セン9話 神の領域にある覚悟。
セン9話 神の領域にある覚悟。
――渋谷スクランブル交差点。
世界の首脳と宗教指導者たちが居並ぶ会場は、張り詰めた沈黙に支配されていた。
数十億の人間が、画面越しにその一言一句を見守っている。
静かに座すセンエースが、ようやく口を開いた。
「……お前ら全員に、一つだけ条件を出す」
低く響く声が、マイク越しではなく、空気そのものを震わせる。
護衛兵の手が汗で銃を滑らせ、記者の喉がゴクリと鳴る。
「この先も為政者を名乗り続けるのであれば――『この世界で起こる全ての胸糞に対して責任を取る覚悟』を持ってもらう。もし、この先、この世界で、『俺の癇に障る理不尽』が起きた時は……お前らに、命で償ってもらう」
ざわめきが走った。
アメリカ大統領が硬い笑みを浮かべ、欧州代表は目を伏せる。
中華人民共和大国主席は額に汗を浮かべ、ハンカチで拭う。
日本の副総理が、恐る恐るマイクを握った。
官僚が差し出した紙を、震える手でめくり、目を走らせる。
「む、胸糞……とは、具体的にどのような?」
センの目が、刃のように細められる。
「次、くだらない質問をしたら殺す」
会場が凍りついた。
誰もが息を止め、護衛兵の心臓の鼓動すら聞こえそうな沈黙。
それでもなお、副総理はかすれ声を搾り出した。
「く、くだらなくはないと思うのですが? こちらは命がかかって――」
センは一瞬だけ笑みを浮かべ、しかし吐き捨てるように言った。
「てめぇは為政者でありながら、てめぇの命しか見ていない。それがくだらないと言っている」
「……」
「俺が為政者に求める覚悟とは、何があろうと、どんな状態であろうと――責任は全て自分にあると胸を張って叫ぶ気概のこと。少なくとも、お前に、それはない。鉄火場で日和ってんじゃねぇよ、くそったれ。まさかと思うが、この期に及んで、まだ、札束を数える事しか頭にないのか?」
為政者たちの血が凍る。
通訳を介した各国語でもなお、侮蔑の熱が伝わり、首脳の顔色が次々に蒼白に変わっていった。
「お前もしかしてまだ自分が死なないとでも思ってるんじゃないか? 『億を超える命の上に立っている』という自覚が、まったく足りていない」
短い沈黙。
やがて、声が震えながら返された。
「……全ての責任と向き合うなど……そ、そんな、神の領域にある覚悟を持っている者など、ここには一人もおりません」
センは目を閉じ、鼻で笑った。
「それが『何よりの恥だ』と思えないことが、何よりも問題だ」
場内の空気が一段と重く沈んだ。
白い法衣の指導者が、
数珠を組むように両手を重ね、
胸の前でそっと囁いた。
「……これは罰ではない。啓示だ。赦しと裁きの秤が、今、我らの目の前に降りている。……本物の神だ」
指導者の声が、後ろに並ぶ選ばれた信徒たちの耳朶に届く。
膝が震える者、涙に瞳を濡らす者、思わず天を仰いで口を覆う者――熱と畏れが同時に立ちのぼる。
そのすぐ脇で、別の宗教指導者が横目でそれを見やり、胸中に冷たい刃を立てた。
(愚か者め。『人には不可能な義務』を科す者を神と呼ぶのか。あれは、信仰を嘲弄する偽神だ)
崇める眼差しと、打ち震える拒絶。
その両極が並んで灯り、会場の緊張はさらにきしんだ。
★
同時刻、SNSは爆ぜた。
『#ShibuyaSummit』が世界トレンド一位。
皮肉と恐怖が混ざった『#神条約』は数秒で百万超。
タイムラインは各地の現実を背負った声で満ちる。
笑う者、震える者、賛美する者、嘲る者。
宗教、法、経済、生活が交錯し、
世界は現実の厚みを持ったままカオスへと沈んでいく。
★
――センは淡々と告げた。
「お前らの言いたいことは理解したし、俺の言いたい事も大半は言った。――会議は終わりだ」
声は冷たく、乾いていた。
「言っておくが、並んで写真を撮ったり、インタビューに応えたり……そんな無駄なことをする気はない。さっさと自国に帰って、俺の言いたいことを咀嚼して、それぞれの国が、どういう最終結論を出すのかを決めろ」
センは群衆の背後に広がる空を見上げ、最後に突きつけた。
「俺と戦争したいなら受けてやるから、後日、宣戦布告しろ。――以上だ。もういいぞ、消えろ」
その声は感情を帯びていなかった。怒りも激情もなく、ただ冷酷な宣告。
椅子が軋む音、靴音がそろって立ち上がる音。
各国の首脳は言葉を失ったまま退場した。
渋谷の交差点には、敗戦国の会議室のような重苦しい空気だけが残った。
★
その頃、東京から遠く離れた地下アジト。
コーカサス地方の旧鉱山跡。
複数のモニターに渋谷サミットの映像が反復している。
『男』は、椅子にもたれ、白い息ひとつ漏らさず画面を見つめていた。
彼の名前はロキ。
表舞台には決して出てこない男。
「──直接殴り込むのは論外。経済で揺さぶるのは退屈だ。情報戦で信用を削ぐ……そんな凡庸な手で揺らぐ怪物じゃない」
指先が地図を滑り、赤い点が浮かび上がる。
政権中枢、企業、宗教拠点、そして教育施設。
「──クラシカルにいこう。出会いはリリカルに、そしてシニカルに」
ロキはモニターに表示された『天聖学園高等学校』という文字を指先で弾いた。
奇しくも、それは、薬宮トコが通っている高校の名前だった。
「渋谷から近すぎず遠すぎず、通信を潰せば閉鎖空間……しかも『未来』を握る教育の場。舞台装置としては申し分ない」
ニコリと微笑んで、
「……『人質』作戦。古典にして本質。感情を動かす最短距離。理性の届かぬシナプスを揺さぶる」
彼はグラスを傾け、冷ややかに呟いた。
「さあ、センエース……お前は俺というジョーカーに、どんなエースを切ってくる?」




