36話 勘違いしないでよねっ。
36話 勘違いしないでよねっ。
時折、外からパトカーの遠いサイレンが聞こえ、風に乗って波の匂いが入ってくる。
ユズは『パトカーがここに駆けつけてくれたらいいのに』などと夢を見るが、サイレンの音は規則正しく遠のいていくばかり。
「平和ボケした国でのうのうと生きてきた女学生風情が、俺の拷問に耐えられるなんて夢は見ない方がいい。これは脅しではなくただの忠告だ。無意味に傷を残す意味があるかい? ないだろう?」
ロキは淡々とそう言い、また、ナイフの切っ先を眼球のギリギリまで寄せる。
刃が揺れ、蛍光灯の白が小さく跳ねた。
心の中で相反する想いが渦を巻く。
言いたい。
言いたくない。
けど、怖い。
痛いのは嫌だ。
――比較的シンプルな言葉だけでたゆたう。
そうやって揺れて、揺れて、揺れた先で、言葉が零れた。
「か……彼女は……転生文学センエースの作者……」
泣きながら、ユズはトコの秘密をこぼす。
自分でも止められない涙が頬を伝い、顎の先で冷たくなった。
「………………ほう……それは、実に興味深い話だ。……流石に、それは、ちょっと、想定外だった……いや、そうか……だからこそ、センエースは彼女を守るのか。……『そんな女がいる学校』をターゲットに選んでしまった俺は……ある意味で、運命に愛されていると言える」
ロキは一人の世界に入り込む。
パキった目が虚空を捉えて離さない。
やがてふっと我に返り、ユズの顔へ視線を落とした。
「……友達の秘密を喋ってしまうとは、実に悪い子だ。そんな子にはオシオキをしないといけないな」
ロキはナイフの腹を指先でピンと弾く。
金属音が乾いて響き、空気がすこしだけ冷たくなる。
「え……ま、まって、しゃべったでしょ」
「喋ったからこそだ。悪い子にはオシオキ……当然だろう?」
「ま、まって! いやぁああああ!!」
――眼球が死ぬ。
そう思った……そのとき。
倉庫の扉がバーンと開き、夜の冷たい風が一気に吹き込んだ。
蛍光灯の光が一度だけ瞬き、影がめくれる。
「呼びつけておいて出迎えもなしとは話にならんのう!」
入り口に、黒いジップパーカーの少女。
薬宮トコ。
背筋を伸ばし、まっすぐにロキへ向けて顎を上げる。
視線は強く、態度は堂々。
「薬宮……なんで……」
ユズが泣きながら声を振り絞る。
トコは肩をすくめ、鼻で笑った。
「勘違いすんなよ。あんたを助けにきたんやない……いや、ほんまにツンデレとかやなく、マジであんたを助ける気はない。あんたのことは、普通に死んでほしいと思っとる」




