千二百五十六 前世の艶本事情と衆道に纏わる事を言い訳する事
「本当に! 本当にこの方とお前様は衆道を嗜む関係と言う訳では無いのですね! 連にお手を付けなかったのもこの方に操を立てているとかそう言う事では無く、以前仰っていた成長の問題と言うのは嘘じゃないんですね!」
……お連が江戸へと上がって来た時に、俺の側付きの下人だと史麻の事は紹介した筈なんだが、改めて顔合わせをした途端彼女はとても腐った臭いのする言葉を、真っ青な表情で口にした。
どうやら西方大陸に留学している際に、武光の配下である女忍術使いのお忠が手に入れた『くノ一の術』の指南書には、くノ一の術に付いて書かれている書物の筈なのに何故か衆道についての詳しい説明なんかも有ったらしい。
俺自身がその書物を読んだ事は無いので推測でしか無いが、恐らくは衆道に嵌まり込んで女性に興味を持たない男を籠絡する為の手法なんかも記されて居たのだろう。
孫氏の兵法に記された『彼を知り己を知らば百戦殆からず』と言う言葉が有る通り、何かを突破しようと思うならば先ずはソレを知る事が大事で、それと同時に自分に何が出来るのかを把握しなければ十割必ず勝てる物では無い。
ただしソレをしなければ絶対に勝てないと言う訳でも無く『勝ちに不思議の勝ち有り、負けに不思議の負け無し』なんて言葉の通り、相手側に『負ける要素』が十分に有れば『運良く勝つ』事は往々にしてあり得る訳だ。
まぁ実際には『不思議の負け』は十分に有り得る事だとは思うんだが……この言葉は何方かと言えば『勝った時にも慢心せず次の負けに繋がる様な反省点は無かったかを考えろ』と言う警句なのだと思う。
江戸時代に著された剣術書に記されたこの言葉が前世の日本で有名に成ったのはとある野球団体の監督が引用したからだが、ソレこそ野球の世界では単純に運が悪くて大量得点に繋がると言う事は稀に有る。
その辺の『運悪く』の類を集めた番組が年末の恒例として映像放送で放映されており『偶々玉に球が当たる』なんて選手の姿を見て笑ったりしたものだ。
ソコまで行かずとも打球が地面の凸凹に偶然打つかり不規則な変化をした結果、捕球に失敗するなんて事は往々にして有る物である。
無論そもそも打たれた時点で負け、等と言う余りにも投手に不利な条件を突き付けたならば話は別だが、試合全体を通しての負けならばそうした『不思議の負け』は有り得る物だろう。
万全に万全を期して包囲網を敷いた上でのガサ入れだったにも関わらず、偶々お使いか何かで外へと出ていた下っ端が偶然銃器を懐に持っていたが故にくたばった俺が言うんだから間違い無い。
……とは言え俺の場合は横着せずにちゃんと防弾装備を身に着けて居れば死んで居なかった可能性は高いがな!
と、話は逸れたが要するにくノ一の術の指南書とやらは、完全に様々な形での『夜の手引書』だったのだろう。
ぶっちゃけ子供相手になんつーもん渡してんだ! と成人向けは高校を卒業してから大手を振って買えと前世のお巡りさんとしての倫理観が顔を出す。
まぁ思春期の子供がそうした物に興味を持つのは自然の摂理では有るし、逆にそうした物に全く興味を持たない方が不健全だとすら思わなくも無いが、一応建前として十八歳未満に売ったら駄目と言う事に成ってるのだから駄目は駄目なのだ。
……ちなみに前世の日本では十八禁と言うのは『お酒や煙草は二十歳から』とは違い、国の法律で定められた規制では無い。
飽く迄も業界団体の自主規制としての縛りで有り、十八歳未満の者にその手の書籍なんかを売っても基本的に罰則なんかは無かったりする。
ただ此処で注意しなければ成らないのは青少年健全育成条例と言う奴だ。
国の法律では禁止されて居ないが、条例でその手の物を売っては成らないと定められて居る都道府県が大半を占めるのである。
極めて個人的な意見を言わせて貰えば、上記した様に思春期に入り身体がそうした行為に適応し始めたならば、その手のモノに興味を持た無い方が逆に不健全だと思うんだ。
世間一般的に見て『お固い』家庭だった我が家では、その手の話が話題に上がった事は無いし、あの生真面目一辺倒だった兄貴がその手のモノを手にしていたかどうかは解らないが、俺の場合は不真面目な方の友人の所で色々と見たりしたモンである。
アイツは中学生の時点で自分の電子計算機を手に入れて、大人向けの電子遊戯を全うでは無い手段で手に入れて居たみたいだからなぁ。
それと……小説の類だと実はその手の規制ってのはあんまり無かったりするので、俺はソッチで自分の需要を満たして居たりした。
流石にガッツリ大人向けな官能小説の類に思春期の頃から手を出して居た訳では無く、冒険小説の類に少々と言うには過激すぎる性描写が入った感じの小説が極々普通に書店では他の娯楽小説と共に並んでいた物だ。
