千二百二十一 志七郎、師匠の才を見て硬筆に思いを馳せる事
「うむ……呪文の作り込みも丁寧だし、発声もしっかりしている、其の辺りの技術に付いては流石は師匠の直弟子だと太鼓判を押して置こう。だが敢えて辛い点を付けるとするならば、未だまだ呪文に無駄が多いと言った所だろうな」
俺は今回の転移先としてワイズマンシティからテノチティトラン王国へと南下した旅の途中で立ち寄ったヒンタボ共和国を選択した。
結果、無事に俺は師範代殿を連れてヒンタボ共和国の冒険者組合へと転移する事に成功したのだ。
そして組合の酒場では無く、組合から然程も離れていない場所に有る喫茶店へと師範代殿に誘われ、其処で珈琲を呑みながら寸評を受けていると言う状況である。
その上で此れを精霊魔法の師であるお花さんには絶対に口にする訳には行かないが……師範代殿の寸評と指摘の方が数段解り易い!
お花さんは流石に長年学会で教鞭を取ってきた立場でも有るが故に、相応に論理的な物の見方をするし、理論や技術に関しては噛み砕いて説明する事も出来る。
けれども感覚的な部分に関しては某球団の終身名誉監督ばりに擬音語と擬態語が増える癖が有る為に、理論で教える部分は解り易いのだが感覚で掴まなければ成らない部分に関しては物凄く解り辛いのだ。
対して師範代殿はと言えば、そうした感覚的な事まで踏まえて丁寧に説明する事に長けている様に思えた。
思い返して見ればお花さんが武術を交えた指導を屋敷に住む門下生達にする場合、殆どは手合わせの形で悪手を突く様な方法で相手の欠点を指摘し、其れを直す方法を実践して見せると言うのが多かった気がする。
まぁ武術こそ頭でっかちになるよりは実践の中で磨く物も有る……と納得して居たが、多分お花さんは俺が一朗翁に言われた『本能型』『理性型』言う戦闘形態の区分的には本能型なのだろう。
高度な技術を身に着けた達人と呼ばれる様な人達に成ると本能型でも理性型の様な戦い方も出来るし、その逆も当然の様に身に着けて居る物だと言うが、残念ながら俺は未だその境地まで至って居らず、二つの性質の差は理解出来ても垣根を超える事は出来て居ない。
だが師範代殿は元から理性型だったのか、其れ共垣根を超える程の技量まで達して居るのかは今迄手合わせをした中でも掴みきれては居ないが、割と俺に合わせて手を変え品を変え攻めたり受けたりしてくれた所を見るに理性型の戦いが身に付いている様に思う。
その上で今回の魔法に対する数々の指摘を踏まえると、お花さんは戦場で輝く歴戦の冒険者なのに対して、彼は何方かと言えば教鞭を取り後進を育てるのに優れた才を持つ人物なのでは無かろうか?
名選手は必ずしも名監督に非ず……と言うのは野球界隈で良く使われる格言では有るが、大凡どんな運動競技に置いても割と当てはまる言葉なのだと思う。
俺が前世に学んだ剣道では段位認定は『◯年の修行を積んだ者』と、稽古期間の長さが前提として有ったが、警察学校で一緒に学んだ同僚曰く柔道の場合高い段位の認定は『教え子の試合成績』が前提に成るのだそうだ。
故に高い段位を持つ柔道家は本人の実力は勿論の事、指導者としても一等頭抜けた成績を残していると思って間違いないのだと言う。
此の辺は個人の強さを重視するか、其れ共後進の指導を重視するか……と言う方向性の違いで有り、何方が絶対的に正しいと言う話では無い。
何処だったかの県では柔道の県民大会と言うのが有るらしく、其処では『指導者の部』と言う区分で各学校の監督が選手として試合に参加すると言う催しが有るそうだが、其処では上段の者に下段の者が勝つと言う光景は割と良くある事だと言う。
指導者としては一級で教え子は良い成績を残している者と、選手としては一級だが指導者としては劣る……と言う様な事が目に見える事例と言えるだろうか?
兎角、指導者としての才能と選手としての才能は必ずしも一致する物では無いと言う事だ。
そうした視点で見るならば、師範代氏は個人の武勇でも間違い無く才有る者では有るが、指導者としての才は師で有るお花さんを上回るのでは無かろうか?
