千百九十八 志七郎、恩人との約束を語り志を固める事
「申し訳有りません。錬玉術の秘匿に付いて知らなかったので、ワイズマンシティに住む医者の一人に錬玉術に付いての基礎的な事を教えると言う約束をしてしまいました」
と言う訳で調合法や技術の秘匿に関する一通りの説教を受けた俺は、西方大陸に戻ってからワン大人から受けた医療行為と、人食い加加阿の猪口齢糖を食う際の経過観察を受ける見返りに錬玉術の手解きをする約束をした事を正直に話す。
「……其の者は錬玉術では無い霊薬の調合が出来る者なのかね?」
すると寅殿は少しだけ眉間に皺を寄せつつも、落ち着いた様子でそう問い返して来た。
「はい、何処までの霊薬を作れるのか詳細までは聞いて居ませんが、東方大陸由来の霊薬に西方大陸で取れる素材を使った霊薬を応用して作る事が出来るのは間違い無いです」
実際に彼が霊薬を調合する姿は見て居ないが、西方大陸南部へと旅した際に癒やしの林檎と言う果実で霊薬が作れると口にして居た。
とは言え彼の知識は飽く迄も東方大陸由来の物で、西方大陸特有の素材を使った調合法なんかは未だまだ手探りの状態で、俺が錬玉術で其れ等を作るのを『盗む』と言うのが旅に同行してくれた理由だった筈だ。
其れでも敢えて彼を過大に評価した文言を口にしたのは、ワン大人が医者として立派な人物で有り、彼に錬玉術を伝える事がワイズマンシティに住む一般市民の為に成る……と二人に思わせる為である。
「其れは貴方が未開拓地域に旅をした際に同行した、ミェン一門の食客だって言う医者よね? 其の者の評判は私も聞いては居るわ、何でも貧しい者からは診察料は取らず薬代や消耗品代だけで診察してるって話だったわね」
……そんな人が長旅に出ていたら、ワイズマンシティの貧しい人達は暫く医者の居ない生活を送る羽目に成ったのでは無かろうか?
「安心して良いわよ、彼の盟友とも言えるお医者さんが彼の代わりに同じ様な値段で貧民の面倒を見ていて様だからね。と言うか其の辺の事も本来なら政府がしっかりやるべきなんだけれども、ワイズマンシティは良くも悪くも自己責任論が強すぎるのよね」
ワイズマンシティに限らず此方の世界では、医者に掛かる事が出来る者と言うのは、基本的に富裕層だったり特権階級に居る者だけで、貧しい者は病に倒れても『運がなかった』と捨て置かれるのが普通で有る。
と言うか、皆保険制度がしっかりと運用され保険料さえしっかり納めて居れば、大病を患っても海外程大きな自己負担無しで高度な医療行為を受ける事が出来ると言う、前世の日本が恐らくは世界的に見ても異常だったのだろう。
解り易いのは先進国と言う括りでは同等で有り同盟国でも有った日本と米国で盲腸に成った時の治療費の差では無かろうか?
