トコ9話 取引。
トコ9話 取引。
六畳の部屋に、静かな緊張が満ちていた。
古びた蛍光灯がかすかに唸り、PCのスリープランプが点滅を繰り返している。
センエースはベッド脇の椅子に腰を下ろし、膝を抱えたままの図子を見下ろしていた。
その眼差しは、獲物を値踏みする肉食獣のように冷ややかだ。
「ここで一つ提案だ。お前のことは、俺が守ってやる」
「……守る? なぜ、あなたが、あたしなんかを?」
思わず問い返す声が震える。喉が乾いて、言葉がかすれていた。
「もちろん、タダじゃない。取引だ」
センの低い声が、狭い部屋の壁に反響する。
トコは息を詰め、両手を膝の上でぎゅっと握りしめた。
「……」
「今後も俺の小説を書き続けろ。だが、ヴァルハラのことは描くな」
「……」
「俺の過去は……どうしようかな。……そうだな……『俺のみっともないところ』だけなら書いてもいい」
「みっともない……?」
「変に美化するなってことだ」
「……はぁ」
トコは気圧されながらも、かすかにうなずいた。
心臓の鼓動が、耳鳴りのように響いている。
「お前が作品を通じて俺の情報を出せば、一般人の不安が多少は薄れるだろう。人は、『何も分からない』っていう状態に最大の恐怖を抱くもの。カオスをばらまくことは目的じゃない。お前の小説は治安維持の点で有効だと判断した」
「な、なるほど……」
トコは唇を湿らせ、思い切って聞いた。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
「なんだ」
「あなたの目的は……いったい何なんですか?」
センはわずかに笑みを深め、目を細めた。
その笑みは冗談にも本気にも見え、底が読めない。
「世界征服」
「……本気で言ってます?」
「いや。ただのシベリアンジョークだ」
図子は、返す言葉を見失ってまばたきする。
センは愉快そうに肩を揺らした。
「俺としゃべっているとイライラするだろう? この、他人をイラつかせる話術に――俺は『ファントムトーク』と名をつけた。どうだ、痛いだろう?」
「は……はい……痛いですね」
トコは呆れ顔で、そうつぶやいた。
「くく……素直な良い子だ」
センは笑いながら立ち上がり、畳をゆっくりと踏みしめて部屋を一巡りした。
壁に貼られたカレンダーや、机に積まれたプリントや参考書にちらりと目を走らせる。
そして再びトコへと視線を戻した。
「ところで、お前……そんだけ過剰に美しかったら、生きていくのが大変だろう。ストーカーされまくるんじゃねぇか?」
「……は?」
トコは一瞬、理解できずに固まる。
「俺は長い転生生活の中で山ほど美女を見てきたが、お前レベルは数えるほどだぜ」
「い、いや……あたし、どっちかっていうと地味な方で……」
「その謙遜は流石に嫌味だぜ」
「い、いや、なに言うとんの……アホちゃうかっ」
トコは頬を赤らめ、視線を逸らした。
センはそれ以上追及せず、窓の外をちらりと見やる。
外の街灯の光が、青い長羽織に淡く反射していた。
「さて、それじゃあ、俺はいく……」
そう言い残し、センは羽織を翻して闇に溶けるように去っていった。
残されたトコは、
(……美しい……? 何を言うとるん、あの人……性格と強さだけじゃなく、目までバグっとるんか?)
胸の鼓動を抑えられず、両手で顔を覆うことしかできなかった。




