千百六十五 志七郎、納品し信用を考える事
「いやぁ……本気で人食い加加阿の実を七つも手に入れて来たんっすね。しかもどれも大振りな上に傷らしい傷も無い。開けて見なけりゃ豆の状態は解らないけれど、此の大きさなら恐らくは三十枚は少なくとも作れそうっすね」
俺達が持ち込んだ果実を見て猪口齢糖職人のトード氏が、なんとも言えない微妙そうな表情でそんな言葉を口にする。
「コレは本当に大仕事に成りそうね。私も手伝うから二人の将来の為にもしっかりと頑張りましょう!」
ルドヴィーコの餐庁へ加加阿の実を納品するに当たっては、猪口齢糖職人のトード氏は勿論の事、彼の恋人だと言う菓子職人のハウザー嬢と、二人の雇用主であるルドヴィーコ氏も立会ってくれた。
と言うかトード氏は法律上の身分が奴隷の為に、一流の職人では有るが責任を負う事が許されて居ないのである。
無論、本人にはその職分を真っ当する責任感は有るのだろうが、法律が其れを許さない……前世の感覚で言うのであれば未成年者の短時間労働が有する責任に近い物と考えれば良いだろうか?
奴隷は人権の一部が制限される代わりに、義務や責任と言った物が本人では無く、主人と成った者に帰属する様に成るのだ。
向こうの世界の日本でも、未成年者は勝手な判断で契約の類を結ぶ事は出来ないし、短時間労働の間に『バイトテロ』等と呼ばれる様な行為をやらかせば、当人では無く保護者である親が責任を取る事に成る。
青い狸が活躍する漫画映画の餓鬼大将じゃあるまいし、未成年者が奴隷とイコールで結ばれるとは当然思っては居ないが、責任を取れるかどうかと言う意味で、この世界に置いて奴隷と未成年者は同等と言って良いのでは無かろうか?
「ふむ……トード、取り敢えず全部開けて見て中身の状態を確認しろ。其の上で幾つ分が使い物に成るのかを判断して報告するんだ」
故にルドヴィーコ氏は厳格な経営者の顔で指示を出し、其れから初めてトード氏は人食い加加阿の実を受け取った。
「さて……加加阿から猪口齢糖を作るには結構な時間が掛かるがその間どうしますか? 作業を見て貰っても良いし出来上がる頃合いに取りに来ても良いがね」
ルドヴィーコ氏曰く、猪口齢糖を作るには大きく別けて十もの工程が有るそうで、其の一つひとつが結構な時間を要する為、全ての猪口齢糖を作るには丸一日以上が掛かるのだそうだ。
何故そんな長時間作業を見学する様な提案をするのかと言えば、人食い加加阿の猪口齢糖が篦棒な値で取引される品だからである。
悪意の有る猪口齢糖職人がやろうと思えば他の加加阿を混ぜて増量したり、何だったら完全にすり替えて別物を此方に寄越す事も不可能では無いからだ。
当然ながらルドヴィーコ氏は其れをすれば見世の信用を失う事は百も承知で有り、一時の利益を得る為に其の様な真似を指示する事は無いだろう。
けれども奴隷と言う立場に有るトード氏が其れを絶対にしないと言う『信用』が法的に認められて居ない訳だ。
奴隷のやらかしは主人の責任である以上は、俺達が態々監視しなくてもルドヴィーコ氏がしっかりと責任を持って対応してくれる筈では有るが、ターさんを除いて初対面である以上、俺達がルドヴィーコ氏を信用する為の積み重ねが無いとも言える。
「ターさんが紹介してくれた以上、ルドヴィーコ氏を信用するターさんを信じるって事で、一々全てを監視する必要は無いと思っているが……」
とは言え俺としては紹介者であるターさんは結構な時間を一緒に行動し、命を賭けた戦いをも超えた間柄であり、彼が信用する相手ならば其れだけで信用に値すると判断した。
逆に此処でルドヴィーコ氏を信用せず全ての作業に立ち会うと言う判断をするのは、ターさんの面子を潰す行為だと思うのは、恐らくは他者を信用し過ぎる火元人の悪い所が出ていると言えるかも知れない。
「ターは信用出来るってのは俺も同感だが、このおっさん達が信用出来るかどうかってのは話が別じゃねぇ? 金の為なら親だって仲間だって売るなんて奴は何処にでも居る物だぜ?」
俺とは違いテツ氏はターさんに対する信用と、ルドヴィーコ氏やトード氏を信用するのは別だとはっきりと口にする。
