千百五十七 志七郎、宿を取り高級餐庁へ至る事
城門で受けた冒険者組合の組合員証とは違う鬼切り手形を提示しての入国審査で少々手間取る場面は有った物の無事アシャンティ公国市街へと入った俺達は、寝台と朝食と呼ばれる形式の宿を取ると、夕食を求めて夜の街へと繰り出した。
ターさんの案内で入ったのは本格的な南方大陸帝国料理を提供する比較的高価な餐庁で、前世の常識で考えるならば正装や略礼装まで行かずとも何等かの服装規定が有って然るべき見世である。
前世の日本でも今生の火元国でも冠婚葬祭の様な公の場や、職場でも無ければ然程気にする者も多く無い服装規定だが、海外では飲食店の格に依って其の場に合わせた服装でなければ入店すら断られるのが当たり前だ。
餐庁と呼ばれる程の飲食店ならば『Tシャツ』『短パン』『サンダル履き』等と言う粗雑な格好で店に入ろうとすれば門前払いを食らうのは当然の事で、其の辺の事情に疎かった日本人が泡沫景気の頃に海外旅行で恥を掻いたなんて話は良く聞いた物である。
泡沫経済が弾けたのは俺が未だ子供の頃だったので、当時の国内の高級餐庁の類で同様の服装規定が設定されて居た店が有ったのかまでは知らないが、大人に成った頃には都内の一等地に店を構える仏蘭西料理餐庁なんかでは常識に成っていたと思う。
ちなみに前世の俺は私用でも何時何時、仕事相手と出会しても無礼られない様に、外出時は常に背広着用が普通に成っていたので服装規定の類で困った覚えは無い。
警察官だって仕事外ならば適当に着崩しただらし無い格好で過ごしても、別段咎め立てされる様な事は無いし、捜査四課だからと言って例外だったと言う訳でも無いが『私服がダサい』と言う事で無礼られた時の不利益が大き過ぎる為に付いた習慣である。
なお仕事相手の方も下っ端は兎も角、幹部級の者に成るとやはり私服で街中を出歩く様な事は減り、出掛ける際には相応の服装を選ぶ様に成る……と言うのは、警察同様に暴力団員も『無礼られたら終わり』と言う部分で共通する話だった。
兎角、パッと見ただけでお高く格式張ったこの見世に鎧兜は宿に置いて来た物の、流浪の冒険者丸出しと言って過言では無い統一感の欠片も無い俺達が普通に入る事が出来よう筈も無い……と思ったのだが
「いらっしゃいませ、スー族の勇者よ。御無沙汰していますね、本日はどの様な献立と席を御用意致しましょう?」
見世の入口前に立つ用心棒と思しき強面の白人男性が、ターさんの顔を見るなり自ら扉を開いて店内へと招き入れたのだ。
「お久しぶりなのだ。今夜は遠方からのお客さんを連れて来たから……料理長のお勧めを我々には二人前で、此の子達には五人前で用意して欲しいのだ。部屋は何時もの場所が使えるなら其処で、埋まっているなら普通の席でも良いのだ」
手慣れた様子でそう注文したターさんと俺達を、店内に居た女性給仕と思しき二十歳そこそこの侍女服を纏った者が席へと案内してくれる。
侍女服とは言っても前世の日本で流行っていた侍女喫茶の様な破廉恥侍女では無く、英国発祥の職業婦人としての侍女の装いだ。
「申し訳有りません、特別貴賓室は既に埋まっている為、此方のお席をご利用下さいませ」
店内の最も大きな一室に複数の食卓が並ぶ部屋へと案内され、その中の一つの座席へと案内するなり、彼女はそんな言葉を口にする。
どうやらターさんはこの見世に取って予約も無しに特別貴賓室等と言う、明らかに特別なお客様しか使えないだろう部屋を、埋まってさえ居なければ使う事が出来る上客の類らしい。
と、そんな事を考えながらお連と並んで席に座ると、軽く室内を見回して見る。
やはり見世に入る前に想像して居た通り何等かの服装規定は有る様で、殆どの客は其の儘何処かの宴会に出ても可怪しく無い様な略式礼装や女性礼装姿の者達ばかりだ。
