少女、困惑する
0.
紫から多大な誤解を受けていると判明した次の日の朝。外からは明るい日差しが私を急かすからそろそろ起きなきゃいけないんだけど、正直に言おう、学校が憂鬱で仕方ありません。
昨日のお友達宣言と、上機嫌な様子を思い出してふかふかの毛布の中で縮こまる。ぐりぐり、頭で枕を押し付けながら、そろそろこの毛布もしまい時だなーなんて考える。さすがにもう少し薄い綿毛布じゃなきゃ夏は乗り越えられないだろう。……現実逃避なのはわかってます。
「遊、そろそろ起きないとご飯あげないよー」
母さんの気の抜けた声が聞こえる。声からは、なかなか起きてこない常らしからぬ私にたいして困惑している色が見えた。これが幼い頃からいい子ちゃんやってた弊害か。心配かけるわけにもいかないし、食いっぱぐれは勘弁してほしい。時計を見ると、普段よりももう三十分遅かった。思うんだけど、朝の三十分って貴重だよね。そろそろ起きよう。
「はーい」
重い体を起こして洗面所へと向かった。
1.
いつもと違う時間に、三十分かけて学校へと向かう。朝寝すぎたせいか、それともこれからのことを考えてか、昨日の心労がたたってかどうにも怠い。その上日中はあれほど晴れていたのに昨晩から今朝にかけて雨が降ったらしく、じめじめとコンクリートの匂いが鼻についた。雨降りは嫌いじゃないが、この雨が降った後はどうにかならないのかと思う。気温が低めなのか、風がふいて腕に鳥肌が立った。
「今日、少し肌寒いな」
「あれ、遊ちゃんってこの時間だっけ」
後ろからいきなり声をかけられて、ひぃっと肩を上げる。恐る恐る振り向くと
「ぁっ、悪霊退散…っ!」
にこやかな笑みを携えた石井君が立っていました。変なこと口走ったのに仕方ないなぁ、と言わんばかりの苦笑を寄越すその寛容さがこわい。禁止している親指の爪を弾く癖が思わず出てしまうくらいこわい。うわぁ、気温とは別関係で鳥肌。
「やだな、そんな怯えなくてもいいのに」
「ごめん、びっくりしただけだから。じゃあ」
「一緒に行こうよ」
同じクラスなんだしさ、と笑みを深くする石井君。じゃあね、と言い切る前に誘われたことを考えると彼女が切れないのはこの押しの強さにあるのかもしれない。別に分かりたくもなかったけどな!ふぅ、落ち着け私。昨日折角口数少なく別れることができたのにとか惜しむな私。しょうがない、そんなこともあるさ。むしろ、ここで無言だとけっこう辛いぞー。
うまく断る理由もないので、とりあえず同じペースで歩く。途中言い訳が思いついたらその場で離れればいいか。さすがに、正門までにはコレから離れるようにしないと周りの目がキツそうだ。
「別に、いいんだけど。そうだ、石井君生徒会なのにこんな時間でいいの?」
一くんはかなり朝早い時間から登校してるって話だ。多分、私が今日起きた時間帯には学校着いてるんじゃないかな。
「僕、副議長だから。議会の時はともかく、副議長って回ってくる仕事って案外少ないんだよね。生徒会長の佐伯先輩なんかだと朝も昼休みも放課後も常に忙しそうだよ」
「へえ」
「そうそう、今日はちょっとのんびりしすぎたんだけど。遊ちゃんは環境委員だっけ」
「うん。のんびりやらせてもらってるよ」
「でも環境委員はこれから忙しくなるでしょ」
「まぁそうかな」
がんばれ、と笑う石井君は、それまでの雰囲気を一変させて目を細めた。
「環境委員ってことはさ、真奈美と一緒なんだよね」
ちょっと低くなった声に、なんだなんだと私は体を強張らせる。いきなり真奈美ちゃんの名前が出てくるとは、思わず声が上滑りしそうだ。
「そうだよ。真奈美ちゃんと幼馴染なんだっけ石井君。結構噂になってたよ」
「強いて言うなら腐れ縁、かな。遊ちゃん、あいつ浮きやすいから仲良くしてやってくれる?」
なんだ、結局はそれが言いたかっただけですか。言いたいことがわかったら、強張っていた力も抜けた。こんな私にもお声をかけなきゃいけないなんてサポートキャラも大変だね。
「言われなくても、働き者だしいい子だから委員会ではよく一緒にお仕事させてもらってます」