いや……お花さんの事だ、其れを理解した上で彼に留守の間、一門の弟子達の指導を彼に任せて居るのだろう。
「……と言う訳で、此の辺をもう少し洗練させる事が出来れば、戦闘中に万が一の状況に陥ったとしても仲間達を連れて綺麗に脱出する事だって出来るだろう。まぁ流石に其処までの事が出来る様に成るにはもっと経験を積まなければ成らないだろうけどね」
一折の指摘を終え美味そうに珈琲を啜り、一緒に注文した堅果の入った猪口齢糖を音を立てて頬張った。
普段から持ち歩いている帳面に言われた内容は大体記録する事が出来たが、此方の大陸に来て精霊魔法と息子さんの事以外で一番大きな収穫と言えるのは、鉛筆が此方では普通に手に入ると知った事だろう。
生まれ変わって此方、毛筆にも大分慣れたがやはり前世に三十年近く続けて来た硬筆の方が手に馴染む。
別段硬筆習字の類にの心得が有ると言う訳では無いが、俺が居た署ではある程度電子化はされ始めてはいたが、書類の大半は未だに自筆での筆記が求められていた。
調書にせよ何にせよ大概の警察官は毎日が手書き書類との格闘で、其処で他人には読めない様な雑で汚い字を書く様な者は基本的に昇進するのが難しい。
なんせ昇任試験の中には論文試験が含まれており、其の際に余りにも汚い字を書く様では、採点が厳しく成る……なんて噂が有ったりするのだ。
実際に字が汚いからと言う理由だけで落とされる事は無いとは思うのだが、捜査四課長に成ってから部下が余りにも雑で汚い字で書いた書類を出して来た時には、もう少し綺麗に書け……と指導して来たのも事実である。
汚い字は誤読の原因にも成るし、其れが元で捜査上の判断を誤ったりする様な事が有れば、課の責任者である俺の責任にも成る訳で、正しく読める様に丁寧な字を書く様に指導するのは当然の事だろう。
此れは警察の問題では無いが、前世の日本に置いて『消えた年金』と言う問題が有った。
アレは大量の手書き書類を電子情報化する際に、読めない字で書かれて居たり、誤読を呼ぶ様な略字で書かれて居たりした様な物を、下請け会社に丸投げして無理矢理電子化した結果、現実の其れと乖離した情報が大量に産まれたと言うのが原因と聞いた覚えが有る。
ウチの警察署も徐々に電子化は進んで居たが、俺がくたばった時点では未だ大半の書類は手書きだったので、もしも過去の事件録なんかを電子化する様な時には同じ様な事が起こった可能性は零では無いだろう。
所謂『氷河期』世代だった俺の大学時代の友人の中には、まともな職に就く事が出来ず派遣社員で職場を転々として糊口を凌ぐ生活をして居る者も居たが、其の中に年金の名寄せ作業に関わる仕事をした者が居た。
そんな彼から赤提灯で聞き出した話に寄れば『高』と書かれているのか『髙』と書かれて居るのか解らない様な無数の書類を目視で確認し、恐らく此方だろうと言う様な杜撰としか言い様の無い判断で電子計算機に打ち込んで行くと言う作業だったらしい。
更に言うならば戦後の法律では名前として使える漢字はある程度絞られ大体は電子計算機でも使える様に成っていたが、其れ以前の古い苗字や名前だと電子計算機に登録されて居ない旧字体や異字体が名前に使われている人は数多く居たと言う。
そんな電子化なんて事を全く想定して居ない雑な書類を短期間で無理矢理電子化するなんて無理無茶無謀を通り越した仕事をした結果が、新世紀に入って直ぐに政治を騒がせた消えた年金の実体だった訳だ。
まぁそもそも論として年金制度自体が色々な部分で雑な仕事を積み重ねて来た歪な物だったと言うしか無いのだろう。
……とまた思考が逸れたが、兎にも角にも転移魔法をしっかり習得し、火元国とワイズマンシティを行き来する様に成ったなら、自分で使う分だけでも鉛筆は定期的に購入しようと心に決め、珈琲と猪口齢糖に手を付けるのだった。
今週末は泊まりの仕事が入っている為、次回の更新は月曜日深夜以降と成ります
度々の事で真に申し訳有りませんが予めご理解とご容赦の程宜しくお願いいたします




