千二百五十五 家臣と再会し治安を不安に思う事
俺は今、何故か江戸へと上がって来た家臣達に貸し出される長屋の一角に有る、自分の部屋で板の間に正座をさせられていた。
「あーしは志七郎様の人間としては唯一の家臣なんですよね? ならなんで志七郎様が帰国した事をあーしが今日まで知らせてくれなかったんですか? 御師匠様が教えてくれるまであーしは地獄みたいな修行させられてたんですよ!?」
俺の側付きと言う立場で猪山藩のでは無い、俺の直接の家臣と言う立場に有る史麻が、修行の地から帰って来るなり怒髪天を衝くと言う言葉が当に相応しい形相で押しかけて来たのだ。
それにしても子供の頃の一年と言うのは本当に成長著しい物なんだな。
自分自身の事だとあんまり気に成らないのだが、こうして一年ぶりに会った史麻は顔立ちこそ今だ少女と見紛う様な愛らしい容貌のままだが、身の丈一尺近く伸びて居るし身体付きも筋肉が着いて男らしい角張った物になりつつある。
まぁ史麻の場合は初めて会った時にはガリガリに痩せ細った状態で、その時の印象が強すぎる為に年相応から少し鍛えられたと言った状態に成っただけでも、随分と大きくなって……と親戚の小父さん目線で見てしまう。
そして何よりも目を瞠るのは、以前は身体から垂れ流しに成っていた氣が完全に制御されて居ると言う事だ。
彼が御師匠様と呼んだのは御祖父様で、俺がワイズマンシティへ留学している間に、御祖父様に師事して氣の運用を学んでいたらしい。
四錬業の内、風錬業と水錬業は俺も修めて居るが史麻は更にもう一歩進んだ土錬業も既に習得していると言う。
土錬業を修めた者は爆氣昂を使いでもしない限りは身体の内から氣が漏れる様な事は無くなり、氣を見る事が出来る眼を持つ者からしても只人と変わらない状態にしか見えなくなる。
実際、今の史麻は氣を持て余し気味だった一年前とは違い、完全にその身に宿した氣を制御している様だ。
そしてその制御された氣の圧力に圧されて俺は彼の主君であるにも係わらず板の間に正座させられる羽目に陥っている訳である。
「忘れていた訳じゃぁ無いぞ、御祖父様からはちゃんとお前が氣を扱う為の修行をしている事は聞いていたしな。ただ俺の都合で半端な所で修行を終わらせるよりは、師である御祖父様の判断で切りの良い所まで習得させるのを優先する様に話して有っただけだ」
コレは嘘では無い、天目山行きが決まり国許から護衛を動員するのが決まった際に、そのまとめ役として俺は当初人間としては唯一の家臣である史麻をソコに宛てがう事を考えたのだが、御祖父様が修行の進捗と領民達との関係を考えて待ったを掛けたのだ。
実際にまとめ役を勤めた太郎彦は猪山藩藩主である父上の従甥に当たる者で、代替わりこそしていない物の元服を済ませた武士で国許で育ったが故に実力も知られて居り、彼に従う事に疑問を持つ領民はいないだろう。
対して史麻はと言えば、言い方は悪いが何処の馬の骨とも知れない孤児の出で、足を洗ったし表沙汰にしてないとは言え元盗人と言う脛に傷を持つ身で、尚且つ未だ幼いと言って間違いない子供である。
幾ら猪山藩が尚武の気質強い実力主義の土地とは言え、外様のぽっと出の子供に顎で使われて面白いと感じる筈も無い。
一応はコレでも中間管理職として部下を率いて捜査に当たる立場だったんだが、その辺の機微が抜け落ち気味なのは身分制度に慣れてしまったが故の弊害が、それとも単純に十年以上もの時間が忘れさせてしまったからか……。
倫理観とか道徳観とかその辺は未だに前世のお巡りさんだった頃をしつこく引き継いでるのに、どうしてこういうもっと引き継いでいて欲しい部分を忘れてしまうのだろう。
「……御師匠様の判断だと言うなら仕方ねーですね、でもコレからはあーしがちゃんと志七郎様の側付きとしてきっちり仕事しますんで、奥方様……と呼ぶのは祝言の後からだから今は未だ御嬢様と呼ぶべきでしょうか? 御嬢様にもよろしくお伝えくださいまし」
そう言って氣の圧力を抜いてくれたので気がついたのだが、言葉使いや立ち振舞も以前とは違い、武家に仕える者のソレに成って居る様に見える。
恐らくはこうした躾けの部分は御祖父様では無く嵐丸の大叔父貴か、その郎党に依る物だろう。
大叔父貴は野良の忍術使いであると同時に、御祖父様の舎弟で有りその側付きとしての役目も長年担って来た人物だ。
そして大叔父貴が御祖父様の側を離れる際には、彼の子や孫がその代わりを務めるのが常らしいので、武家に仕える者として必要な作法なんかに関しても通じている人物なのは間違いない。
