千二百五十三 忍の術を考え謀を読み解く事
手練れが二人に伏勢も居たとは言え、その面子の大半は並の鬼切り者に少し毛が生えた程度の使い手達で、普通の領兵ならば兎も角として『武勇に優れし猪山の』と謳われる猪山藩の者達の相手では無かった。
結果として此方は碌に怪我を負った者の一人もおらず、相手方も今は足腰立たない程度に痛めつけられては居るが、暫く休めば後遺症の一つも無く生業に復帰出来る事だろう。
此処は宿場から少し離れた場所とは言え、結界に守られた主要な街道なので動けない此奴等を放置しておいても、鬼や妖怪に食われて後味の悪い事には然う然う成る事は無い筈だ。
と言うか街道沿いで大規模な鬼や妖怪の被害なんぞ有れば、その地域の統治を任されている大名の失点にも成るので、街道に近い場所は特に重点的に藩士が鬼や妖怪を鎮圧する御役目に付いて居る事が多いので此奴等を放置するのに然程の不安は無い。
「……別働隊の方も片付けて置きました、眠らせて近くの農村の納屋に放り込んで置いたので、余計な人死にが出る様な事は有りません」
と、奇襲部隊に対して更なる奇襲を仕掛け制圧して来た卵丸が、俺の死角と成る位置へと降り立ちそんな言葉を囁き掛けてくる。
流石は義叔父貴の郎党……恐らくは孫? だけ有って、特定の忍軍に伝わる様な秘伝忍術は兎も角として、一般的な忍術に関しては一流以上の使い手なのだろう。
忍術の中には気殺とか隠形に草術と言った、他者に気配を悟られない様にする術や眼の前に居てもその姿を見失う様な術に、多くの者達に紛れ込みその存在を隠す術なんかが多数あると聞く。
外つ国の冒険者の中で盗賊や斥候と呼ばれる職業に就いている者達が、純然たる技術で行う隠蔽工作に加えて超常の術を用いたソレが使われるのだから忍術使い……忍者が重用されるのは当然の事と言えると思う。
……そんな彼等もこの国が戦国と呼ばれていた乱世の時代には、太祖家安公が忍術使いに対して過剰とも言える報奨を出して重用するまでは、農兵以下の下の下犬畜生にも劣る存在として扱われていた時代もあるらしい。
当時も忍術使いは基本的に陰陽寮の傘下で取り纏めを受けては居たのだが、その扱いは飽く迄も陰陽術師達よりもずっと劣る下賤の者達と言う感覚で、忍術使い達が徒党を組んで朝廷に反抗した場合に備えていた……と言うのが本当だったと言う。
この火元国が乱世と呼ばれる程に荒れるよりも前の時代には大禅羅と言う一人の忍術使いが忍神へと昇神し、忍術使い同士の血生臭い殺し合いは一切合切無くなったが、ソレまでの縄張り争いが酷かった時代の印象が長く足を引っ張ったそうだ。
弱きは食われ強きだけが生き残る下剋上の世界は、此方の世界の火元国に置いては武家社会が出来上がるよりも先に忍術使い達の間で先行して発生していたと言う事である。
其の為『己の利益の為ならば身内殺しも辞さない畜生にも劣る倫理観しか持ち合わせていない者達』と言うのが、火元国の中で広まっていた忍術使いに対する風聞だった訳だ。
ソレでも下賤な者で有ったとしても持ち得る能力自体は、様々な分野で必要とされるモノだったので、朝廷の下で術者を統括する陰陽寮が多くの忍軍を『保護』と言う名目で傘下に置いて、各地で暴れ出した武家から依頼を受ける様になったらしい。
まぁその辺の話を詳しく書いて行くと、ソレだけで一本の物語が出来上がりそうな紆余曲折は色々と有ったであろう事は想像に難くないが、兎角『人以下』として扱われて居た忍術使い達を真っ当な人間として扱ったのが家安公の躍進に繋がったのは事実なのだろう。
……つか戦国時代を扱ったネット小説では割と定番と言えば定番の話だしなぁ。
下賤の者として扱われ真っ当に忍務を達成しても端金を投げ捨てる様に渡される日々を送っていた忍び達が、転生者や転移者に逆行者と言った形で戦国時代へと来た主人公から、真っ当に人間として扱われ忠誠を誓う……うん、割と色んな作品で見た覚えがある。
とは言え彼が此方の世界へと来た頃は未だそうしたネット小説の類は無かっただろうし、戦国物のお約束と言うよりは彼自身の資質が有ればこその成功譚なのだろう。
事実として我が猪山の者達が家安公の麾下に入ったのは、何等かの用事で山塊から出ると『混ざり者』と蔑まれるならば未だ良い方で、鬼や妖怪の類と同様に扱われ討伐対象にすら成る事も有ったのをちゃんと人間として扱ってくれたからだと伝えられている。
その辺から察するに家安公と言う人物は見た目や立場で人を判断するのではなく、個人個人をしっかりと見据えて仲間とするか敵と見做すかを判断する性質の人間だったのでは無かろうか?
