千二百五 志七郎、魔法格闘の厄介さを知り浮気を考える事
転移系統の魔法は大半の魔法や術に区分される物に存在する普遍的な技術だと言う事は、転移魔法を学ぶ事に成った当初にお花さんから聞かされた話で有る。
もっと言ってしまうのであれば精霊魔法使いが精霊や霊獣を距離を関係無く『召喚』出来ると言う事自体が、転移と言うのが『古の契約』にすら組み込まれている世界樹を介さない此の世界の社会的基盤だと言う証拠とも言える。
「遅い! 時属性を持つ魔法格闘家相手ならば氣功使いとも互角以上に闘える者は幾らでも居るぞ!」
少しだけ睡眠不足な状態でも普段通りに早朝稽古の場へと来た俺は、お花さんの高弟の一人と手合わせをして居た。
彼は武術の方でも精霊魔法でも可也の腕前を誇る人物で、お花さんが超時空太猴を探す旅に出ている間、此の屋敷の留守を預かる人物でも有る。
お花さんの付き人として一緒に旅をして居るセバスさんの孫に当たる人物で、種族は彼と同じ肉食系獣人族だが、元と成っている動物は何故か洗熊だ。
獣人族と言う種族は元と成ったであろう動物の種類だけの種族数が居る訳では無く『肉食』『草食』『鳥類』の三つに区分されると言う。
例えば両親が共に犬の獣人だったとしても、生まれてくる子供は虎だったり熊だったりと言う事も有るのだそうだ。
しかも鳥類は兎も角として、熊の様な自然界では『雑食』と言える様な動物の容姿を持って生まれてきた獣人は、見た目だけでは肉食系獣人と決め付ける事が出来ず、身体構造的には草食系獣人と言う事も割と良くある話なのだと言う。
こうした状況に成って居るのは、元々は其々別の種族として生きていただろう者達が、魔物達と生存圏を奪い合う中で団結し、結果として混血が進んだ事で多くの種族の血が隔世遺伝的に顕在化するのだと考えられているらしい。
故に場合に依っては肉食系獣人同士の子供が鳥類系獣人だったり……なんて事も起こり得る話で、生まれて来た子供の種族が違うからと言って妻が不貞を働いた証拠には成り得ないのだと言う。
この辺は或る意味で我が猪山藩と事情が似ていると言えなくも無い、多くの鬼や妖怪の血を取り入れて来た我が藩は藩主で有る猪河家は勿論の事、民草に至るまで血筋のびっくり箱とも言える様な状態で有り、どんな異能を持った子が生まれても不思議は無いのだ。
解り易いのは義二郎兄上の所の六つ子だろう、五人の女の子は其々皆が別の動物の容貌を持ち、一人の男の子に至っては岩人形の如き姿で産まれて来た。
此れが只人の血筋しか引かない家ならば、先ず間違い無く女房は不貞を働いたと詰められ、良くて離縁悪くすれば母子共に『そんな者は居なかった』事にされても不思議は無い。
けれども最初から混血が進んだ血筋だと解って居れば、どんな者が産まれて来ても普通に受け入れる土壌が出来て居ると言える。
まぁとは言え初祝の際に神の名の下に両親が明確にされる此の世界では、不義の子を儲ける様な真似は男女共に危険性が高すぎる為に早々有る事では無いがね。
要するに此の世界は産まれた子供が三歳に成ったら遺伝子鑑定が義務付けられて居る様な物で、向こうの世界で『托卵』等と呼ばれていた行為は十割《100%》の確率で明るみに出るのだ。
間男を女敵と呼び、其れと姦婦を叩き切る女敵討ちが合法とされて居る火元国では、姦通は余程の事が無けりゃ先ず起きる事は無い。
逆に此れから死ぬと解っている男が想い人に種を託してから命を落とし、托卵状態に有る事を理解して居る男が出産前に夫に成る……なんて真似が美談として芝居や講談に語られると言うのだから、前世とは倫理観が違うと言うしか無い。
いや、前世でも死んだ親友の妻に成る筈だった女性と結婚し、地の繋がらないお腹の中の子供の父親を貫き通した……と言う様な話は聞いた事が有るし、美談は美談の類なのだろう。
