千二百二十八『無題』
「先ずは其方等の修学と新たな門出を祝わせて貰う本当に御目出度う。儂も元々は其方等よりも家禄の無い小普請組の出では有るが、武家の部屋住みがどれ程肩身の狭い思いで生きているかは知っている積りだ」
火元国へと帰国し上様のお召から数日が経ち、拙者等四人は此れからの職場となる術奉行所へと初出所と相成った。
其処には未だ我々の手下となる様な人員も配置されておらず、居たのは上役である術奉行の嵶野様だけである。
術奉行所の建物は江戸城内でも比較的本丸に近い所で、拙者の記憶が確かならば禿河家の分家筋の方が住まう邸宅が有った場所の筈だ。
けれども其処は拙者等が留学して居る間に何か有ったのか、以前の邸宅は取り壊され鬼切り奉行所の其れに近い如何にも御役所と言った建物へと建て替えられて居た。
「見知らぬ地に命を賭して向かい、その地で勉学修行に励み一つの事を成す……その困難さは儂は能々知っている。されど俗人はそうした苦労に思い至る事無く其方等の栄達を妬み嫉む事だろう」
拙者等を出迎えた嵶野様は厳しい顔で訓示と思わしき言葉を我々へと投げかける。
「何せ端から見れば其方等は何の手柄も挙げて居らぬのに分家を許され幕臣家として取り立てられ、更にはこうして奉行所での役職まで得られると来た。小人程妬み嫉みに苛まれる者は居らんからの小普請組の連中が五月蝿かろうて」
嵶野様の言葉の通り、我々第一期生は留学に掛かる費用の大半を実家に出して貰った、小普請組の者達から見れば裕福で恵まれた存在と言う事になるだろう。
第二期生は幕府から多額の援助を受ける事が出来た為に小普請組の子弟も多々居るが、そうした者達が戻って来た時には、拙者等の下に着けられる事に成る筈だ。
ニ期生だけで無く一期生でも精霊魔法をより深く学ぶ事を選んだ者や、より強い霊力を求めて霊獣と契約を結ぶ為に旅立った者なんかは、拙者達よりも優れた術者と成って帰って来るに違いない。
そうした者達を相手に拙者達は先任の年長者だと言うだけで、上役を勤めねば為らぬのだから、ニ期生を排出した小普請組の者達の家の者達が五月蝿い可能性は限りなく高いだろう。
「されど上様は其方等に手柄を立てる機会を用意して下さるとの事だ、詳細は未だ明かす事は出来ぬが場合に寄っては年明け早々に其方等には修羅場へと出て貰う事に成るやも知れぬ。術者とは言え武に寄って立つが武士である事に変わりは無いのでな」
……武人として独り立ちする事が出来の程度の武芸の才しか持ち合わせなかったのは、此処に居る四人皆同じだが西方大陸での修学で精霊魔法使いとして後方から魔法を使って戦う術は身に付けたと言う自信は相応に有る。
されど上様が用意する修羅場と言う事は、相手は鬼や妖では無く、恐らくは人間が相手と言う事に成るだろう。
精霊魔法学会では大規模な合戦での精霊魔法の運用等も座学だけでは有るが学んで来た。
此処で重要に成るのは、戦場が大規模に成れば成る程に、威力の大きな魔法よりも広範囲に効果の有る補助的な魔法の方が有用だと言う事だろう。
敵陣と前線が接敵するよりも前に、眠りの砂 を広範囲化してばら撒くだけでも、上手く行けば一軍を一つの魔法で処理する事すら可能に成るのだ。
強力な魔物を相手にするならば一撃の威力に特化した大魔法が必要な場合も有るが、人を相手にするにはそうした魔法は火力過多なだけで有る。
所詮人間なんて物は、何処を傷付けられても血は流れるし、火に焼かれれば其処は簡単に駄目に成る弱い生き物だ。
武勇に優れた者達は氣や魂の力を振り絞る事で、生半可な魔法等気にも止めずに突っ込んで来ると言う話だが、戦場に投入される大半の雑兵達はそうした真似が出来る者は殆ど居ない。
精霊魔法学会の魔法図書室に残されていた太祖公の研究資料には、戦乱の真っ只中に有った火元国へと帰った後に、乱世を平定する為にと考えられた精霊魔法を用いた無数の戦略戦術が記されていた。
