千百四十六 志七郎、妖精郷へと至り陰謀の結果を目にする事
「ピピピ!?(にんげんだー!?)」
「ぴっぴ、ぴぽっぴ!(女王様、女王様!)」
「ぴぽぽ、ぽぽっぴぽぽぴっぽ(大丈夫だ、まだ慌てる様な時間じゃない)」
丘を登りきった先には綺麗に剪定された木々に色とりどりの花が咲き乱れ、その奥には濁り一つ無く花々を移す鏡の様な池が有るそんな窪地が広がって居た。
翅妖精達の群生地と言うだけ有って、シェイクスピアの喜劇『真夏の夜の夢』で描かれている『妖精達の住む森』を想像させる様な光景である。
掌に乗りそうな大きさの少女達が思い思いの格好で蜜を啜って居たのだろう、其処彼処の数えるのも馬鹿らしく成程に生い茂った草木の花々に取り付いて居た翅妖精達が、俺達の姿を見るなり大騒ぎをしながら辺りを飛び交ったのだ。
パッと見る限りでは他の個体よりも幼いと表現して間違い無い小さな娘は居れども、老境に至ったと表現出来る様な姿の翅妖精は見え無い。
此れは翅妖精と言う種族が『老いる』と言う事の無い種だと言う事か、其れ共老いる前に死に至る事の方が多く老いた個体と言うのが極めて稀だと言う事なのか?
何方なのかは解らないが、前世に読んだネット小説に出てくる様な、美しい姿の女淫夢魔では無く、伝承に語られる原点の醜い老婆の姿をした女淫夢魔の様な者を見る事が無いなら其れは其れで良い思おう。
……実際、翅妖精達は全裸でこそ無い物の、植物の葉っぱで胸の先端や局部を隠しただけの際どい姿の者達が大半なのだ。
そんな装いの皺々に成った老婆の姿なんざぁ、余程歪んだ性的嗜好の者以外は見たいと思わないだろう。
「ぽぷてぴぴっく! くーぴぷぷぺぽ、たーちゃんっぷ(騒ぐな者共! 彼等は野蛮な狩人では無い、我が友ターだ)」
聞き耳頭巾を通して聞くと相応の威厳が籠もった言葉だが、其れと同時に聞こえる生声は少女を通り越して幼女が即興で歌って居る様にしか聞こえない。
そんな声の主は他の翅妖精達とは違い、何等かの植物から紡がれたと思しき糸を織り上げた布で出来た女王と呼ばれる者が着るには少々質素な女礼服を身に纏って居た。
「久しいなター、女房を娶ったからには浮気は出来ぬと言うから、もう二度と此処へ来る事は無いと思って居たが……妾の手管が忘れられず妻を捨てて帰って来たのか?」
……どうやらターさんは結婚する前には此処の常連だったのか、女王と思しき翅妖精は悪戯っぽい表情を浮かべてそんな言葉を口にする。
「ジャネットを裏切る様な真似はしないのだ。今日は彼等が妖精の珈琲の実が食べたいと言うから案内して来ただけの案内人なのだ」
苦笑いを浮かべて軽く肩を竦めてからそう答えるターさん。
「ほほう……見た所、其方の雌は未だ繁殖期には入って居ない様だが、滾るモノは我等が繁殖するのに供してくれると言う事か?」
彼女が口にした雌と言うのはお連の事だろう。
どうやら妖精の珈琲の実と言うのは可也即効性の強い精力剤らしく、其れを男が口にすればどの様な種族でも息子さんが滾って仕方ない状態に成るらしい。
「いや、食べるのは俺達全員と言う訳じゃぁ無いぞ。俺とテツ氏も食べる……のか?」
食って即息子さんに影響が出る程に強力な効果が有ると言うのであれば、俺は兎も角テツ氏が食べるのは少々問題が有る気がする。
「……なぁター、妖精の珈琲の実って其処まで強い力が有る物なのか?」
彼の奥さんと成ったロコモコさんが一緒に来ているならば……いや、流石に俺やお連の様な子供が居る所で幾ら新婚夫婦だと言っても不埒な行為に及ぶ様な事は無い……筈だ。
「私も以前若い頃に一度口にした事は有るが、我慢できない程に酷い事に成ると言う訳では無いのだ。気を強く持てば平気な程度だぞ」
逆に言えば理性を総動員しなければ成らない程度には、息子さんが滾って酷い事に成るって事じゃね?