家臣が何処に出しても恥をかかない様に躾けをするのは主君の義務である、だからこそ家臣が恥ずかしい真似をすれば主君に恥をかかせる事になるのだ。
同時に主君が他者に恥をかかされたのであれば、ソレを例え血を流す事に成っても……場合に依っては命を賭してもその恥を雪ぐのは家臣の責務である。
この辺の価値観は十年以上武家の子供をやっていても今ひとつしっくりと来ないのだが、武家や主君と言う言葉を警察に置き換える事で理解は出来た。
要するに武家も警察同様に治安維持組織としての側面を持つ以上は、無礼られたら治安が悪化するのだ。
地元の治安組織が弱ければどんな罪を犯したところで、捕まらないと高を括って安易な犯罪行為に走る馬鹿は、どんな場所にだって一定数は居る物である。
知能犯と呼ばれる様な詐欺や横領に偽造や背任と言った犯罪行為に走る者は、大体は此の位ならばバレ無いだろうとか、自分は賢いから捕まらない……と言った感じで治安組織や法律を無礼て居る者が大半だろう。
特に特殊詐欺と一纏めに呼ばれる『オレオレ詐欺』や『架空請求詐欺』なんかは俺が任官するよりも大分前には単独犯がそれ相応に居たらしいが、俺がくたばる前辺りでは多数の人間が係る『劇場型詐欺』なんて物に進化していたもんだ。
暴対法の締め付けが厳しく成った関係で暴力団が合法の稼ぎから締め出された結果、ある程度頭のある所謂インテリ暴力団員がその手の犯罪に走ったなんて話を聞いた覚えがある。
ぶっちゃけ暴対法の規制を強化し過ぎた事が逆に日本の治安を悪化させた……と、俺は個人的には思うのだ。
暴力団だと知っていて利益を供与したり取引をした時点で違法、暴力団員は銀行口座を作る事すら許さない! なんて規制をした結果、暴力団員に成る事が不利益しか無く、暴力団に所属するしか生きる道が無い様な落ち零れの生きる術が失われてしまった。
けれどもそうした者が社会から完全に居なく成った訳では無い以上は、どうしたって彼等が集まり汚れ仕事で金を稼ごうと言う集団が消えて無く成る訳では無い……所謂半グレと言う奴等だ。
暴力団と半グレの決定的な違いは、前者は構成員の名簿を警察が保持しており破門だのなんだのが有ればソレが警察にも共有される為に、誰が暴力団員なのかと言う情報を多少の漏れは有っても大半は把握していたと言う事だろう。
更に言ってしまえば組事務所の場所なんかの拠点に関しても、基本的には公の物であった為に、探さなくても何処に拠点があるかを警察は知っていたのだ。
対して半グレや海外マフィアの類は、構成員も流動的だし其れ等に所属していたと言う情報自体を捜査する所から初めなければ成らなかった。
ある程度の『強さ』を持った暴力団の存在が、半グレや海外マフィアに対しての抑止力だったのは間違い無い事実で有り、彼等を法律で縛って弱体化させる以上は警察がソレに代わるだけの力を持たなければ成らなかったのだ。
暴力団を追放すれば世の中良くなる……なんて頭お花畑な連中が考えた法律が、結果的に地下に潜ったより陰湿でえげつない犯罪組織を生んだ様にしか思えなかったが……結局の所は暴力団の様な無法の強さを持たない警察が無礼られたが故の治安の悪化である。
日本の警察は諸外国の様に現場の判断で銃を抜いて撃つなんて事は基本的には出来ないからなぁ……やらかしゃ撃たれる国から来た連中からすりゃヌルい相手と無礼られても仕方が無いだろう。
対して此方の世界は『武士を相手に無礼を働けば無礼討ちに成っても仕方が無い』と言う抑止力がある。
コレは何も火元国に限った事では無く、貴族制度を持つ国ならば大半が同様の法度を持っており、無礼討ちに関して前後の調査が行われる辺り武士の特権は外つ国の貴族特権に比べりゃ大分制限されて居ると言えるだろう。
ソレでも治安維持の為に必要と有ればズンバラリンとやっても良いと言うは、余程の馬鹿じゃなければ、表立って犯罪を犯す危険性は理解出来る筈だ。
とは言え前世の日本の治安の良さは、警察を含めた治安組織の努力も相応にあるにせよ、何方かと言えば国民の遵法精神の高さに依存していた様にも思える。
残念ながら火元人は向こうの日本人程に遵法精神旺盛な、悪く言えば牙を抜かれた民族では無いので、時には暴力をチラつかせ無いと治安維持もままならないのだろう。
そう思うとお連と共に富田藩を奪った……取り返した後の統治に少しだけ不安を抱いたのだった。




