千二百五十七 朝の稽古で卑怯と経験に言及する事
下から上へと繰り出される斬撃を半歩だけ下がって綺麗に躱し、八相の構えからの袈裟斬りで反撃を加える。
最初の斬撃に使われた右の拐とは反対側に構えた左の拐がソレをしっかりと受け止めた。
手にした稽古用の木刀にはやはり稽古用の木拐を圧し折る事が十分に可能なだけの氣を込めたにも関わらず、こうして受け止められたと言う事は相手の得物にも十分な氣が込められているのと言う事だ。
だと言うのに全くと言って良い程に氣の起こりとでも言うべきモノが感じ取る事が出来ないのは、相対している相手が錬土業を修めた事で身体の外に必要以上の氣を漏らさない運用が完璧と言って良い状態で出来ているからだろう。
そんな事を考えている間にも右の拐が今度は横薙ぎに打ち払われ俺の胴を薙ぐ。
想定していた通りの動きであるが故に躱す事は容易いが、俺は敢えて当たる部分に氣を集め実戦ならば胴体を輪切りにされていても不思議では無い一撃を受け止める方向で動く。
今は違いに稽古であるが故に平服でのやり合いでは有るが、実戦を想定するならば当然双方共に防具を身に纏っているだろう。
十分に練り上げられた氣の込められた攻撃の前では、尋常な甲冑では意味を為さず、鎧諸共に真っ二つ……なんてのは此の世界ではよく有る事だ。
しかし相対しているのが相応の氣功使い同士ならば、当たる部分に氣を込める事で相殺し受け止める事自体は不可能では無い。
氣と言う超常の異能が有り、武器にも防具にも鬼や妖怪の素材が使われているこの世界では、余程防具の性能に自信が有る訳でも無ければ基本的には敵の攻撃は躱すモノだ。
所詮人間の身体は何処を切っても血が流れ、血が失われれば体力は削られ集中力も落ちて行く。
逆に斬撃は鎧で防ぐ事が出来るかも知れないが、相手が使っているのが殴打武器ならば、その衝撃は鎧で止まる事無く内側へと響いて確実に身体へと痛みを刻み込む。
故に『剛体法』等と呼ばれる相手の攻撃を受け止める事が前提の流派を修め、味方の盾となる事が戦いの前提と成っている様な者以外は、攻撃を食らわないのが基本なのだ。
けれどもソレとて時と場合に依る、食らって受け止める方がその後の攻防が有利になると判断したならば、鎧に氣を込めて攻撃を受けると言う事も選択肢の中に入るのである。
実際こっちが躱すであろう事を前提に動いて居た相手は、今の一撃が俺の胴体を強かに打ち付けたにも関わらず、痛打には成って居ない事に動揺した様子を見せていた。
「相手が何時も想定通りに動くとは限らないぞ! そら!」
そしてその動揺の隙を突いて俺は木刀を振るうでは無く、十分に氣を練り込んだ脚で前蹴り……所謂ヤクザキックとかケンカキックと言われる様な物を繰り出し、相手の身体を大きく後ろへと吹っ飛ばす。
今のは被害を与える為の蹴りでは無く相手の体勢を大きく崩す為の物だ。
吹っ飛んだ先で倒れる事こそ無かった物の、たたらを踏んで体勢を整え直す一手間が必要に成っている今の状況は此方にとって完全に有利な一瞬である。
当然そうなる事を想定していた俺は地面に付いている軸足から氣を放ち一足飛びに間合いを詰め直すと、大上段から隙だらけに成った頭部目掛けて木刀を振り下ろし、当たる直前で寸止めした。
「……参りました」
正直に言って氣の扱いだけならば、対戦相手だった志麻は俺よりも既に上と言って間違いないだろう。
けれども勝敗を別けたのは氣に依る能力の強化率では無く、純粋な武芸の腕前と対人戦での経験値の差だ。
「一年前とは完全に別物と言える程に氣の運用は大きく進歩たが、武芸の方はやはり俺に一日の長が有るな。想定を外された時の対応力は経験を詰んで身に着けるしか無いし、主君として家臣にそう簡単に遅れを取る訳にも行かないからな」
志麻は俺と同じく理性型の戦闘形式で、理性型同士の戦いは何手先を読むか何種類の手を読む事が出来るかが勝敗を決める、ある意味で囲碁や将棋の様な戦いになる。