「あー、うん。妖精の珈琲の実は確か保存が効かないんだよな? なら俺は良いや。坊主だけが食えば良いんじゃね?」
未だ二十歳そこそこの若い盛りであるテツ氏だが、どうやら嫁さん以外を相手に欲望を吐き出す事を良しとする気質では無い様で、妖精の珈琲の実を食べる事に否定的な様子である。
「テツ殿が頂かないと言うのであれば、私が食べても構わないだろうか? なに此れでも年相応に様々な経験を積んで居るのでね、我慢強さを鍛えるのも修行の内と若い頃には色々とやった物だよ」
意外な所から妖精の珈琲の実を食べたいと口にしたのはワン大人だった。
前世の俺よりも少しだけ歳上で四十歳を少し回った程度の年頃に見えるワン大人だが、息子さんに悩みを持っている様子は無い。
ワイズマンシティには既に妻子も居ると言う様な事を前に言って居た筈し、風俗は別腹と言う様な気質にも見えないが、その言葉を信じるなら我慢仕切る自信が有ると言う事なのだろう。
「お二人が食べる程度なら、我々が繁殖する為に必要と成る分に影響が出る程では無いですね。まぁ他ならぬターの頼みなら分けて差し上げるのも吝かでは無いですわ」
翅妖精の女王は意味深な微笑みを浮かべてそんな言葉を口にする。
「ぴぷぺ! くぴぽ、ぷぽ?(まま―! このニンゲンが、私のパパ?)」
すると少し離れた所に居た、葉っぱでは無く布の女礼服を纏った未だ少し幼い感じの翅妖精がそんな事を言いながら此方へと飛んで来た。
「えーと、ターさん……この子が貴方がパパか? と言ってますよ?」
女王は普通に西方大陸語を話して居たので、通訳の様な事は全く必要無かったが、王女? と思しき個体は人間の言葉は話せない様で、彼女の言葉はターさんには伝わって居なかった。
俺は聞き耳頭巾のお陰で意味が通じたので本当に善意でその言葉を通訳する。
「ゑ!? えーと、女王様……もしかして私が最後に此処に来た時の奴を……使ったのだ?」
驚きの余り一瞬固まってから、錆びついた機械を無理やり動かした様なぎこちない動作で女王と其の子を視界に居れつつ問いかける。
「うむ、其方の精を妾の妊に入れ妾が産んだ、故に其方の子と言っても間違いでは無いな」
近代的な避妊方法が確率するまで、性風俗の類は常に妊娠と隣合わせの仕事だった。
いや……護謨製の避妊具が実用化されてからも、避妊に絶対と言う事は無く稀な事では有るが、意図しない妊娠に悩まされる女性の話は前職で生活安全課に居た同僚から色々と聞いた覚えが有る。
逆に『出来ちゃった婚』を狙って、避妊具の中から取り出した物を使い人工授精までする……なんて怖い話も、捜査四課の先輩から甘い罠対策の一つとして聞かされて居た。
「なーに、別にだからと言って嫁と別れて責任を取れ等と言う様な事では無いぞ? そもそも我等翅妖精には結婚等と言う概念自体が無いからな。ただ単純に妾が其方の子を欲しいと思ったから作ったと言うだけの話よ」
からからと笑いながらそう言う女王だったが、一夫一婦を守るのもスー族の掟の一つだそうで、知らない内に婚外子が居た事にターさんは衝撃が隠せない様子だった。
「ぷぽー! ぷぽぴぴっぴ! ぷぴ!(パパ―! パパカッコいい! 子供作ろ!)」
ピーター・パンにじゃれ付くティンカーベルの様に、ターさんの回りを飛び回りながら、そんな事を言う王女の言葉に俺は思わず吹き出した。
「ターさん……娘さんがターさんと子供作りたいって言ってますよ」
動物の世界でも近親交配は余り繰り返すと遺伝的な障害が出たりと、色々問題が有る事は馬や犬猫なんかの生産者の世界では常識では有るが、野生動物の場合には生息域の問題からしばしば発生する事だと言う。
どんな種族とでも子を為す事の出来る翅妖精と言う種族に取って其れがどうなのかは解らないが……俺が口に出した直後に女王が王女に拳を振り下ろしたのを見る限り、褒められた事では無いのではなかろうか?
「馬鹿者! ターには既に番と成った人間の雌が居るのだ、お前はお前で別の雄を探せ、番に成った雌を敵に回す様な真似をすれば、密林の秩序を乱したとして竜達との戦に成るぞ?」
……訂正、どうやら近親交配が問題なのでは無く、嫁さんと敵対する事に成る可能性が不味い様だ。
どうやら王女を含めて翅妖精は人間の言葉を話す事は出来ずとも理解はして居る様で、人の言葉に依る説教に彼女は肩を落として墜落したのだった。