日本なら健康保険利用で三割負担なら十五万程度で済むが、米国だと皆保険制度が無く更に病院が治療費を決める自由診療が普通な為に同じ盲腸で手術を受けたとしても百五十万円は掛かると言う。
ある程度の収入が有る者ならば、普段から病気や怪我に備えて民間の医療保険に加入して居る事も有るが、そうした備えを怠って居た者は『病気一発自己破産』と言うのが割と普通だと向こうの世界で聞いた覚えが有る。
此方の世界では自己破産等と言う制度は無く、支払う対価が無ければどんな病気を患ったとしても、自称医者の怪しい医療行為すら受ける事は出来ず、国や藩と言った公的な物が認めた医者の免状を持つ者の世話に成る事が出来るのは本当に特権階級だけだ。
そんな中で貧しい者に医療を提供すると言うワン大人は、本当の人格者と言うべきか、其れ共只の『やる偽善者』なのか……何方にせよ他人の為に自分の利益を犠牲に出来る者は信用に値すると思う。
「成る程……信念の有る医者と言う事か、そう言う人物ならば錬玉術を『金の成る木』の様な雑な扱いをする事も無いだろうし、君が取得出来た階位に応じた調合法の伝授は認めよう。但し君自身が最低でも三つ星を取得するのが条件だ」
一応錬玉術師製造所としては、一つ星以上を取得すれば一人前の職人として、自分の責任で仕事を請け負う事が許されているが、弟子を取る事が出来るのは最低でも三つ星から……と言う事に成っているらしい。
とは言え第一位王工匠を取得しなければ、弟子に階位認定が出来ない為に見習いを卒業させる事が出来ない為に工房を構えると成ると矢張り工匠の資格取る必要が有る。
故に三つ星で満足して居る者に弟子入りした場合には、永遠に独立する事が出来ないと言う事に成る為、選択肢が有るならば三つ星よりは王工匠に弟子入りするべきなのだ。
勿論、そんな事は錬玉術師の中では常識中の常識な為に、一つ星や二つ星で独立する者は地元に帰って細々と霊薬や術具を作る仕事をするのが目的で、栄達を目指す者ならば最低でも三つ星を取得しその後も第一位王工匠を目指して研鑽を続けるのだと言う。
其の辺の事情も有って俺がワン大人に錬玉術の手解きをしたり調合法を開示するとなると、今回の試験で三つ星を取り其の後も研鑽を怠らず第一位王工匠を取得するべきと言う事に成るのだ。
「吾輩の記憶が確かならば西方大陸西海岸側には未だ多くの錬玉術師は居なかった筈だ。と成ると君の下には他にも錬玉術を学びたいと言い出す者が集まる恐れが有るが、愚か者に其れを授ける様な真似だけはしてくれるなよ?」
錬玉術はこの世界に生み出されてから未だまだ日の浅い新たな技術だ。
今までならば極々稀に異世界からやって来た大物魔物が装備して居た物が、戦闘中に壊れる事無く運良く完全な状態で回収出来た時にしか手に入らなかった術具
が、人類の手で作れる様に成ったばかりで有る。
本場で有る北方大陸で更に錬金術師製造所を擁するシュテルテベーカーならば、錬玉術師だけで無く錬玉術から派生した技術を用いる義肢師なんて者達も居るが、他の大陸では未だ需要に足りる程の人員が根付いている訳では無い。
その為、錬玉術を『金の成る木』と言う甘い認識で儲かる仕事だと志す者は決して少なく無いと言う。
錬金術師製造所としてはそうした動機だとしても、しっかりと学ぶ姿勢の有る者ならば受け入れるが『一寸噛みして生兵法で楽に儲けたい』と言う様な輩は、錬玉術の価値も地位も名誉も全てを下落させる事に成る為に出したく無いのだそうだ。
「今の所、俺が誰かに錬玉術を指南すると言う話は有ったとしても、ワン大人以外だと許嫁のお連位の筈です。そもそも俺の西方大陸への留学期間も残り少ないですし、転移魔法を覚えて定期的に通うにしてもそう頻繁に行く事は無い筈ですしね」
そもワン大人自身が俺から手取り足取り学ぶのでは無く『技術は盗み取る』事に拘りが有る感じだったので、自分で必要と成る霊薬の調合を彼の所でするとか、そんな感じで態と盗ませる、と言う方向に成るだろうし、其処から更に技術が流出すると言う事は無い筈だ。
まぁワン大人も医者としての弟子とかが居ても不思議は無い、奥さんと子供が居ると言う話だから、子供に対して自身が持つ技術や知識の継承を考えるのは、此方の世界では当然の事だしな。
前世の世界の日本だと親と同じ職業を子供に強要するのは虐待だと言われるだろう、俺の家で有った公務員以外は認めないと言う雰囲気も、もしかしたら俺達兄弟の勝手な思い込みだったのかも知れない……と今だから思う。
けれども此方の世界では親の仕事は家の仕事で有り、其れを子供が跡目を継ぐと言うのが当たり前の社会なのだ。
無論、跡目争いなんて事を避ける為にも、子供には好きな道を行かせたいと言う親だって居なくは無いが恐らくは少数派だろう。
ワン大人が正式に錬玉術を子供さんに引き継げる様に、確実に三つ星を得ようと俺は強く強く心に誓ったのだった。




