしていたりするので面倒臭い話だ。
ソコまでして民主主義国家を装う必要が有るのは、国際社会が民主主義こそ至高と言う価値観に染まって居るからなんだろう。
中には亜剌比亜首長国連邦の様に、専制君主制の延長線上に有る国も存在していたのだから、自分達が本当に正しいと思うのであれば民主主義の皮を被る必要は無かったと思うんだ。
「親父が上様と悪巧みをしているのは何時もの事だと流して居たが、どうやらソレも近々蹴りが着く様子じゃの。事が国盗りとも成ると御家の手勢から加勢する訳には行かぬ、ソレをすれば富田を猪山が併呑したと他の大名達は見るだろうからの」
猪山藩が一万石少々の小藩ながらに雄藩として名を馳せているのは、どんな功績が有っても加増や国替えを固辞し小藩のままで居続けたからである。
此処で父上の言う通り富田藩を併呑したと周りに見られたならば、今は友好的に接している他藩が政敵に回る可能性は限りなく高いと言う……つまり武勇に優れし猪山の有志達の力は借りれないと言う事だ。
え? なにそれ聞いて無いんですけど? いやいや、でも御祖父様の事だ、幕府主導での戦なら、それ相応の準備はしている筈……してるよね?
色々と想定とは違う話を聞かされ、俺は未だ幼いと言って間違いないだろう胃袋が悲鳴を上げ、急な腹痛に顔を青ざめさせるのだった。