ただ前世ならばそう言う結婚の場合、遺伝子鑑定でもしなければ父親と血が繋がっていない事が子供に知られる事は無いが、此方の世界だと初祝の時点で絶対明るみに出る事に成る。
……なんて余所事を考えている内に、意識加速の中ですら見えない動きで背後に回り込んだ彼が、俺の側頭部に向かって回し蹴りを打ち込んで来るが、其れを前転する事で躱し、立ち上がると同時に木刀を振って反撃するが既に其処には居ない。
「だー! 近接武術と瞬間移動の相性良すぎだろ! 一撃離脱を繰り返せるとかマジで反則なんだが!?」
一足飛びに攻撃を仕掛ける事の出来ない距離まで転移で移動して居る姿を見つけ、俺は思わずそんな言葉を吐き捨てる。
大陸間を渡る様な超長距離の転移とも成るとお花さんの様な例外的な達人を除けば、其れ相応の詠唱と集中に時間を割かなければ発動する事すら難しいが、視界転移ならば一言の短縮詠唱で使う事も不可能では無い。
故に其れを使い熟す魔法格闘家には間合いと言う概念自体が崩壊する、何せ近接戦闘に置ける最強の防具で有る『距離』が機能しなく成るのだから、其の手口を知らない者にとっては完全な初見殺しである。
人間の身体なんて物は何処を切っても血が流れ血を失えば体力を失う、全身何処を取っても急所では無い場所等無い……と言っても良い程に脆い生き物だ。
高価で強力な防具で身を硬めた所で、中身はどんなに鍛えても肉の身体で有る事に変わりは無く、被害を内部へと通す技術を持って居れば、大体の攻撃は致命的な一撃に成る。
当然、俺が相手取って居る彼も打撃に魔法を上乗せする技法を持っているので、一撃でも貰えば致命傷判定だ。
つか羆でも殺せる様な銃弾を叩き込んでも死なない魔物を相手にする鬼切り者や冒険者の攻撃力は、基本的に人類に向けて良い物では無い。
ぶっちゃけて言えば魔物を倒す為に用いられる武器や技術と言うのは、対人で使うには全てが強力過ぎる《オーバーキルな》ので有る。
以前新宿地下迷宮に潜った時に御祖父様が見せてくれた『迷宮の壁を取っ払う程の一撃』なんてのは、人類相手に使えば先ず間違い無く『塵も残ら無い』筈だ。
そんな物を食らって耐える魔物が此の世界にはわんさか居ると言うのだから、人類が相対的に見れば『弱い種族』とされるのも仕方無い事だろう。
でも……だからこそ生き残る為に、人類は様々な装備や魔法に武術なんかを産み出し、其れ等を駆使して魔物達から生存圏を死守する所か、切り取る事すら出来ているのだ。
前世のお巡りさんとしての感覚で言えば、世の中の大半が人を確実に殺せる大口径の拳銃を所持して居る様な此方の社会が怖くて仕方無いのだが、そうした者達すらも捕縛する技術も同時に開発されて居るのは火盗改の面々を見れば理解出来る。
「氣功使いも其れを使えぬ者からすれば十分に反則の域に有る御業だろう。俺の紫閃掌を真正面から受け止めて殆ど無傷とかどうなってんだよ」
紫閃掌は毒属性の魔法を込めた掌底突きで、流石に稽古で即座に命に関わる様な毒を打ち込む様な真似はして無いとは思うが、麻痺毒位は使っていても不思議は無い。
手合わせを始めて直ぐの転移からの攻撃と言う手法の危険さを理解して居なかった時に仕掛けられた其れを、俺は躱す事が出来ず止むを得ず氣で防御力と魔法に対する抵抗力を強化する事で無被害で耐えきったのだ。
彼方さんからすれば開幕で初見殺しを叩き込み一度勝負を終わらせる事で、魔法格闘家の強さを見せつける積りだったのだろうが、其処は武士としての意地が有る。
「いやいや……何方も傍から見りゃ化け物の類だぞ? 師範代が強いのは当然と言えば当然の事としても、なんで十五にも成らん子供が師範代と互角にやり合えてるんだよ。どっちも其処等辺に居て良い格じゃねぇから」
そんな俺達のやり取りを聞いて居たらしい他のお花さんの弟子が『お前は何を言ってるんだ?』と言いたげな表情でそんなツッコミを入れたのと殆ど同時に、女中さんが朝食の支度が出来たと呼びに来たのだった。