あとイベント見る時不自然にならないためにも付かず離れずを維持しております。傍観するにも赤の他人が見にいくよりは、ちょっと面識あるからーみたいな理由の方が色々動きやすいんだよね。
心外だ、というように目を逸らすと、ごめんごめん、と声が降ってくる。心なしか、さっきの冷たい雰囲気も和らいだようだ。
「うん、実はたまに話を聞いてたんだ。遊ちゃん、しっかり者なんだって」
なるほどなるほど、それもあって偵察にきたのか。具体的な真意は分からないけど当たらずとも遠からずだと思う。
なんと返せばいいのか分からなくて、二人肩を並べて無言で歩いていると、そろそろ電車組も合流する路地に差し掛かった。登校時間がピークより遅いとは言え、ぐっと人口が増えることは間違いない。ここらで、いいよね。
「そういえば国語の提出物やってないや。やらなきゃいけないから先いくけど、ごめんね」
「待っ……(逃げられたか)」
全速力だ。と言っても多くなった人の波をくぐり抜けながら、だからそこまで速度は出ていないけれど。敵は本当にあんた日本人?なんて質問したいくらい発育のいい体だから人混みでは大体こちらに分が上がる。カバンをしっかり体に着けて早足で正門を通り抜けると、学級まで急いだ。
課題?もちろんやってありますが何か?
2.
それからも、事あるごとに石井君は絡んできた。なんなんだ、要件は済んだんじゃなかったのか!?
今さっきだって
「昼ごはん一緒に食べない?」
という素敵なお誘いにより、周りの女子にしたり気に見られたばかりだ。紫と他にも約束している子たちがいたので、もちろん丁重にお断りさせていただいた。
大盛況の食堂で、ようやく一息つく。つ、疲れた。
「遊ちゃん、いつの間に石井君とお友達になったのぉ?」
「そうそう、水臭いぞー」
「まぁまぁそんなに言ってやんないで。遊が人見知りなのはあんたらも分かってることでしょうに」
そしてこれである。紫が軽くいなしたことで、大分落ち着いてはいるんだけど、正直こわい。あ、因みにおっとりしてる方が光希、次に喋った方が桜ね。この二人は面白くて、光希はかなりの高身長、家庭科部お嫁さん志望の天然おっとり系にして、逆に桜は私の肩しかない身長にあっまーい女の子らしい顔立ち、バレー部所属で基本は男勝りという外も中も凸凹コンビなのだ。この二人と紫と私で連む事が多い。ここではもちろん私はおとなしく借りてきた猫仕様だ。
人見知りとか言われてるけどもう気にしないよ。大人しめな設定なだけで人見知りなんかじゃ断じてないけどもう何も突っ込まないからな!
「私もね、よく分からないんだけど。ほら、石井君って真奈美ちゃんと幼馴染だから、その関係だと思うの」
「なるほど、なんかあの子の周り心配性多いよな」
「かく言う桜だってその心配性の中の一人でしょ」
なんと。
「うるせいやい。アタシは有菱が大人数でたかられてたからそれを助けただけだっつーの」
「ふふ、桜ちゃんひゅーひゅー」
「茶化すなっ」
ツッコミお疲れ様です。ていうか私の知らないところでそんなことがあったんですね。そういえば真奈美ちゃんって有菱って苗字だったっけ。大体ヒロインちゃんとしか呼ばなかったからなぁ。
「ほんと、おっとこまえで、私、桜ちゃんだーいすき」
「はっ……!?」
こいつら付き合ってません。
顔を赤くして味噌汁をかき込む桜は、案の定思いっきりむせていた。光希があら?なんて言いながら背中をさすって……いるのかな。私にはどう見ても叩いてるようにしか見えない。
「くはっ、ちょ、みっちゃん待て、もう、もういいからっ」
「そうー?あんまり辛かったら言ってね」
「お、お疲れ桜……」
辛そうな桜には申し訳ないけどこの二人のやりとり、和むなぁ。昨日も午前中もかなり精神的に忙しかったから、安心する。でもクラスに戻ったら石井君居るんだよな。
日替わり定食でもあんまり代わり映えのしないほうれん草のおひたしを口に入れながら、私は思いを馳せて憂鬱になった。それを見た光希が、恋煩いだなんだと騒ぎ出すのはまた別の話。