まぁ彼はドン一家と言う犯罪組織と近い所で育って来たが故に、信じて居た者に裏切られる事が普通に有り得る事だと考えて居るのだろう。
「テツ殿の言う通り、目の前に金に成る物が有れば手を伸ばさずに居られぬのが人と言う物だが、昨夜食べた料理や菓子は実に真摯な姿勢で作られた物だったと思う。あれ程の技を持つ者が一時の得で見世の名を捨てるとは考え難いな」
対してワン大人はテツ氏の主張自体は否定しない物の、ターさんに対する信用を担保とせず、ルドヴィーコ氏達の料理の腕前と其れを味わった自分の舌を根拠として彼等を信用すると口にした。
相応の腕前を持つ者に対しての信頼が信用に繋がると言うのは、医者で有り武術家でも有り料理人でも有るワン大人らしいと言えるだろう。
「連は未だまだ人を信用するとかは解らないですけれども……恋人さんと一緒に成る為にお仕事をすると言うなら信じても良いと思うのです」
ああ、うん、女の子は産まれた瞬間から女で有り物事の判断基準が色恋なのだ……と言う様な話を前世に読んだネット小説か何かで見た事が有るが、お連もそう言う傾向が有るのか。
「まぁ私としてはミスター・ルドウィーコもミスター・トードもミス・ハウザーも旧知の間柄で、私を信用してくれるならば同じ様に信用して貰って大丈夫だ、と太鼓判を押せる相手だと言って置くのだ……彼の兄貴は別として」
ターさんのそんな台詞から始まった話に依ると、一度だけ会う機会の有った南方大陸に有るマリウス本家を継いだと言うルドウィーコ氏の兄は、南方大陸人特有の人間至上主義だけで無く、自国至上主義も拗らせた余り好ましく無い人物だと言う。
西方大陸南部の未開拓地域に隣接するアシャンティ公国で『スー族の勇者』と尊称で呼ばれるターさんに対しても『未開部族の◯◯』と、前世の日本ならば放送出来ない言葉で罵り蔑んだ態度で接して来たのだそうだ。
ターさんがこの国でスー族の勇者と呼ばれて居るのは、過去にこの国が大型の魔物に襲われた際に、偶然彼が案内して居た冒険者と協力して撃退に成功したからだと言う。
直接他の国と国境を接して居ないアシャンティ公国は、他所から冒険者が流れてくる事が少なく、基本的に国土の防衛は軍隊の力に依存して居る。
加加阿の生産と流通で南方大陸と密接な関係の有るこの国は、領土や国民の数に対して比較的裕福と言って良いが、その所為で逆に兵士の成り手が少ないのだと言う。
多くの都市国家に置いて軍隊の兵士と言うのは、農地を持たず稼げる技術や技能も無く、他者より秀でた腕っぷしも学も無い男が、取り敢えず食って行ける様に成る為の最後の職場としての側面を持っている場合が多い。
兵士に腕っぷしが無いと言うのは矛盾して居る様にも思えるが、最低限度『使える』程度の戦闘力は軍に入隊してから死ぬ気で鍛えりゃなんとか身に付く物だ。
……身に着ける事が出来なければ殉職するだけ、と言う辺りは命の値段が安いこの世界だからの事だろう。
そもそもある程度腕っぷしに自信が有るならば、兵士になんか成らずに冒険者を目指すか、武官として士官するのが普通なのだ。
故にこの世界の大半の国では、兵士と書いて肉壁と読む……と言う様な運用が罷り通ってしまって居る。
例外が有るとすれば騎士魔法を使う事の出来る者が率いた部隊の兵士達で、一般の兵士だけの部隊と打つかった場合に五倍の数で同等の戦力と言われる辺り、騎士魔法を使える南方大陸の騎士達がどれ程有用な戦力だと言うのが解るだろう。
そして当時のこの街には運悪く騎士魔法の使い手が居らず、ターさんと冒険者達が居なければ、割と大きな被害が出ていた事は想像に難く無く、公爵家から直接感状を手渡され『勇者ター』の二つ名も授けられたのだと言う。
そんな人物を軽く扱う辺り、ルドウィーコ氏の兄と言うのは、余程『自分達以外』を蔑む性質の性格の者なのだろう。
逆に言えば此の街に限って言えばターさんを敵に回す行為は、限りなく悪手と言えると言う事に成る。
「そ~言う事なら、ターの言葉に免じて信用するって事で良いんじゃね?」
信用出来ないと言う言葉を発したのが自分だけと知って、テツ氏は前言を撤回し信用すると決めたのだった。




