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「こんにちは、カロルさん。リーリウム様は、お勉強中だそうですね」

「ええ。お嬢様から、だいたいの好みは伺っておりますから、今日は私一人で対応させていただきます。よろしくお願いしますね」

「ええ、こちらこそ、どうぞお手柔らかに。とはいえ、私どもは、カロルさんと生地や仕立ての話をするのを楽しみにさせていただいているんですよ」


 出入りの仕立て屋は年配の男性で、彼を見るたび、失礼だとは思いつつも、織物商を営んでいた父を思い出してしまう。

 今日もそんな思いを慌てて頭から追いやっていると、彼が少し得意げにオリーブ色の生地を差し出した。


「これは・・・さすがですね。お仕事が繁盛している理由が良く分かります。この色なら、お嬢様のお顔の色が引き立ちますし、少し大人っぽい色の服をとのご希望にも、ぴったりです。それに、この何ともいえない光沢は・・・」


 仕立て屋の顔が嬉しそうにゆるんだ。


「分かったわ。縦糸は地染め、横糸は糸によってから染めたのね、しかもほんの少し色をずらして」

「そのとおり。見えない手間がかかっているのですよ。しかし、高価な品ばかりをお勧めしても納得されないカロルさんには、最初は正直、まいりましたが、こうして本来の価値を分かってくださるとは、まったくもって仕立て屋冥利につきますよ」

「そうですか? こちらこそ、私のような使用人に、いろいろと興味深い仕立てのお話などをしてくださって、とても感謝しているんです」

「感謝などと、滅相もない。そういえば、前にカロルさんがショールにしてはと提案してくれた荒織の布ですが、今ではすっかり城下で流行っています。以前から思っておったのですが、カロルさんは織物に対しての素養をお持ちのようですな」


 そんな素養があるとすれば、幼い頃の生活によるものだろうと自分でも想像はついていた。

 しかし、それには触れずに、曖昧に笑って本題の仕立ての型へと話題を変えた。




 すっかり話し込んでしまい、気がつくと、部屋の外の気配が何となく慌ただしい。そろそろお嬢様のお勉強も終わる頃合いだと、話を打ち切った。



 帰って行く仕立て屋を送って戻る途中、焦った様子のアカリナと行きあった。


「カロル! たいへんなの、リーリ様がいなくなってしまったの」

「ええっ? いなくなったって、アカリナ、どういうこと?!」

「それが・・・あ、領主様・・・」


 普段と全く変わらない様子の領主様が歩いてきて、アカリナと私は膝を折って礼の姿勢をとった。


「二人とも、リーリのことなら、心配はいらないから」


 領主様の穏やかな声に、二人揃って頭をあげ、顔を見合わせた。アカリナは明らかにほっとした表情をうかべていた。


「ご領主様が心配ないとおっしゃるなら、持ち場に戻らせていただきますね。じゃあカロル、後でね」


 そう言ってアカリナは行ってしまったが、私の不安はおさまらなかった。


「領主様。お嬢様は、どうされたんでしょうか」

「大丈夫、ちょっと屋敷から脱走しただけだから。行先はだいたい見当がつくし、カロルが来てからはおさまっていたんだけど、前はよくあったんだよ、こういうの。まあ、未遂に終わったことも多かったけどね」

「そんな・・・私、探しに行ってきます」


 叫ぶように言った私を見て、領主様が苦笑した。


「探すってどこを? 心配しなくても、もうアウィスが探しに行ったから、まかせておけばいい」

「でも・・・お嬢様に何かあったら・・・それに、一人でお屋敷を出るなんて、どんなに心細い思いをしていることか」


 私の中で、お嬢様と脱走という行為がどうしても結びつかなかった。


「そうか・・・。カロルにはまだ話していなかったね」


 そう言って領主様が話し始めた内容に、私は打ちのめされた。


 お嬢様の母親は、他国の出身で、裕福とは言い難い身の上だった。亡くなった先代の領主様に一方的に見そめられて身ごもったが、生まれた娘に愛情がいだけなかったらしい。

 母娘はある場所で望むだけのものを与えられて生活していたが、お嬢様がかたことのことばを話すようになった頃、母親は一人、逃げるように国に帰ってしまった。

 お嬢様は、その頃のことはほとんど何も覚えていないらしいが、唯一、母親と川遊びをした記憶があるのだという。


「たぶんそれは、母親が出て行ったあと、使用人のだれかと遊んだ記憶と入れ替わったものだと思う。でもね、リーリにとっては、それが唯一の母親との思い出になっているんだ。だから、たまに無性に川が恋しくなってしまうだけで、決してこの屋敷が嫌で脱走しているわけじゃないはずなんだ」