かと思えば板金鎧を着込んだままの騎士と思しき者や、此れから其の儘何処かの村を襲いに行っても不思議では無い様な毛皮を其の儘纏ったと思わしき山賊の風体の者も居る。
唯一の共通点を上げるとすればそうした武装をしたままの者達も、明らかに汚れた物を纏っている者は居らず、皆一様に身綺麗にはして居ると言う事だろう。
「南方大陸では甲冑は騎士の正装として認められているらしいのだ。其処から転じて防具を纏った姿は冒険者の正装と看做されるのだ。私達は防具は宿に置いて来て居るけれども、武装したままの姿に比べりゃ日常的な常識の範囲の服装だから問題無いのだ」
服装規定に関して考えて居た事が表情に出ていたのか、席に就くなりターさんがそんな言葉を口にする。
……確かに完全武装の者が当たり前に出入りする見世なら、普段から鎧の下に着ている白い着物に紺の袴は多少浮くかも知れないが、常識の範疇と言えるだろう。
なお防具を脱いだお連は俺と同様に白の着物と紺袴で、テツ氏はワイズマンシティでは一般的なデニムのパンツとジャケット、ワン大人はそもそも防具は身に着けず鳳凰が刺繍された長袍と呼ばれる東方大陸伝統衣装である。
「お待たせしました突き出し、季節の野菜と蛸のマリネです。食前酒は林檎酒を御用意しました。お酒を召し上がらない方には林檎果汁の炭酸割りです」
そう言いながら配膳された皿の上には、細かく刻まれた蛸の他に赤茄子と胡瓜に陸蓮根なんかが入ったマリネがそこそこの量盛られて居た。
突き出しってのは本来は一口二口で食べ切れる量の物が出される筈なのだが、この量がどさっと出てきたのは五人前と言う注文だからだろう。
……うん、美味い。酢の酸味に阿列布油の風味、其れから恐らくはスパイスガゼルの角から取れたと思しき香辛料が程よく調和し、蛸の旨味と食感に野菜の青臭さ加えて心地良いと感じさせる逸品だ。
食前酒代わりに提供された林檎の炭酸水も必要以上に甘く無く、此れから給仕されるであろう料理の数々を迎え入れる為に、腹の調子を整えてくれている様にすら感じられる。
此の一組だけでも此処の料理長と言うのが凄腕の料理人だと言う事は、余程の馬鹿舌の持ち主でも無ければ一口で理解出来ただろう。
「続きまして前菜、烏賊と鮪の二色盛り陸蓮根と若玉蜀黍を添えて」
食卓の上に並んだ何本もの肉刀と肉叉は、外側から順番に使う事をお連に耳打ちしつつ突き出しを出来るだけ下品に成らない様に注意しつつ、可能な限りサクッと平らげると、直ぐに次の皿がやって来た。
どうやら女性給仕の彼女も一流の見世で働く人材だけあって、此方の食事の様子をしっかりと把握して居る様で、食事の進み具合を彼女が厨房へ伝える事で、調理の進行速度も合わせて居る様で有る。
「うむ、此れは凄いな……私も多少なりとも料理も嗜む身としては、此れだけの技量は驚嘆に値するな」
こうして一皿一皿順番に料理を提供する場合、全員が料理を食べ終えた頃合いを見計らって、配膳する為には厨房要員と配膳要員の連携が取れて居なければ不可能である。
特に俺達の様に食事の提供量が違えば当然食事を終える速度にも差が出るだろう筈だが、俺とお連は氣も使う事で他の面子と変わらぬ速さで食事を食べて居た。
勿論、だからと言って只々飲み込む吸い込むと言う訳では無く、しっかりと味わって食べている。
だからこそ此処の料理が前世の世界で食べた、比較的お高い仏蘭西料理の店と遜色ない水準に有ると言う事が解かるのだ。
「……やべぇ。こんな美味い物食ったらワイズマンシティに戻ってから、向こうの食生活に戻れっかな?」
テツ氏は普段ドン一家が経営するお安い料理店の食事を常食して居るらしく、此処で食べた豪華な料理の味に恐れ慄く様子を見せて居たのだった。