残念ながら実戦投入した後の結果に付いて記された書物は無かったが、其れでも精霊魔法と言う物を知らないであろう多くの火元国の者達を相手に使えば効果的と思しき手管は幾つもこの頭の中に入っている。
そして其れは共に学んだ他の三人とて同じ事、どんな戦場に投入されるかは解らぬが、其処で手柄を立てて我等が術奉行所の重鎮として相応しい者なのだと示せと言う事だろう。
「儂から其方等に対する助言として言い渡す事は、雑兵は可能な限り殺さぬ様に無力化する術を多く用意しておけと言う事だの。儂等術者が戦場に出る時、最も求められる役目は大将首を討ち取る前の露払いよ。此れは人でも鬼でも変わらぬがな」
当代上様の治世に入ってから合戦と呼べる程の大規模な人間同士の戦いは一度も起こって居ないが、鬼や妖怪を相手として其れは火元国中を見渡せば月に一度は何処かで起こっていると思って間違いない。
嵶野様も陰陽寮の術者としてそうした大規模な会戦に参加した事も両手の指を合わせた数以上に有るそうで、自身の体験を交えて戦場での立ち回りを教授してくれる。
その中で気が付いたのは、精霊魔法も陰陽術も得意分野に差は有る物の、出来る事の規模には大した差は無いと言う事だ。
一人の術者は術者の居ない一軍に匹敵しうる戦力で有り、数の暴力を覆す可能性を秘めた存在では有るが、一軍以上の存在では無く結局は相手の数が多すぎれば押し潰される程度の存在でしか無い。
そして戦場に置いて強力な一個人の武は一軍に匹敵しうる戦力でも有ると言う事だ。
大鬼や大妖に率いられた大規模な魔物の群れを相手に、並程度でも一人の術者は周りの雑魚を鎮圧する事は可能だが、圧倒的な強さを持つ個を討ち取る事が出来るのは、やはり圧倒的な個人だけなのだと言う。
猪山藩の客人で有り精霊魔法学会の重鎮でも有る赤の魔女殿は、個人の武でも精霊魔法の深奥に置いても世界で上から数えた方が早い様な怪物故に、彼女一人でも一つの戦場を……火元国ならば小藩程度ならば落とせる可能性は極めて高い。
しかし我等の持つ個人の武勇は氣と言う超常を加味しても、町人階級の二つ名持ちの鬼切り者にすら敵わない程度の物でしか無いのだ。
だが嵶野様は其れで良いと仰っている、我々に求められている仕事は幕府側の強い個人が相手方に居るであろう強い個を討ち取るまでの間、雑兵共に余計な横槍を入れさせない事なのだと。
我等は確かに武に自信は全く無いが、勇まで無きと思われたくは無い。
ニ期生が最新鋭の魔導船とやらで快適な船旅で西方大陸へと渡ったのとは違い、我々は嵐の海や巨大な海竜に拠る沈没の危機を何度も超えて向こうへと辿り着き、言葉もあやふやな状態から精霊魔法を学び、最低限一人前の魔法使いと認められる努力はしたのだ。
そうして積み上げた物を世間の目にも解り易い様に手柄として得られる場を与えて頂けると言うのであれば、其処で命を惜しむ程に臆病に成る必要等無い。
……まぁ海竜を何とかしてくれたのは、其れこそ強力な個人の代表格とも言える鬼二郎殿だがね。
其れでもアレの姿を見た者の大半は海の藻屑となって死ぬるを覚悟しただろう。
船を操り大海原を渡る荒くれ者の船員達ですら、あの時は我等と共に震える手で船を守る事しか出来なんだと言うのに……片腕を失って尚も曇らぬ武勇であの御人はヤッて見せたのだ。
アレに比べたならば大半の人間なんぞ何する物ぞ、無論敵方に鬼二郎殿が居るとか言われたら勘弁してくれ……と言いたくも成るだろうが、彼の御人も今は幕府に仕える幕臣の一人、敵対すると言う事は有るまい。
嵶野様の訓示が終わり、我等は用意されて居た料理を肴に酒を呑み、術奉行所の正式な立ち上げを祝うのだった。
此れにて『海外渡航編』も無事完結と相成ります
本来ならば続けて『国盗り編』へと突入する所なのですが、一寸別の作品を書きたい欲求が溜まって仕方無い為、本作は暫くお休みを頂戴致します
なお新作は他サイトにて先行投稿予定と成っておりますので、最新情報はX(旧Twitter)の告知をご覧下さい
それでは皆様良いお年を……