 最後の方は冗談めかして、軽い調子で言われたが、私は自分の馬鹿さ加減を後悔してもしきれず、そして川を、母親を恋しがるお嬢様の気持ちを思うと心がきしんでしようがなかった。


 幼くして両親を亡くした自分の身の上に照らして、少しはお嬢様の寂しさを分かっているつもりでいた。

 そればかりか、その聡明さに甘えて、さんざんえらそうなことを言っていた。

 それなのに私はお嬢様の心のうちを、何も分かっていなかった。


 一刻も早く、お嬢様の無事な姿を目にしたかった。そして、許されることならお嬢様に謝って、あの小さな身体を抱きしめたい。


「ほらほら、そんな顔をしないで。すぐに無事で帰ってくるから」


 目の前でいつもと同じ様子で笑顔を見せる領主様を見て、突然に私は悟った。兄である領主様やアウィス様が、私以上にお嬢様を心配していないわけがないと。

 お嬢様の世話係である私は叱責されてしかるべきなのに、あろうことか、気を使ってくださっているのだと。


 やはり私みたいな人間に、お嬢様のお世話をさせていただくような資格なんてなかった。


「ところで、カロル。もしやとは思うけど、責任とって屋敷を出て行くなんて言わないようにね。そんなことになったら、リーリが悲しむし、この立派な領主様だってふてくされるよ。第一、アウィスがね・・・」


 私の心を読んだようなことばはしかし、使用人の誰かが叫ぶ声に打ち消された。


「領主様! リーリウム様が、お戻りになります! お元気でお戻りですよ」


 私は駆けだした。庭へ降りると、開いた門から馬車が入ってくるのが見えた。そちらに向かってなおも駆けると、足がもつれて転んでしまったが、痛みなど感じる間もなく、すぐに起き上がった。

 そこへ馬車がすべり込んできてとまった。

 開いた扉から下りてきたお嬢様の小さな姿を目にして、すぐにはことばが出なかった。


「カロル。ごめんなさい」

「そんな、お嬢様が謝る必要なんて・・・大丈夫ですか、どこか、痛いところはないですか? 怖い思い、しませんでしたか?」


 お嬢様は、無言でこちらへ近づくと、私のスカートにぎゅっとしがみついて、ぽすっとそこに顔を埋めた。


「わたしが勝手にいなくなったら、カロルが死ぬほど心配するって、アウィスお兄様が・・・」


 お嬢様が後ろを振り返るようなしぐさをして、私は馬車の横に立っているアウィス様に気がついた。どういうわけか、アウィス様は胸より下がずぶ濡れだった。


「ねえ、カロル。わたしのこと、心配した?」

「ええ、心配しました。お兄様たちは、もっと心配なさったと思いますよ」


 そう答えると、スカートの間から顔をあげたお嬢様が、面映ゆそうに、私の顔をのぞきこんだ。


「ふふ。アウィスお兄様は、せっかくだからって、川で遊んでくださったの。でも、つまづいたわたしを助けようとして転んでしまって、びしょ濡れになってしまったのよ。カロルもさっき、転んでいたわね」


 言われて自分の身なりを確認した私は、無意識にお嬢様の背中にまわしていた腕をおろおろとほどいた。転んだせいだろう、腕も、お嬢様がしがみついているスカートも、土で汚れていた。

 しかし、お嬢様は気にする様子もなく、私の片方の手をとった。

 小さな手が暖かい。


「アウィスお兄様が、川に行きたくなったら、お兄様たちやカロルにそう言って、一緒に行けばいいっておっしゃったの。その方が楽しいからって。今日、川で一緒に遊んでみて、そうかもしれないって思ったわ。だから、もう、一人で行くのはやめます」


 お嬢様が私の頬に手を伸ばして、私は自分が八歳のお嬢様の前で泣いていることを遅まきながら自覚した。

 謝ろうとした私を制するように、お嬢様はつないだ方の手を引っ張った。


「だからカロルも、黙っていなくなってはだめよ」


 ささやくように言って、ちらりと後ろのアウィス様を振り返ると、お嬢様は屋敷の方に駆けていった。

 その場に残された私は、慌てて涙をぬぐうと、お嬢様を無事に連れ帰ってくださったアウィス様にむかって、深く頭を下げた。

 アウィス様が近づいてくる気配がした。


「泣いた顔は、相変わらずひどいな」


 はっとして顔をあげると、アウィス様と目があった。

 それから、少し困ったような顔をしていたアウィス様の目もとが、ふわりと霞むようにやわらいだ。


 彼が微笑んだのだと、気がついたときにはアウィス様は歩きだしていて、すれ違いざまに、ぽんぽんと、私の頭を軽くたたいた。


 白く飛んだ頭で、私はアウィス様の後ろ姿を見送った。



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