12.ブラース大司教(下)
「王女殿下、こちら失礼してもよろしいでしょうか?」
王女の席からは離れているが、この円卓で最も身分の高いアヴェンナ王女殿下なので、僕はなるべく優し気な声で話しかけた。僕は元々小さな町の司祭だったから、人の悩み事を聞くのも主な仕事のひとつだった。
王女殿下のご了承を得て僕は席に座った。せめてこの王女殿下にわずかばかりの安息を与えなければいけない。一番簡単なのはもうお開きにすることだ。姉君たちももうお戻りなのだから決して不自然ではないだろう。
「さて、王女殿下、離れたところから失礼致します。私は恐れ多くも神と法王猊下からブラース大司教の任を頂いております」
円卓の数人から小さな声が漏れるのを聞いた。当たり前だけど大司教になれる聖職者なんてほとんどいないからだろう。しかも僕以外は全員高齢者だ。
「大司教猊下と言う事は、様々な御業をお使いになるのですね?」
御業というのはまあ魔術師がいう魔法のようなものだ。ただ理屈は全然違う。個人の魔力も関係しないわけではないが、基本的に神のお力を借りるものなので、本人の信仰心がどれだけ強いかでその力は全然異なる。大司教クラスであれば、今この部屋にいる人々全員が重い傷を負っていても、それを癒すことができる。中には時間がそれなりにかかる人もいるだろうけれど。とにかくそれぐらいの信仰を持っていなければ大司教に任じられることはない。当然この時点でかなり人数は限られる。
だが、それでも大司教の座は少なすぎるので、信仰だけでは大司教にはなれないという世知辛い現実がある。大司教になるためには、当然のように空席と後ろ盾がいる。僕の場合はブラストア王国が滅び、ブラストアの地を侯爵が治めるようになったため、その両方があった。さらに僕は子爵領の司祭でありながら大司教並みの信仰を持っていたから、ルーギー司教、そしてブラース大司教と順調にステップアップしたので例外中の例外と言えるだろう。
ちなみにルーガの古語がルーギー、ブラストアの古語がブラースである。素直にブラストア大司教で良いと僕は思っているが、教会というのは頭が固いのだ。
「はい、神の恩寵を頂いております」
信仰というのは不思議なものだ。私は神を深く信じている、そう心から断言する者でも、神はそれを御認めにならなかったりする。当然ながら僕も神を信じているが実は多少の疑念をも持っている。だが神は僕を御認めになっている。
それがあまりにも不思議なので、僕は神に直接問いかけたことがある。
『お前の信仰はその疑念も含めてとても純粋なもの。こうして私と直接話ができるのがその何よりもの証です』
他ならぬ、この世界をおつくりになった神ご自身がおっしゃるのだからそうなのだろう。ちなみに今生きている人間の中で、神と対話したことがあるのは、現法王と僕だけで、現法王もここ10年以上は対話ではなく、一方的に懇願するのが精いっぱいとのこと。
まこと信仰とは不思議なものだ。それを聞いてから僕は神との対話をしなくなったが、そうすると神の方から私に問いかけをなされる。神はこの世界をおつくりになった。だが、神と対話できるものがいる時代の方が、いない時代よりも遥かに短い。神はどうやら僕のことを貴重な話し相手だと思っていらっしゃるようなのだ。それに気が付いてからは私から神に語り掛けることもそれなりにしている。
「そして私のみたところ、王女殿下はお疲れのご様子。姉姫殿下たちもお休みになったのですから、アヴェンナ王女殿下もお休みになったほうがよろしいのではないでしょうか?」
僕がそう言うと、効果はてきめんに現れた。
「そうですな。殿下はお休みなられた方がよいでしょう」
「然り。私もそう思っていたところです」
男たちはいっせいに席を立ち上がると、王女殿下に挨拶をして去って行った。残ったのは王女殿下と僕のふたりだけ。僕は先ほどの言葉に神の恩寵を込めたわけではない。なのになぜ彼らは立ち去ったのだろうか? おそらく、彼らも彼らなりに王女殿下を気遣っていたのだろう。
「では王女殿下、私も失礼致します」
僕もそう言って立ち上がろうとしたところを、王女殿下に止められた。
「ブラース司教猊下。ありがとうございました。先ほどまでの少し辛かったのですが楽になることができました」
「それはようございました」
それでは僕も、と言いかけたところを当の王女殿下に止められてしまった。
「本当に楽になったのです。少しお話しませんか? 大司教猊下」
僕は席を立つことができなくなって、そのまま長い時間アヴェンナ王女殿下と話を続けることになった。
話は神と信仰についてから始まり、そして御業と魔術の違い、ブラストアと王都の違いについて述べた。
王女殿下は11歳。まだ好奇心が旺盛な方なのだ。僕が普通に結婚していたら、殿下より大きな子どもがいても全然おかしくない。僕はブラストアに残してきた妻、正確には妾だが、の事を思った。彼女は戦役で父親を亡くし、仕方なく僕の妾になった。別に聖職者が妾を持つことは決して少なくないが、大声で吹聴するべきものでもない。
もし妻の身に子どもが宿ったならば、いずれはこの目の前の王女殿下のように、素直で聡明な子に育ってくれるのだろうか?
僕は聖職者として、また将来娘ができた時の父親のような気分で王女殿下とのお話に興じ、時間が来てから侯爵家に戻った。明日あたり、もう一度法王猊下の元を訪れた方がいいかな、などとのんきなことを考えながら仕事をしていた僕に、アヴェンナ王女殿下からのお手紙を頂いた時は驚いたし、その内容を見た時はもっと驚いた。
これは拙い。本当に拙い。なんとかうまく片を付けられないだろうか? 旧ブラストア王国の残党に反乱の兆しあり、という噂が流れていることにして、僕だけ王都を逃げ出す。僕はそんな益体もないことを考えた。