更に言うので有ればその手の自主規制と言う奴は時代と共に色々な変化が有った物で、時期に寄っては少年誌でも割と過激な性描写が有ったし、週刊誌よりも月刊誌の方が規制が緩かったり……なんて事も有った。
ソレが青年誌とも成れば局部の描写が無いと言うだけで、行為其の物はしっかりと描かれている様な漫画が普通に書店で規制される事も無く売られて居たりしたもんだ。
そして……法の番人である警察官がコレを言うのは割とどうかと思うのだが、その手の物の規制と言うのは概ね『男性向け』作品ばかりに目が向けられ、女性向けの雑誌なんかだと割と子供向けとされて居る雑誌でも少年誌より過激な性描写が有ったりした。
その辺の差異は規制の圧力を掛ける団体が大体は『男って奴は』と言った感覚でモノを言う連中が多かったからだ……と、有害図書に絡む捜査に携わった事の有る同僚から聞いた事が有る。
確かに実際に有害図書指定を食らうモノは男性向け作品に比較的多かったが、女性を販売対象にした作品が審査対象から完全に外されていると言う訳では無い。
少なくとも俺が居た千薔薇木県の青少年健全育成委員会は、全国的に見て比較的公平公正な立場で審査していた様で、女性向けに描かれた作品でも必要と有れば容赦無く指定し十八歳未満への販売を禁止して居たと聞く。
ただこの条例ほんっとーに運用に地域差が極めて大きく、青少年健全育成委員会の構成員に女権主義者……いや男性嫌悪主義者が居たりすると他所では普通に売られる程度の描写でも指定が入ったりする事が有るのだそうだ。
規制だと法律の運用だのは主義主張が有って当然と言えば当然の事では有るが、法律に則って公平公正に働く現場のお巡りさんを振り回すのは本当に止めて欲しいモノである。
「そう言う趣味を持つ者に対して隔意が有る訳じゃ無いしソレを軽蔑する様な事も無いが、少なくとも俺自身は野郎の汚い尻やらモノやらには興味は無い。お連に手を出さないのは前に言った通りお連の身体が出来上がって無いからだってのに嘘は無いよ」
前世の世界の艶本に付いてのあれこれは完全に余談でしか無いので、ソレを頭から振り払い俺はお連に対して素直に思いを口にした。
野郎の性欲と言うモノはとどの詰まりを言ってしまえば、金玉に溜まったモノを出してスッキリしたいと言う、ある意味で大便や小便に近い排泄欲求なのだと思う。
更に言えば生存本能が刺激される様な事が有ると、死ぬ前に子孫を残したいと言う動物的本能が重なって、金玉は命を削ってでもズンドコ精を生産する訳だ。
それ故に戦いの場を切り抜けた男は性欲を持て余し気味になるのは自然の摂理と言っても過言では無い。
事が普段の鬼切りで行ってる場所が戦場ならば、帰ってから遊郭でも岡場所でも何なら船饅頭でも行けば遊女を相手に欲求を解消する事も出来るだろうが、場所が戦場となると話が変わってくる。
他所を攻めた戦いならば占領した村なんかで戦果を得ても良いだろうが、防衛戦だったり長い時間を掛けた攻城戦だったりともなると、そんな場所に遊女が居る筈も無く欲求不満の解消相手は男しか居ない……なんて事は十分有り得る訳だ。
それ故に衆道は武家の嗜みと見做されて居る訳だが、誰も彼もがソレを好むかと言えば必ずしもそんな事は無い。
余りに長陣営が続く様な時には陣地の後方に臨時の色街が建てられ、ソコに近場の遊郭から遊女を招いて衆道に興味の無い武士や、徴兵された一般の兵卒なんかに息抜きをさせるなんて事も有るのだ。
男性嫌悪主義者に賛同する様な事は言いたく無いが……男と言う生き物の性質上、どうしたって下半身の欲求の前では獣の如き馬鹿になるのは間違い無い事実である。
とは言えソレは大便や小便が漏れそうに成っている時に便所を探す切羽詰まった状況を想定してみれば、余程男と言う生き物に嫌悪感を持つ者で無ければある程度『溜まったモノを出したい』と言う欲求には抗えない事は理解して貰えると思う。
個人的見解としては野郎の尻を使う位ならば、手前の手で出した方がマシと思うのは、衆道……男色家が完全な少数派として弾圧にも近い扱いを受けて居た前世日本の影響故だろうがね。
重ねて言うが俺自身はソッチに興味は全く無いが、男色家の方に対して偏見の目を向ける様な事は無かった……暴力団家業の中には偶に居たからなぁ本気でソッチな人。
ただ単に『その気が無い者……特に俺に食指を伸ばす様な事さえしなければ割とどうでも良い』と言うのが本音である。
そんな感じで俺と史麻の関係性をお連に理解して貰うのに一刻近い時間を浪費し、今日予定して居た事の大部分を達成する事が出来ないのだった。