ぶっちゃけ家安公に関しては火元国で販売されて居る書物の大半が、恐らくは検閲が入って居るであろう事が容易に理解出来る位に良い事ばかりが書かれており、彼の悪評と言えるのはその女癖の悪さ位しか知る術が無いのだ。
とは言え此処は国民一人ひとりが君主足り得る知見を持っているのが前提と成る民主主義国家では無く、京の都の帝が神々から統治を委任されその帝から幕府に統治を委託された専制政治の国である。
体制に対して批判的な書物なんぞ出せば、下手をせずとも命が危ないと考えるのは極々普通の事であろう。
当代の上様が出したと言う『笑える物ならば許す』と言うお触れは、何も瓦版に限った事では無く書物の類にも有効だったようで、色事に絡む滑稽噺に関しては上様が将軍の座に就いてからの間に結構な数が出版されていたりする。
当初は幕府の上層部も其れ等の書物に対して『けしからん』と弾圧しようとしたらしいが、上様自身が読んで笑ったが故に許されたと言うのだから、本当に上様は独裁者と言われて想像する様な人物とは掛け離れている様だ。
いや民主主義国家が少数派で専制君主制の国が多い此方の世界では、独裁的な君主の方が圧倒的に多い事は頭では理解しているし、そうした君主の大半は暗君では無いんだろうとは思うのだが、どうも独裁と言うと前世の影響で後ろ向きな印象を持ってしまう。
「取り敢えず一般の旅人達の通行の邪魔に成っても困るし、真ん中に居る連中だけは道の端に寄せといてやれ。万が一早馬でも走って来て轢かれたら気の毒だからな」
そんな事を考えつつも街道を塞ぐ様に倒れ伏した者達を見下ろしながら俺はそんな事を命じる。
連中の物言いに此方が武力で応じソレに対して抵抗したのだから『強い者が正しい』と言う武家の習いに従うならば斬られて当然と言う事に成るのだが、恐らくは此奴等は殺される事が前提と成った捨て駒だ。
首尾良くお連を連れ帰れば良し、駄目でも猪山藩の領民に被害を出しつつも斬り殺されたならば、ソレを何等かの形……俺の想像通りならば瓦版辺りを利用して、猪山藩に面子を潰す様な記事で猪山藩が動き辛い世論を誘導しようと言うのではなかろうか?
もしもソレが上手く行ってしまえば年明けに予定されて居るお連を旗頭にしての骨川強右衛門討伐は、上様の失政と言う風潮を生み出す事にも繋がり兼ねない厄介な手口だ。
自由な風潮を好むが故に独裁的な風土を壊して来た上様だからこそ、此の手の謀が上手く刺さる可能性が有ると言うのは皮肉と言えば皮肉である。
奴等と相対した時に俺が不殺を命じたのは、其れ等を全て読み切ってと言う訳では無い……が、可能性としてそう言う事も有り得るだろうと言う程度には考えていた。
御祖父様に本気で知恵比べを仕掛けて来る様な知恵者が敵方に居るので有れば、その程度の策略は当然の様に仕掛けて来るだろう。
此処で此奴等を生かして置いた事が果たして吉と出るか凶と出るか。
御祖父様とは違って何十手も先を見通す事の出来ない程度の頭では、相手が想定していたであろう事を外す事が出来て居れば良いなぁ……と言う程度の選択でしか無い。
富田藩征伐が終われば少しは時間も取れる様に成るだろうし、軍略なんかを本格的に学ぶのも良いかもしれない……なんて事を思いながら俺は苦痛に呻く破落戸達の間を抜けて江戸への帰途へと就くのだった。




