95話 絶対的に病的な魂魄。
95話 絶対的に病的な魂魄。
拳と拳。
殺意と殺意。
理解も妥協もない、純粋な殴り合い。
――両者は、ここから、
本格的な『殴り合い』、
『極めて原始的な命の奪い合い』のフェーズへと、静かに、しかし決定的に踏み込んだ。
魔法も、スキルも、理屈も、世界の飾りにすぎなかったと悟らされる。
残されたのは、削ぎ落とされた肉体と、剥き出しの意志。
骨が鳴り、血が揺れ、命そのものが衝突音を立てる場所だった。
互いに、その場から一歩も動かない。
逃走という概念は消え、回避という知恵も捨てられた。
ただ殴るために立ち、殴られるために立つ。
暗黙の了解として成立した、異様で神聖なターン制。
一撃。
沈黙。
そして、次の一撃。
9999京の拳が、空気を圧殺し、世界の密度を歪めながら、センキーの顔面に到達した。
それは衝撃音というより、重力が落下した音だった。
地平線上のメルト。
皮膚は裂け、骨は悲鳴を上げ、顔面は彫刻を破壊された石像のように崩れていく。
それでも、センキーは、呻き声一つ漏らさなかった。
砕けた歯が口腔内で転がり、血と唾液が混ざり合って地に滴っても、視線は微動だにしない。
その瞳には、痛みも恐怖も映っていなかった。
あるのは、ただ次の一撃を受け入れる覚悟だけ。
500京程度の拳が、今度は、バーチャの顔面を打つ。
衝撃は確かに伝播し、巨体がわずかに、ほんのわずかに揺れる。
それは山が風に撫でられた程度の変化にすぎない。
皮膚は裂けない。
骨も折れない。
ダメージという言葉が、ここでは意味を失っていた。
それでも、センキーは止まらなかった。
顔が潰れ、腫れ上がり、人の輪郭を失っていこうと、関係ない。
呼吸が乱れ、肺が血の味を覚え、視界が赤に沈もうと、関係ない。
彼は、丁寧に、律儀に、まるで祈りを捧げるかのように、毎ターン、
全力、渾身、入魂の拳を、確実に打ち込んでいった。
その一発一発は、攻撃ではなく、意思の刻印。
勝てるかどうかではない。
効いているかどうかでもない。
殴れる限り、殴り続ける。
立っている限り、殴り散らかす。
その病的な覚悟だけが、今のセンキーの存在を、この世界に繋ぎ止めていた。
唯一にして絶対の行動原理。
理屈も計算も捨て去ったその執念が、
本来ならば決して揺らがないはずの力関係を、ほんのわずかに歪める。
――ピキリ。
それは、あまりにも微細な音だった。
聞き逃しても不思議ではない、かすかな亀裂音。
だが、確かにそれは、これまで絶対であった前提が崩れたことを告げる音だった。
「……む」
バーチャの顔面に、髪の毛ほどの細さのヒビが走っていた。