今回の場合、志麻は俺の応手が読み手の中に無かったが故に、咄嗟に対応する事が出来ず無様を晒す羽目に成った訳だ。
とは言え武術武芸武道……だけじゃなくありとあらゆる芸事に置いて、自分よりも経験を詰んだ者に打ち勝つと言うのは並大抵の事では無い。
稀に高校から競技を初めたのに、小学生から同じ競技をしている者に勝つなんて言う天才様が、世の中に全く居ないと言う訳では無いが、ソレとてその日まで培って来た別の何かの経験が運良く生きただけの事が多いだろう。
中には本当に天稟と言うしか無い様な才能を持ったガチモンの天才様も居るだろうが、そんなのは他競技からの転向で元々の競技経験が生きたと言う案件に比べたら、ソレこそ何十年に一人の天才とか言う話に成ってくる。
残念ながら志麻は氣こそ特別な鍛錬無しで開眼した才能豊かな少年では有ったが、武術に関しては俺を圧倒的に上回る程に才能溢れていると言う訳では無かったらしい。
まぁソレでも全うに武術を学んだのは俺に仕える様に成ってからの事なので、短い鍛錬期間を鑑みれば十分過ぎる位に才能は有るだろう。
何せ俺は前世に学び三十年と言う月日を掛けて磨いた剣道と言う下地が有って、その上で此方の世界で積み上げた稽古と実戦経験があるのだ。
氣の練度の差である程度は詰め寄る事は出来るかも知れないが、簡単に覆される訳には行かない。
……大人気無いと笑わば笑え、だが真剣に稽古へ取り組んでいる者を相手取って手心を加えるのは相当に失礼な行為だし、こうしてしっかりと負かせた上で問題点を指摘してやる方が次に繋がる稽古になると俺は信じている。
「俺達の戦い方は詰将棋の様な物ってのは、多分御祖父様にも言われてるだろうが、ソレは攻勢に出た上で相手の選択肢を奪って行く事で詰みに持ち込むってのが大前提だ。自分が想定していた選択肢外の事をされた時は仕切り直しの一手を用意しておくのが良いぞ」
そう講釈を垂れる俺の場合、想定していた選択肢外の対応を相手が取った場合には、とにも角にも先ずは大きく距離を取る為に後方へと飛ぶ事を選択すると決めて居たりする訳だ。
何等かの理由で距離を取るのが難しい場合には、次点として口からの氣翔撃を可能ならば相手の顔面に向けて放つと言う方法を取る。
距離を取る事が出来ないと言う事は、相手に掴まれてるとかそう言う様な理由が想定出来る。
足の怪我と言う場合も有り得るが、単純な骨折程度ならば氣で無理矢理固定する事が出来なくも無いので、ソレが理由で後方への退避が出来ないと言う可能性は割と低い。
掴まれているならば振り解くなり、投げ技や関節技への移行も選択肢には入るが、其れ等を行うにせよ氣砲に依るゼロ距離射撃を想定している相手は、ソレこそ本物の角力取り位だろう。
幸運にも今まで前者は兎も角として後者を選択せざるを得ない様な状況に陥った事は無いが、想定しているだけでも中々に卑怯な手だと自分でも思う……が、卑怯なんて言葉は所詮は『死体が呟く寝言』でしか無いのだ。
卑怯な手口で負けて命を落とせば、相手を卑怯と罵る事すら出来やしない。
無論、帰りの道中でも言及したが卑怯な手で勝ったとしても、ソレが余人の口に登れば評判を落とす事に繋がる事も有るので使わないに越した事は無い、飽く迄も負けて死ぬよりはマシというだけだ。
「……良し、志七郎様、もう一本お願いします!」
俺の言葉を聞いて少しだけ考えた様子の志麻だったが、ソレを咀嚼し飲み込む事が出来た様子で、闘志の失われて居ない男の表情でそう言って再び構えを取る。
「うし、朝飯までもう少し時間は有るからな、何本でも付き合ってやるよ」
格下の者を甚振る趣味は無いが、若者の成長を促す為に稽古を付けるのは、前世から割と嫌いでは無かった。
同じ署の道場で新人として任官して来た者達に稽古を付けていた頃の事を思い出しながら、二間程の距離を取り此方も何時も通りの八相に構え直すのだった。




